研究コラム

 

 


2006/11/3 ユダヤ民族のカルマについて

 

 

世界の仕組みを研究していくと、最終的に突き当たるのがユダヤ人問題である。

ユダヤ人民族の歴史を概観して、最も大雑把に私なりの視点で古い順にまとめてみると、 次のようになる。
旧約聖書の出エジプト記にはバビロン捕囚で奴隷扱いされていたユダヤ人をモーゼが導いて、約束の地へと誘導される様子が描かれている。
ローマ時代には、ユダヤ民族の自治領域は、属国としてローマ帝国によって植民地化され、ユダヤ自治領はそのローマの統治に反発してユダヤ戦争を起こしたが、敗北して多くの人々が世界に離散することとなった。

11世紀にバチカンのキリスト教会によってユダヤ人はあらゆる職業から追放され、金貸しなどの金融業に携わるしかなかった。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」に見られるように中世のユダヤ人は差別され、虐げられた身分にありながらも金融業等を通じて、せっせと自分達の生活を守り、蓄財する様子を伺い知ることができる。

中世以来、その起源はさだかではないが、都市の中でユダヤ人が集まる居住区ができたようである。特に14世紀ペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として隔離政策が取られるようになっていったという。場合によっては、その地区の周囲が石壁に囲まれたところもあったようである。

ドイツのフランクフルトには中世からユダヤ人居住区(ゲットー)があり、商業が盛んだったようであるが、ユダヤ人居住区での生活は狭い空間に閉じ込められた非常に惨めなものあったようである。

そのフランクフルトのユダヤ人居住区は20世紀になると、ナチスによる迫害を受けて、最終的にアウシュヴィッツ強制収容所での大量虐殺(ホロコースト)の悲劇に繋がっていくのである。 ユダヤ人の歴史は苦難の連続であることが分かる。

第二次世界大戦後は、ユダヤ人はイギリスによる3枚舌外交で翻弄されるが、長年のシオニズム運動の結果、1947年に国連によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。その後、中東戦争などによって、イスラエルがアラブ諸国と絶え間ない戦争を起こし、パレスチナのイスラム原理主義のテロ攻撃などの恐怖に絶えず晒され、最近まで政治をとっていたシャロン首相は、イスラエルの入植地の周囲に高い塀を建設して、あるいは金網のバリケードで、周囲のアラブ人社会から完全に隔離された要塞を作ろうとしていたようである。

私は古代イスラエルから、近現代のイスラエル及び、中東の政治状況について詳しく書くことはできないが、およそ、ユダヤ民族の歴史に関して概観していくと、インド占星術的な観点から見て、彼らの運命とは6室(戦争)、8室(苦悩、不自由、死)、12室(隔離、監禁)など、ドシュタナハウスの象意が多く見られる。これら6、8、12室の象意が混じっているようであり、また特に12室の象意をユダヤ民族全体が体験してきていると感じるのである。

例えば、バビロンで奴隷として捕囚されていたことや、ローマ帝国に国家を滅ぼされて世界に離散したり、ユダヤ人居住区(ゲットー)などのような狭い居住空間に押し込められたり、あるいは、ナチスによって、住まいや住居を追われ(損失)、最終的にアウシュビッツ強制収容所に収容され、多くのユダヤ人がガス室に送られたこと、これらは12室の象意である。

ユダヤ民族が歴史的に自分たちの国家を持つことができずに流浪の民として、世界中に離散したのも12室の象意(別離、外国、放浪)である。
そして、 自分たちの国家を持とうとして、イスラエルに国家を建設しても、心安らかな生活を営むことが出来ずに常に周囲との軋轢を生じ、テロの恐怖に怯え、国を失うことを恐れ、入植地の周囲に高い壁をつくって、自らを隔離された要塞に閉じ込めようとすることもまた、12室の象意である。
安らかな生活や安住を求めて、国家を建設したのに皮肉なことにそこでもまた自分自ら隔離された環境(12室)を築こうとしているようである。

このようにユダヤ民族の歴史からは12室の象意が多く見られ、そこに戦争や暴力(6室)、陰謀、苦悩、不自由(8室)など、ドシュタナハウスの絡みを見るのである。

そもそもユダヤ人は政治、経済、科学、文化など、人類の活動のほとんどの分野をリードする偉人を輩出し、人類の発展に多大な影響を及ぼしている。経済界ではヨーロッパのナポレオン時代から台頭したロスチャイルド家を初め、そして、アメリカ新興のロックフェラー家とともに世界の貴金属、エネルギー資源を独占し、国際的金融資本を形成し、世界の富のほとんどを支配している。、ユダヤロビー活動は強力でありアメリカ政府は、彼らの言いなりだと言われ、国連決議を無視するイスラエルを援助し、毎年巨額の財政援助をしている。

