ジョニー・デップ

氏名ジョニー・デップ
ローマ字Johnny Depp
生年月日1963年6月9日
出生時間08:44
出生場所アメリカ合衆国 ケンタッキー州オーエンズボロ(Owensboro, Kentucky, 37n46, 87w07)
Rodden Rating
ナクシャトラ(Asc)アーシュレーシャ
ナクシャトラ(Mo)プールヴァアシャダー
職業俳優、ミュージシャン
所属
業績
その他ケンタッキー州オーエンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。

4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。

フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族の血を引く。クリーク族の血を引いているとも言われている。

家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住。

1978年に両親が離婚。子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。

12歳で酒を飲み始め、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。

しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意。

16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。

幼少期からの経験により、特に初期の映画作品にはドラッグをテーマに扱ったり少し変わった性格の変人を演じることが多かった。


アメリカのサインコレクター雑誌『オートグラフ・マガジン』が発表した「ファンにサインする際に態度が丁寧な映画俳優」で3年連続1位に輝いている。同誌は「穏やかで気さくにサインをしつつ、ファンに話し掛けて親しくなろうとする」「プレミア会場でもレストランでも、映画のロケ中でもほとんど、最高に気前良くサインしてくれる人物」と評価している。
データソースwikipedia, astrodatabank


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JohnnyDepp_chart
西暦年月出来事ヴィムショッタリチャラヨーギニトランジット
1963年6月9日ケンタッキー州オーエンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。
家庭の事情で頻繁に転居を繰り返す。
1970年7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住する。
1975年12歳で酒を飲み始める。
1977年14歳の頃からドラッグに手を染める。
1978年両親が離婚する。
子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。
親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意。
1979年16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
1983年25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。
1984年結婚した時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後ニコラス・ケイジのすすめで、付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後ニコラス・ケイジの紹介で『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。
製作側の説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
1985年ロリ・アン・アリソンと離婚する。
1990年『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。
1994年ニューヨーク市内のホテルで暴れ、備品を破壊して逮捕される。
1995年近年では、オアシスやローリング・ストーンズのレコーディングにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。ストーンズのキース・リチャーズは、「ジョニーは、自分で思ってるよりギターが上手くて、俺はたぶんジョニーが思ってるよりギターが下手だと思う」と語っている。
1997年俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。
1998年映画『ナインスゲート』で知り合ったフランスの歌手兼女優のヴァネッサ・パラディとパートナー関係(婚姻はしていないが事実婚)となっていた。
1999年ヴァネッサ・パラディとロンドンで食事をしている時に、レストランまで追いかけてきたパパラッチと喧嘩をして逮捕された。
1999年1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
1999年5月27日長女リリー=ローズ・メロディ・デップ誕生。
2002年4月9日長男(ジョン・クリストファー・デップ三世(John Christopher "Jack" Depp Ⅲ))が誕生。

アメリカと南フランスの両方で生活をしていた。
2003年ディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した。同年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
2004年『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。その後も基本的には性格俳優であり、パイレーツ・シリーズでファンとなった観客を驚かせるような企画、役柄にも取り組み続けている。
2007年『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。
2008年子供思いでも知られるデップは2008年に娘のリリー・ローズが腎臓病で入院したロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院をひそかに訪れ、「娘の命を救ってくれたお礼」として100万ポンド(日本円で約2億900万円)を寄付した。さらに娘が助かったことに感激して2007年11月には同病院を映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウの衣装を着て、患者の子供達におとぎ話を聞かせるサプライズも起こしている。
2008年6月経済誌『フォーブス』が発表した2007年6月から2008年6月までの1年間の中で映画出演を含めたあらゆる仕事でハリウッドにおいて最も稼いだスターを発表したランキングでデップは72億円を稼ぎ、ランクインしている。
2009年『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。

経済誌『フォーブス』の2009年度に発表されたランキングでも約27億円を稼ぎ、俳優部門で第10位にランクインしている。
2009年11月BANG Media Internationalによると、パイレーツ・オブ・カリビアン第4弾『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』に2100万ポンド(日本円で約31億円)のギャラで出演することを決めた。この高額なギャラをディズニーが支払えるのは3作目まで出演していたオーランド・ブルームやキーラ・ナイトレイなどが4作目には出演しないと明言しているため、その分のギャラが浮いたためではないかといわれている。
2009年11月WENNによると、映画でブレイクするきっかけを作ってくれたニコラス・ケイジが財政難で苦しんでいるのを知り、協力を惜しまない意向を示している。

