研究コラム


2006/7/9 中田英寿の引退について

中田英寿が引退した。かなり電撃的な話である。
然し、本人は半年前からワールドカップを最後に引退しようと決めていたそうである。
私は今まで中田のチャートを作成したことがなかったが、チャートを見ると、何故、今のタイミングで辞めることになったのかよく理解できた。 やはり人生とはカルマの発現であり、人生で起こる出来事は生まれる前から決まっていたと思わざるを得ない。

ウィキペディアによれば、彼の出生データは以下の通りである。

出生日時:1977年1月22日 時間不明
出生場所:山梨県甲府市

この情報に基づいて、12時でチャートを作成してみると、月は水瓶座10°37’付近に位置している。
月は24時間で13°20’移動するため、12時間で6°40’移動する。

仮に出生時間を12時間前に遡らせても6°40’しか遡らないため、ラグナの特定はできないが、月は水瓶座であることは間違いないと言える。従って、チャンドララグナでの検証が可能である。

まず、水瓶座の月であることは冷静で、理知的で、クールな性格を表しており、民主主義的で、博愛的である。彼は自分のことを後輩であっても”ヒデ”と呼ばせており、上下関係が介在することによって、チームのメンバーが自由なプレイができなくなるのを嫌っていた。このような性格だからこそ、世界中のあらゆる人々と上下関係を越えて、対等に交流することができるといえる。

海外で、日本で女優との交際などを写真誌に取られているが、女性との交際などに執着している様子は見られない。非常に理性的で、感情におぼれる様子はない。テレビのインタビューでも常に冷静に受け答えをし、喜怒哀楽をあまり表現しない。この喜怒哀楽をほとんど表現しないのは水瓶座の大きな特徴である。

このような水瓶座の特徴は彼のテレビ画面に映る様子から感じ取っていたので、おそらく、彼は水瓶座が強い人物ではないかと思っていたが、実際、チャートを作成してみるとそのようであった。

4、9室支配の金星がラグナに在住して、非常にファッションセンスや趣味が都会的で、洗練されている様子が見られる。

彼がオフで来日する際に、ルイ・ヴィトンの派手なかばんやブランドものの服を着て、ファッションでも常に注目を浴びていたことは記憶に新しい。

水瓶座に在住する月と金星は共に女性星座であるが、交際したり、交流した女優もミラ・ジョヴォヴィッチなどのように知的でクールな美人や宮沢りえのような月が象徴するような清楚な美人が多いのはこれらの惑星の象意の表現ではないかと思われる。

金星が月とコンジャンクトしているため、そうした美女とのオフでの交際は身近で親密なプライベートにおける癒しであることを表している。

チャンドララグナから見て3室には木星が在住し、ラグナロードの土星が6室から木星にアスペクトしている。
3室はコミュニケーションを表し、マスコミ、パフォーマンスを表すが、彼がHPを駆使して自分の考えをブログで主張したり、TVやCMへの露出も多いのはこの3室に木星と土星のダブルトランジットが形成されていることと関連しているのではないかと思われる。

3、10室支配の火星と5、8室支配の水星が11室でコンジャンクトし、3室と11室で木星と火星が星座交換しているが、マスコミ(3室)を通じた収入(11室)というような解釈もできる。あるいは3室はスポーツを表す部屋でもあるため、スポーツ(3室)を通じた社交、願望成就(11室)というような解釈もできる。

土星が逆行しているため、土星と木星が11室射手座にアスペクトし、11室が非常に強いことが分かる。彼の社交的で、広い交友関係を持ち、世界のトップレベルの人々と積極的に交際する上昇志向な所はこの射手座の11室の強さが表していると思われる。11室は名誉、評判、飛びぬけて高い地位などを表している。

3室と11室が星座交換する場合、兄弟姉妹の中で最年長か、最年少になるというK.N.ラオ先生の研究がある。つまり、兄弟姉妹がいるということになるが、彼の家族構成などの情報がないため、分からない。

『彼は何故、今のタイミングでプロサッカー選手から引退したのか?』

早すぎるという感想も多いかもしれない。
現に、三浦知良のようにいつまでも現役選手でいることにこだわり続けている人もいる一方で、中田英寿の場合、非常に見切りが早く、切り替えが早かったといえる。

このタイミングはチャートを作成してみると明白である。
出生時間を12:00で作成したチャートだと、 2005年9月23日からマハダシャー土星期に移行している。

おそらく、この引退劇はこの土星期に切り替わっていくことを表すセレモニーであり、印であると考えられる。
現在、トランジットの土星が蟹座にトランジットしており、サターンリターンの時期である。

人生の節目の時期であり、何か新しく社会に対して責任を背負っていく時期でもある。
通常の一般人の場合、サターンリターンは、責任を自覚した成熟した社会人に脱皮していく時期であり、通過儀礼的な時期に該当するのだが、中田英寿の場合、プロサッカー選手を辞めたこれからがその第二の人生である。今までのプロサッカー人生は青年期の青春的な意味合いがあり、非常に厚みのある人生と言える。

