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夫婦別姓問題の本質

2021 10/28
自民党が労働者への再分配ということを盛んに言い出し、次の選挙では共産主義が政権に入るか、自民党を選ぶかの選択になると盛んに言い出している。


自民党からはリベラル左派の躍進と野党落ちをひどく警戒する声が上がっている。


それで絶妙なタイミングで解散総選挙を持ち出して来た。


政局を読む視点が抜群に優れている。


確かにこのまま経済危機がやって来たら、時間が経過すればするほど、自民党は不利になる。


そしてリベラル左派政権が待望されるようになるのだ。


リベラル左派政権への道が近いため、夫婦別姓問題が盛んに議論されている。


これまでに同じようなことを何度も書いたが、夫婦別姓問題の本質とは、江戸時代の徳川家をモデルとして、明治政府によって制度化された家父長制的家制度の名残りを残しておきたいという議論である。


当時、家父長である男性は、二号、三号と複数の愛人を持つことも普通であった。


例えば、「東京物語」の小津安二郎監督も家族の心の機微を描いた名監督であるが、そうした思想の持ち主で、女郎に通うということを普通に行っていた。


そして、妻は苗字を変えて、家に入るという考え方である。


家に入ったら、家からは逃げられない。女は家に一生尽くす存在となる。


天皇家などもこの制度が続いていて、徳川家の側室のような役割である女官たちがいた為、後継者問題というのは起こらなかった。


夫婦別姓が進むと「家」という封建的なシステムを支える一つの形式がなくなってしまう。


女性は独立自立した個人となり、家の呪縛からは解放される。


そして、家の束縛を受けないため、より自由恋愛が活発化する。


つまり、恋愛の自由市場化である。


男性は、女性を家に囲っておけなくなり、女性は恋愛の自由市場の中で、お金や才能を持っている男性の元に行ってしまう。


そして、今、起こっていることは、お金を持っている男性が一生の間に複数の女性と結婚と離婚を繰り返し、お金を持たない男性は、一生の間に一人の女性とも結婚できないという現実である。


そうしたことを新自由主義の論客である橘玲が以前から書いている。


最近、マイケルサンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か」に触発されたのか「無理ゲー社会」といった作品の中で描いている。



それも困った事態で、格差社会とは、リベラル派=自由主義が、封建社会を打ち破る中で、自由主義の兄弟である資本主義の中で、もたらした二極化である。



持つ者と持たざる者の二極化である。



つまり、封建社会が崩壊する中で、何でもお金で買える社会、マネー教(金銭崇拝)が生み出されたが、それが新自由主義の世界である。



新自由主義の社会の中では、お金を持つ者によって全ての女性が買われてしまう。



もっと言えば、全ての人間が、従業員という形で、資本家に買われてしまう。



それを阻止する為に保守派の人々が極端な自由主義を警戒し、全ての男性が健全に結婚できる社会を残すという意味で、封建社会の回帰、あるいは維持を訴えているのである。



例えば、キリスト教原理主義やイスラム原理主義は、そのような恋愛の自由市場化を頑強に拒んでいる。



イスラム世界で、顔全体を覆い隠すブルガやニカブ、顔だけ出して全体を覆うチャドルなどは、所有物としての女性を自分の財産として囲っておき、他者に誘惑を与えないようにするための手段である。



そして、イスラムでは、男性は女性とは4人まで結婚することができるが、女性は男性の家から出ることも許されない。



まして、他の男性と付き合うことも出来ない。



もし女性が他の男性と付き合ったら、屈辱を受けた男性は、女性を殺してもよいという伝統もある。



それは今では法律で禁止されて来たが、実質、残っており、それは名誉殺人と呼ばれる。



封建的価値観の最たる表現である。




日本におけるそうした原理主義的勢力は、日本会議(神道連合、成長の家等)であり、安倍政権の周囲を固めていた。



例えば、日本の元号を使い続けるとか、そうした文化的なことは良いとしても人間の自由、独立などは、普遍的な価値であり、女性やマイノリティーの権利を制限するような保守への回帰は、上手く行かないことは歴史の必然である。





正しい答えは、封建社会への回帰の中にもなく、リベラル派が作りだした自由な社会とその結果として、もたらされた金銭崇拝、マネー教(新自由主義)の中にもない。




封建社会の束縛を受けるか、お金(資本家)によって支配されるかの究極の選択ではないのである。





リベラルな社会への移行は、歴史の必然である。



しかし、金銭崇拝、マネー教、新自由主義といったものは、リベラル派の本質的な特徴ではなく、過渡期の現象である。




やがて原子核融合などが実用化されたら、誰もお金で人を支配できない社会がやって来る。



その時には、お金の支配からも解放されるのである。



今、電子マネーや暗号通貨などが出て来て、だんだんお金というものが物質的な存在ではなく、希薄なものに変わりつつある。



昔はお金というものは札束であり、ずっしりと重たいもので、自分の上司から直接、会社で給料として手渡しされるもので、非常に強固な支配力を持つ物質的な存在であったのだが、今現在、ゲームでやり取りされるポイントのようなものに変わりつつある。


