占星コラム
2004/6/30 ハリーポッターの原作者・J.K.ローリングの金運
映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のPRで監督と出演者達が来日しているが、その第一作「ハリーポッターと賢者の石」からそのフィーバーぶりはおさまらないようである。YAHOOニュースにもあるように日テレ放映「ハリーポッターと賢者の石」の視聴率30パーセントを超えはその人気の高さを物語っている。
このような作品の人気ぶりの中で、自然と原作者であるJ.K.ローリングに興味が行くのは自然なことである。このJ.K.ローリングはハリポタシリーズのヒットで億万長者(英長者番付の157位で資産総額1億6000万ポンド、日本円にして約300億円)になったのである。ただ単に成功したことばかりが注目すべきなのではなく、彼女の人生自体が波乱万丈で興味深いのを知る人は以外に少ないのではないか。
今回は主に彼女の金運を中心に見ていきたい。
1965年7月31日生まれ。英国ウェールズ地方で育つ。小さい時から書くことが好きで、5歳の時最初の物 語を書いた。エクスター大学に入学。フランス語と古典 を専攻。最愛の母親が1990年に死亡した後、ポルト ガルで英語教師になり、ジャーナリストと結婚。女児出 産、離婚の後、スコットランドに移った。現在エディン バラに住む。処女作「ハリー・ポッターと賢者の石」で スマーティーズ賞をはじめ世界中の賞を総なめにした。 2000年6月英国女王よりO.B.E.勲章授与。 |
写真、左から2番目
左から、ラシ、ナヴァムシャ、ヴィムショッタリダシャー
まず、ラシチャートを一目見て、11室に惑星集中しており、収入に縁のある人であることは一目瞭然である。そして、細かく見ていくと、ダナヨーガが何重にも形成されているのが分かる。実際、細かく見ていくと、ラグナロードの金星が収入、名誉の11室に在住しており、彼女の人生の主要なテーマが収入や名誉であることを示している。ラグナロードの金星は権利収入や不労所得を示す8室を同時に支配している。9室支配の水星が11室に在住し、10室支配の月と11室支配の太陽が星座交換しており、職業と収入、地位と名誉を密接に結び付けている。つまり、彼女は自分の仕事により、収入を得ることを示している。しかも10室の太陽は方角の強さを得ており、彼女が広く社会に知られて、スポットライトを浴びることを示し、そして、その地位から収入がもたらされるというイメージである。
そして、これら11室に在住する惑星群に4、5室支配のラージャヨーガカラカの土星が5室から11室にアスペクトし、最高のダナヨーガを形成している。土星は逆行しているので、4室から11室支配の太陽に片側アスペクトをしていることも見逃せない。そして、冥王星は同室する惑星の象意を極限まで引き出す力があり、また天王星は突然の変化や革命を表し、人生のある時点で、革命的に収入を得るというドラスティックな展開を示している。
このように見てくると、土星-月(4、5、10)、土星-金星(1、4、5、8)、土星-水星(4、5、9、12)、月-金星(1、8、10)、月-水星(9、10、12)、水星-金星(1、8、9、12)とラージャヨーガ、ダナヨーガが何重にも出来ているのが分かる。そして、このラージャヨーガやダナヨーガが5−11室の軸で形成され、11室に惑星集中していることが人生の成功や昇進が主に収入や名誉というテーマにおいて強く表れることを示している。
次にその成功と富・名誉のヨーガが発現する時期が各種ダシャーに表示されているのか検証する。
まず、彼女は1987年10月5日からマハダシャーがラーフにシフトしている。それまでが12室在住の火星期で火星から12室目に惑星集中しているが、この時期、エクセター大学の学生で、学生寮で1人暮らしを始め、読書や短篇作品の創作に取り組んでいたようである。学生生活は1987年まで続き、ちょうど火星期は学生生活の時期と一致している。
そして、マハダシャーがラーフにシフトすると、彼女は大学を卒業し、ロンドン南西部クラパムに引っ越し、大学の同級生達と共同生活を送りながら派遣社員として働き、国際アムネスティなどでも働いたとのことである。この頃、大人向けの作品2冊を書き始めている。
そして、1990年6月 24歳の頃、マンチェスターからロンドンへ戻る列車に乗っている時に、ハリー・ポッターの姿がはっきりと見え、列車が遅れた4時間の間に次々とアイデアが浮かんだという。この頃は、ラーフ-木星期であり、2番目のアンタルダシャーであり、本格的にラーフ期の象意が始まり出した頃である。つまり、ハリー・ポッターの作品の構想が浮かび、その作品を書き始めたのはラーフ期に入ってからである。
