横田めぐみ

氏名横田めぐみ
ローマ字Yokota Megumi
生年月日1964年10月5日
出生時間17:15
出生場所愛知県名古屋市
Rodden Rating
ナクシャトラ(Asc)
ナクシャトラ(Mo)
職業
所属
業績
その他ネット上の情報によれば、横田めぐみさんが拉致された理由は、横田早紀江さんが皇族の血筋を引いている為であるということである明治維新ですり替えられた近代皇室ではなく、長州の侍によって断絶させられた北朝系の天皇の血筋であるとのこと。

現在、金正日の妻で金正恩の母親である横田めぐみさんは、北朝鮮の西太后として絶大なる権威を有していると考えられる。

↑このような見解が、阿修羅(『今回の将軍は日本の血が入ってる(ネットゲリラ)』に記載されている。

双子の弟がいる。
データソース2チャンネル


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西暦年月出来事ヴィムショッタリチャラヨーギニトランジット
1977年11月15日 中学校の部活動を終えて下校中、新潟市内の自宅近くで友人と別れた後、消息を絶つ。
1977年11月から1986年7月まで招待所で暮らす。
1986年8月13日会社員キム・チョルジュ(現在41歳)と結婚。
1987年9月13日娘キム・ヘギョン(現在15歳)が生まれる。平壌市内万景台区域タンサン(堂上)洞に居住している。
1993年1月29日鬱病のため夫に連れられ平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院に入院したと伝えられる。
1993年3月13日午前同病院内で散歩中、南寿岩主治医が目を離した間に、着物を裂いて松にかけ首を吊って自殺したと伝えられる。
『電脳補完録』
http://nyt.trycomp.net/jokyo/02.html
より引用抜粋

(参考資料)

横田めぐみさんが脱北者に託した「両親への手紙」(1)“二代目ミスターX”が接触
2014年6月12日 9:56 AM Asagei+plus

「再調査」そして「帰国」を約束──。日朝の電撃合意で拉致事件が急展開し、解決に向けて北朝鮮が動きだすという。最大の焦点は 、事件の象徴たる「横田めぐみさん」。とらわれの身となった彼女が、北朝鮮でひそかに両親にしたためた手紙があった事実をスクー プ。託された人物が、その悲痛な文面を証言した。

 スウェーデンの首都ストックホルムで行われた、日本と北朝鮮による外務省局長級協議。5月29日、「拉致問題の全面的な再調査実施 」で合意したと、安倍晋三総理(59)は発表した。その内容はおおまかに、次のようなものだった。

●北朝鮮は全ての日本人拉致被害者と特定失踪者ら行方不明者の再調査を、全面的、同時並行的に実施する。

●北朝鮮は調査および確認の状況を日本に随時通報し、生存者が発見された場合は帰国させる方向で協議する。

●日本側関係者の北朝鮮滞在、関係者との面談、関係場所の訪問を実現させる。

●調査開始時点で日本は、人的往来や送金などの規制・制裁措置の一部を解除する(万景峰92の入港再開を除く)。

●日本は適切な時期に、北朝鮮に対する人道支援の実施を検討する。

 菅義偉官房長官(65)は5月30日の記者会見で、

「(再調査の期間は)1年を超えることはないだろう。だらだら時間をかけない、と向こうも言っている」

 との見通しを示した。

 北朝鮮が今、急速に軟化を見せた理由は「財政難」。とにかくカネがない苦境を脱するには、拉致問題を足がかりに日本の制裁を解 除させ、莫大な経済支援を引き出すよりほかないからだ。

 そしてこれは、11年12月17日に死亡した金正日総書記の「遺訓」でもあるという。政府関係者が語る。

「02年の小泉訪朝を陰で仕切ったのは『ミスターX』と呼ばれる人物。金哲(キム・チョル)と名乗ったこの男は、国家安全保衛部(秘 密警察)の柳京(リュ・ギョン)副部長と見られていた。そのミスターXは10年11月の韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件に絡んで銃 殺刑に処せられたとされています。ところが、このミスターXの部下、後継者を名乗る『二代目ミスターX』が11年になって、日本政府 関係者に接触してきた。この接触を命じたのが、亡くなる直前の金正日総書記だったのです」

 11年の金総書記の葬儀には、朝鮮総連・許宗萬(ホ・ジョンマン)議長の代理として南昇祐(ナン・スンウン)副議長が参列、初め て金正恩第一書記と面会した。北朝鮮中枢にパイプを持つ作家の北一策氏が裏事情を明かす。

「ここで南副議長は、金総書記の『遺訓』を引き継いだ金第一書記から『日朝関係の正常化は最優先課題である』との言葉を受けた。 同時に『拉致問題を乗り越え、(小泉訪朝時の発表以降、凍結している)平壌宣言に向けて始動する必要がある』と諭されたようです 」