こうした、ユダヤ人の優秀性、そして、ユダヤ人の民族としての運命(歩み)、これらは非常に関心を引くテーマであり、ユダヤ人問題というのは地球や人類社会を考える上で、大きなウェイトを占めている。特に世界の平和などは中東にかかっていて、それはユダヤ人問題である。ユダヤ人の周りのアラブ諸国と軋轢し、妥協して協調しようとしないかたくなな姿勢が、世界の平和にとっての大きな問題となっている。

こうしたユダヤ人問題、ユダヤ人のカルマ(上記の12室及び、6室、8室の象意)について、考える上で、非常に参考になる文献がある。
その文献とは、私が、精神世界や占星術の学習をする際に、そのインスピレーションの源としている、 アリス・ベイリーによって筆記されたジュワル・クルー覚者の『秘教心理学』(アリス・ベイリー AABライブラリー 翻訳・発行)である。

そして、この中に参考となる興味深い記載がある。

それは非常に興味深い話であり、私はなぜ、ユダヤ人がこんなにも歴史的に苦しまなければならないのかが分かった気がしたのである。
このような凄い知識が書かれた書物が他にあるとは思えないのだが、この本は誰でも書店で購入可能である。

少々長い引用になるが、(資料)の中からの引用箇所を抜粋転載した。
※はじめに(資料)に全て目を通して頂いた方が分かりやすいと思われる。

この(資料)には、非常に興味深い事実が書かれている。
それはユダヤ民族は かつて、ハイアラキーという進化した覚者方の弟子の中で物質への愛着を手放せない3人の弟子の末裔であるとのことである。特に大事な箇所は以下の部分である。

---(抜粋開始)---

『いにしえの注釈書』は、何が起こったかを次のような言葉で伝えている。この古代の聖典のリズミカルな叙事詩を読むとき、そこで言及されているのが、現在のユダヤ民族の先祖であった弟子たちのグループについてであるということを認識するのは賢明であろう。人々の運命を導く内界のグループから法が発せられた。無執着になれ。そして、掴み、獲得し、自分のものにする力を内に引き上げよ。人の世を去り、光の中に入るよう自らを訓練する神の子らはいつも手ぶらで旅をする。彼らは獲得したものを持ち運ばない。身軽になり、平和の門を通って中に入れ。  門の外で待ち、門を開けよという言葉が発せられたときに入る準備ができていた神の子らの中には、地上の宝物を抱え込んでいる者もいた。彼らはその宝物を生命の主に捧げるために持ってきたのである。しかし、生命の主は彼らの贈り物を必要とはしなかった。彼らは、利己的な目的のためではなく、獲得した世界の宝物を捧げることで彼らの愛を示すつもりで、その門を通って中に入ろうとした。  再び、言葉が発せられた。すべてを手放し、地上のものは何も持たずに門のこちら側に来るようにと。彼らは立ち止まり、言い争った。準備ができたその他の人々は光の中に入り、門の二本の柱の間を通過した。彼らは持ってきた荷物を置き去りにして、手ぶらで中に入り、何も持ち込まず、受け入れられた。彼らは集団で旅をし、集団で進歩し理解したため、この集団は神聖な命令に反応して、立ち止まった。そこで彼らは、一千周期の間に集めた宝物を掴んで、道の入口の前に立ち、待った。彼らは何一つとして残しては行きたくなかった。彼らは獲得した宝物のために長い間働いてきたのである。彼らは神を愛していた。彼らは獲得した宝物をすべて神に捧げようとした。彼らは指図されることを好まなかった。  再び言葉が発せられた。あなたが手にしているすべてのものを地上に放り出し、手ぶらになって入れと。しかし、三人はその断固とした命令に背いた。残りの人々は従った。彼らは三人を外に残して門を入った。大勢の人々が至福へと上げられた。三人は依然として、宝物をしっかりと握ったまま入口の外にいた。 世界のどの聖典よりも古いこの太古の書物の中に、フリーメイソン友愛団の物語の秘密を見ることができ、大師が最も親密であった三人に殺されて埋葬されたことの秘密を見ることができる。フリーメイソンのメンバーはみな、私がここで述べた三人のことを知っている。この三人は現在のユダヤ民族の先祖であった。彼らは、何も持たずに身軽になって光のある場所に入るようにという命令に背いた三人の進歩した弟子たちであった。彼らは自分が獲得したものを握りしめ、それを神への奉仕に捧げようとした。彼らの自分では認識していなかった動機は、富への愛着であり、獲得したものを安全に持ち続けたいという欲求であった。過去の教師たちが伝える古代の伝説は次のように告げている。  彼らは地上の門へと顔を向けた。友人たちは先に行った。・・・・彼らは後に残った。・・・・大師方は会議を開き、光の門に達していながら、光への奉仕を愛することよりも世界の宝物を愛する者たちの運命がどのようなものになるべきかを決定した。再び、依然として扉の外で待ち、命令に反抗する三人に対して、言葉が発せられた。  持っているものを握りしめ、もっと集めるがよい。しかし、平安を知ることはない。マインドの果実を収穫し、多くのものを獲得する力を求めるがよい。しかし、安住できる地はない。  あなた方は主の弟子たちである。そのため、平安を分かち合うことはできず、成功するかどうかを確信することもできず、獲得したものを握りしめる力もない。  すべてを見下ろす方についての仄かな知識は常に存在するであろう。集め蓄えたいという衝動は常に存在する。しかし、それを握りしめて楽しむための時間は決してない。それゆえ、再び時が巡ってくるまで放浪せよ。そして再び、今度は何も持たずに光の扉の前に立ちなさい。そのときは何も持たずに、主の僕らに受け入れられて、中に入り、永遠に平安を知りなさい。  古代の伝説は次のように告げている。三人は、悲しみと反抗心に満たされながら、彼らの宝物を抱えて立ち去ったと。このようにして、放浪するユダヤ人の歴史は始まった。

