飛鳥 涼(ASKA)

aska
氏名飛鳥 涼(ASKA)
ローマ字ASKA
生年月日1958年2月24日
出生時間15:10
出生場所福岡県大野城市
ナクシャトラ(Asc)
ナクシャトラ(Mo)
職業ミュージシャン、シンガーソングライター、CHAGE and ASKAのメンバー、楽曲のメインボーカル・作詞・作曲を担当
所属ヤマハ音楽振興会 (1979年 - 1990年) リアルキャスト (1990年 - 2000年) ロックダムアーティスツ (2000年 - 2014年)
業績
その他
データソースwikipedia, 2チャンネル


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西暦年月出来事ヴィムショッタリチャラヨーギニトランジット
1979年8月25日チャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)としてワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)からシングル「ひとり咲き」でデビュー。
1983年作詞を手掛けた楽曲「ボヘミアン」(作曲は井上大輔、1982年に大友裕子がオリジナルを歌唱)が葛城ユキのカバーによりヒットする。以後、ソングライターとして様々なシンガーに楽曲を提供していく。中でも、光GENJIに提供したシングル「STAR LIGHT」・「ガラスの十代」・「パラダイス銀河」は立て続けにヒットし、音楽家としての知名度が向上した。
1984年詩集『オンリー・ロンリー 飛鳥涼詩集』(サンリオ出版)を発売。
1987年9月21日キャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)からシングル(EP盤)「MY Mr.LONELY HEART」でソロデビューする。
1988年1988年、提供曲を中心とした初のソロ・アルバム『SCENE』が発売される。この頃、東京都世田谷区に知人と共同で録音スタジオ「BURNISH STONE」を設立。
1989年12月ロンドンに生活の拠点を移し翌年6月まで滞在して創作活動を行う。
1990年書籍『けれど空は青 〜飛鳥涼論』(八曜社)が発売。
1991年CMソングに起用されて好評となっていた「はじまりはいつも雨」をシングル発売。ロングヒットとなり、ミリオンセラーを達成する。さらに、アルバム『SCENE II 』もミリオンセラーとなる。
1993年USED TO BE A CHILDに参加し、小田和正と共作した「僕らが生まれた あの日のように」が発売される。
1995年レコードレーベルを東芝EMIに移籍。シングル「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」、アルバム『NEVER END』はともにオリコンチャート最高位1位を獲得。また、ハリウッド映画『ジャッジ・ドレッド』に英語詞の楽曲「TIME」を提供した。
1996年書籍『インタビュー』(幻冬舎)を発売し、幼少時の記憶やデビュー時のエピソード、友人のこと、雑誌『Views』についての出来事などを書き下ろした。
1997年リチャード・マークスとデュエットした楽曲「Every Day Of Your Life」がシングル発売。この年は、アルバム『ONE』発表後に初のソロ・コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR ID』を開催。上海公演も行った。
11月『第6回上海インターナショナルラジオフェスティバル』に招待された。
1998年ソロ活動を継続してアルバム『kicks』を発売。コンサートツアー『ASKA concert tour kicks』も開催した。
8月台北で行われた『MTV Music Summit '98』に出演する。
2000年ヤマハミュージックコミュニケーションズからシングル「good time」を発売。コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR GOOD TIME』を開催した。
2003年ユニバーサルシグマからシングル「心に花の咲く方へ」を発売。
2005年12月服部隆之や東京ニューシティ管弦楽団と共演した『ASKA Symphonic Concert 2005 featuring Takayuki Hattori』が東京国際フォーラムで開催。7年ぶりのオリジナル・アルバム『SCENE III』を発売し、12月から5年ぶりとなるソロ・コンサートツアー『ASKA Concert Tour 05>>06 My Game is ASKA』も開催した。
2006年つま恋(静岡県掛川市)で開催された『ap bank fes '06』に出演(その後、ap bank fesには『ap bank fes '08』、『ap bank fes '11 Fund for Japan』に出演している)。