 こうした一連の動きに、北朝鮮が拉致問題解決、日朝国交正常化に向けて本腰を入れていることが見て取れるのだ。

 今年1月25日、ベトナムの首都ハノイで日朝外務省秘密会合。3月3日、中国・瀋陽で日朝赤十字会談。3月10日にはモンゴルのウラン バートルで横田滋・早紀江夫妻が、横田めぐみさんの娘キム・ウンギョンさん(26)と面会した。直後の3月19日に再び瀋陽で日朝赤十 字会談。3月30日には北京で外務省の伊原純一アジア大洋州局長が北朝鮮側と話し合った。さらに4月5日、外務省関係者が香港で北朝鮮 側と接触──。

 今年に入っての水面下の慌ただしい動きの末、ストックホルムでの「急展開」に至ったのである。

◆アサヒ芸能6/10発売(6/19号)より
参照元:横田めぐみさんが脱北者に託した「両親への手紙」(1)“二代目ミスターX”が接触
2014年6月12日 9:56 AM Asagei+plus
横田めぐみさんは偶然に拉致されたのではない 見えてきた日本人拉致の全貌
2016.7.17 11:00 産経ニュース

政府が認定する被害者だけで17人に上る日本人拉致事件の全貌(ぜんぼう)はどこまで分かっているのか。拉致被害者の支援組織「 救う会」の西岡力会長とジャーナリストの恵谷治氏が拉致事件の発生現場や被害者証言の検証を通じ、目的に応じて3つのパターンに 大別することが見えてきた。かつて偶然に拉致されたとみられていた横田めぐみさん(51)=拉致当時(13)=らも、ある目的の ため、北朝鮮工作員に連れ去られたことがうかがえる。

新たに浮かんだ「条件拉致」

 日本人拉致事件が3つのパターンに大別されることは、6月22日に東京都文京区で救う会が開いた集会で明らかにされた。

 西岡会長と恵谷氏が示したパターンは、海上遭遇拉致、人定拉致、条件拉致の3つ。海上遭遇拉致は、海上で漁船に見つかった際に 工作員が摘発されるのを防ぐため、さらっていくもの。昭和38年5月に石川県志賀町から出漁し、消息を絶った寺越昭二さん=失踪 当時(36)=らの事件が該当する。

人定拉致は、拉致する対象者を工作員らがじっくりと選定した上で、北朝鮮に連れ去る。52年に工作員が日本人になりすます目的で 、東京の三鷹市役所警備員の久米裕さん(91)=拉致当時(52)=が拉致された事件がこれにあたる。

 集会で、西岡会長は「海上遭遇拉致と人定拉致があるということは常識だった。逆にいうと、人定拉致こそが拉致の主流だというよ うに思っていた」という。だが、いろいろ調べていく過程で、「1977(昭和52)年、78年の拉致についていろいろ調べると、 もう一つ条件拉致があるのではないかということが分かってきた」と明かした。

 これまで昭和52年に拉致された松本京子さん(67)=拉致当時(29)、横田めぐみさんについては、工作員がたまたま目撃さ れ、秘密の暴露を防ぐために拉致した遭遇拉致とみられていた。だが、西岡会長と恵谷氏が調べると、どうやら違っていることが分か ってきたという。

 例えば、松本さんが連れ去られた際には、拉致現場近くに住む男性が現場近くを通った際に工作員の顔を見ているが、殴られただけ で連れ去りはされなかった。この状況を根拠にして、恵谷氏は「偶発的に出会って連れ去られるのは海上でしかない、陸上ではないと 判断した」と指摘。横田めぐみさんに関しても、事件と同じ月日の現場を見た上で、「めぐみさんも当初は遭遇拉致ではないかといわ れていたが、真っ暗な中で(工作員を)目撃するはずもなく、めぐみさんは『若い女性を連れてこい』という条件拉致だったのではな いか」と語った。

被害者の証言「若い女性を工作員にしようとしていた」

 若い女性を連れてこいという条件があったのはなぜか。西岡会長は、北朝鮮が当初、女性拉致被害者を工作員にしようとしていたと いう帰国被害者の証言に注目する。

 ただ、工作員として養成することはうまくいかなかった。外国人拉致被害者のケースでは、訓練を受けた後、海外に演習に出かけ、 逃亡したこともあった。

 大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元北朝鮮工作員によると、「当時、若い女性を連れてきて洗脳しろという命 令が金正日(キムジョンイル)から出ていた、と。しかし、なかなかうまくいかないという状況だったんです」(西岡会長)という。

恵谷氏は「(北朝鮮の)とにかく目的は女性だった。しかし、女性一人であれば、精神的に不安定になり、寂しいとかいろいろな問題 があるのでカップルにしろということになった」と説明する。松本さんやめぐみさんが拉致された翌年夏、日本ではアベックが連れ去 られる拉致事件が頻発した。