デップは過去に太っ腹なチップを残すセレブとして話題になっており、シカゴのレストランで映画『パブリック・エネミーズ』のレッドカーペット・イベントを祝って監督やキャストと食事をしていて、大人数での食事だったこともあるが4000ドル(日本円で約32万8,000円)という高額なチップを払っている。当時のレストランのウェイターは「デップは15人のグループで食事をしに来た。チップは12人で均等に分けた。これまでウェイターを務めたセレブの中でデップが一番」と語っている。
2010年イギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加し、PV撮影の監督も行い、更には自らのレコードレーベル“UNISON MUSIC”を設立し、新人発掘を行っている。
2010年2月米『バニティー・フェア』誌が2010年に「最も稼いだ映画関係者トップ40」を発表し、デップは1億ドル(日本円で約80億円)を稼ぎ、2位にランクインした。内訳は世界中で大ヒットを記録した映画『アリス・イン・ワンダーランド』の出演料が4,000万ドル(日本円で約32億円)、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の前払い金が3,500万ドル(日本円で約28億円)、アンジェリーナ・ジョリーと共演した映画『ツーリスト』が2,000万ドル(日本円で約16億円)、残りが過去作からの収入となっている。

ハリウッドのきらびやかなライフスタイルから離れ、フランスで恋人のヴァネッサ・パラディと子どもたちと住んでいるデップだが、カリブに島を買ったのは衝動買いだったという。デップは「僕の人生のすべてのことと同じで計画はしていなかった。なんとなく起こったこと。恋人と子どもたちと一緒にバケーションに行って、島が売りに出されてるって聞いたんだ。この島なら誰かにジロジロ見られず、カメラを向けられたり、指をさされたりすることもない。ありのままの自分でいられる場所だと思った」とコメントしている。
2010年9月『フォーブス』誌が2009年からの1年間で「最も高額なギャラを獲得したハリウッドの俳優」のランキングを発表し、5,000万ドル(約42億5,000万円)以上を稼いで1位にランクインした。
2010年10月メール・オンラインによると、ロンドン郊外グリニッジにある小学校に通うベアトリス・デラプちゃんが小学校の近くで撮影をしているジャック船長宛てに「わたしたちは海賊見習いです。先生たちに反乱を起こすつもりなので助けに来てください!」と応援をお願いする手紙を書いたところ、手紙をもらったデップはジャック船長の姿で海賊たちを引き連れてベアトリスちゃんの小学校にサプライズで訪問し、ベアトリスちゃんの手紙を取り出して「これを書いたベアトリス、出ておいで」と声を掛け、「今日は反乱を起こすべきじゃないな、警察がおれを見張っているんだ」と反乱中止を伝えたという。

英大衆紙『The Sun』によると、デップはポケットマネーで防寒用のジャケットを500着購入し、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』のスタッフにプレゼントしたという。
2010年11月デイリー・スター紙によるとデップが『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の撮影時に控え室として当初、用意されていたトレーラーに不満を示したところ100万ポンド(日本円で約1億3,170万円)の予算でインテリアデザイナーを雇っていいとの許しを得て、高価なアンティークや手編みのじゅうたん、モロッコ風のランプ、クッション、鏡、モザイクタイルなどが運び込まれ、モロッコテイストの豪華な楽屋に大改造したという。
2010年12月英ザ・サン紙によると、撮影を終えてフランスに帰ると俗世間から自分を切り離し、家族との時間を邪魔されないように自宅では一切電話を使わないという。
2010年代主演作の興行成績が低迷し、アメリカでの人気凋落が囁かれている。
2011年妹のクリスティ・デンブロウスキーと共同で映画製作会社「インフィニタム・ニヒル (en:Infinitum Nihil)」を設立。『ラム・ダイアリー』が同社製作のデビュー作となった。
2011年5月BANG Media Internationalによると、過去にハット・パーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことがあるほどの帽子好きだが、その数は桁違いでパリに所有するアパートの二部屋を占領しているという。しかし、数が多すぎるためにパートナーのヴァネッサ・パラディから増えすぎた帽子を処分するように言われている。関係者は、デップはどの帽子も気に入っているから他の家に移すのではないかと語っている。
2011年8月『フォーブス』誌が2010年の5月1日から2011年5月1日までの1年間で「最も稼いだハリウッド俳優」のランキングを発表し、推定5,000万ドル(日本円で約40億円)を稼いで2位にランクインした。
2012年6月ヴァネッサ・パラディと破局したと代理人が明らかにした。2012年より、『ラム・ダイアリー』で共演したアンバー・ハードと交際が噂される。
2012年10月大手出版社ハーパーコリンズと共に出版レーベル「インフィニタム・ニヒル」(デップの映画製作会社と同名)を設立し、最初に出版物としてボブ・ディランの評論「The Unraveled Tales of Bob Dylan」(ダグラス・ブリンクリー著)をリリース。一方で、俳優が知名度を利用して音楽活動をする行為は嫌悪しており、本格的な音楽活動をすることはないと語っている。
2014年失言も原因で「最も影響力のない人物30人」に選ばれた事がある。
2014年1月17日アンバー・ハードと婚約する。
2015年2月3日ロサンゼルスの自宅にて挙式をする。
2015年「チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密」がアメリカで大コケし、失踪騒動を起こした事がある。また、同年には相次ぐ映画の大コケでコスパの悪い俳優部門で一位に選ばれたことがある。
2015年9月11日アリス・クーパー、ジョー・ペリーと共にロックグループ "ハリウッド・ヴァンパイアーズ" を結成。9月11日、同名のスタジオアルバムをリリースした。
2016年『アリス・イン・ワンダーランド』の続編が日米共に動員、興収が前作より大幅にダウンし、この映画の大コケが原因で二年連続で「コスパの悪い俳優部門」で第一位に選ばれた。

