占星コラム


2006/11/19 井上康生選手の復活優勝

 

以前、2004年8月27日のコラムで、井上康生選手が、サディサティで成績が振るわずに苦しんでいることについて書いたのだが、 今日付けのニュースによれば彼は2005年1月以来、約1年10ヶ月ぶりの復活優勝を遂げたようである。

彼の蟹座における土星のアシュタカヴァルガは0/17と非常に低く、これ程、低い場合、該当するハウスの象意が破壊されている と解釈するのである。

2006年11月1日に土星が獅子座に抜けて、サディサティの最も厳しい時期を抜けた直後の11月19日の優勝である。
彼は1983年の5歳頃から、柔道を始め、1988年の10歳の時に宮崎県大会で優勝している。

そして、中学、高校と全国レベルの大会でほとんど、優勝を重ね、 2000年にシドニーオリンピックで優勝するまで、常にトップの座に居続けている。

この柔道界で長い間、トップの座に居続けていることを考えると、今までマハダシャー金星期にいたことが予想される。
金星から見ると、木星と土星が10室にアスペクトし、金星は1、6室支配で4室支配の太陽と1室でラージャヨーガを形成している。
キャリアを見る太陽から見ても同じヨーガを形成している。
月から見ると、金星は富、評判、称号、受賞の11室で定座である。

現在、土星が獅子座に入室し、木星が蠍座からそれぞれ、太陽と金星にアスペクトしている。
彼が現在、マハダシャー金星期に居ても、太陽期に入っていたとしても、いずれにしても木星と土星がダシャーロードにアスペクトし、ダブルトランジットを形成している。

彼のナヴァムシャでは木星と土星と金星が減衰している。然し、高揚する火星が減衰する木星とコンジャンクトし、減衰する土星にアスペクトしており、木星と土星の減衰をキャンセルしている。金星は月から見て3室の支配星で減衰している。(特別な法則か?)彼のチャートは簡単ではなさそうである。

彼は何故、ナヴァムシャで減衰する金星期にシドニーオリンピックで優勝できたのか?
もし、金星期に優勝できたのであればラグナは獅子座で、ラグナロードの太陽と10室支配の金星が10室でコンジャンクトしているのだろうか?そうすれば彼がシドニーオリンピックで優勝し、また1988年からの長いキャリアにおいて常に優勝して、華々しい舞台で皆の注目を浴びて、名声と評価を得てきたのかが理解できそうである。ラシチャート上で強いヨーガが形成されていれば、ナヴァムシャで多少弱くても納得できるし、またナヴァムシャで減衰する場合にラージャヨーガとなる特別な法則が働いていたと考えることも出来る。

1室と10室の絡みは最高の絡みであり、チャートの持ち主に最高の名声をもたらすのであり、大舞台での活躍をもたらすのである。
12:00でチャートを作成すると、月はアーシュレーシャで、マハダシャーは水星期からスタートしている。そうすると、水星、ケートゥと来て、彼の社会的活躍は金星期か、太陽期でなければならない。そして、シドニーオリンピックで優勝した時は少なくともマハダシャー金星期か、太陽期のどちらかでなければならない。

もし、月が蟹座プシュヤであったら、土星期からスタートし、少し、遅めに金星期が始まって、2000年のシドニーオリンピック優勝がマハダシャー金星期の前半であったと考えることもできる。もし、月が獅子座マガーであれば、ケートゥ期から始まって、金星期が早めに訪れて、シドニーオリンピック優勝が太陽期であったとも考えることが出来る。

然し、1988年の10歳時から、宮崎県大会で優勝しており、その後も、途切れることなく優勝しつづけているため、この頃がケートゥ期だとは考えにくい。
従って、月の位置を蟹座プシュヤの方に移動することはできない。 逆に月の位置を獅子座マガーの方にシフトさせて、ケートゥ期に生まれたと考えると、もっと早く金星期が来るが、彼が10歳以前に何か、有名になったり、注目を浴びる舞台に立ったような形跡は経歴情報には掲載されていなかった。
5歳から柔道を始めた彼は始めのうちは試合や大会などには出れずに、黙々と練習をしていた頃ではなかったかと思うのが自然である。

従って、1987年前後からマハダシャー金星期に移行する獅子座ラグナであると考えるのがダシャーの大きな流れで考えて一番納得できるのである。

シドニーオリンピックで優勝した2000年のトランジットを見ると、土星と木星が太陽、金星にトランジットしていた。
オリンピックという最高の大舞台での優勝であるから、やはり、10室であると考えることで納得できる。

そうすると、今回、11月19日に1年10ヶ月ぶりに復活優勝を遂げたのは、木星と土星が10室にダブルトランジットしていたからと、考えることが出来る。土星は獅子座を運行中であるが、ビナシュタナカヴァルガは2ポイントと低めである。それにも関わらず、優勝できたのは、やはり、10室へのダブルトランジット、そして、マハダシャー太陽期へ既にシフトしていることも考えられる。

 

 

(資料)

柔道・全日本体重別、井上康生が一本勝ちの復活V 男子100キロ超級決勝で生田(右)を下し、優勝した井上康生    柔道・講道館杯全日本体重別選手権最終日(19日・千葉ポートアリーナ=読売新聞社など後援)――男子7階級が行われ、井上康生(綜合警備保障)が初の100キロ超級出場で優勝した。  井上は昨年1月の嘉納杯国際で右胸付近の筋肉を断裂して以来、約1年10か月ぶりの個人戦だったが、決勝は同僚の生田秀和を内またで下して一本勝ちした。  66キロ級はベテランの鳥居智男(了徳寺学園職)が2年ぶり5度目の優勝、90キロ級は斎藤制剛(旭化成)が3連覇を遂げた。 (読売新聞) - 11月19日20時7分更新

<講道館杯柔道>井上が一本勝ちで優勝 100キロ超級   講道館杯全日本柔道体重別選手権は最終日の19日、千葉市の千葉ポートアリーナで男子7階級があり、100キロ超級で井上康生(綜合警備保障)が得意の内またで生田秀和(同)に一本勝ちして優勝した。昨年1月の嘉納杯国際大会で右大胸筋腱断裂の重傷を負って以来、1年10カ月ぶりとなる個人戦の復帰を優勝で飾った。 (毎日新聞) - 11月19日20時3分更新

井上、1年10カ月ぶり復活優勝=決勝で得意の内また決める−講道館杯柔道 2006年11月19日(日) 18時0分 時事通信  柔道の講道館杯全日本体重別選手権最終日は19日、千葉ポートアリーナで男子7階級が行われ、100キロ超級はシドニー五輪100キロ級金メダルの井上康生が、決勝で生田秀和(ともに綜合警備保障)に一本勝ちし、大胸筋断裂の大けがを負った昨年1月の嘉納杯国際以来、約1年10カ月ぶりの個人戦優勝を果たした。  井上は初戦から硬さが見られ、本来の動きと技の切れは出なかったが、決勝では1分15秒に得意の内またで鮮やかに決めた。  100キロ級は学生王者の穴井隆将(天理大)が3年ぶり2度目、90キロ級は斎藤制剛(旭化成)が3年連続4度目の優勝。81キロ級はアテネ五輪代表の塘内将彦(旭化成)が2年ぶりに制し、66キロ級は2003年世界選手権代表の鳥居智男(了徳寺学園職)が2年ぶり5度目の優勝を果たした。 [ 11月19日 20時1分 更新 ]