最近の私-木星が8室蠍座に入室-

11月に東京と大阪でセミナーがあるため、最近は、私はジャイミニのチャラダシャー以外のダシャーが機能しているかの事例検証や準備した資料のチェックなどをコツコツと行っている状況である。

木星が10月12日に蠍座に入室してから、私はブログ『鑑定家 ジョーティッシュ』の内容をアップデートするモチベーションが沸かなくなってしまった。

その代わりにコツコツと資料を読んだり、研究したい、読書をしたいという気持ちになっている。


私は牡羊座ラグナであるため、8室の木星は力を発揮できないポジションだが、但し、4、8、12室のモクシャハウスにアスペクトしているため、瞑想に取り組んだり、静かに研究生活を送ったりといった欲求が起こってくるようである。

外向的な活動には消極的になるようである。8室には研究という象意もあるが、まさにそんな感じである。


新しく記事を書きたいという欲求というものが中々起こって来ないのである。

木星が天秤座をトランジットしていた間は3室と3室の支配星に木星と土星がアスペクトしていたが、現在、土星だけがアスペクトしている状況では、抑制が働くだけである。


然し、こうした8室を木星が通過する時期などは非常に外的には地味になるが、内的なモクシャの観点では非常に意義深い時期になるのである。

木星が8室の蠍座を通過し終えて、射手座の9室に入室した時には全く違った展開になってくることが予想されるが、それは8室に木星が通過してじっくりと内的な貯めの時期を経験してのことである。


8室は変化を表わすと言われるが、確かに木星が8室を通過する時期というものは、挫折や行き詰まりなどを経験し、モクシャ的な観点からは変容が期待できると思われる。

ジャイミニのチャラダシャー以外のダシャーを検討する中で、シュリK.N.ラオが書いた『Predicting Through Jaimini Chara Dasha』という本を読み直したり、参照する機会があった。

シュリ・K.N.ラオはインディラガンディーの長男であるラジブガンジーの暗殺を死の数か月前にスティラダシャーで予言したのである。


そうしたことが上記の本に記されている。

インドでは誰もそれを他に予言した者がいなかったと記されている。

そもそもラジブガンジーが獅子座ラグナであるということさえも色々議論があって皆が同意している訳ではないようだが、獅子座という正しいラグナを導き出した上で、スティラダシャーによって、その死のタイミングを予想したということである。

スティラダシャーだけを使ったのか分からないが、スティラダシャーが決定的に役立ったようである。


私も講座の資料を準備する中で、スティラダシャーやニラヤナシューラダシャーが、致命的な時期を特定するのに役立つのか調べていたが、やはり機能しているように感じられる。というよりも非常によく機能していると感じられる。但し、もっと数をこなして多くの事例を見る必要がありそうである。

木星が8室蠍座に入室してから私はそんなことを行なっている。

8室には研究という象意があるが、やはり今、私がやっているのはそうしたことである。


ブログに何か記事を投稿したいという気持ちが沸かないし、人とあまり会ったり、頻繁に連絡し合いたいというコミュニケーションの欲求が起こらないが、然し、コツコツとマニアックな事柄を調べたいという欲求はある訳である。


それと対照的なのが11室である。

11室は幅広い人脈を築き、常に人が集まるパーティーや同好会、結婚式や様々なコミュニティーに参加して、多くのコミュニケーションを行ない、そこで利益につながるような情報を得たり、人脈を得たりする。成功者のハウスである。

然し、そうした騒々しい中にいても外的なビジネスなどにつながるような情報を得ることは出来ても人は内的な深みを得ることは出来ない。


やはり内的な深みを得るためには一人になること、モクシャの経験が必要である。


成熟した人は、しばしば一人でいることを好むのである。


ビジネスなどでも成功し終えてしまった人は、むしろ、そうした社交の場をあまり価値ある場とみなしておらず、一人で読書したり、瞑想したりする時間を大切に思ったりする。


だからモクシャハウスというのは深みのある人生にとっては重要なものである。


また通常、人に話したり、知られないその人のプライベートな部分になるため、人は芸能人や有名人などのセレブが、そうしたモクシャの時間を持っており、それを貴重なプライベートな時間と見なしていることを知らないのである。


芸能人や有名人の華やかな社交の部分しか見ていない為、人はそれらの姿がそれらの人々の日常的な姿なのだと思い込んだりするが、実際にはモクシャの部分こそが、その人の深みのある本質的な部分である。


そういうことで言えば、先日、ブログで記事を書いた三田佳子も息子の不祥事に対する苦労といったモクシャの部分が、最も本質的な三田佳子の姿である。


そこに三田佳子の人生の最も深みのある究極の本質が現れる。



上記のシュリ・K.N.ラオがラジブガンジーの死を予言したという言及に戻るが、私は、バラクオバマとヒラリークリントンの選挙戦について予想するなどの試みの辺りから、予測することに挑戦してきた。


