2007/3/3 石原慎太郎の3選の可能性と今後
昨年12月7日、石原都知事が3選出馬表明をして以来、最近になって、彼の3選出馬表明に反対する声があちこちで聞かれるようである。接待・交際費などの使途について批判を受けたり、都政を私物化しているのではないかという批判が週刊誌、マスコミを通じてなされている。
現在、民主党は対立候補を出すことが出来ず、彼はすんなりと3選するのではないかという予測が強いが、批判も厳しくなってきている。
出生時間が分からないため、彼のラグナは分からないが、彼には4人の息子がいるため、ラオ先生の子供が誕生する時のトランジットの条件について、検討することである程度、絞り込むことが可能に思われる。
ラオ先生の「Planets and Children」の冒頭には次のような子供が生まれる際の条件について記載されている。
ルール1
土星は5室か5室の支配星、9室か9室の支配星に順行または一つ前のハウスからアスペクトする逆行によって、子供の出生の9ヶ月以内にアスペクトしていなければならない。
ルール2
木星はまた土星と同じく上記の4つのポイントに対して、子供の出生の9ヶ月以内にアスペクトしていなければならない。
ルール3
火星は上記4つのポイントに75日以内にアスペクトしていなければならない。
ルール4
月は上記4つのポイント、あるいは両親のラグナ、あるいは月に対して、子供の出生の72時間以内にアスペクトしていなければならない。
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まず、結論から先に言うと、石原慎太郎の4人の息子の出生のタイミングは、常に牡羊座、獅子座、射手座の火の星座に土星、木星、火星、月がアスペクトやトランジットしている。従って、石原慎太郎は獅子座ラグナ、あるいは射手座ラグナ、牡羊座ラグナのどれかであることが分かる。
また彼が火の星座であることは彼の経歴を調べると容易に理解できる。彼はアイデアマンであり、独創的であり、いつも前例のないことをして、話題を作る人物である。また自分が先頭に立って行動し、人々を統率する人物である。近年、東京都知事としての肩書きが彼に定着しているが、国政ではなく地方自治体(東京都)のような、より小規模なスケール(といっても予算数兆円規模の巨大都市であるが)の共同体のリーダーになる方が彼の性格には合っているように思われるのであるが、そうした大企業でなくても中小企業でもいいから社長になりたいというのが獅子座の象意である。人に頭を下げたくない所などはまさに獅子座である。その他にも獅子座の象意ばかりでなく射手座、牡羊座を連想させる様々なエピソードがあり、彼が火のエレメントであることは容易に理解できる。
彼の場合、月、太陽が乙女座に在住しているため、ラグナはどうしても火のエレメントでなければならない。獅子座に在住している木星だけでは、あれ程強い火のエレメントの特徴は出てこないのである。
それでは牡羊座、獅子座、射手座のうちのどの星座がラグナであるかを考える時に再び、結論を先に言うとすれば射手座ラグナではないかと思われる。
理由は各ラグナとヴィムショッタリダシャーを比較して、射手座ラグナの場合が最も適合するように思われるからである。
最も分かりやすい例としては、彼は1956年1月23日に『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞(史上最年少)している。書籍はベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となったそうである。(ウィキペディアより)
ラグナを射手座に設定すると、この時、ダシャーはラーフ/水星期となり、アンタルダシャーの水星が10室で高揚するパンチャマハープルシャ・バドラヨーガの水星となる。月、太陽から見ても10室支配で1室で高揚してバドラヨーガを形成して、非常に強力である。
至上最年少で芥川賞を受賞するという名誉に与かり、そればかりでなく、「太陽族」や「慎太郎刈り」を流行らせて、社会現象にまでなったことを考えると水星は10室で高揚していても不思議ではない。社会現象になるということは最も注目を浴びる大舞台で、誰からも知られ、見られることを表している。それこそはまさしく10室の象意である。
もし、獅子座ラグナに設定すると、芥川賞を受賞した1956年1月23日はラーフ/土星期となり、土星はラグナから6、7室の支配星で、6室に在住し、マハダシャーのラーフから見て12室に在住している。ラーフが在住する山羊座をラグナとすると、ラグナロードが12室に在住しているのである。この時期の象意は明らかに社会的地位と名声を得た10室の象意の時期であるから、6室や12室の象意とは根本的に合わないのである。
もし仮に牡羊座ラグナとすると、この時期はラーフ/ケートゥ期、あるいはラーフ/金星期である。牡羊座の最初の方の度数であればラーフ/ケートゥ期、後半であればラーフ/金星期である。まず、芥川賞を受賞して、きらびやかな授賞式、多くの人との対話や社交という象意を考えると、アンタルケートゥ期でないことは容易に分かるのであるが、アンタル金星期だとしても金星は2、7室支配で4室に在住し、ラグナロードで4室に在住して減衰する火星と接合し、10、11室支配の土星からアスペクトされて傷ついている金星である。1−10室のラージャヨーガなどを火星と土星の間で形成し、金星も1−7室のラージャヨーガを形成しているが、火星は減衰しており、それ程、良い象意ではない。芥川賞を受賞してスーパースターになる程のヨーガを形成しているとは言えないのである。またラグナロードの火星が4室で減衰しているというのはその人物のテーマが家とか家庭であり、減衰しているためその象意において惨めであることを表しているが、彼の力強い経歴からはそのような象意は微塵も見られないのである。
