研究コラム

 

 


 

2006/4/9 小沢一郎民主党代表就任について

 

 かつて小沢一郎は田中角栄の元で要職を歴任し、田中角栄失脚後には金丸信や竹下登と「創政会」を結成し、「経世会」を立ち上げ、常に権力の中枢部に身を置いていた人物である。
 この頃の小沢一郎はとても善人には見えず、悪の権化のように見えたものである。 小沢一郎が嫌いという人はおそらくこの時代の彼の脂ぎった悪のパワーを嫌うからだろうと思う。

 私の学生時代の教授も小沢一郎が嫌いで、『大ナルシスト論』という書籍を出版して、その中で彼をナルシストとして、激しく批判している。確か小沢一郎をヒトラーになぞらえて、危険人物として批判していたと思う。 現に私自身も小沢一郎が発する悪の力を毛嫌いし、彼に似た権力志向の人物全般を嫌う傾向があった。

 彼は常に自分を前面に出さずに首相や党首を擁立し、背後からそうした人物を操り、権力を行使してきた。常に自分は前面に立たずに背後から操作するというのが彼の政治手法であった。

 具体的には細川護煕や海部俊樹などの人物を首相に擁立し、自分は背後から影響力を振るい、そうした人物を通じて自分の政策を実現しようとした。 あるいは経世会で金丸信たちと密接だった頃は金丸信の威光を背後に思いのままに振舞ったようである。

 この時期を物語るエピソードとしては彼が自由主義体制の維持を名目に企業献金を300億集めたことが挙げられる。(ウィキペディアより)

 彼は対話や話し合いをせずに自分の政策や意見に無理やり従わせるため、自分だけ最初に何らかの決断をし、他の議員たちがそれに従うかどうかを観察するような非常に狡猾で、踏み絵を踏ませるような手法を用いたこともある。  

 いずれにせよ、昔の小沢一郎は権力欲旺盛で、策略家であり、信頼関係を築けるような相手ではなかった。

それが今、小沢一郎は自民党の古い体質を変えて、真の改革を目指す野党第一党の党首に選ばれたのである。

出生時間が分からないので12:00でチャートを作成すると、以下のような惑星配置となる。

小沢一郎
出生日時:1942年5月24日
出生場所:岩手県水沢市(現・奥州市水沢区)



【ラシチャート】

ラグナ 不明 (12:00作成のチャートでは獅子座18°38’)

月   獅子座18°06’
太陽  牡牛座 9°16’
水星  双子座 0°22’
金星   魚座26°52’
火星  双子座23°59’
木星  双子座03°04’
土星  牡牛座08°55’
ラーフ 獅子座16°25’
ケートゥ水瓶座16°25’

 

【ナヴァムシャ】

月   乙女座
太陽   魚座
水星  天秤座
金星   魚座
火星  牡牛座
木星  天秤座
土星   魚座
ラーフ 獅子座
ケートゥ水瓶座

 

 

【ダシャーバランス】

【1942年5月24日 0:00:00に生まれた場合】
出生 ケートゥ/水星
金星 1943/4/16〜
太陽 1963/4/16〜
月  1969/4/15〜
火星 1979/4/16〜
ラーフ1986/4/15〜
木星 2004/4/15〜

【1942年5月24日 23:59:59に生まれた場合】
出生 金星/水星
金星 1941/8/6〜
太陽 1945/8/6〜
月  1951/8/7〜
火星 1961/8/6〜
ラーフ1968/8/6〜
木星 1986/8/6〜

 

チャンドララグナで検証すると、 ラーフと月が獅子座プールヴァパールグニーでコンジャンクトしており、ケーマドルマヨーガである。
獅子座の主な象意は支配であり、統治である。 ここに心を表す月と物質性や陰謀、悪意を表すラーフがコンジャンクトしている。 そして、ケーマドルマヨーガは孤独を表している。 従って、孤独な独裁者であることを表している。

 彼がブルドックを連れて朝方独りで散歩している姿をニュースで見た人もいるかもしれないが、あれが彼の本来の姿を象徴している。 犬の首に鎖をつけて引き回すのは支配欲の一つの象徴である。 自由党時代に党首代行として度々、テレビに登場した藤井裕久も忠実な番頭か執事のようであったのが思い出される。
  彼は10室で太陽と土星がコンジャンクトしているが、太陽は権力や統治を表しており、10室の太陽は政府(内閣)を表している。彼は何度も入閣し、また自民党でも幹事長のポストに若くしてついた実力者であり、それらは10室で強い太陽が象徴している。 然し、彼は権力を持ちながらもなるべく、それを抑制し、人に党首や首相として担ぎ出されそうになった場合でも固辞したり、また権力を持っているように周囲に見せない様子は太陽が土星によってコンジャンクトされているからではないかと思わせる。
  公の場所では彼は控えめに振舞っており、病弱で心臓が悪いというのも控えめに振舞うことに一役買っているが、彼は実際、心臓が悪そうである。心臓を表す太陽が土星とオーブ1°以内で緊密にコンジャンクトしており、惑星戦争で太陽が負けているのである。従って、太陽が土星によって力を奪われており、心臓が悪いというものあながち本当である。 公の場所で、控えめに振舞ったり、ポストを固辞したことを心臓が悪いので激務に耐えられないことを理由としたりすることにリンクしている。太陽がそのまま強い訳ではないため、首相などの最も輝くポジションに就くことが抑制されているのである。