状況、証言から浮かぶ「アベック」という条件拉致

 昭和53年夏に起きた日本人拉致事件は未遂も含めて5件に上る。このうち4件の被害者はアベックだが、残る1件については異な っている。

 8月12日に新潟県佐渡市で北朝鮮工作員に曽我ひとみさん(57)と母のミヨシさん(84)=拉致当時(46)=が連れ去られ た。2人はアベックではない。

 しかし、西岡会長が曽我さんに2人の服装を聞いたところ、ミヨシさんはいつもズボンをはいており、曽我さんはその日ワンピース を着ていた。事件が起こったときはすでに薄暗くなっていたうえ、2人は後方から近づいてきた工作員に襲われた。こうした状況から 、西岡会長は「後ろから見たら、若いアベックに見えたのではないか」という一つの仮説を挙げ、「そうすると1977(昭和52) 年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。ぴったりと条件ということに合う」と話した。

 今回、集会で拉致事件の全貌に迫った目的について、西岡会長は「北朝鮮に問題提起したいのは、『あなたたちは1977年、78 年に条件拉致をやっていたでしょう。記録を調べてみなさい。われわれがいっていることが正しいということが分かったならば、日本 を甘く見てはいけないということが分かるはずだ』という問題提起です」と話す。北朝鮮は拉致についてうそをつき続けているが、真 実は徐々に明らかになってきている。
参照元:横田めぐみさんは偶然に拉致されたのではない 見えてきた日本人拉致の全貌
2016.7.17 11:00 産経ニュース
横田夫妻「もう時間がない。会いたい」 めぐみさん、きょう52歳
2016.10.5 07:25 産経ニュース

昭和52年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、52歳の誕生日を迎える。北朝鮮は拉致被害者の帰国 に応じない一方、核・ミサイルの実験を繰り返し軍事的緊張を高めている。被害者が年を重ねるとともに家族も老いている。「もう時 間がない。元気なうちに会いたい」。両親の滋さん(83)と早紀江さん(80)は再会を信じ、奪還への戦いを続けている。

 「幼かっためぐみちゃんが52歳なんて…。時が長すぎてイメージがわかない。本当に切なく、悲しいです」。誕生日前日の4日、 早紀江さんはこう語った。

 政府認定の拉致被害者は17人。5人が帰国したが、最長で40年近くを経てなお、とらわれたままの被害者もいる。家族も高齢化 して病をかかえ、再会を果たせず亡くなった人もいる。

 「言葉がしゃべりにくくなったり、歩きにくくなったりしている」。めぐみさんの誕生日を前に川崎市で開かれた集会で、早紀江さ んは最近の滋さんについてこう説明した。

 「めぐみちゃんと会って誰だか分かる状態のときに帰ってきてほしい。最後までがんばって悔いなく天国にいきたい」

 全国を飛び回り長年、拉致の非道さを訴えてきた夫妻も、遠方の集会などには参加が難しくなっている。

 「最近、『一刻』の早さを実感する。被害者全員を必ず取り戻し、家族と再会させてほしい」。力を込める早紀江さん。肉親と引き 裂かれた全国の家族も同じ思いを胸に、戦っている。
参照元:横田夫妻「もう時間がない。会いたい」 めぐみさん、きょう52歳
2016.10.5 07:25 産経ニュース
横田めぐみさん「劇物・薬物の過剰投与で死亡」 韓国紙が報告書入手と報道【北朝鮮・拉致問題】
The Huffington Post 2014年11月07日 13時34分 JST(更新日:2014年11月07日 13時34分 JST)

韓国の大手紙・東亜日報は11月7日付で、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんが、「劇物や薬物の過剰投与で死亡した」とする「 日本政府の極秘調査」の報告書を単独入手したと報じた。

安倍内閣に報告されたというこの報告書には、2014年9月11日に、日本政府の拉致問題対策本部職員が、韓国人の拉致被害者家族会代表 とともに、めぐみさんが死亡したとする精神病院・平壌49号予防院の関係者2人に第三国で面会した内容が含まれている。

証言によれば、めぐみさんは「完全隔離病棟」に収容され、30歳だった1994年4月10日に死亡し、15日に付近の山に埋葬された。証言者 たちは「精神安定剤、睡眠薬を主に服用し、注射された」とし、睡眠薬のハイミナルなど、薬の種類と服用した量に言及した。

証言者たちは「患者が死んだ当時、全身に青い斑点があった」「劇物や過剰な量の薬物を飲んだり注射されたりしたとき見られる所見 」とした。さらに「(めぐみさんの)遺体は(国家安全)保衛部(労働)党組織の指示で、トラクターに乗せられ、他の遺体5体ととも に山に運ばれ、棺もなくそのまま同じ穴に埋められた」という。