そして、最も重要なことは彼が小説を書いて栄誉を得たということである。水星は文筆、出版の表示体であり、高揚して強い水星は彼が水星の象意において栄誉を得たことを表しているのである。
例えば我々のジョーティッシュの先生であるK.N.ラオ氏は9室支配の水星が高揚しているが、彼はマハダシャー水星期にその著書のほとんどを執筆し出版している。彼のキャリアを表す太陽をラグナとすると水星は1、10室を支配し、ラグナで高揚し、バドラヨーガを形成しているところなどは、ちょうど石原慎太郎と同じ配置である。
ウィキペディアによれば彼は弟・裕次郎の放蕩生活に着想を得て「太陽の季節」を書き上げたとされており、彼は着想を得てから比較的短期間で書き上げたのではないかと思われる。
射手座ラグナに設定すると、芥川賞を受賞した1956年1月23日が、ラーフ/水星期半ばとなるが、彼が小説の着想がわき上がり、創作に取り組み、最終的にそれが受賞して一躍有名人となる一連の流れの全てがアンタル水星期の中にあったと考えられるのである。水星は太陽と緊密に接合しており、水星期は地位や名誉を表すのである。
このようにラグナは火のエレメントでなければならないという所から始まって、射手座ラグナではないかというところまで絞り込むことが出来るのである。
そして、射手座ラグナに設定した上で、彼の経歴を見ていくと非常にダシャーの推移と一致していることが確認できるのである。
まず、牡羊座ラグナ、獅子座ラグナ、射手座ラグナの3つを芥川賞受賞時のダシャーで検証すると、牡羊座に設定した時はラーフ/ケートゥ、ラーフ/金星期と明らかにあり得ないダシャーであるため、まず牡羊座を除外し、射手座ラグナの場合と獅子座ラグナの場合を比較検討した。
彼のアセンダントを獅子座0°〜獅子座29°59'の間のいずれに設定しても1956年1月23日の芥川賞受賞の日はラーフ/土星期になってしまう。
獅子座0° ラーフ/水星期 1959/4/5 〜
獅子座29°59' ラーフ/水星期 1958/8/6 〜
芥川賞受賞とその後、脚光を浴びた社会的躍進は彼の最も輝いた時期の一つである。従って、彼のチャートの中で最も強い水星で表されなければならないと思うのである。
しかし、彼の土星に注目して見ると、彼の土星もラシチャートで自室に在住し、ナヴァムシャでもラーフ、太陽から見て10室でムーラトリコーナの配置にあり、パンチャマハープルシャ・シャシャヨーガを形成している。
そして、ダーシャムシャでも月から見て4室、ラーフから見て1室で高揚し同じくシャシャヨーガを形成している。従って、ダーシャムシャでも非常に強い配置である。
従って、獅子座ラグナの可能性を放棄しないで、念のため、射手座ラグナの場合とダシャーを比較検討して最終的な結論を出すことにしたのである。
西暦
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月日
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出来事
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ヴィムショッタリダシャー
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ラグナが射手座0°の場合
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ラグナが獅子座0°の場合
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1932年 |
9月30日 |
兵庫県神戸市須磨区に山下汽船に勤める父・石原潔、母・光子の長男として生まれる。 |
月/ラーフ |
太陽/水星 |
1934年 |
12月 |
弟・裕次郎が生まれる。 |
月/木星 |
月/月 |
1949年 |
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1年間、休学する。この頃描いた絵を「ゴーギャンさえも驚愕する名作である」と自賛。公式サイト内では「石原の迸る感受性の果実」と紹介している。
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ラーフ/ラーフ |
火星/金星 |
1951年 |
10月 |
父・潔が脳溢血で急死。元々は京都大学フランス文学科に行くつもりであったが、父の上司の助言により公認会計士を目指し一橋大学を志望する。 |
ラーフ/木星 |
ラーフ/ラーフ |
1952年 |
4月 |
一橋大学入学。簿記や会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いてないと悟り公認会計士になることを断念する。
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ラーフ/木星 |
