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世俗の王と占星術師

先日、書店の新書コーナーを探索していると、一冊の本が目に付いた。


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『運が99%戦略は1% インド人の超発想法』 (講談社+α新書)というタイトルで、パラパラとめくってみると、非常に読みやすく、また最近のインド事情を知るのには大変良さそうな本であった。


著者の山田真美氏はインドから伝わった七福神の弁才天(サラスヴァティー)が日本にどのように根付いているか、その辺りの事情について、インド工科大学(IIT)で比較文化論的に紹介する講座を受けもったそうである。



インドというと、精神世界に興味がある人は、パラマハンサ・ヨガナンダ、シュリ・ユクテスワ、ババジ、サイババ、アマチなど、聖者の教えや、またヨガや瞑想、アーユルヴェーダ、ジョーティッシュなどから入っていくのだが、この著者の山田真美氏は、それ程、精神世界の探究や修行に興味がある訳ではなく、学者の立場からインドを研究されている方のようである。


従って、その観点は世俗的な視点であり、常識的で、一般の人が読んでインドの文化、インド事情を知るには良い本であると思った。


例えば、マサチューセッツ工科大学などよりも入るのが難しいと聞いていたインド工科大学(IIT)がどのような大学であるかを知るのに大変、参考になった。


そして、山田真美氏は最後にジョーティッシュについての体験を記述している箇所があり、それが大変、興味深い内容である。


実際、ご本人はジョーティッシュの技術的な詳細については全くご存じでないようである。


但し、体験自体はユニークな体験であり、非常に参考となる。


ある種、著書の最後をジョーティッシュについての驚くべき体験の紹介とその考察で締めくくられている辺りで、最大限、ジョーティッシュについて賛辞を送って頂けたと考えている。


今後、ますます、インドの文化的、経済的発展と、ジョーティッシュなどのインドの秘教科学が重要になってくることを示して、著書は終わっているのである。


以下のその一部を引用抜粋する。




おわりに

インドという国は、何かと想定外の出来事が起こる場所だ。いくら日本人が持ち前の用意周到さでプランを練り上げていったところで、先方の都合ですべてが水泡に帰すことも珍しくないし、トップの交代によって一夜にして方針が180度変わってしまうこともある。

そんなときにいちいち「どうしてくれるんだ」と騒いだところで事態は好転しない。インドでは想定外が当たり前。最初からナンデモアリの国なのだ。

だからインドで成功したいと願うのなら、まずは自分自身のなかに巣食っているこれまでの「常識」とやらを脱ぎ捨て、「想定」の範囲をぐっと広げてみる必要がある。

最後に1つ、インドのナンデモアリぶりを象徴するような出来事をご紹介して本書を締めくくりたい。

1984年に中曽根康弘首相(当時)がインドを公式訪問された折、インディラ・ガンディー首相との会談をドタキャン(正確には延期)されるという事件があったことをご存じだろうか。

中曽根首相のインド訪問は、日本の首相による訪印としては実に23年ぶりであった(その前は1961年の池田勇人首相)。大勢の担当者が長期間にわたって入念に準備をし、完璧なスケジュールを組んで臨んだことは想像に難くない。

ところが、中曽根首相の一行がインドに到着し、いよいよ首脳会談という直前になって、インド側からいきなり延期が告げられたという。いってみれば究極のドタキャン劇である。

この件に関してはインド関係者のあいだでも知る人は少なく、また、本件について書かれた文章もほとんど見かけたことがない(日本の外交官が書いた短い文章を一度だけ目にしたことがある)。では、外交官でもない私がなぜそのことを知っているかといえば、当時の関係者からそっと教えてもらったからだ。

その人によれば、インド側から会談延期の旨が伝えられた際、詳しい理由は明らかにされず、ただ「ガンディー首相の都合が悪くなった」という短い説明があっただけだという。

一体なぜ、首相会談はドタキャンされたのか。ガンディー首相の急病か、それとも国家を揺るがすような事件が起こったのか。真相は杳として知れなかった。


事件の直後に、関係者(日本人)のひとりがみずからの人脈を使って事情を調べている。その結果わかったことは、ガンディー首相に「急用」はなく、その日は一日部屋にこもり、読書などしながら静かに過ごしていたらしいということであった。