ヒラリークリントンが失速するタイミングなどをダシャーで特定したり、小沢一郎が獅子座ラグナであることを特定した上で、チャラダシャーで政治的パワーの失墜するタイミングなどを特定することを試みた。


最近のケースでは、ドナルド・トランプが大統領に当選するかどうかを予想した。


それ以外にも出生時間の分からない有名人のラグナをまず修正し、その上で、その有名人の未来を予測するという試みを行って来た。


つまり、シュリK.N.ラオが書籍の中に記しているようなことに挑戦して来たと言える。


そうした成果は、日々の記事の中で記述だけでなく、日頃の鑑定活動の中にも現れて、鑑定依頼に来たクライアントの方の結婚や出産などを的中させたり、就職のタイミングやまた現在の苦しい状況についての解釈や、それが終わるタイミングなど、色々と鑑定師としての全般的なスキルとしてそれらは役立っている。


このようにジョーティッシュの学習と研究の旅路の中で、かなり質的に高いことが出来るようになって来た。


これらは学習の最初の頃には全く出来なかったことばかりである。


2002年前後から初めて、15年以上、学習と経験を重ねた結果、初めて可能になったことだが、専門家たちが正しいラグナについての議論を重ねており、その中で、正しいラグナを特定して、そこから正しい予測を行なうといったことと同じことを日常的に行えるレベルまで到達した。


かなりいい線まで来た感じはするが、但し、やはり、シュリ.K.N.ラオやBVBの研究者たちと、私の決定的な違いというのもあり、それは理論を生み出しているかどうかという所である。


今の私の段階では、海外の書籍などで学んだ理論をよく理解して、それを実際の有名人の事例などに適用して、ラグナを修正したり、未来を予想したりといったように上手く学んだ理論を使いこなしてはいるが、理論を生み出すところまでは行っていない。


おそらく大学院生レベルのことしか出来ていない。人に理論を教えたりすることは出来るが、まだ博士号はもらえていない段階である。


自分の理論を発表するような作品(著作)も生み出せていない。



例えば、シュリK.N.ラオが行っているように全く古典に書かれていないその使用法も分からなかった技法の計算方法、適用方法などを解明するなどのことは全く出来ていない。


ジャイミニの技法、そしてチャラダシャーの使い方などはラオ先生の発明品と言ってもいいぐらいのものである。


おそらく、『ジャイミニのスティラダシャー』などの本を著したアキーラ・クマール(Akhila Kumar)女史、あるいは、ジャイミニのナヴァムシャダシャーを著したサッチン・マルホトラ氏などのような生徒たちが、ジャイミニの変動表示体の概念を更に拡張したり、全く未知のダシャーの計算方法や適用方法を明らかにしたという点で、大学院の優秀な研究者という位置づけになってくると思われ、博士号クラスになってくると考えられる。


こうした分野でまだ理論を生み出すレベルまで到達できた日本人はいないのではないかと思われる。


日本人だけではなく、海外でもいないと思われる。


例えば、マークボニーなどは非常に良い研究成果を書籍などで出版しているが、然し、基本的な所で、BVBの考え方を忠実に検証しているように思われる。


従って、海外でこの分野で、新しい理論を生み出すに至った人物はいないのではないかと思われる。



インドのパランパラの伝統の中でジョーティッシュの家系でファミリーシークレットを実践してきたような人が身近にいたり、聖者との親交もあり、ジョーティッシュグルやマントラグルもいて、ヴェーダの文化に親しんでおり、サンスクリット学者なども身近にいるような条件が圧倒的に有利なのであり、やはり、ジョーティッシュは、インド人のお家芸である。


但し、日本人やロシア人も才能があると言われているため、それらにどこまで迫れるかという所である。



基本的に現在、生み出された理論や既存の知識を全て学習して理解することが第一であり、その上で、その学習の途上で、幸運な人は、その理論を若干修正するような小さな発見をして、それを書籍に著すことが出来たりするのである。


そして、更に幸運になれば、全く新しい理論を発見することが出来たり、古典に書かれていて誰もまだ使い方が分からない技法の使い方が分かったりするかもしれない。



そこまで行ける人は稀であるが、ジョーティッシュを面白いと感じ、夢中になって学習しているということが条件になってくると思われる。



だから私たちはジョーティッシュを楽しんで実践し、研究していくべきである。




実際、理論を生み出すところまで辿り着けないとしても、既存の理論を現実社会の人物や状況に適用して予測をしてみたりといった形で、ジョーティッシュを楽しんで実践していくことはできる。



そうした実践の中で、理論の深い理解に結びついたり、新たな発見があったりするのである。




最近、マークボニーの講座を受講して分かったことだが、シュリK.N.ラオが一部の周囲の人間にしか教えていなかった技法が世の中に出始めているのである。



それらはその人たちだけで実践して秘密にしておくように言われていたようだが、最近、それらを知っている人たちの間で、解禁されたようである。



従って、以前よりも学習の質の高い材料は、揃っていて、高度な知識を学習するのであれば、今が旬である。








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