ラーフ/ラーフ |
1955年 |
12月 |
当時18歳だった石田由美子(広島市己斐町(現・西区己斐)生まれ。後に典子と改名)と結婚。由美子は小泉純一郎と縁戚になる(由美子の従兄弟の子にあたる美枝子が純一郎の実弟・正也と結婚した)。
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ラーフ/水星 |
ラーフ/木星 |
1956年 |
1月23日 |
弟・裕次郎の放蕩生活に想を得た『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞。史上最年少受賞(当時)。ベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となる。
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ラーフ/水星 |
ラーフ/木星、ラーフ/土星 |
1956年 |
3月 |
一橋大学法学部を卒業(法学社会学部に入学した。在学中に学部改組が行われ法学社会学部が法学部と社会学部に分離し、法学部を卒業)。
『太陽の季節』が日活で映画化され、当時無職だった弟・石原裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たす。 |
ラーフ/水星 |
ラーフ/木星、ラーフ/土星 |
1957年 |
4月19日 |
長男・伸晃が誕生 |
ラーフ/水星 |
ラーフ/土星 |
1962年 |
1月15日 |
二男・良純が誕生 |
ラーフ/金星 |
ラーフ/ケートゥ |
1964年 |
6月19日 |
三男・宏高が誕生 |
ラーフ/月 |
ラーフ/金星 |
1966年 |
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四男・延啓が誕生 |
木星/木星 |
ラーフ/太陽 |
1967年 |
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読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材 |
木星/木星 |
ラーフ/月 |
1968年 |
7月 |
自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。
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木星/土星 |
ラーフ/火星 |
1972年 |
12月 |
参議院議員を辞職し衆議院選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党
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木星/ケートゥ |
木星/土星 |
1973年 |
7月 |
渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成。 |
木星/ケートゥ |
木星/土星 |
1975年 |
4月 |
現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
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木星/金星 |
木星/水星 |
1976年 |
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福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。 |
木星/金星、木星/太陽 |
木星/水星、木星/ケートゥ |
1983年 |
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自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となる。 |
土星/土星 |
木星/ラーフ |
1983年 |
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黒シール事件によって新井将敬の選挙活動を妨害し野村秋介より抗議を受ける。
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土星/土星 |
木星/ラーフ |
1987年 |
7月17日 |
弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去(享年52)。 |
土星/水星、土星/ケートゥ |
土星/土星 |
1987年 |
11月 |
竹下登内閣で運輸大臣に就任。 |
土星/ケートゥ |
土星/土星 |
1990年 |
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総選挙で伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。 |
土星/金星 |
土星/水星 |
1995年 |
4月 |
国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。 |