--- (抜粋終了)---

そして、ここからがインド占星術的な考察である。

インド占星術で、1室、5室、9室のダルマハウス(法則)が強い人は、霊的発展においてグルの指導を必要とするということが、「ラオ先生のやさしいインド占星術」?(注1)の中で述べられている。

1、5、9室は法則のハウスであり、このハウスが強調されている人はグルの保護と監督の下で、法則の範囲内で、正しく安全に進歩発展することが出来るのである。それは師匠への献身や師匠の指導に素直に従うという、師匠との正しい人間関係を基本とするのである。

それに対して、4、8、12室のモクシャハウス(解脱)というものは、「ラオ先生のやさしいインド占星術」によれば、このハウスにおいてはグルは必要ないと書かれている。

このモクシャハウスは強制的に解脱へと向かわせるのであり、グルは必要なく、困難や試練の体験をさせられることによって、強制的に解脱の体験、精神的悟りに至らせるのである。この場合、グルの指導はなく、困難や試練、そして、それを通じた教訓が教師なのである。

このフレームで考えると、ユダヤ民族の祖先であるこの引用文献に書かれた3人の弟子たちは、物質への愛着を捨てることが出来ずに主(師匠)の命令に背いたのであり、その結果、物質への愛着を強制的に捨てさせられるような12室の体験を後にこの3人の弟子の末裔が経験させられることになったのである。そして、そのカルマをこの時に背負ったのだと解釈できるのである。

 

そして、引用文献には以下のような箇所があり、この3人の弟子が師匠である大師を殺したことが記されている。

『・・・世界のどの聖典よりも古いこの太古の書物の中に、フリーメイソン友愛団の物語の秘密を見ることができ、大師が最も親密であった三人に殺されて埋葬されたことの秘密を見ることができる。・・・』

1、5、9室のダルマハウスが強調されている人はグルを敬愛し、その指導に素直に従うこと、すなわちグルへの献身により、このハウスの恩恵が得られるのであり、そのため、まず人間として生まれた際の、最初のグルである父親に対する献身が大切であるということがラオ先生の書籍の中でも言及されている。

然し、この3人の弟子はグルである大師を殺害したのであり、こうしたグル(法則)を無視してそれに反逆する態度は、モクシャハウスの象意である強制的に人生教訓を学ばせられる不幸で苦い体験につながるのである。

それはグルの損失(8室)であり、幸運の損失(8室)である。そして、物質に執着する人はその執着を強制的に失うような体験をカルマ的に体験させられるのである。それは12室(損失、出費、監禁)である。

こうしたことから考えると、ユダヤ人の苦難の歴史は、この3人の弟子の物質に対する執着が原因であり、物や金銭に執着する人は必ず、後の転生において、モクシャの体験をさせられるということが予想されるのである。