■菅官房長官「信憑性はない」

東亜日報は「めぐみさんを直接埋葬した脱北者の口から、死亡の可能性が提起されたことは、拉致被害者家族と日本国民にメガトン級 の衝撃を与えることは明らかだ」「こうした事実を知りながら隠してきた安倍政権も不信を抱かれるとみられる」と分析した。「北朝 鮮に利用されたとの批判は免れず、政権発足後、最大の政治的危機を迎えるとみられる」とも述べている。

一方、菅義偉官房長官は7日の記者会見で、信憑性はないとの見方を示し、「政府としては様々な情報収集を行っている。具体的な内容 については控えたい」と話した。

■報告書全文「死んだ当時、全身に青い斑点」

同紙によると、入手した報告書は「横田めぐみさんの死亡を目撃した北朝鮮の関係者」に面会したという「日本政府の拉致問題対策本 部と、韓国の崔成竜・拉北者家族会代表の共同調査報告書」で、A4判に9枚。日本の拉致問題対策本部が用意した7個の質問に、証言者 が手記で答える形で作られた。報告書の最後に「日本政府拉致問題対策本部事務局」が作成した文献であることが明示されている。そ の下に、拉致問題対策本部関係者3人と、拉北者家族会の崔代表の名前が書かれている。原本は日本政府が持ち、韓国政府当局もコピー を持っている。

同紙が報じた報告書全文は以下の通り。

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<1>その女性が日本の拉致被害者、横田めぐみさんであるとどうして分かったのですか? 横田さんはいつ、どこから烽火診療所(平 壌の高級幹部専用の病院)に来ましたか? 横田さんが来たとき、精神状態、身体の状態はどうでしたか?

A 病歴書(診療記録書)にリュ・ミョンスク(女性、めぐみさんの朝鮮名)1964年10月5日生まれ、1977年日本から朝鮮に囚われて入 国し、(国家安全)保衛部の調査を受けていたそうです。最初、病院に到着したときには健康状態、精神状態も良好でした。しかし過 酷な調査を受けて健康状態が悪化し、保衛部の病院で治療を受けたこともあったそうです。私に、日本の故郷の住所を示して、自分の 消息を知らせてほしいと頼まれました。烽火診療所はこの女性が行けるところではありません(注:横田さんが入院していた病院はここ ではないという意味)。

<2>横田めぐみさんの主治医は誰で、どのような経歴の医師でしたか? その主治医はめぐみさんにどのような治療をしましたか?  めぐみさんの看護を担当した看護師がいたなら、氏名と住所、職業と役職を説明して下さい。

A その日本の女性は精神科に入院し、治療を受けていましたが、担当の主治医は男性でした。精神安定剤、睡眠薬を主に服用、注射さ れていました。土曜、日曜や祝日には、医師や看護師が交代で勤務しました。平壌市●●区域●●洞●●班。(崔代表は「証人2人のう ち1人」)と話した。証言者の安全のため実名を公開しない)

<3>横田めぐみさんは診療所で一日をどのように過ごしていましたか? めぐみさんとどのような話をしましたか? めぐみさんを訪 問したり病状を確認したりする人はいましたか?

A 一緒に拉致された男性(1978年に韓国から拉致された金英男氏)と結婚し、日本から朝鮮にやってきたこと、故郷の父母の話、朝鮮 幹部が「朝鮮で教育を受けたら日本に戻してやる」と約束した話をしていました。しかし夫に、約束通り両親に手紙を送ろうという話 を巡って激しくけんかし、その後、夫が女性を遠ざけるようになったそうです。夜になると、両親を呼ぶ悲痛な声「オサンオサン(注: お父さん、お母さんを聞き違えたと思われる)」が聞こえました。保衛部が随時監視しており、面会も謝絶でした。海外同胞迎接部の 人もときどき来ました。人民班長と周辺人物に秘密情報院を潜入させて監視しました。病院に入院したときは、特別に隔離病棟に入り ました。この精神病院(平壌49号予防院)は、鉄道の駅から歩いて数時間かかる山の中にありました。たまに患者が逃げ出して付近の 住民に迷惑がかかるため、遠隔地に病院を建てたそうです。

<4>横田めぐみさんにどのような薬を、いつからいつまで、どのくらい投与しましたか?