2008年10月現地の交響楽団と共演するシンフォニックコンサート『ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE"』をシンガポール・バンコク・上海・大阪・福岡・東京・名古屋・札幌・香港・沖縄で開催する。10月にはシングル「UNI-VERSE」が発売。
11月シンガポール公演を収録した音源『ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE" at The Bay(Singapore)』を音楽配信した。
2009年1月30日
お互いのソロ活動を充実させるためCHAGE and ASKAを無期限活動休止にすることを発表。ソロ活動が継続される。
3月コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR 2009 WALK』を開催。台北公演も行われた。
12月クリスマス・コンサート『ASKA THE MELODY YOU HEARD THAT NIGHT 昭和が見ていたクリスマス』を行い、ビッグバンドと共演する。
2010年2月セルフカバー・アルバムとなる『12』を発表。東京厚生年金会館で10DAYSコンサート『グッバイ&サンキュー東京厚生年金会館 -ここにあなたの足跡を-』を開催した。
11月セルフカバー・アルバム第2弾『君の知らない君の歌』を、Chageが発売するオリジナル・アルバム『&C』と同時発売。コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR 10>>11 FACEs』を開催し、上海・マカオ公演も行った。
2011年東日本大震災で被災された方々への支援活動として、昭和の名曲をカバーして発表した売上の一部を募金する「いま歌うシリーズ」がiTunes Storeの配信限定で始まる(2013年にはカバー・アルバム『「僕にできること」いま歌うシリーズ』として発売された)。
2012年1月ビッグバンドとの再共演となる『ASKA CONCERT 2012 昭和が見ていたクリスマス!? Prelude to The Bookend』を日本武道館で2日間開催。2日目には、全国の映画館で生鑑賞できるライブシネマも行った。
10月16日ASKA初のMOOK本『ぴあ&ASKA』(ぴあ)発売。
10月17日7年ぶりのオリジナル・アルバム『SCRAMBLE』が発売された。
12月TBS系「EX-ROUNGE」に出演。
12月『ASKA CONCERT TOUR 12>>13 ROCKET』を開催した。
2013年1月25日活動休止中であったCHAGE and ASKAを再始動させることを一旦発表。
3月29日追加公演のNHKホールで「ASKA CONCERT TOUR 12>>13 ROCKET」を終える。
4月6日TOKYO MXテレビ「サタデーLive」出演。
5月11日NHKで放送している「SONGS (テレビ番組)」には、ASKAが活動自粛する前の最後のテレビ出演となった。ASKAがSONGSに出演するのは2010年2月10日以来、2回目である。ASKAは「LOVE SONG」や「いろんな人が歌ってきたように」などを披露している。17日深夜にも同じ内容が再放送として放送された。
6月11日体調不良を訴えたASKAが医師による診察で一過性脳虚血症の疑いがあり静養が必要と診断されたため、当初8月に開催予定だったCHAGE and ASKAとしてのスペシャル・ライブ開催の延期を公表。しかし、12月12日にスペシャルライブの「完全中止」を発表した。
7月24日東京スポーツが匿名で“超大物シンガーが深刻な薬物中毒に陥っている”という記事を掲載。
7月31日週刊文春が2013年8月8日号で“ASKAが覚醒剤吸引ビデオで脅迫されていた”という見出しの記事を掲載した。
8月1日所属事務所(ロックダムアーティスツ)は記事の内容を否定し厳重に抗議する文面を公式サイトで発表した。その後も週刊誌やワイドショーなどで一連の報道が続くが、事務所は沈黙を守っていた。
9月27日ファンクラブ会報誌発送に合わせて、公式ウェブサイトで改めて事務所の見解を述べたのに加え、ASKA本人のコメントが騒動後初めて掲載された。
10月8日週刊誌・ワイドショーなどによる一連の報道を受けてコメントを発表していたASKAであったが、週刊文春10月17日号にASKAへのインタビュー記事が掲載され、週刊文春の記者と接触して質問に答え、覚醒剤の使用は否定したが医療機関で処方されたという薬物(安息香酸ナトリウムカフェイン)の使用やその入手経路、音楽関係者と名乗る人物とのトラブルに関して報道の一部を認める発言をしていたことが発覚した。なお、週刊文春は「シャブ&飛鳥」とタイトルを出しているが、このタイトルを考えたのはビートたけしであり、2013年8月に発売された週刊文春の記事を見て考えたという。