例えば、瞑想中に師匠の指導のないところで、勝手にクンダリーニ(8室)を上げてしまうことによって、狂人になってしまう例がよく挙げられるが、それは、師匠の監督、保護のないところで行う、8室の行為であり、グルを損失(9室から12室目)しているのである。

一方で、師匠の指導のもとで瞑想を行うことで正しく安全に瞑想を行うことが出来ると言われるが、それは9室(グル)の恩寵の元で、法則の範囲内で行動した結果である。

然し、法則(9室)から外れた人を法則に引き戻す仕組みが、モクシャ(4、8、12室)の働きであるとすると、そうした仕組みを維持しているのも法則(9室)なのであるから、8室(法則からの逸脱)も法則の一部分なのであると言える。

従って、ユダヤ人が放蕩息子であり、苦難の末に最終的には父(法則)の元に返っていくことを表しており、3人の弟子が逸脱したこと自体も大きなフレームの中では法則の一部分であると言える。

 

引用文献の中に以下のように書かれており、それは法則からの逸脱が些細な出来事で偶発的な出来事にすぎなかったと書かれている。

『・・・太古の聖典において寓意的な言葉遣いで伝えられているところによると、私たちの太陽系が誕生したときに「天国で戦いが起こり」、「太陽とその七人の兄弟たち」は、完全に調和して行動していなかった。そのため(ここにヒントが隠されている)、私たちの地球は七つの聖惑星の一つではないのである。私たちも知っているように、プレアデスの七人の姉妹たちが迷子になったという古代の伝説があり、このような伝説は他にもたくさんある。また、神々の会議室は常に平和で理解に満ちていたというわけではなく、時には言い争いや戦いがあった。このことは旧約聖書のいくつかの話で繰り返し述べられている。象徴的な言い方をすれば、何人かの神の子らは、あるとき「夜明けの子であるルシファー」に導かれて、その地位から転落した。この「天使の堕落」は、私たちの惑星の歴史においては途方もない出来事であったが、太陽系の歴史においては、一時的な興味深い現象にすぎなかった。また、私たちの太陽系がその一つにすぎない七つの太陽系内での出来事としては些細な偶発的な出来事にすぎなかった。ここで立ち止まって、いま述べたことについてしばらく考え、あなた方の価値観を再調整しなさい。出来事の重要度を測る基準は視点に応じて変化する。(私たちの地球における意識の開花という視点から見れば)極めて重要で決定的な価値を持つように思える要因も(宇宙の視点から見れば)些細な意味しかないかもしれないのである。・・・』

従って、法則からの逸脱も大きなフレームの中では大して重要なことではなく、法則(9室)の一部分、神の戯れの中の一つのエピソードに過ぎないのである。

現在、イスラエルは、周辺アラブ諸国と軋轢し、戦争(6室)を繰り返している。
従って、現在のユダヤ人はモクシャハウス(4、8、12室)の強制的な体験の中で歩んできて、まだ懲りないで、領土や資源、金銭というものへの執着の中で生きているのである。その物質的愛着に対する懲罰として、12室の体験が与えられているのであるが、彼らはそのモクシャの法則に抵抗し、闘争(6室)を繰り返して、彼らの安住の地を手に入れようとしている、然し、それは上手く行かないのである。闘争(6室)をして手に入れれば、それはまたカルマを築いてしまうのである。

トリシャダハウス(3、6、11室)とドゥシュタナハウス(6、8、12室)の絡みは、苦しみからさらに多くのカルマを築いてしまう配置であると言われ、個人のチャートを見るうえでも問題の配置である。
現在のイスラエルのあり方を見ていると、損失(12室、8室)の苦しみから、 闘争(6室)を経て、領土を得たものの、さらに多くのカルマを築いて、彼らの苦しい運命をさらに悪化させているようである。彼らには決して安らぎはないのである。

 

家系というものの中に人は繰り返し、転生してくるのであり、宗教団体の教えなどでは、私たちは先祖のカルマを背負っていると教えられる。そのため、私たちが現世において善行を行い徳を積むことによって、先祖が喜ぶということをどこの宗教団体でも教えるのである。私たちは家系というグループを背負って生きているのである。自分個人のカルマだけでなく、家系のカルマも背負っていると考えられる。

従って、この3人の弟子の先祖をもつユダヤ民族というものは全体としてこの3人のカルマを背負っており、おそらく、この3人は繰り返し、ユダヤ民族の中に生まれてきて、同じ物質的な愛着に基づいた行動を繰り返しているのである。

 