さらに調べてゆくと、まったく想像もしていなかった報告が寄せられた。

ガンディー首相に会見を延期するよう勧めたのは、なんとパンディット・パルサイという名の「占い師」だった。

パルサイ氏の「その日、その時間帯は、まことに験が悪い。日延べをしなさい」という言葉に従って、ガンディー首相は会談をドタキャンしたというのだ。

インドで「パンディット」といえば、ヒンドゥー教の経典や伝統的学問に通じた最高位のバラモン(ヒンドゥー教の僧侶階級)に付与する称号だ。

ここで名前があがったパルサイ氏は、フルネームをK・B・パルサイといい、16世紀から続く占星術師の家を継ぐ者である。

高僧であると同時に、2つの修士号を持つ学者であり、父の後を継ぐ前は内閣官房室長を務めたという実にユニークなキャリアの持ち主だ。

しかし、いくら有能な人物とはいえ、首相会談をドタキャンさせるほどの力が一介の占星術師にあるのだろうか。実は、これには後日談がある。

事件から13年後の1997年、ニューデリーの某所で、私はパルサイ氏にバッタリ出会ったのだ。


例のドタキャン劇に深い関心を持っていた私は、初対面の氏を捕まえ、思わず単刀直入に問い質していた。


「中曽根首相との会談をキャンセルするようインディラ・ガンディー首相に進言したのは、本当にあなたなのですか?」と。


これに対してパルサイ氏は、「うっふっふ」と含み笑いをしたきり言葉を濁してしまったが、何を気に入ってくれたのか、その後何度も私をご自宅へ招待してくださった。

氏は、ガンディー首相との思い出をいろいろと聞かせてくれた。そのなかに次のような印象的なエピソードがある。


占い師(正確には占星術師)としてのパルサイ氏は、生年月日と時刻から、その人の体にある黒子の位置を占うのが得意だったようだ。

インディラと初めて会ったとき、彼女に向かって「あなたの体の、ここと、ここと、ここに黒子があるでしょう」と、サリーの下に隠れている黒子の位置をいきなり占ってみせた。

三つとも、図星だった。以来、彼女はパルサイ氏の進言(占い)に絶大な信頼を置くようになり、さまざまな相談をするようになっていったのだという。


父であるネルー元首相が逝去した折には、インディラのたっての希望で氏が遺体の傍らに寄り添い、18時間ノンストップでギータ(宗教哲学詩)を唱える導師を務めたという。単なる占い師どころか、まさに政治の中枢部まで深く入り込んでいたといってよいだろう。

みなさんはこれをどう思われるだろう。「占い師のご託宣に政治まで任せるなんて」と驚かれただろうか。


「さすがにこれは20世紀までの出来事で、IT時代の今はこんなことは行われていないでしょう」と思われただろうか。


いや、むしろ本書をここまで読んでくださった方なら、はたと膝を打ち、「なるほど。インドなら、それは十分にあり得る」と思ってくださったのではないだろうか。


実は、私もそう思う。この出来事は、ある意味とんでもなくインド的であり、インドではむしろ「想定内」の出来事だといってよい。


インドでは今も相当数の人々が大なり小なり占い師に頼っているし、勝負と時の運の世界である政界では、特にその傾向が強くなっても不思議はないだろう。


たとえば、ナレンドラ・モディ首相が占星術や手相占いのアドバイスを受けているといったニュースは、2016年の今日もインドのマスコミを賑わしているし、それどころか「モディ首相は私のところへ運勢を見てもらいにきた」などとマスコミを通じて公言している占星術師もいる。

私はこれまでに二度、モディ首相とお目にかかったことがあるが、残念ながら占星術の話をさせていただくチャンスはなかった。


いつか機会があれば、この件についてぜひとも首相の見解を聞かせていただければと願っている。

いずれにしても、「IT時代だから占いのような古い価値観は廃れただろう」とか、「一般庶民はそうでも首相は違うだろう」といった先入観は、この際捨てたほうがよい。なにしろインドというところは両極端な国なのだから。