土星/火星 |
(土星/金星)、土星/太陽 |
1996年 |
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弟の故裕次郎をテーマに『弟』を発表。 |
土星/ラーフ |
土星/太陽、土星/月 |
1999年 |
4月 |
再度、都知事選に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「どうも、石原裕次郎の兄です」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。
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土星/木星 |
土星/ラーフ |
2003年 |
4月 |
308万票(得票率史上最高)を得て、東京都知事に再選。 |
水星/水星 |
土星/木星 |
2006年 |
5月14日 |
フジテレビの討論番組「報道2001」に生出演し、「オリンピック招致を言い出した以上、やらないわけにはいかない。それまで体力がもつかなあ」と発言し、2007年4月の都知事選への3選出馬の意向を示した。
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水星/金星 |
水星/水星 |
2006年 |
12月7日: |
都議会本会議で2007年の都知事選への出馬を正式表明。 |
水星/金星 |
水星/ケートゥ |
ウィキペディアより引用抜粋、一部編集
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そして、獅子座ラグナの場合と、射手座ラグナの場合とを比較検討した結果、射手座ラグナの可能性が高いとはっきりと分かったのである。
理由はいくつかあるが、まず、ダシャーを検討する上で、アンタルダシャーは非常に重要である。
獅子座ラグナと射手座ラグナを比較検討すると、明らかにアンタルダシャーに違いが生じているのが分かる。
例えば、射手座ラグナの場合、彼はラーフ/木星期に公認会計士を目指して、一橋大学に入学しているが、木星は射手座ラグナから見て、大学や高等学問を表す9室に在住している。ウィキペディアには『・・・父の上司の助言により公認会計士を目指し一橋大学を志望する・・・』と書かれており、父親の上司であることから、彼にとっても上司であり、教師や師匠にあたるような年上の人物からの助言、すなわち影響を受けて、高等教育を受け、高度な学問や専門職のための学習をしていることが分かる。これらは明らかに9室の象意であるが、獅子座ラグナの場合、ラーフ/ラーフ期であり、獅子座から見て、ラーフは7室に在住しており、全く象意が違うのである。
また木星期について言えば、彼は木星/木星期にシフトした頃に読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材している。ちょうど、1967年は9月半ば頃からトランジットの木星が出生の木星にリターンしており、ラグナロードの木星が9室に在住しているという、その象意が実現するタイミングでもあった。ダシャーも木星/木星に切り替わる時であったため、これはダシャー、トランジットともに木星が出生図上で表す象意が実現するタイミングである。彼はこの時、外国に取材に行ったのであり、これは9室の海外旅行を表しているようである。
ウィキペディアには、この時の彼のベトナム取材について、『・・・ベトナム戦争の「クリスマス停戦(トルース)」をサイゴン市内から一歩も出ずに取材。ベトナムでの経験をきっかけとして政治への参加を考えるようになる。・・・』と書かれており、彼はサイゴン市内にじっとして動かなかったようである。この辺り、細かい所だが固定星座の獅子座に在住する木星の象意として考えると分かりやすい。
また彼はマハダシャーが木星期にシフトしてから、政治家になろうと考えたようであり、また実際に当選して政治家になったのであるが、獅子座は太陽が自室で強くなる星座であり、獅子座の適職には必ず”政治家”が含まれている。先日、宮崎県知事に当選したそのまんま東氏も獅子座自室に在住する強い太陽とコンジャンクトする水星のアンタルダシャーの時期に知事に就任したのであり、獅子座は明らかに政治家の象意である。石原慎太郎がマハダシャー木星期のセカンドアンタルダシャー、つまり、木星/土星期に自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選したというのは理解できる。彼の土星はナヴァムシャで太陽から10室で高揚し、ダーシャムシャでも月から4室目で高揚して水星と同じくらい強いが、マハダシャーもアンタルダシャーも強い惑星である時は非常に躍進できることが分かるのである。そして、彼は1999年4月に有力候補がひしめく中、166万票を得票して東京都知事に当選したのであり、この時は土星/木星期であったようである。木星/土星、あるいは土星/木星の組み合わせが結果をもたらしたと考えられる。
話を元に戻すが、彼はラーフ/木星期が終わると、ラーフ/水星期に結婚しているが、射手座ラグナから見て、水星は7室の支配星である。