引用文献の前半に『・・・彼らの占星学上の宮は山羊座で、上昇宮は乙女座である・・・』と書かれている。
私はアクエリアス(水瓶座)の時代にはユダヤ人はそのカルマを払拭し、マイトレーヤと覚者方の人類の日常社会への到来によってまた、全体としての人類の選択によって平和に調和して生きると考えていた。

この山羊座と乙女座という情報がインド占星術のフレームの中で用いることができるか分からないが、 アクエリアス(宝瓶宮)の時代においては、水瓶座から見ると、乙女座は8室目で、山羊座は12室目である。

従って、水瓶座の時代の働き手にとっては、ユダヤ民族とはやはり、苦悩の相手であり、どうにも扱いにくい相手である。度々、苦悩させられる相手である。それは、現在、国際金融システムや国連という人類を一つに結びつける仕組みが作り上げられてきたが、その仕組みの中で重要な役割を果たしているのが、ユダヤ人だからではないかと思われる。連邦準備銀行や日本銀行など、世界各国の中央銀行を束ね、管理するのがロスチャイルドやロックフェラー(ここでは簡単にするため、ユダヤ人と同じとみなしている)などの金融ユダヤ勢力であり、そうしたユダヤ人の勢力がアクエリアスの時代の仕組みの構築に大きな役割を果たしており、彼らはその役割を果たす立場を利用して、裏方から操作し、世界の利益ではなく、自分達の利益を同時に追求しようとしがちだからである。また国連のビルを建てるために土地を提供したのはロックフェラーである。彼らはアクエリアス(水瓶座)の仕組みの上に君臨しており、それでカジノを経営するオーナーが一人勝ちするように新しいアクエリアスの仕組みの中でも特権的立場を保ち続けるのではないかと思われるのである。

そのようなことを『・・・彼らの占星学上の宮は山羊座で、上昇宮は乙女座である・・・』という一文から想起したのである。

 

注1:「ラオ先生のやさしいインド占星術」の中か、あるいは別の本だったかもしれない。

 

(資料)