やがてはこれすらあまり無意味なものになり、世の中にはほとんど無料のものが溢れだすに違いない。




然し、最後にソビエト連邦や旧東欧諸国のような共産主義がもたらした監視社会の問題というものが残ると思われる。




これは組織化をもたらす水瓶座の欠点である。



高度に組織化された社会となり、秩序に従わない人々を監視し、排除する社会となる。



これは水瓶座に在住する土星や火星といった凶星の表現として起こると思われる。



ネオナチ的な発言をする人や犯罪予備群のような人々をtwitterやyoutuberなどが独自基準で、アカウント停止したり、排除したりする事態として起こっている。



やがて、こうしたプラットフォーマーと言われる会社が地球上の人間活動の隅から隅まで監視、管理できるようになった場合、そして、プラットフォーマーそれ自体が政府そのものになったら、犯罪を未然に過度に取り締まったり、平均的な市民からの逸脱を許さない社会となる。



これはスピ系陰謀理論の人々や、キリスト教原理主義や原理主義的宗教の人々からは、体内にチップを埋め込まれて、支配者層から管理される恐怖の全体主義的社会として描かれる。



然し、これは水瓶座の欠点なのだと理解すべきである。



魚座の時代の初期の頃も十字軍遠征による殺戮や理性や科学を否定する中世の暗黒時代、疑わしき者に魔女の烙印を押し、魔女裁判で処刑するなど、迷信、無知、感情に支配されていた時代があった。



魚座の欠点が露呈された時代が続いたのである。



従って、水瓶座にも欠点があり、やはり組織化の過程で、人間を平均化し、逸脱した人間を管理統制しようとする過度の傾向などとして現れると考えられる。



その他、まだ明確には見えないが、非常に水瓶座に特有の欠点というものが露呈してくるはずである。



それがジョージ・オーウェルの描いた社会であり、またトランスヒューマニズムという形で現れた一部の人々による気持ちの悪い未来の人間像である。




水瓶座の長所である連帯やグループ活動といった正の側面を発展させ、管理や監視といった負の側面が支配的にならないように注意しなければならない。



この負の側面は、主に中国で推進されており、自由社会は、この中国モデルの拡大を許さず、自分たちの制度、機構についても絶えず、自己批判し、人々の自由や民主主義についても最大限保証しなければならない。



とは言っても、やはり水瓶座の社会は、やや管理が行き届き過ぎる社会となる可能性が高い。



この点については、人々は常に考察し続け、自由への絶えざる主張、運動が必要である。




またプラットフォーマーたちが持つテクノロジーについても良く理解する必要がある。



そうしないと、やりたい放題、管理されることになる。




但し、日本の保守派が主張するような封建社会への回帰は答えではないということである。



封建社会は力づくで破壊され、リベラルな社会となっていく。



それは時間を遅らせることが出来るだけである。




リベラル派に深く浸透する新自由主義、マネー崇拝の支配を受けない為に政治による資本主義への介入によって成功を収めたのが、ロシアのプーチンである。



封建社会への回帰ではなく、独裁者による国家社会主義的アプローチである。



アメリカの金銭崇拝の思想に侵されたオルガリヒを打倒して、金融資本家の影響力を排除した。



そして、「優しい全体主義」という概念を生み出した。



興味深いことに「なぜ世界は存在しないのか」の著者、マルクス・ガブリエルによって、日本は、”優しい全体主義の国”と評価されていた。



この評価は的を得ていると思われる。



日本は、そういう意味で、規制をして自由化を拒んでいたのは日本の国民にとって国益にとって役に立った面もあったのである。



欧米の自由化の要求を受け入れたことは失敗であった。



案外、強い政治的リーダーによる統治というものは水瓶座の時代の有効な方法である。




水瓶座の対向に獅子座があり、統治を意味しているからである。



獅子座は政治家の星座であり、政治力によって、市場原理に修正を加えるというのが、今後のやり方である。



例えば、政治が営業時間に制限をかけたり、国民を過度の労働から保護したり、コロナから救うことも政治の仕事である。



不足しているマスクを高値で売りさばく行為を禁じるようにオークションサイトの運営者や取扱い企業に通達を出したりすることも政治的判断である。



プラットフォームを管理する強いリーダーが、市場原理を制限して、管理を加える。



最大のプラットフォームは、国民国家である。




それは封建社会の保守派の価値観に回帰することとは異なっている。




今後もリベラル派の価値への転換、移行は必要であり、それは歴史の必然である。



この歴史の必然とは、春分点が魚座から水瓶座へ移行していくことについて別の言葉で言い換えたものである。



そして、リベラル派で絶対的な思想となっている市場原理、金銭崇拝の合理主義は、過渡期の現象であり、やがてはお金を意識しない社会となるが、それまでは、高度な政治的判断によって過度の市場原理や金銭崇拝の合理主義に規制をかけることが出来る。



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