もし獅子座ラグナとすると、ラーフ/木星期である。ラーフは7室に在住しているため、木星が7室在住のラーフにアスペクトしており、7室への絡みがない訳ではない。しかし、射手座ラグナにおけるラーフ/水星期の方がより直接的である。獅子座におけるラーフ/木星期は木星が5室の支配星でラグナに在住しており、7室へはアスペクトのみで、7室との強い絡みは存在していないようである。
『太陽の季節』で芥川賞を受賞した1956年1月23日は、射手座ラグナだと、ラーフ/水星期である。この時の彼は発想が浮かんだら直ぐに書いて直ぐに受賞したという印象であり、これらはアンタル水星期に起こったと考えられるのである。
もし獅子座ラグナだとすると、ラーフ/木星期、あるいはラーフ/土星期であるが、いずれも芥川賞を受賞して一躍脚光を浴びるようには見えない時期である。木星は5室支配で1室に在住してラージャヨーガを形成してはいるが、ごく普通のラージャヨーガであり、ずば抜けた結果を生み出すような配置ではないのである。また文筆で受賞したため、文筆の表示体である水星期であると考えた方が自然である。
射手座ラグナとすると、彼がマハダシャー木星期に政治家の道を志したことが経歴を見て、一目瞭然である。
さらに細かく見ていくと、1983年に彼は自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となっているが、同年、黒シール事件によって新井将敬の選挙活動を妨害し野村秋介氏より抗議を受けている。この時、新井将敬の選挙ポスターに「'66年北朝鮮より帰化」というシール3千枚が貼られる事件が起こり、彼の秘書が逮捕されたという。秘書がやったことにはなっているが、実際、石原慎太郎自身がこの行為を秘書を使って行ったと考えるのが自然である。彼はこの例に見られるように口(発言)が災いして、大きなトラブルを生み出していることが非常に多いのである。
ウィキペディアを見ると、彼の災いをもたらす発言の数々が確認できる。引用してみると、以下のようなものが挙げられる。
@「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ。」
と発言。フランス語関係者から大反発を招き、名誉毀損・業務妨害として提訴された。
A男尊女卑の観点をうかがわせる「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」「きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」という発言をし、裁判に発展している。(いわゆるババァ発言事件)
B北京オリンピックについて「ヒトラーの非常に政治的なベルリン・オリンピックに、ある意味似ているような気がする」と発言
C「僕が総理大臣なら、拉致された日本人を取り戻すためなら、北朝鮮と戦争をおっぱじめるよ。」「本当をいうと、(日本から先制攻撃できないので)北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでくれたらいいと思っている」
D1999年9月に東京都知事として府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察した後、記者会見で「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」と発言した。次いで「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」と発言意図を説明した。
E2001年11月2日、ホテル税の実施を表明した。これに対し鳥取県の片山善博知事からの「他人のふんどしというか、自分のところの住民以外の人から負担を求める税制だ」との批判に対し「事の何たるかを理解しないで、恥をかくのはてめえの方だ」と発言した。
Fオリンピック招致に反対した東京都瑞穂町議会にたいしては「頭がどうかしているんじゃないのか、あとでほえ面かくな」と発言している。また、先に名乗りをあげた福岡市に対しては「(東京と福岡では)横綱と幕下ぐらいの違いがあると思う」と発言をしている。
G毎日新聞(1999年3月13日付)のインタビューにて「日の丸、君が代を学校の行事に強制しますか。」という質問に対し「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ。」と答える。しかし、後に都知事として国旗と国歌を徹底していく。
H『わが人生の時の人々』で浅沼稲次郎暗殺事件を、浅沼の訪中に事寄せ“人民服や人民帽を贈られて喜んでいる。こんな軽率浅はかな政治家はその内天誅が下るのではないかと密かに思っていたら、果たせるかなああしたことにあいなった”と肯定的に評価している。
I堀江謙一によるヨットでの単独無寄港地球一周成功に対して、これをウソだと公言して顰蹙を買う。堀江の偉業が証明されたあとでも、自らの発言の過ちを認めず、堀江を批判し続ける石原の苛烈な態度は、旧来より今日に至るまで一貫したものとなっている。
J環境庁長官時代、陳情に来た水俣病患者の団体に対して、忙しいからと門前払いにしてテニスをしに行き、抗議文を突きつけられると、「これを書いた人はIQが低い」と発言した。
K運輸相時代に在日米軍を「番犬」呼ばわりし、当時在日米軍の米政府責任者だったアーミテージを激怒させた。
L「軍は軍だ」(2000年2月及び6月の都議会本会議における「ビッグレスキュー東京2000」方針説明の際、自衛隊を“三軍”と呼び、批判する野次に対して)