諸国家と光線に関連して、(いわゆる)ユダヤ人問題の原因の一部になっているいくつかの根本的な状態について述べておきたい。この問題は数世紀にわたって存在してきたが、抱きうる最も深い懸念を、この時期、惑星ハイラーキーのメンバーを含めた大勢の人々に抱かせている。もしこの問題が解決できれば、それは世界に理解と調和を復興させる強力な要因の一つになるであろう。この問題は、世界中の善意の人々の協力なしで解決することはできない。この問題に関して私が述べることで、チェックしたり証明したりできるものはほとんどない。というのは、問題の糸口は、非常に古い時代に、文字通り、太陽が双子座にあった頃に見られるからである。当時、フリーメイソン友愛団のすべてのメンバーたちが知っているように、フリーメイソンにおける大いなる道標である二本の柱が立てられた。そのため、フリーメイソンが行うすべての実践にはユダヤ的な色合いが見られるのである。とはいえ、ユダヤ的という言葉が今日意味するような意味においてではないが。したがって、もしこれらの事実にそのような太古の意味合いが含まれているならば、私の言葉が正確であると言ったり、私の結論が正しいか間違っているかを判断することが誰にできるであろうか。私は、人間が知っているどのようなものよりも古い記録から得ることができる事実を提供するだけである。  ユダヤ民族のパーソナリティー光線、物質形態の光線は第三光線である。魂光線は第一光線である。彼らの占星学上の宮は山羊座で、上昇宮は乙女座である。水星と乙女座が彼らの運命において重要な役割を果たしている。これらのヒントは、進歩した学ぶ人々や占星学者に対して、ユダヤ民族の奇妙な歴史に光を投げかける際立った論点を十分に提供しているはずである。この第三光線の影響力を受けているため、ユダヤ人々にはフォースとエネルギーを操作し、望んだ目的を達成するために「陰で糸を引く」傾向があるのである。一つの民族として、彼らは生まれながらの立法者であり、しかも魂光線が第一光線であるため、支配し統治する傾向がある。またそのため、彼らの歴史には山羊が絶えず姿を現わし、メシアを産むべき聖母について教えられているのである。  どのグループにおいても―――天国のグループであろうと、地上のグループであろうと―――、反逆し、反抗し、同じグループ内の他の人々とは異なったイニシアティブを発揮する傾向を示す人々が常に何人かいる。太古の聖典において寓意的な言葉遣いで伝えられているところによると、私たちの太陽系が誕生したときに「天国で戦いが起こり」、「太陽とその七人の兄弟たち」は、完全に調和して行動していなかった。そのため(ここにヒントが隠されている)、私たちの地球は七つの聖惑星の一つではないのである。私たちも知っているように、プレアデスの七人の姉妹たちが迷子になったという古代の伝説があり、このような伝説は他にもたくさんある。また、神々の会議室は常に平和で理解に満ちていたというわけではなく、時には言い争いや戦いがあった。このことは旧約聖書のいくつかの話で繰り返し述べられている。象徴的な言い方をすれば、何人かの神の子らは、あるとき「夜明けの子であるルシファー」に導かれて、その地位から転落した。この「天使の堕落」は、私たちの惑星の歴史においては途方もない出来事であったが、太陽系の歴史においては、一時的な興味深い現象にすぎなかった。また、私たちの太陽系がその一つにすぎない七つの太陽系内での出来事としては些細な偶発的な出来事にすぎなかった。ここで立ち止まって、いま述べたことについてしばらく考え、あなた方の価値観を再調整しなさい。出来事の重要度を測る基準は視点に応じて変化する。(私たちの地球における意識の開花という視点から見れば)極めて重要で決定的な価値を持つように思える要因も(宇宙の視点から見れば)些細な意味しかないかもしれないのである。個人の出来事は本人にとっては重大な意味があるが、全体としての人類にとっては小さなことである。すべては、何が生命のドラマの舞台の中心を占めているかによって決まり、些細な出来事であれ重大な出来事であれ、どのような中心的要素の周りを巡っているかに左右される。  自然の第四王国つまり人類の表現である力と生命の半径内に、主要なグループ分けの特徴になった「独立しているという思い込み」と「離脱」に対応するものが見られた。後期レムリア時代において、当時の観点から見れば高度な進化を遂げ、世界の弟子たちの中に数えられた人々の一団が、惑星ハイラーキーと対立し、彼らは「イニシェートたちの法則」から離脱した。当時、教えの強調点は生命の物質面に置かれ、注目の焦点は肉体性質とその統御に置かれていた。『いにしえの注釈書』は、何が起こったかを次のような言葉で伝えている。この古代の聖典のリズミカルな叙事詩を読むとき、そこで言及されているのが、現在のユダヤ民族の先祖であった弟子たちのグループについてであるということを認識するのは賢明であろう。人々の運命を導く内界のグループから法が発せられた。無執着になれ。そして、掴み、獲得し、自分のものにする力を内に引き上げよ。人の世を去り、光の中に入るよう自らを訓練する神の子らはいつも手ぶらで旅をする。彼らは獲得したものを持ち運ばない。身軽になり、平和の門を通って中に入れ。  門の外で待ち、門を開けよという言葉が発せられたときに入る準備ができていた神の子らの中には、地上の宝物を抱え込んでいる者もいた。彼らはその宝物を生命の主に捧げるために持ってきたのである。しかし、生命の主は彼らの贈り物を必要とはしなかった。彼らは、利己的な目的のためではなく、獲得した世界の宝物を捧げることで彼らの愛を示すつもりで、その門を通って中に入ろうとした。  再び、言葉が発せられた。すべてを手放し、地上のものは何も持たずに門のこちら側に来るようにと。彼らは立ち止まり、言い争った。準備ができたその他の人々は光の中に入り、門の二本の柱の間を通過した。彼らは持ってきた荷物を置き去りにして、手ぶらで中に入り、何も持ち込まず、受け入れられた。彼らは集団で旅をし、集団で進歩し理解したため、この集団は神聖な命令に反応して、立ち止まった。そこで彼らは、一千周期の間に集めた宝物を掴んで、道の入口の前に立ち、待った。彼らは何一つとして残しては行きたくなかった。彼らは獲得した宝物のために長い間働いてきたのである。彼らは神を愛していた。彼らは獲得した宝物をすべて神に捧げようとした。彼らは指図されることを好まなかった。  再び言葉が発せられた。あなたが手にしているすべてのものを地上に放り出し、手ぶらになって入れと。しかし、三人はその断固とした命令に背いた。残りの人々は従った。