このようなマハダシャーが土星期に移行して、トランジットの土星が出生の場所にリターンしている今の時期は人生が大きく変わっていくのにふさわしい明白なタイミングである。


プロ野球の王貞治が現役引退をしたのもマハダシャーが木星期から土星期に切り替わったタイミングであり、これまでの王貞治としてのバッティングが出来ないことを理由に引退したのである。中田英寿と同じように木星が牡羊座に在住しており、木星期の始めに彼のホームランバッターとしてのキャリアがスタートし、世界の王、ナンバーワンのホームランバッターとして活躍したのである。然し、土星期に入ってまもなく成績が伸び悩んだため、現役引退したようである。

 

ウィキペディアの経歴情報から検討すると、彼は中学3年生時にU−15に選出された頃からマハダシャー木星期がスタートしている。
比較的、早い時期からの木星期のスタートである。

そして、その後は順調にサッカー選手としてのキャリアを積み上げ、国際的なプロサッカー選手へと成長したのである。
もし、木星期のスタートがもう少し遅ければ、彼はまだ30歳半ばぐらいまでプロサッカー選手として活動できたのかもしれないが、選手寿命が短いプロサッカー競技においてはこの28歳という年齢は決して早すぎるとも言い切れないところがある。この辺りは非常に絶妙のタイミングとなっている。

 

西暦 月日 出来事 ヴィムショッタリダシャー
1991年   甲府市立甲府北中学校3年生時にU-15に選出される。 木星/木星→木星/土星
1994年   山梨県立韮崎高等学校時代、Jリーグ12チーム中11チームから獲得オファーを受ける。 木星/土星→木星/水星
1995年   ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に加入。同年FIFAワールドユース選手権でベスト8。 木星/水星
1996年   アトランタオリンピック日本代表としてプレーし、アジア予選を突破。本大会ではブラジルに勝利する(マイアミの奇跡)。 木星/水星→木星/ケートゥ
1997年 5月 ワールドカップ日韓共催記念試合でA代表デビュー。 木星/ケートゥ→木星/金星
1998年   フランスワールドカップに出場。大会後にセリエA・ACペルージャに移籍。シーズン開幕戦(対ユヴェントス戦)で2得点を挙げる。 木星/金星
2000年 1月 ASローマで日本人として初めてセリエA優勝(スクデット)。 木星/金星
2001年 7月 ACパルマに移籍。イタリア杯優勝。 木星/月
2002年 6月 日韓ワールドカップ ベスト16。1得点を挙げる。 木星/火星
2003年 1月 ボローニャに期限付き移籍。 木星/火星
2003年 7月9日 菓子メーカー株式会社東ハトの執行役員に就任 木星/ラーフ
2004年 7月 フィオレンティーナへ完全移籍。 木星/ラーフ
2005年 8月 イングランド・FAプレミアリーグ ボルトン・ワンダラーズへ一年契約の期限付き移籍。 木星/ラーフ
2006年 6月 自身3度目となるドイツワールドカップに出場するが、グループリーグ敗退。 土星/土星
2006年 7月 引退を表明する。 土星/土星

 

木星は3室牡羊座クリティッカーに在住し、太陽のナクシャトラに在住している。牡羊座の中でも最も貴族的で上流階級的な生まれつきの王族のような印象を与えるナクシャトラである。良家の坊ちゃん的な印象を与えるナクシャトラである。

この木星期が始まると同時に彼のキャリア上の拡大発展が始まるのである。木星は火星と星座交換しているため、それぞれが自室に在住するような強さを発揮している。

牡羊座の木星は他の選手に先駆けて、セリエAなどの海外のハイクラスなグループリーグで活躍するような開拓者的なところがあり、日本のサッカー界の頂点に君臨するような象意がある。彼は日本サッカー協会の川淵三郎会長から、後々に会長に就任して欲しいと言われたらしく、そうした頂点のポジションは牡羊座木星の象意である。

また木星は火星と星座交換することで、高い目標、理想に向けて、拡大上昇していく射手座の象意を帯びており、木星はナヴァムシャでも射手座に在住しているため、この傾向は強いと思われる。

彼の過去16年間はこの牡羊座と射手座の象意によって表されていたといえる。木星と火星の絡みはグルマンガラヨーガであり、英知と実行力を表している。それが最も強い形で表されているのがこの木星と火星の星座交換である。

 

中田英寿の今後・・・

木星はアートマカラカでもあり、ナヴァムシャで射手座に在住しているが、射手座アートマカラカは地位が突然上昇したり、突然転落したりといった象意を経験するのである。

宇田多ヒカリや、小室哲也など射手座アートマカラカの人物は多いが、彼らに共通するところは、一時期、天下を取ったかのように一世を風靡するのだが、その後の展開はその一時期の地位の上昇に比べるとぱっとしないというところである。例えば小室哲也や小室ファミリーはマスコミから姿を消してしまったようである。然し、それでも一世を風靡した時の名声や知名度により、その後を何とかやっていくことは出来るようである。