 従って、権力の最高のポストに近づきながらも自分はNO.2の座に留まり、背後から実力を振るう役割に徹するのである。おそらく、それらの彼の政治スタイルは太陽に土星が緊密にコンジャンクトしている所から来ている。 そして、彼は11室で火星、木星、水星がコンジャンクトしている。木星は自室にアスペクトして強く、水星は自室で強い。

 また11室でラージャヨーガ・ダナヨーガが形成されている。 11室は飛びぬけて高い地位、名誉、評判、階級、称号などを表し、利益、評価のハウスである。 11室は解脱にとって最後の誘惑のハウスとなるとラオ先生は自著の中で述べている。
  社会的成功や地位が本質的な解脱を妨げるが、然し、解脱がやってくる前には社会的成功がなければならないのであり、誰でも自分で獲得したものしか放棄できないと言われる。 従って、彼の今のポジションは名誉や評価を求め、そして、実際にそれが得られるというポジションである。 11室を展開すると、6室から6室目、12室から12室目になり、闘争の本質、解脱、損失の本質という象意が出てくる。 ドゥシュタナで、ウパチャヤで、トリシャダハウスである6室は闘争、病気、敵、借金、欲望を象徴するハウスで、社会と格闘しながら、築いたものの本質のように思われ、また12室から12室というのは、解脱のための一歩手前という意味か、あるいは解脱を損失する(12室から12室目)という意味である。
  従って、彼が何か社会的に善いことを成す場合でも基本的には自分の名誉、名声や社会的地位を求めたものであり、そうした利己的な動機が潜在していることが考えられる。 11室に在住する木星は敵対星位で、敵対惑星の水星とコンジャンクトしており、木星の理想主義、徳性が、状況に柔軟に適応し、理想よりも現実や状況に適応していく、合理的な水星の影響を強く受けて、傷ついている。 この自室で強い水星は彼にとっての長所であり、また短所でもある。この水星が根回し的、策略的な政治手法を彼に与え、背後から状況や人を操る、操作的な彼のスタイルを生み出している。 水星が強いため、非常に頭は良いが状況を操作したり、適応していくだけで、行き着くところは最終的には自分の社会的地位、名声、評価なのである。 何か信念や理想のために自分の意思を貫き通すというよりもむしろ、まず自分が英雄として注目され、評価されることを望んでいるのである。

  慶応大学経済学部を卒業し、日本大学大学院に入学し、当初、弁護士になり、いずれ父親の地盤を受け継いで、政治家になることを考えていたというが、資料によると、父親が亡くなったため、大学院在学中に旧岩手2区から自民党公認で立候補し、若干27歳の若さで当選したとされている。

 私の考えでは、おそらく、この頃、マハダシャー火星期に切り替わった転機ではなかったかと思われる。
  彼は当選した後、選挙を党幹事長として指揮したのが田中角栄であったことから、以後田中派に所属し、政治家としての実力を養うのである。
  火星は4、9室支配のラージャヨーガカラカであり、9室の支配星であり、教師や指導者に出会う時期である。従って、この頃、田中角栄との出会いがあり、田中の下で薫陶を受けたというのは非常に理解できる。そして、火星は11室に在住して、おり、教師(9室)の引き立てによって、社会的地位や重要なポスト(11室)を歴任し、政治家としての実力を身につけたと考えることが出来る。

 火星は在住する双子座から見ると、6、11室を支配する機能的凶星であり、敵対星位に在住して、敵対惑星とコンジャンクトしている。 火星のエネルギーが闘争の6室や利益、獲得、ポストの11室という象意で用いられたと考えることが出来る。