彼らは三人を外に残して門を入った。大勢の人々が至福へと上げられた。三人は依然として、宝物をしっかりと握ったまま入口の外にいた。 世界のどの聖典よりも古いこの太古の書物の中に、フリーメイソン友愛団の物語の秘密を見ることができ、大師が最も親密であった三人に殺されて埋葬されたことの秘密を見ることができる。フリーメイソンのメンバーはみな、私がここで述べた三人のことを知っている。この三人は現在のユダヤ民族の先祖であった。彼らは、何も持たずに身軽になって光のある場所に入るようにという命令に背いた三人の進歩した弟子たちであった。彼らは自分が獲得したものを握りしめ、それを神への奉仕に捧げようとした。彼らの自分では認識していなかった動機は、富への愛着であり、獲得したものを安全に持ち続けたいという欲求であった。過去の教師たちが伝える古代の伝説は次のように告げている。  彼らは地上の門へと顔を向けた。友人たちは先に行った。・・・・彼らは後に残った。・・・・大師方は会議を開き、光の門に達していながら、光への奉仕を愛することよりも世界の宝物を愛する者たちの運命がどのようなものになるべきかを決定した。再び、依然として扉の外で待ち、命令に反抗する三人に対して、言葉が発せられた。  持っているものを握りしめ、もっと集めるがよい。しかし、平安を知ることはない。マインドの果実を収穫し、多くのものを獲得する力を求めるがよい。しかし、安住できる地はない。  あなた方は主の弟子たちである。そのため、平安を分かち合うことはできず、成功するかどうかを確信することもできず、獲得したものを握りしめる力もない。  すべてを見下ろす方についての仄かな知識は常に存在するであろう。集め蓄えたいという衝動は常に存在する。しかし、それを握りしめて楽しむための時間は決してない。それゆえ、再び時が巡ってくるまで放浪せよ。そして再び、今度は何も持たずに光の扉の前に立ちなさい。そのときは何も持たずに、主の僕らに受け入れられて、中に入り、永遠に平安を知りなさい。  古代の伝説は次のように告げている。三人は、悲しみと反抗心に満たされながら、彼らの宝物を抱えて立ち去ったと。このようにして、放浪するユダヤ人の歴史は始まった。地上で働き、道と達成を自ら縮図として表現した偉大なる神の子らのうちの一人、ナザレのイエスはユダヤ人であったことを思い出すことは有意義である。彼はそれまでのすべての状態を覆した。彼は何一つ所有しなかった。彼は人類の中で最初に達成した方であり、無執着のドラマに反抗した三人のうちの最年長者の弟子の直系の子孫であった。ユダヤ人は世界という放蕩息子を身をもって表している。ユダヤ人は正しい価値観という教訓をまだ学んでいない弟子の象徴である。ユダヤ人は光の法則の犠牲者、その法則に従う能力のなさの犠牲者であった。ユダヤ人は故意に、そして大きく見開いた目で結果を見つめて罪を犯した。したがって、その法則についてのユダヤ人の理解の仕方は他の民族とは違うものである。というのは、ユダヤ人は永遠にその法則の犠牲者だからである。ユダヤ人はその法則を否定的な視点から宣言してきた。モーゼの十戒は今日、世界の大部分を規定しているが、正義と真の正当性を生活の場にもたらすことはまだできていない。  (当時は)民族の代表者たちであった他の弟子たちは、古代のイニシェーションの門を通って、偉大なる最初の一歩を踏み出した。彼らは、三人の仲間の弟子たちと別れた出来事についての秘められた記憶をかすかにもって戻ってきた。地上での生活に戻ったとき、彼らはこの出来事のことを話した。これは彼らの過ちであった。長きにわたる敵意の火ぶたが切られ、それは今日でも続いている。この弟子たち自身は、長い巡礼の旅を経て、永遠なる平安に入った。しかし、隠されたイニシェーションの出来事で彼らが以前犯した裏切りの結果は、今も影響を及ぼし続けている。  奇妙なことに、自分が受けるよう切望していたものよりも差し出さなければならないものを愛した三人の弟子たちを先祖に持つこの古い民族は、フリーメイソンの伝統を最初に築いた人々であった。彼らの歴史は(それに付随して、人類の歴史は)、フリーメイソンのドラマ仕立ての儀式の中に表現されている。彼らの誠実さの報酬は―――というのは、彼らは自分たちが最もよく知っていると信じて、完全に誠実な気持ちで反抗したからである――毎年、彼らが光の中に入っていたかもしれない日が巡ってきたときに、光の探求の物語を舞台で演じることが認められたことであった。彼らは地上での死からほとんど蘇り、光の生命へと入っていたため、秘儀の偉大なる伝統が彼らによって開始された。彼らは死を選択した。そして、「それまで生き続け、報酬を要求することができ」、復活の扉を大きく開く力の言葉を発することができたものを殺害した。  この三人は、互いに支え合い、決して互いを見放さないという永遠の誓いを立てたと伝えられている。この誓いを彼らは幾多の時代を通して守ってきた。その結果、他の民族の敵意を引き起こす民族的な分離性と利益共同体が生まれた。  昔から、ユダヤ人はずっと彷徨い、世界に多くの美を生み出し、大勢の極めて偉大な人々を人類に提供してきた。しかし、(同時に)憎まれ、迫害され、裏切られ、追い出されてきた。ユダヤ人は人類の歴史を身をもって象徴的に演じている。掴み、握りしめ、さらに自らの民族的国家的な統一性を保とうとするユダヤ人の古くからの傾向は、彼らの際立った特性である。彼らを同化吸収することは不可能である。それにもかかわらず、この民族は非常に古いため、―――古代レムリア時代において―――その最も進歩していた人々すべてが弟子道を歩んでいたほど非常に進歩していたこのグループを先祖としない国は世界に存在しない。西洋世界には、フィンランド人、ラップ人、明確にモンゴロイドの血を引く国家を除けば、この最古の選民の子孫ではない民族血統は存在しない。しかし、ユダヤ人の血と現在呼ばれているものとの混血は、他の民族との混血ほどは見られない。そして、現代のユダヤ人は、アングロ・サクソン人と同じように、枝分かれした民族である。ただし、選択的な傾向を課し、民族的に分離することを通して、彼らは原初の特徴の多くを純粋な形で保ってきた。  先祖が同じであるということを認識していたからこそ、イギリス系ユダヤ人は真理を歪曲し、現代の西洋の歴史は離散したユダヤ人から始まったとしたのであった。真実はそれよりもずっと古い時代に関係し、旧約聖書に述べられているように、ユダヤの歴史よりも前の時代にまでさかのぼる。最初の三人の弟子と彼らの血族だちは三大民族の祖先であるが、この三大民族は以下のように一般化して述べることができる。  