A  ディアゼパム(Diazepam)0.002 1錠、1日2~3回、1回2~5錠、内服。患者の精神安定目的。

ハイミナル(Hyminal)0.1 1錠、1日2回、1回2~4錠ずつ内服。強力な睡眠作用がある。5錠以上投与すると20時間の睡眠誘導効果があ り、10錠以上投与すると致死量に至る。

アミナジン(Aminazin)錠剤、注射でそれぞれ処方。注射2ml~5ml程度(筋肉注射)。精神安定および睡眠誘導のため。

※「5mlを1日最大8回服用すると40mlになり、致死量の水準だ。体の弱い人は1日10mlでも多量に服用したことになる。ハイミナルは呼 吸抑制効果があり危険だ」とする韓国人医師の見解が併記されている。

<5>横田めぐみさんが死亡したとすると、どのような原因でいつ死亡しましたか? めぐみさんが死亡したとき、そばにいた人はいま したか? いたらその人はどんな人で、めぐみさんの死後に遺体を処理した人は誰ですか? めぐみさんの遺体はどのように処理され ましたか?

A 私は1990年から95年までこの病院に勤務しました。この患者は1994年4月10日に死亡しました。数日後、4月15日に山に埋葬されまし た。遺体は保衛部が党組織の指示で山に直葬されました。「直葬」とは、棺もなく、穴だけを掘ってそのまま埋めることを言います。 トラクターに乗せた他の遺体5体とともに、同じ場所に埋葬しました。当日、医師1人、看護師1人、看病院5人が処理作業をしました。 この女性患者が死亡した当時、全身に青い斑点がありました。通常の遺体には現れない所見です。劇物や過剰な量の薬物を飲んだり注 射されたりしたときにみられる所見です。

※匿名の専門医は「劇物や薬物を過剰に服用すると、全身に青い斑点が現れることがある。劇薬で皮下治療を試みたのであれば、時間 がたつにつれて出血部位が青くなることもある」と話した。ただ「死斑の色だけで死因を推定するのは難しい」との意見を述べる法医 学の専門家もいる。

<6>烽火診療所の所在地はどこですか? 烽火診療所および付属施設の位置関係を絵で示してください。北朝鮮は横田めぐみさんが入 院した場所は49号予防院と主張していますが、烽火診療所と49号予防院は同じ施設ですか? 横田めぐみさんは診療所の何棟の何階、 何号室にいましたか? 烽火診療所全体の医師、看護師、入院患者数は何人ぐらいですか?

A (烽火診療所と49号予防院は同じ施設では)ありません。平壌市49号病院(予防院)、平壌市…(住所)

●●●(証言者2人のうちもう1人):医師10人、看護師11人、看病員15人、経理課職員4人、薬局職員3人、食堂職員3人、隔離病棟、特 別隔離病棟が別にあります。男性病棟、女性病棟、ベッド数100、1病室に2~5のベッドがあり、ベッドがない床の病室もある。個室も ある。食堂、院長室、医師室、看護師室、処置室、注射室、青年学校、秘書室、経理課があった。完全隔離病棟は、意識障害の激しい 患者が隔離されていた。すべての病室には扉に外からしか開けられない鍵がついている。食事は重症の患者は病室まで運び、軽症の患 者は食堂で食べます。

<7>横田めぐみさん以外に他の日本人拉致被害者について見聞きしたことはありませんか?

A 覚えていません。

2014年9月11日
参照元:横田めぐみさん「劇物・薬物の過剰投与で死亡」 韓国紙が報告書入手と報道【北朝鮮・拉致問題】
The Huffington Post 2014年11月07日 13時34分 JST(更新日:2014年11月07日 13時34分 JST)
横田めぐみさんの父母&孫の面会写真が流出した裏に何があったのか? 狙いは日本世論の揺さぶりか
2016.7.2 09:00 産経ニュース

北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(51)=拉致当時(13)=の娘、キム・ウンギョンさん(28)とめぐみさんの両親が 平成26年3月にモンゴルで面会したときの写真が、参院議員によって公開されたことが波紋を広げている。めぐみさんの両親は写真 について「横田家から出していない」と強調し、求めているのではウンギョンさんらとの再会ではなく、めぐみさんら被害者の帰国と 訴えている。専門家からは、写真が公開された背景に、北朝鮮による日本世論揺さぶりの可能性を指摘する声も上がっている。

「横田家が写真を公開した」という誤報も

 写真は6月9日に有田芳生参院議員が公開した。同日に発売された「週刊文春」には有田氏の署名記事とともに、写真が掲載された 。

 その後、めぐみさんの両親が6月22日に発表した手記によると、両親は写真を公表したい気持ちはあったが、面会時にウンギョン さんから「出さないでほしい」といわれたため、表に出していなかった。有田氏から5月初めに写真を示され、ウンギョンさんが公開 に同意したという趣旨の説明を受け、「お持ちの写真を掲載することには異存ありません」と同意したという。

 だが、6月9日に写真が公開された際、内容の誤った報道も見られた。例えば、共同通信は当初、次のような記事を配信した。

 《北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=失踪当時(13)=の父滋さん(83)と母早紀江さん(80)は9日、めぐみさん の娘キム・ウンギョンさん(28)らと2014年3月にモンゴルで面会した際の写真を公開した》 