  そして、1976年にロッキード事件によって、田中角栄が党籍を追われると、金丸信や竹下登らと、派内勉強会「創政会」を結成し、経世会(竹下派)として独立したと資料にある。 従って、小沢一郎は、この頃、実力を失いつつあった田中角栄から離れ、竹下派に席を置いたようである。 そして、経世会会長代行に就任し、竹下派のNO.2として、権力を大いに振るったようである。 この頃、金丸信、竹下登、小沢一郎は「金、竹、小」(こんちくしょう)と称されたらしいが、金丸信、竹下登は金権政治の象徴であり、小沢一郎も彼らと行動を共にして、彼らと同類のようであった。彼はこの頃、自民党のもっとも保守的な勢力だったはずである。

 この竹下派が実質、自民党を動かしていた頃の小沢一郎はおそらく、マハダシャーラーフ期であったと思われる。 ラーフは獅子座のプールヴァパールグニーに在住し、獅子座の中で最も物質的で、快楽主義的なナクシャトラに在住している。獅子座は統治、支配を表し、獅子座のラーフは貪欲に支配欲、権力欲を追求していた時代の彼を象徴している。
  彼の権力欲は竹下派内で、当の竹下登をも脅かすまでに至ったのか、その後、竹下登は小沢一郎と距離を置きはじめたようである。 そして、1992年、東京佐川急便事件を巡り、金丸が世論から厳しい批判を受けて、派閥会長を辞任し、議員辞職したことを契機に、金丸に近かった渡部恒三、奥田敬和らと共同して、後任会長に羽田牧を擁立し、竹下直系の小渕恵三を擁立する橋本龍太郎、梶山静六らと対立して敗北し、竹下自らが関与して小渕支持を決定し、羽田、小沢は改革フォーラム21を旗揚げし、竹下派は分裂したとされている。 この権力闘争で破れ、宮沢喜一改造内閣で、小沢、羽田派の閣僚ポストが冷遇されたことから、ついに宮沢内閣不信任案可決、衆議院解散後に小沢、羽田派は自民党から離党して、新生党を立ち上げることになる。

  この宮沢内閣不信任案が可決された1993年6月頃は、おそらく、彼のマハダシャーラーフ期の終り頃である。 実際、12:00作成のチャートではマハダシャーラーフが終わる3年前であり、実際のダシャーバランスではマハダシャーラーフ期と木星期の切り替わり時の可能性がある。
  インド占星術では、ラーフ期に獲得したものはラーフ期の終りに全て失うと言われるが、この頃の小沢も自民党の中枢部で獲得した全てをこの自民党離脱と共に失ったのである。 あるいは、日本新党の細川護煕を擁立して、8党派連立政権を作った時にも小沢一郎は暗躍するが、その後、細川護煕が辞任し、次の羽田内閣も短命に終わった後は、彼は野党に転落したのであり、この竹下派の分裂から野党転落までの流れが、マハダシャーラーフ期の末期だったのかもしれない。 いずれにしても彼が野党である今現在、彼は木星期である。

 最近の小沢一郎からはかつての権力闘争に明け暮れていた脂ぎった政治屋というイメージではなく、灰汁が抜けた印象を感じるのであるが、これがラーフ期から木星期への転換と考えれば納得がいくのである。

 木星期は貪欲で物質主義的なラーフ期よりも、より理想主義的になり、より慈善的、福祉的で、教育的になることが考えられるが、彼は2001年1月頃に、将来の指導者育成を目指し、新進党内に小沢一郎政治塾(小沢塾)を開設したようである。民主党への合流後、小沢個人の私塾として運営されていると資料に書かれているが、この政治塾を開設したのもおそらくマハダシャー木星期に入ってからである。

 最近の小沢一郎は、非常に好印象なイメージを打ち出してきているのである。  

 以前のように人を擁立して、背後から人を操作するというのではなく、自ら理想や理念を語り、自分自身党首に立候補して、リーダーとして、堂々と前面に出るようになってきている。
  これらは単なる演技やポーズというよりもマハダシャーが木星期に変わった結果である。

 冒頭で述べたように木星は月からみて5室の支配星で11室に在住している。教育や社会奉仕が彼のスタイルになってきているのかもしれない。そして、5室の支配星のため、動機は以前よりも純化されているのかもしれない。彼は私利私欲を考えないとか、国のためとか、政権を取り真の改革をとか、彼の発言は最近、理想主義的になってきている。  あるいは新進党を解散して、一議員として民主党に入党するなど、仮に民主党を乗っ取れるという意図や計算があったとして、それを考慮したとしても中々それを実行に移すのは難しいのである。彼の行動には以前と違うものが感じられるのである。 野党である立場が彼にそうさせているとも言えるかもしれないが、それだけとは考えにくいのである。 根底の動機に、名誉や評価を求めたり、民主党のリーダーとして実権を振るいたいという野心があるにしても明らかに以前の彼とは異なるのである。