10月10日所属事務所(ロックダムアーティスツ)はASKA本人と事実関係を確認した上で、“これまでに世間を騒がせてしまったことと社会的責任の重さ”を鑑み、ASKAの活動自粛を発表した。
2014年4月29日活動自粛中に玉置浩二のコンサートをプライベートで鑑賞中、アンコールで玉置に呼ばれステージに上がり、「SAY YES」をワンコーラスだけデュエットした。
5月17日警視庁組織犯罪対策第五課に覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕された。逮捕容疑は同年4月6日ごろと4月12日ごろ、港区内のマンションの一室で少量の覚醒剤を所持していた疑い。逮捕当初は容疑を否認していたが、警視庁による尿検査では覚醒剤の陽性反応が出ており、自宅からは覚醒剤やメチレンジオキシメタンフェタミン(MDMA)とみられる粉末や錠剤が発見された。また、知人で会社員の女も同容疑で逮捕された。同日、所属事務所はASKAの逮捕を受けてコメントを発表。Chageもコメントを寄せた。
5月23日毛髪検査からも覚醒剤の陽性反応が出たこと、否認していた容疑を認める供述を始めていることが判明する。
5月27日覚せい剤取締法違反(使用)・麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)違反(使用)容疑で再逮捕された(知人の女も覚醒剤取締法違反(使用)容疑で再逮捕された)。再逮捕容疑は同年5月上旬から17日までの間に、都内とその周辺で覚醒剤と合成麻薬MDMAを使ったというもの。
6月17日自宅で覚せい剤と合成麻薬MDMAを所持したとして、覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)容疑で再逮捕、逮捕は3度目になった。再逮捕容疑は5月17日午前10時42分ごろ、東京都目黒区の自宅で覚せい剤0.439グラムとMDMA相当量を所持した疑い。同日、東京地方検察庁は覚醒剤取締法違反(使用)の罪などでASKAと否認を続けている知人の女を起訴した。
6月27日覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)で追起訴。起訴状は、5月17日に東京都目黒区の自宅で覚醒剤0.432グラムやMDMAなどを含む錠剤87錠を所持していたもの。5月17日に逮捕されたASKAと知人の女が女のマンションで覚醒剤を所持していたという容疑については、27日付で不起訴処分となった。同日、所属事務所は今回の逮捕・起訴を受けてASKAとミュージシャンとしてのエージェント契約を解消することで合意したと発表、事実上音楽活動は引退状態となった。
7月3日弁護人が申請していた保釈請求が認められ、保釈保証金700万円を納めて保釈された。その後、薬物依存症治療のため国立病院機構下総精神医療センターに入院。
7月22日東京地方裁判所で愛人である女性被告の初公判が開かれ、被告は無罪を主張した。
8月21日警視庁組織犯罪対策第五課は、ASKAに合成麻薬MDMAを譲り渡したとされる男2人を麻薬取締法違反(営利目的譲渡)容疑で逮捕した。逮捕容疑は同年3月24日、ASKAの自宅車庫内でMDMA100錠を50万円で譲り渡した疑い。
8月28日東京地方裁判所で初公判。
9月12日懲役3年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。
2016年1月9日
1月10日
ASKAは逮捕後初めて、事件の経緯などを含む自身のこれまでの音楽人生をブログに公開した。約12万字に及ぶ長文は、「序章」「2・ロンドン」「3・kicks」「4・ピンチとチャンス」「5・韓国ライブ」「6・リアルキャスト解散」「7・GHB」「8・勘違い」「9・飯島愛」「10・盗聴盗撮」「11・覚せい剤」「12・音楽関係者」「13・恐喝」「14・週刊文春」「15・エクスタシー」「16・逮捕」「17・裁判」「18・メール」「19・後記」「20・追記」の20項目にもわたっていたが、数時間後の1月10日の未明に削除された(気づいた周囲の者が削除したとされる)。
11日から13日その後ASKAは11日から13日まで別のサービス会社のブログにもUPしていた。内容は非合法ドラッグに手を染めたきっかけや、盗聴被害に悩まされていたことなどが綴られ、2014年に『週刊文春』で愛人関係を取りざたされた飯島愛についても、知り合った経緯や友人だった彼女が盗聴被害に遭い、相談を受けていたことなどを語った。
7月19日半年ぶりとなるASKA本人によるものとみられる1カ月限定のブログが開設された。2016年1月に事件への思いや近況などをつづった文章をネット上で公開して以来であり、当時は盗聴被害を一方的に訴え、今回のブログでも同じような内容が書かれている。
wikipediaより引用抜粋
















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