そして、次のラーフ-土星期、1992年10月16日(金) 27歳の頃、24歳のポルトガル人、ジョルジ・アランテスと結婚するが、翌年1993年11月17日結婚生活が破綻し、娘を連れてイギリスに戻り、娘の住むエディンバラにたどり着いた時、生活は逼迫していたという。12月21日生活保護を申請し、一週間69ポンドの手当で暮らし始めたそうである。
1994年29歳の頃、鬱状態にはまり込み、娘を眠らせるためにベビーカーに乗せて外を歩き、娘が眠ったらカフェ「ニコルソンズ」に駆け込んでハリー・ポッターの原稿を書く毎日を送ったそうである。
つまり、この結婚→結婚生活の破綻→生活の逼迫(生活保護)→鬱状態→ひたすらハリーポッターの原稿を書く・・・というこの時期の経験は、ラーフ-土星期の出来事であり、土星はラシでもナヴァムシャでもラージャヨーガカラカであるが、ナヴァムシャで減衰しており、減衰した土星の重苦しい試練を表している。然し、彼女の創造性は毎日、カフェで執筆する中で発揮されており、ラージャヨーガカラカの土星は実際には働いていたと言える。
その後、1995年6月26日(29歳)に離婚が成立し、8月よりスコットランドの教員免許状を取得するための訓練学校に通い始める(〜1996年7月)。
この頃は、アンタルダシャー水星期直前の頃で、同年9月16日より、ラーフ-水星期にシフトするが既にアンタルダシャー水星期にシフトする前に苦境の好転の前ぶれ・きっかけが見られる。つまり、離婚→訓練学校への入学という過去の清算と前向きな意欲が見られる。
そして、1996年(31歳)に著作権代理人クリストファー・リトルと契約し、12の出版社から断られ続けたが、『ハリー・ポッターと賢者の石』の版権を英国のブルームズベリー社が1500ポンドで獲得した。
また第2作『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の執筆を始め、スコットランド・アート・カウンシルから、作家のための奨励金8000ポンドが交付される・・・・。
このラーフ-水星期に入ってから、突然、明るい未来が開けてきた感じであるが、水星はラシでもナヴァムシャでもヨーガカラカであり、強力なラージャヨーガ、ダナヨーガを形成しているのでインド占星術的には当然の展開である。
飛び抜けて高い地位・名誉・名声・収入などの11室の象意はその後の経歴を見れば華々しいものがある。
因みに、1997年7月26日『ハリー・ポッターと賢者の石』が出版されて、ベストセラーになった時、ダシャーはラーフ-水星-木星である。木星は水星から見て、5室の支配星で10室に在住している。10室の木星は社会的成功を表す為、この時は木星がプラティアンタルレベルでは吉星として働いている。
そして、以下の成功ストーリーを見ると、ラーフ-水星期の次にラーフ-ケートゥ期(1998年4月5日〜翌年4月23日)にシフトするが、通常、ケートゥ期は内向的になり、考え事が多くなる時期であるが、以下のデータを見ると、確かにこの期間、出版や契約などのイベントはあるが前後の華やかさと比べて、空白の期間となっている。ケートゥから見て、10室に惑星集中になる為、社会的に忙しくスポットライトは浴びていたと思われるが、大きなレベルでの表彰や受賞はなかったことがこのアンタルダシャーケートゥの空白期間にはよく表れている。
そして、1999年4月23日からラーフ-金星期にシフトするが、スマーティーズ賞を受賞したり、第三巻の出版で国際的なスーパースターになり、ワーナーブラザーズが映画化権を100万ドルで購入したり、英国勲功賞(O.B.E)を受賞したり、エクセター大学から名誉博士号を授与されたり、シングルペアレント・ファミリーのための全国協会の親善大使となったりと、様々な名誉、称号を受けており、そして、再婚もしている。
こうして見てくると、J.K.ローリングの名誉と収入はあらかじめ約束されていたことがよく分かる。
11室に惑星集中していると、その対向の5室に対してもアスペクトを投げるため、5室の象意も非常に良くなるのであるが、彼女の場合、ラージャヨーガカラカの土星が5室に在住しているので大変強力な5室を形成している。5室には前世からの功徳という象意があり、前世で積んだ良いカルマの発現を表しているのである。すなわち、彼女は過去世において、良い行いによって相当良いカルマをつくったおかげで、このような名誉と収入を得たのである。
彼女の成功を妬んで、新聞社が元夫に謝礼を払って、恋愛や結婚生活について詳しい情報を聞き出したり、作品が盗作だと言われたりしたようであるが、本人の過去世における努力が報われたのであるから、嫉妬しても仕方がないのである。
J.K.ローリングの金運について非常に長い文章になってしまったが、(検証していると次から次へと新しい発見があり、また関連するデータも捨てがたくなり、自然と文章が長くなってしまうのである)インド占星術はこのように人の人生が大枠においてカルマ通りに展開していることを明らかにするのである。