M 『産經新聞』2001年5月8日号で、中国人犯罪について「民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい」と主張。中国人が凶悪犯罪を起こす民族性を持つとした上、これを遺伝的であるかのように発言したことが、民族差別発言として批判された。しかし政治問題には発展しなかった。
N2003年9月、都議会本会議で北朝鮮の拉致問題に関し「袋詰めにされ、十文字にしばられて、さらってみたら片方は年寄りだから、曽我(ひとみ)さんのお母さんなんか殺されたんでしょ。その場で」と発言し、批判を受けた。
O2003年11月1日に、中華人民共和国が、ロシアの技術を導入したとされる有人宇宙船の打ち上げに成功したことについて、「中国人は無知だから『アイヤー』と喜んでいる。あんなものは時代遅れ。日本がやろうと思ったら1年でできる」と述べた。
P2006年1月20日の記者会見で、日本橋の上を首都高速道路都心環状線の高架が通り、景観を損ねている点について、首相の高架移転案に対し「つまらん金をかけるより橋そのものを他所の川にでも移した方がいい」と断言。「これが小説家の発想だよ」と彼我の相違を強調。
Q運輸相時代に宮崎県のリニアモーター実験線を視察した際、豚小屋と鳥小屋を結ぶ線と揶揄した。
R「首長はあんまり政党の看板しょわない方がいい。実は民主党の中にもね、私に寄ってる(寄って来る)議員がたくさんいるんですよ」「だいたい民主党ってのはよくわからないんだけども、私たちが言い出したことに反対したことがないんですよ。急にこう変わっちゃってですね、何だか訳のわからない根も葉もないことを言ってとにかく、(都)議会が混乱してる」(2007年2月24日、自民党都連「統一地方選・参院選必勝総決起大会」にて)
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ウィキペディアより引用抜粋、一部編集
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ウィキペディアにまとめてある彼のエピソードのほとんどは彼の口が災いとなって引き起こされたトラブルである。
上記に引用した内容をみると、どれも棘があり、気遣いや配慮の欠けた、無愛想で、無遠慮な発言である。
もし射手座ラグナとすると、彼のスピーチを表す2室の山羊座には逆行の土星が在住し、蟹座から減衰した火星がアスペクトして傷ついている。山羊座は木星が減衰する星座であり、木星が減衰すると道徳心が欠如し徳が失われるのである。その上、減衰する火星と土星によって傷つけられており、彼の発言は非常に攻撃的で、悪意があり、表現方法も品がないところを見ると、おそらく射手座ラグナにおける2室で間違いないと思われる。もし、獅子座ラグナだとしても2室には高揚する水星が在住し、乙女座は批判的な星座であるため、批判的な発言をする傾向が出てくると思われるが、凶星からひどく傷つけられていないため、批判をするにしてもそれ程、道徳心の欠けた棘のある発言はしないものと思われる。また乙女座で高揚する水星の影響で正確で妥協のない批判的発言を生み出すとしても、道徳心の欠如した棘のある発言をするとは思えないのである。然し、実際の発言の内容からは明らかに凶星から傷つけられた山羊座の象意が感じられるのである。
このように検証を重ねた結果、射手座ラグナでほぼ間違いないのではないかと思われるのである。
それではラグナを射手座に設定した上で、彼の現在のダシャーを検証してみると、彼は水星/金星期にいるようである。
金星は6、11室の支配星で8室に在住し、減衰する火星と接合している。また、水星から見ると金星は2、9室支配で11室に在住しており、月、太陽から見てもそうである。6室の支配星が8室に絡んでいることから彼が今、批判や攻撃に合っており、悩みを抱えた状態であることを示している。最近、彼が都の予算で家族に優遇を図っているとか、”都政私物化”として批判を受けている状況を表しているように思われる。金星は贅沢の惑星であり、蟹座は身内の便宜を図る星座である。また8室は不道徳な星座であり、11室も称号とか賞とか名声、収入への欲望に取り付かれる時期である。従って、彼が現在、金星の象意である贅沢により批判を受けていることが説明可能である。
しかし、彼は2007年3月から水星/太陽期にシフトし、太陽はラグナから9室の支配星で、7、10室支配の水星とコンジャンクトしてラージャヨーガを形成している。太陽は月、太陽、ダシャーロードの水星から見て12室の支配星であり、1室に在住している。
このように太陽はラグナからは9室の支配星であるが月、太陽、水星からは12室の支配星のため、少々複雑である。
然し、ナヴァムシャでも月から5室、太陽、水星から4室の支配星であるが、ダーシャムシャでも月、太陽、水星から12室の支配星である。
非常に12室の象意が強調されている。12室の象意とは隠遁、損失である。
現在、土星は蟹座に逆行しており、蟹座のサルヴァアシュタカヴァルガは36ポイントである。然し、土星が今年の2007年7月後半から獅子座にシフトすると、獅子座のサルヴァアシュタカヴァルガは22ポイントで、土星のビナシュタカヴァルガは1ポイントと低い。