宇田多ヒカリに関しても最初のCDを何百万枚も売り上げた時には、カリスマ性があってセレブのような扱いであり、普通のTV番組などには出演せずに、それがさらに神秘的なカリスマ性を彼女に与えていたのであるが、最近はCDの売り上げも落ちてきて、通常のトーク番組にも出演して、庶民の階級に降りてきたようである。ただ彼女は土星が太陽から10室目で高揚し、金星と星座交換しており、現在、まだマハダシャー土星期であるため、それ程の転落は見られない。

然し、小室哲也に関しては彼が最も輝いていた時のヨーガを形成するダシャーが現在、終わってしまったため、彼はほとんどマスコミにも姿を現さず、彼が今何をしているか誰も知らないのである。

社会的知名度や名声が上昇した頃との落差があまりにも激しいのがこの射手座アートマカラカである。

従って、中田英寿は射手座アートマカラカであり、現在、ほとんど国民的スーパースターとして、彼の動向が日々注目されていた人物であったが、今後、土星期に入っていくため、今までのような国民的英雄としての評価や注目はされなくなっていくことが予想される。

 

彼の土星は月から見て、1、12室の支配星であり、6室(病気、敵、訴訟)に在住している。土星は他の惑星からのアスペクトを受けておらず、山羊座自室にアスペクトして、仕事のカラカである太陽にアスペクトしている。また10室に在住する木星に対してアスペクトしている。

またナヴァムシャでは月と共に山羊座自室に在住し、火星からアスペクトされている。ダーシャムシャ(10分割)では土星は乙女座に在住し、高揚する牡牛座月から見て5室目に在住している。

この配置からすると、彼は非常に山羊座が強調されており、ダシャームシャでは乙女座の土星など、土星が強い配置をしており、他の惑星と絡んでいないため、土星期は全く今までとは違った人生になるようである。山羊座、乙女座などから比較的地味に活動していくことが予想される。彼は実際、今後、マスコミに現れる予定はないと言っている。


2003年7月の木星/ラーフ期、マハダシャー木星期における最後のアンタルダシャーの時期に菓子メーカー株式会社東ハトの執行役員に就任しており、今後、ビジネスマンとして生きることをこのことが象徴している。マハダシャー最後のアンタルダシャーには次のマハダシャーを予想させるような出来事が起こってくる時期でもある。

彼は税理士を目指して勉強していたらしく、実際、いくつか分からないが既に取得した科目があるようであり、そうしたことを考えると、会社の経営に携わったりなど、実業家として地味に活動していくことが予想されるのである。

彼がスーパースターとして注目されていた頃の栄光と比べると、それは転落と移るかもしれないが、それは平均的な人から見れば恵まれた生活と言えるのである。また彼は今後、過去に築いた黄金の業績を背負いつつ、それを生かしながら活動していくことになると思われる。


彼は土星期に入り、自分が今までと同じパフォーマンスを発揮できないことを感じ取ったのである。
そして、それと同時に今後の実業家としての人生が見えてきたのではないかと思われる。

そうしたことを土星期に入って感じつつ、今回の引退につながったものと思われる。

土星は蟹座に在住しており、 今までの牡羊座、射手座の人生から見れば保守的で守りの人生に思われる。
家族や身近な仲間を支え、保護していく人生に思われる。

山羊座にアスペクトする土星は努力をし、具体的に実際的な努力を積み上げる星座である。
平坦な道ではないことが予想される。

彼の”旅”は終わり、新しい旅を始めるのである。
彼のブログの内容はまさにその宣言のようである。

 

7/10 追記

因みに見落としていたが、土星は月と星座交換しており、土星は全く他の惑星からのアスペクトを受けていない。
またナヴァムシャでは土星と月が山羊座でコンジャンクトしており、月と土星が緊密に絡んでいる。
月が土星に傷つけられる場合、厭離の傾向が生じ、世俗を嫌う傾向が出てくる。

従って、彼が今後の人生でマスコミに登場する予定はないというのも至極分かる気がするのである。
実際、彼はマスコミの事前に許可を取らないマナー違反の取材攻勢に対して、ずっと嫌悪感を示してきたようである。

彼はプライベートを暴露する雑誌や週刊誌に対して、たびたび訴訟を起こしている。
それらは月から6室目に在住する土星が表していると考えることが出来る。

6室は敵の部屋であり、争いであり、訴訟の部屋である。彼が世俗を厭う心情であっても周囲がそうさせてくれないということかもしれない。
それが月から6室に土星が在住していることの意味かもしれない。

また月と土星の絡みはカリスマ性を表すようである。何故、カリスマ性を表すのかは分かりにくいが、そうらしいのである。
実際、彼の孤高の姿や、周囲のものを容易に近づけない雰囲気はカリスマ性と言えるかもしれない。

 

 

(資料)

中田ブログ

〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。
どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”

                                         ひで

(中田英寿オフィシャルサイトより引用)