 その後、共同通信は有田氏が公開したとする内容に記事を差し替えた。

 横田家が自ら写真を公開したのではないかという誤解が広がっていることを知り、めぐみさんの両親は9日、支援団体を通じ、次の ようなコメントを発表した。

《この度の週刊文春に掲載の孫たちとの写真は、横田家から提出してお願いをしたものではありません。有田氏が持参なさり、「掲載 する写真はこれです」と出されたものです》

 写真の提供元の問題に加え、めぐみさんの両親にはもう一つ、強調したいことがあった。ウンギョンさんを日本に呼び、両親と再会 させようとする話が幾度となくささやかれる中で、優先的に求めているのが、まずめぐみさんら被害者を取り戻すことという点だ。

 めぐみさんの両親はウンギョンさんとは一度面会を果たしている。だが、めぐみさんとは39年にもわたって会えていないのだ。ま ず優先すべきはめぐみさんの帰国で、拉致問題さえ解決すれば、ウンギョンさんらとも自由に会うことができると考えているからだ。

週刊文春の記事、めぐみさん母「ちょっと趣旨が違う」

 写真が公開されてから約2週間後の6月22日、めぐみさん両親が東京都文京区で開かれた集会に出席した。会場では、写真公開を めぐる2人の手記が配られ、母の早紀江さん(80)が写真公開の経緯と真意を語った。

 集会で早紀江さんは「週刊文春」の記事に触れ、「その文章を読んでみますと、やっぱり『横田さんたちが決断をして写真を公開す る』というような形に読めるようなものでした」と振り返り、「こちら(横田家)から自分で動いたことでは全くないということを、 みなさんにそれだけはお知らせしておかないと誤解が生じるように思った」と語った。

 何度もささやかれるウンギョンさんとの再会についても、早紀江さんはこう説明した。「(平成26年3月にモンゴルで)会わせて いただいたことに感謝し、これで孫に関しては『本当に何も思い残すことはありません』といつもいっています。ただ有田さんなんか は『また会えるようになったほうが人道的ではないか』とよく話をされます。私たちは、拉致問題が解決すれば、孫もほかの方の孫も ひ孫も必ず向こう(北朝鮮)にいらっしゃるわけですから、みなが一緒に会えるのが本筋であって、私たちだけが『またどこかで会い ましょう』とか、『こうしましょう』ということは一切考えておりません」

その後、「拉致問題の解決がまず大事なことですと、そこまでちゃんとお話のときにいっているのですが、(週刊文春の)文章なんか を読むと、ちょっと何か趣旨がおかしいなと思って、心配だと思ったものですから、このようなきちんとした形で(手記を)出させて いただきました」と説明。最後には「私たちは拉致問題の解決、めぐみちゃんやほかの多くの被害者が祖国に帰る。そのときのために 、こうしてみなさんの支援をいただいて、きょうまで頑張ってくることができたのですから、そのことは絶対変わりはありません」と 訴えた。

写真の出所「北がある意図持って渡した」

 6月22日の集会で、写真公開をめぐる経緯や横田家の真意については明らかになったが、写真に関して出所など解明されていない 謎も残っている。

 拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡力会長は6月23日、東京都中野区で開かれた「横田早紀江さんを囲む祈り会」に出席。写 真の出所について、「写真は横田家から出ていないとすると北朝鮮しか持っていない。北朝鮮がある意図を持って写真を渡したとしか 思えない」と推測した。

 西岡会長のいう「北朝鮮の意図」とは何なのか。「横田さんたちがお孫さん(ウンギョンさん)との面会を求めているのだという世 論を作ろうとした」という見方を示した西岡会長は、「一番心配だったのは、(週刊文春の記事が)朝鮮語に翻訳されて金正恩(キム ・ジョンウン)氏のところに上がってしまうと、『これが横田家の本音なのか。日本の国民はこれでいいと思っているのか。じゃあ被 害者を返さなくても(日本から)お金を取れるかもしれない』と思ってしまうかもしれない」と危機感を示した。

 拉致問題をめぐる日朝関係について、「北朝鮮は日本との交渉を切る気はない」とみている西岡会長。そんな中、めぐみさん両親が 求めているのが、ウンギョンさんとの再会というメッセージが送られれば、「大変危険だと思った」という。

 日本が今北朝鮮に送るべきメッセージとして、西岡会長は「最優先でめぐみさんたちを取り戻す。政府にそれを求め続けなくてはい けない。日本の世論は、それなしには納得しないということをいわなくてはいけない」と強調した。
参照元:横田めぐみさんの父母&孫の面会写真が流出した裏に何があったのか? 狙いは日本世論の揺さぶりか
2016.7.2 09:00 産経ニュース
横田めぐみさん同級生語る、工作員も目を背けた拉致の実態
2015/11/11 週刊女性11月24日号