従って、今年の7月からは明らかに彼は衰退に向かうようである。そして、木星は2007年11月後半から射手座にシフトし、土星と木星のダブルトランジットがラグナから9室、月、太陽、水星から12室に形成されるようである。獅子座は仕事を表す太陽から見て12室目であり、仕事運においては良くないはずである。現在は8室蟹座にダブルトランジットが形成されており、月、太陽、水星から見て11室である。
石原慎太郎は今、名声と飛びぬけて高い地位、収入、特権などに慣れきって、慎重な姿勢が欠けているのかもしれない。そうした象意は11室へのダブルトランジットで説明可能である。然し、ラグナから8室にもダブルトランジットしているため、彼は苦悩の中にいるようである。
これがラグナから9室、月、太陽、水星から12室に惑星集中とすると、彼は精神的価値を求め、そして世俗から関心を失い、心は隠遁傾向に入っていくようである。そして、アシュタカヴァルガのビンドゥーは低く、同時にサディサティにも入っていくことになるため、彼は明らかに今までの勢いを失うようである。
然し、これらのダシャーは射手座0°にラグナを設定した場合である。ラグナを射手座29°59'に設定すると、2007年1月25日以降、水星/月期にシフトしている。2006年3月21日〜2007年1月25日までは彼は水星/太陽期におり、権力の絶頂にいたと思われる。10室の太陽は政府の仕事を表すのであり、昨年の春から今年にかけての彼の地位は非常に磐石であったと思われ、アンタル太陽期であったと考えることも出来る。もともと、彼は都庁において何をしているか分からない所があり、隠遁的であったと考えることが出来る。
すると、 アンタル太陽期だったのは昨年から今年の頭にかけてであり、3月に入った今、彼が水星/月期に入っている可能性は高いのである。もし水星/月期に入っているのであれば、月は8室の支配星であり、10室に在住し、月、太陽、水星から見て11室の支配星でラグナに在住している。8室と10室の絡みは職場における苦悩、不道徳などと解釈できる。また突然の環境の変化を表す可能性もある。
もし彼が射手座ラグナの最初の度数にあり、これからアンタル太陽期が来るのであれば彼は4月の都知事選において再選され、サディサティへの突入やアシュタカヴァルガが低いハウスへの土星のトランジットなどで、再選されたものの、その活動は衰退していく傾向が出てくるのではないかと思われる。
もし彼のラグナが射手座の最後の方の度数にあり、現在が水星/月期であるならば、彼は当選も難しくなるような困難な状況に陥る可能性がある。然し、4月頃、まだ土星は点数の高い蟹座にあり、木星の蠍座から彼の11室にトランジットして11室にダブルトランジットが形成されている。仕事を表す太陽から11室目にダブルトランジットが形成されており、まだ彼が地位を失うとは考えにくいが、然し、彼は8室支配の月のアンタルダシャーである。8室は破産、突然の変化の表示体である。然し、月は11室の支配星であり、月、太陽、水星をラグナとした場合の1室に在住している。依然として、高い地位を表している。またラグナからは10室に在住している。彼は3選はできるが、それからが非常に彼にとって厳しい時期になるのではないかと思われる。月は8室を支配して傷ついているとは言え、10室の最も目立ち、注目を浴びる舞台を表すハウスに在住しているので、再選できると考えることもできる。あるいは8室の象意を重視して、彼の地位(10室)に変化、苦悩が生じる(8室)として、彼は落選すると考えた方がよいのかもしれない。いずれにしても彼に8室の象意が表す変化が起こっていくことは確かである。
彼は2008年6月後半から水星/火星期にシフトするが、この火星期はさらに彼の状況が苦しくなっていく時期ではないかと思われる。
火星はラグナから8室に在住して減衰し、月、太陽、水星から見て3、8室の支配星で、11室に在住して減衰している。
この時期には彼の地位や名声にはさらに傷がついていき、サディサティの影響で隠遁的になっていくものと思われる。
結論としては彼が当選するかしないかははっきりとは分からない。逆に言うと、決定的に落選すると考えなければならないような要素が見つからないのである。今年4月の選挙の時点では土星がサルヴァアシュタカヴァルガの得点が高い4/36の蟹座を通過し、木星も蟹座にアスペクトして、月、太陽、水星から見て11室にダブルトランジットが形成されている。11室は収入、称号、地位の部屋である。12室(隠遁、引退)を損失する(12室目)部屋であり、
彼が落選するとは考えにくい状況である。
(資料-ウィキペディアより引用抜粋)
<年譜 >
1932年9月30日:兵庫県神戸市須磨区に山下汽船に勤める父・石原潔、母・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県の長浜に生まれ旧制宇和島中学(現・宇和島東高校)を中退後山下汽船に入社、店童(商店で言えば丁稚)から出発し関連会社とはいえ重役に出世した人物。母・光子は広島県宮島の出身(出生地は大阪市)。なお石原自身は神奈川県を出身地としている。
1934年12月:弟・裕次郎が生まれる。
1936年6月:父・潔が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。
1943年1月:父・潔が小樽支店長となる 1943年2月:父・潔が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