1 聖書の時代と現代のセム系民族。アラブ人、アフガン人、ムーア人、これらの民族の直系子孫と傍系子孫。その中には現代のエジプト人も含まれる。これらの民族はすべて、三人の弟子のうちの最年長の弟子の子孫である。  

2 ラテン系民族。世界中に散らばっている彼らの様々な分派。至るところに見られるケルト系民族。これらは三人の弟子のうちの二番目の弟子の子孫である。  

3 チュートン人。スカンジナビア人。アングロ・サクソン人。彼らは三人の弟子のうちの三番目の弟子の子孫である。  

以上述べたことは大まかな概括である。関係する時代は非常に長期にわたっており、多くの時代を経て、多様に枝分かれしているため、私には概略的な考えを提供することしかできない。三人のうちの二人の弟子の子孫たちは、アトランティス時代に広まった様々な言い伝えを受け入れて、今日でもそうであるが、ユダヤ人に敵対していた人々の側についた。彼らは共通の祖先を持っているという感覚を完全に失ってしまった。今日の世界には純粋な民族は存在しない。過去2、3百万年の間に、他の民族との結婚、不義の関係、乱交が繰り返されたため、純粋な血統は全く存在しない。民族を民族ならしめる根本要因は、絶えざる民族間の混血を切り抜けてきたものは別として、強制された隔離ではなく、気候風土である。絶えざる民族間の混血があったにもかかわらず、民族の統一性をある程度守ってきたのは、今日ではヘブライ人だけである。人類が共通の先祖を持つという事実に目覚め、現代文明における三大主要血統が認められたとき、古くからのユダヤ人に対する憎しみは消え去り、ユダヤ人は他の民族に溶け込むであろう。偉大なるアトランティス文明の末裔である東洋の民族でさえ、現代のユダヤ人や他の民族の祖先との混血を行った形跡がある。しかし、東洋の民族の混血はそれほど進んでおらず、西洋の民族よりも自分たちの特徴を色濃く保持してきた。以上述べたことを熟考し、フリーメイソンの伝統を徹底的に研究するならば、多くのことがあなた方のマインドにおいて明らかになるであろう。民族学者たちは受け入れないかもしれないが、私が述べたことが偽りであるという証拠を示すことは彼らにはできない。というのは、現在の民族に関する世界的な状況の起源は、人類史における非常に古い時代にまでさかのぼるため、民族学者たちは自身の主張を裏付けることさえできないからである。彼らが考察できるのはせいぜい過去十万年の歴史であり、彼らの主張は、その過去の影響を論拠にしており、原初の原因を論拠にしているのではない。

(『秘教心理学』アリス・ベイリー AABライブラリー 翻訳・発行 P.472〜P.482から引用抜粋)