当時中学1年だった横田めぐみさん(51)が北朝鮮に拉致されてから、15日で38年になる。同級生らは毎年、「今年こそは」と救出を期 待してチャリティーコンサートを開いている。横田さんとクラスメートのバイオリニスト・吉田直矢さん(51)は、また会える日が来 ることを信じている。

「小学校の卒業アルバムのタイトルは『あら波』でした。当時の馬場校長が、卒業後は日本海の荒波のような人生が待ち受けているだ ろうが、それに負けず乗り越えていきなさいという意味を込めてつけたのですが、その後のめぐみさんの厳しい人生を暗示しているか のようで……」

 と振り返るのは、バイオリニストの吉田直矢さん(51)。「めぐみさん」と呼ぶのは、北朝鮮に拉致され、現在も消息不明の横田め ぐみさん(51)のこと。

 1977年11月15日、新潟市内で中学校からの帰宅途中に拉致されてから38年になる。市立新潟小、市立寄居中と同級生だった吉田さん は、「もうひとつ」と続ける。

「めぐみさんは歌がとても上手でした。小学校卒業の謝恩会では、コーラス部のソロでシューマンの『流浪の民』を2章節ほど歌ったん ですね。その歌詞がまた“慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり”ですから……」

 あの日、忽然と姿を消したクラスメートを襲った事件と重ね合わせてしまうという。

 めぐみさんとは特別親しい間柄だったわけではない。山形県出身の吉田さんは小学2年で新潟小に転入。めぐみさんは小学6年のとき 、広島から新潟へやって来た。

「小学校は別のクラスでしたが、中学校では同じクラス。でも、そのころボクはジョン・トラボルタや矢沢永吉に憧れる不良でしたか ら(笑い)。女の子と口をきくのは硬派のすることじゃないので、ほとんど話したことはなかった。めぐみさんは勉強ができる優等生 で、中学のバドミントン部では1年生ながら地域の強化選手に選ばれていました」

 通学路が一緒で、彼女がいつも友達2人と登下校する姿を見かけていた。吉田さんはバスケットボール部で、体育館の隣でバドミント ンの練習に励むめぐみさんを目にしていた。あの日も、めぐみさんは部活動を終えて下校した。

「彼女がいなくなったことは、翌日、担任の先生から聞きました。びっくりしましたね。クラスでは、誘拐説、家出説、交通事故説、 自殺説などが飛び交いました。誘拐なら身代金とか要求してくるはずだし、事故ならいずれ見つかるだろうし……。

 まさか拉致されたなんて、想像もしませんでしたよ。彼女の親友は“めぐみちゃんは明るくて強いから”と無事を信じていて、それ を信じるしかなかったですね」

 吉田さんは中学3年になると、音楽家を目指して東京へ転校。そのまま音楽関連の高校、大学へと進学した。パリに留学し、プロのバ イオリニストとしてデビューするなど多忙な時期を過ごした。

 一方、めぐみさんの消息をめぐっては、'97年ごろになって、ようやく北朝鮮による拉致が浮上してきた。

「工作員の話によれば、暗い船室に閉じ込められて、何十時間もかけて北朝鮮に渡ったという。13歳の少女がどんなに怖い思いをした か。船室の壁を爪で引っ掻いて、両手の爪はほとんど剥がれるほど血だらけで、嘔吐物にまみれ、拉致した工作員が目を背けたぐらい 酷かったようです」

と吉田さんは目をうるませる。小泉元首相の訪朝後、めぐみさんは自殺したという北朝鮮側の調査報告が出たり、写真が出てきたり、 ニセ遺骨が返還されたりしたが─。

「写真は撮影場所など偽装工作はあるようですが、めぐみさん本人だと思った。遺骨はもう論外ですよ。実子とされるキム・ウンギョ ンさんは彼女と似ています。ただ、娘さんや元旦那さんが“自殺した”と証言していますが、それは言わされていると思う。彼女はい までも生きている。

 もちろんボクらの願いでもありますが、死んだという決定的な証拠は出ていませんから」

 と吉田さんは強調した。

 そんな彼は、めぐみさんのご両親と食事をすることがある。

「節々でつらさが垣間見えます。クリスマスがとてもつらいらしい。“めぐみが笑顔で楽しかったクリスマスを思い出す”って。娘さ んがいなくなって、人生の半分を費やしておられる。生きているのか死んでいるのかわからないまま、生き地獄ですよ。おふたりが元 気なうちに、なんとかめぐみさんと会わせたい!」

 と目を赤くして訴えた。親子の再会がかなったら、同級生として考えていることがある。

「38年の歳月は重い。日本で暮らしてゆく困難が現実にはあると思うんです。だから、同級生のボクたちとカラオケでも行って、得意 な歌を聴かせてほしい。ゆっくりと少しずつ、慣れていけばいい。失われた青春を少しでも取り戻してもらえたらいい」