1945年4月:神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。
1949年:1年間、休学する。この頃描いた絵を「ゴーギャンさえも驚愕する名作である」と自賛。公式サイト内では「石原の迸る感受性の果実」と紹介している。
1951年10月:父・潔が脳溢血で急死。元々は京都大学フランス文学科に行くつもりであったが、父の上司の助言により公認会計士を目指し一橋大学を志望する。
1952年4月:一橋大学入学。簿記や会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いてないと悟り公認会計士になることを断念する。
1955年12月:当時18歳だった石田由美子(広島市己斐町(現・西区己斐)生まれ。後に典子と改名)と結婚。由美子は小泉純一郎と縁戚になる(由美子の従兄弟の子にあたる美枝子が純一郎の実弟・正也と結婚した)。
1956年1月23日:弟・裕次郎の放蕩生活に想を得た『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞。史上最年少受賞(当時)。ベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となる。
1956年3月:一橋大学法学部を卒業(法学社会学部に入学した。在学中に学部改組が行われ法学社会学部が法学部と社会学部に分離し、法学部を卒業)。
『太陽の季節』が日活で映画化され、当時無職だった弟・石原裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たす。
1957年4月19日:長男・伸晃が誕生。
1958年:東宝で映画「若い獣」の監督を務める。
1962年1月15日:二男・良純が誕生。
1963年3月:『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。
1964年6月19日:三男・宏高が誕生。
1966年:四男・延啓が誕生。
1967年:読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
1968年7月:自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。
1969年11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 子供はスパルタのように厳しく育てろと説いた。
1972年12月:参議院議員を辞職し衆議院選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党 1973年7月:渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成。
1975年4月:現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
1976年:福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。
1983年:自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となる。
1983年:黒シール事件によって新井将敬の選挙活動を妨害し野村秋介より抗議を受ける。
1987年7月17日:弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去(享年52)。
1987年11月:竹下登内閣で運輸大臣に就任。
1989年8月:亀井静香らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す海部俊樹に敗れる。 『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
1990年:総選挙で伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
1995年4月:国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。
1996年:弟の故裕次郎をテーマに『弟』を発表。
1999年4月:再度、都知事選に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「どうも、石原裕次郎の兄です」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。
2003年4月:308万票(得票率史上最高)を得て、東京都知事に再選。
2004年:「弟」テレビドラマ化。 2006年5月14日:フジテレビの討論番組「報道2001」に生出演し、「オリンピック招致を言い出した以上、やらないわけにはいかない。それまで体力がもつかなあ」と発言し、2007年4月の都知事選への3選出馬の意向を示した。
2006年12月7日:都議会本会議で2007年の都知事選への出馬を正式表明。
2007年2月16日:記者会見で既に決定している自民党の推薦を受けるつもりのない事を明言。
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