資料(時事通信)の中で「わたし自身が変わる」というイタリア映画のセリフを引用したことで、若手議員からイメージが変わったと評価されているように明らかに彼は以前とは変わったのである。それは救世主としてのイメージのようである。 このようなイメージを持たれるほど彼は変わったのである。 それはマハダシャーが木星期に変わったからである。

 

2006/9/5 追記

最近、小沢一郎は2006年8月と9月に立て続けに以下の書籍を出版したようである。
これらの書籍のタイトルから見ても分かるようにマハダシャー木星期に移行した小沢一郎は、理想主義に満ちている。
そして、正々堂々と自分を前面に押し出して、拡大思考で積極的である。

これらは金丸信や竹下登と「経世会」を仕切っていた頃とは全く考えられない変化である。
この小沢一郎の変化はラーフ期から木星期への移行を表す典型的な事例として非常に分かりやすいのである。

 

 

(資料)

小沢氏宣言「わたし自身が変わる」=窮地の民主救えるか  

民主党の新代表に小沢一郎氏が選出された。自ら率いた旧自由党を解党し、民主党に合流して2年7カ月。「がけっぷち」に追い詰められた民主党の再出発の先頭に立った小沢氏は記者会見で「自己変革」の必要性にまで言及した。小沢氏に付きまとう「こわもて」のイメージを払拭(ふっしょく)して、指導力を発揮する決意を示したものだ。果たして小沢氏は究極の民主党救世主となり得るか−。  

◇イタリア映画のせりふも引用  

「まず何よりもわたし自身が変わる」。7日午後、都内のホテルで開かれた両院議員総会。投票に先立つ立会演説会で小沢氏は、イタリアの名画「山猫」の中で、主役が変革を訴えた場面に感銘を受けたと紹介し、そのせりふを引用しながら、「政治生命のすべてをつぎ込む」と強調した。  小沢氏の強権的手法を警戒してきた中堅議員は、「一方的押し付けはしないという意味ではないか」と評価。小沢氏を支持した若手議員からは「小沢氏がイタリア映画の話をするなんて、イメージが変わった」との声も。  ただ、今回の代表就任は、偽メール問題というハプニングが引き金となったものだが、小沢氏自身は、早い段階から民主党の中枢に身を置いて政権交代を目指すシナリオを描いていた節がある。 

(時事通信) - 4月7日23時0分更新

 

民主新代表に小沢氏、菅・鳩山両氏は重要ポストで処遇

民主党は7日午後、都内で両院議員総会を開き、「偽メール」問題で引責辞任した前原誠司・前代表の後継に小沢一郎氏(63)を選出した。  小沢氏は元代表の菅直人氏(59)に47票の差をつけた。党再生が問われる中、小沢氏の強力な政治手腕に期待する声が広がったことが勝因とみられる。小沢氏は菅氏と鳩山幹事長を重要ポストで処遇し、挙党体制を確立したい考えだ。民主党にとって、失墜した国民の信頼をどう回復するかが、最大の課題となる。両院議員総会は、東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテルで開かれ、党所属の衆参両院議員192人のうち、191人が出席した。小沢氏は投票前の演説で、「来年の参院選で与党を過半数割れに追い込み、衆院選で一気に政権交代を果たす」と小泉政権との対決姿勢を鮮明にした。自らの基本政策については、「公正な国づくり」や「共生」をキーワードに据えることを表明した。同時に「まず私自身が変わらなければならない。みなさんに支えてもらいながら、民主党を改革しよう」と訴えた。  投票では、有効投票191票のうち、小沢氏が119票と過半数を獲得し、菅氏を47票差で破った。任期は、前原氏の残り任期である今年9月末まで。小沢氏は代表就任の記者会見で、新執行部の人事について「菅氏とは二人三脚、鳩山氏も含め3人で力を合わせてやることも考えなくてはいけない。オールスターで皆がそれぞれの特徴を発揮する体制ができればいい」と述べた。  「菅代表代行・鳩山幹事長(再任)」「菅幹事長・鳩山代表代行」などの布陣が検討されている。8日午後に菅、鳩山両氏と3者で会談したうえで、人事の骨格を固める意向だ。  民主党の基本政策については「今の時代に対応できる理念と基本政策を示すことが何よりも大事な民主党の役割だ」と述べた。そのうえで、「9月の代表選に合わせて自分の考えをまとめ、党員・サポーターに提示し審判を仰ぐ」と語った。  小沢民主党にとっては、23日投開票の衆院千葉7区補選が最初の試金石となる。民主党内には、小沢氏の政治手法や政策に批判的な議員もおり、全党的な協力態勢を築けるかが、当面の課題となる。

(読売新聞) - 4月8日0時1分更新