Forbesによる2016年の「最も稼ぐ男優」では48億円を稼ぎ、5位にランクインしている(『パイレーツ・オブ・カリビアン5』と『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』の前払い報酬によるもの)。
2016年5月アンバーにより離婚申請がされたことが明らかとなる。ジョニーによるDVがあったと訴え、裁判所に証拠写真を提出した。
8月12日TMZ誌にジョニー・デップがアンバーを怒鳴りつける動画が流出。DVの証拠としてアンバーが撮影したものと思われるが、アンバーは動画流出に「関わってない」と主張。
8月15日ビリー・ボブ・ソーントンとアンバーの仲を疑ったジョニーが自身の指先を切り落とし、その指先に塗料を付け、鏡に「ビリー・ボブ」「尻軽アンバー」と記す画像が流出。
8月16日共同声明が発表され、離婚の成立とアンバーが受け取る金銭を慈善団体へ寄付されることが発表される。離婚の理由の中にアンバーがジョニーから身体的なDVを受けていたとあったが、共同声明では「相手を身体的、精神的に傷つける意図は一度もなかった」となっている。
wikipediaより引用抜粋

(参考資料)

J・デップ、浪費で破産寸前 資産管理会社がローン未払いで提訴
2017年02月01日 14:27 発信地:ロサンゼルス/米国

【2月1日 AFP】米俳優のジョニー・デップ(Johnny Depp)さん(53)が、激しい浪費によって破産寸前に追い込まれていることが分かった。デップさんの資産管理を担っていた企業が先月31日、不払いになっているローンの返済を求めてデップさんを提訴したことで明らかになった。

 デップさんを提訴したザ・マネジメント・グループ(TMG)が米ロサンゼルス(Los Angeles)の裁判所に提出した訴状によると、デップさんは20年ほどにわたり毎月200万ドル(約2億3000万円)を支出。フランスの城やバハマ諸島の島を含む不動産14件に計7500万ドル(約85億円)を費やしたという。

 デップさんはまた、2000年以降に1800万ドル(約20億円)のヨットや高級車45台を購入。毎月のワイン代は70万ドル(約7900万円)に上り、自家用機も所有、40人ものスタッフを抱えている。さらにアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)やグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)などの巨匠の作品200点以上のほか、ギター70本、ハリウッド(Hollywood)関連品多数も収集している。

 デップさんは先月13日、自身の許可なく金融取引を行い、資産状況の悪化を隠し、資産管理を誤ったとして、TMGを相手取り2500万ドル(約28億円)の支払いを求める訴訟を起こしていた。

 一方、昨年契約を解除されたTMGは、同社が420万ドル(約4億7000万円)の負債を抱えており、デップさんが所有する不動産の差し押さえを余儀なくされたと主張している。(c)AFP
参照元:J・デップ、浪費で破産寸前 資産管理会社がローン未払いで提訴
2017年02月01日 14:27 発信地:ロサンゼルス/米国

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