(以下、ラーフ-水星期以降の展開) 1997年7月26日(31歳) 「ハリーポッター」シリーズ(全7冊)の第一巻『ハリー・ポッターと賢者の石』が出版すると、瞬く間にベストセラーとなり、世界中の賞を総なめにした。 7月29日 米国のスカラスティック社が『ハリー・ポッターと賢者の石』の版権を10万ドルで落札する。 1998年6月末(32歳) 7桁の印税を受け取り、億万長者になる。 7月2日 「ハリポタ」シリーズの第二巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を出版する。 12月8日 日本の静山社が「ハリポタ」シリーズの版権を獲得する。 1999年(33歳) スマーティーズ賞の金賞を3年連続で受賞する。 7月8日「ハリポタ」シリーズの第三巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を出版すると国際的なスーパースターになる。 この頃、爆発的な人気に伴ない、一部で激しい反発の声が揚がり始める。 11月 新聞社が元夫に謝礼を払って、恋愛や結婚生活について詳しい情報を聞き出す。 12月 ワーナー・ブラザーズが映画化権を100万ドルで獲得する。 2000年6月 児童文学への貢献を評価されて英国勲功賞(O.B.E)を受賞する。(クリスマス後にチャールズ皇太子から授与) 7月8日午前0時『ハリポタ』シリーズの第四巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を初めて英米同時に出版すると、出版業界始まって以来の異例のフィーバーが起こる。 エクセター大学から名誉博士号を授与される。 9月シングルペアレント・ファミリーのための全国協会の親善大使となる。 2001年(36歳)英国の慈善団体のために「ハリポタ」シリーズの関連本『幻の動物とその生息地』と『クィディッチ今昔』を執筆し、全世界に本の購入による寄付を呼びかける。 11月アメリカ映画『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開され、全世界で第2位の興行収入を記録。 12月26日 6歳年下の医師ニール・マリと再婚する。 |
以下はYAHOOニュースから抜粋。
ハリポタ主役3人“そろって”六本木会見 公開中の映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(アルフォンソ・キュアロン監督)のPRで来日中の同監督、ロン役のルパート・グリント(15)、ハーマイオニー役のエマ・ワトソン(14)が28日、東京・六本木のグランドハイアット東京で記者会見を行った。ハリー役のダニエル・ラドクリフ(14)も滞在中の英ロンドンから衛星生中継で参加。好スタートを切った同作を、にこやかにPRした。 午前9時の英ロンドン市内スタジオ。衛星生中継で会見したハリー・ポッターこと、ダニエルは子供っぽく眠い目をこすりながら…ではなく、落ち着いた大人の雰囲気で、丁寧に日本の報道陣にあいさつした。 「ロンドンから、みなさん、コンニチワ。今回は来日できなくて本当に残念です。実は今、4作目(=「−炎のゴブレット」)の水中のシーンを撮影している最中なんです」 ピンクのシャツに、黒いパンツ。西洋風の一室で、真剣な表情で椅子に座ったダニエルは「4作目では、また来日したいと思っております」と力強く宣言した。 ダニエルの日本との衛星生中継会見は平成14年1月、監督、エマ、ルパートとともにシリーズ2作目「−秘密の部屋」のPR会見をして以来、約2年半ぶり。 ずいぶんと大人っぽくなったという記者の質問に、ダニエルは「そんなに思わない。でも俳優としては成長したと思ってます」と、自信をのぞかせた。一方で、共演の2人に「ダニエルはユーモアの精神もあって、素朴で飾ったところもなく、本当にいい人。私は大好きです」(エマ)などと褒められると、顔を赤らめ子供の顔に。ダニエルは「みんな優し過ぎるよ。僕にとっても、エマは妹のような存在。ルパートはすごい親友。みんなすごい仲良しなんだ」と強調した。 「−アズカバンの囚人」は、26日に全国820スクリーンで公開され、オープニング2日間の成績で動員数146万9755人、興行収入18億7116万4300円という好成績を記録。「マトリックス リローデッド」「−秘密の部屋」に続く、歴代3位の好スタートを切った。この夏、再び新たなハリポタ旋風が吹き荒れそうだ。 ★日テレ放映「−賢者の石」視聴率30%超え 日本テレビ系で25日に放送されたシリーズ1作目「ハリー・ポッターと賢者の石」の平均視聴率が、関東地区で30.8%を記録したことが、分かった(ビデオリサーチ調べ)。同作の地上波での放送は初めて。関西地区でも29.5%の高視聴率を記録した。(サンケイスポーツ) [6月29日12時3分更新]