<フリーライター・ 山嵜信明>

*本記事は『週刊女性』11月24日号の内容に加筆修正したものになります
参照元:横田めぐみさん同級生語る、工作員も目を背けた拉致の実態
2015/11/11 週刊女性11月24日号
中国情報機関関係者 横田めぐみさん帰国できない事情を語る
2014.08.23 07:00 NEWSポストセブン

わずか13歳での失踪。その後、北朝鮮の関与が濃厚になる。そして、2002年小泉訪朝でもたらされた死亡情報……北朝鮮の非道への怒 りは、横田滋(81)・早紀江(78)夫妻の切なる思いと相まって、負債の長女・めぐみさんを拉致問題の象徴へと押し立てた。

 このたびの拉致再調査でも、めぐみさんの消息が明らかにされなければ真の解決は望めない。北朝鮮が死亡を発表して以後のめぐみ さん情報について、独自資料から辿った。

 時は1994年4月頃。北朝鮮が、めぐみさんは病に伏して入院し自殺した、と発表した時期と重なる。だが、それが嘘だったことは既に 判明している。

 帰国した拉致被害者の地村保志・富貴恵夫妻は、日本当局に「1994年6月に自分たちの隣に引っ越してきた」と証言したからだ。「精 神的に不安定な状態だった。北朝鮮の党対外情報調査部幹部が看病していた」という。数か月そこに暮らし、また姿を消した。

   一方、独自に入手した中国情報機関によるリポートでは、「1994年自殺」を否定した上で、〈政治的な理由から会寧22号管理所へ〉 と記される。同管理所は同国最大の政治犯収容所だ。安否が憂慮されるが、中国情報機関はその後の動向については掴めていない。

   ただし、今年5月、橋本龍太郎内閣時代(1996~1998年)に官邸中枢にいた、ある政治家が親しい番記者を前に、こんな衝撃発言をし ている。

「俺が首相官邸にいたとき、国内にCIAのエージェントがいたんだけど、そういうルートを通じて、めぐみさんが北朝鮮国内のどこかの 二階に住んでいるという情報があった。その後、森(喜朗)総理が日本人妻の一時帰国事業で、めぐみさんを偽名にして他の日本人妻 と一緒に帰国させる話までやっていたが、それから計画は途絶えた」

 これはオフレコ時の発言であり、政治的影響を図ったものではない。さらに。

「めぐみさんについては、中国の複数の情報機関筋で、生存が確認されています」

 そう話すのは前出のリポート入手先とは別の、中国情報機関関係者である。一時、対日関係改善に動き始めた胡錦濤政権が、外交カ ードの一つとして拉致問題解決への協力に動き出した。その際、めぐみさん生存情報を中国当局は入手した。だが、この関係者は、「 何らかの事情」で、めぐみさんは帰国できないと言う。

「権力中枢とも近く金ロイヤルファミリーの内部を知りすぎてしまった、病気を患っており精神状態が不安定、などと様々な説がある 。めぐみさんの生存情報については、日本政府の一部にも同様の情報を伝えているはずです」

 ただし、こうした情報が日本政府から発せられることはまずない。世論への影響が大きい拉致問題の担当者には、厳しい箝口令が敷 かれている。特に、めぐみさんに関する情報は極秘事項だ。大手マスコミも慎重にならざるをえない。

 だが、蓮池薫氏の兄、透氏はこう言う。

「被害者家族の感情に配慮するあまり被害者を語る際に一種のタブーができてしまっているのは事実。生存情報はもちろん、『もし死 んでたらどうするのか』といった想定さえも許されなくなっていることが、状況の膠着を招いてしまっているのではないか」

 こうして日本のマスコミがめぐみさんの生死情報をタブー化し、報じていない状況を北朝鮮側は最大限利用している。大手紙外信部 記者の話。

「今年3月、(めぐみさんの長女である)ウンギョンさんと横田夫妻を面会させ、拉致交渉の地ならしをしたのには、北のしたたかさを 感じました。日本政府は横田夫妻の年齢的限界を考慮したとはいえ、夫妻と『(めぐみさんの)遺骨は本物』と主張してきたウンギョ ンさんを会わすことは、『もう、めぐみさんのことは掘り返すな』という北のメッセージを半ば受け入れてしまった形になりかねない のです」

 拉致交渉は本格化したばかりだ。日本のマスコミはめぐみさんの情報をタブー視することなく伝えていく必要がある。北朝鮮に一切 のごまかしを許さぬ姿勢こそが拉致問題解決をもたらすはずだ。

※SAPIO2014年9月号
参照元:中国情報機関関係者 横田めぐみさん帰国できない事情を語る
2014.08.23 07:00 NEWSポストセブン

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