科学の最先端を研究している科学者が、週末にガンジス河で沐浴することもある。

私の友人の科学者は、その心裡をいみじくもこう表現してくれた。


「ガンジス河は、科学者としての私にとっては工場廃液や生活水で汚染された河。しかしヒンドゥー教徒の私にとっては最高に聖なる河。そのどちらも真実であり、どちらも同じように大切なことなんです」と。

この振幅の大きさ。これこそがインドなのだ。占いも最新科学も同時に混在している「ナンデモアリ」の状況。それがインドだ。


そうしたインド人の心を正しく理解し、みずからもそれを楽しむことができる人こそが、結局はインドで成功できる人なのかもしれない。


(『運が99%戦略は1%インド人の超発想法』より引用抜粋)



つまり、1984年にインディラガンディーが中曽根康弘首相との会談をパルサイ氏という占星術師の助言に従って、土壇場でキャンセルしたという、


大変興味深いエピソードを紹介している。



但し、これはサイババや南インドの聖者を信奉して来た精神世界に興味がある人々にとってはそのようなことは当然起こり得る話である。


インドはそのような国柄なのである。


例えば、サイババの元をインドの首相が訪問したり、またビル・クリントンが40台ぐらいの護衛を引き連れて、サイババの元を訪れたといったような非公式な話はいくらでもある。


子供が誕生したら占星術師の元に見せにいったり、結婚する時にホロスコープを調べてみたりといったことを普通に行う文化である。



またインドに限らず、フランクリン・ルーズベルト大統領に招かれて助言をした米国のジーン・ディクソンとか、ナンシー・レーガン夫人が、ジョアン・クイグリーという占星術師にレーガン大統領の政治日程や政策の決定への助言を求めていたことなど、国家指導者レベルの人物が、占星術師のアドバイスを求めるという様々な逸話がある。



また占星術師というのはカウンセラーやアドバイザーであり、つまりは何らかの教えを説く宗教人に近い存在である。


ゾロアスター教(拝火教)の宗祖であるゾロアスターは占星術師であったという話である。



(略)ラッファエッロが教皇ユリウス二世から”署名の間”を飾るフレスコ画の依頼を受けたとき、彼は「因果の認識」の擬人像の下に大作≪アテナイの学堂≫(1511年)を描いたが、プラトンとアリストテレスを中心とする古代の哲学者の群像の中にゾロアスターの姿をしのびこませた。右手に天球儀を持つゾロアスターは、ここでは明らかに「占星術師」として登場させられている。占星術師ゾロアスターというイメージは、ギリシア人たちがゾロアスター教と接してからずっと持ち続けてきた、西方的イメージなのである。(略)

(略)そしてゾロアスターは魔術を行なうとき「大いに貴ばれている石アストリオテス(星の石)を使った」(XXXⅦ・49)と伝えている。またゾロアスターは医師・魔術者として、「てんかんの薬」にダプネア(月桂樹石)を処方し、占星術者としてムギの種を播く最良の時を、「太陽が天蝎宮の12度を過ぎ、月が金牛宮にある時」と占ったという。(略)

(『宗祖ゾロアスター』前田耕作著 ちくま学芸文庫 より引用抜粋)


また私は以前、ジャイナ教に詳しい方に聞いた話では、仏教の宗祖である仏陀(ゴータマ王子)、ジャイナ教の宗祖であるマハーヴィーラの他に元々マハーヴィーラの元で修業をし、後にアージーヴィカ教団を主導したマッカリ・ゴーサーラという人物がいるという。


この人物は、万物はその細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められているとする完全な宿命論の持ち主で、努力しても無駄であり、一切は決まっているとし、最終的にはどの魂も輪廻を繰り返して悟りに至ると唱えていたという。

完全な運命論を説くため、仏陀やマハヴィーラはこの宿命論を批判したそうである。


この方の話では、マッカリ・ゴーサーラも占星術の実践者ではなかったかということである。


確かにウィキペディアによれば、以下の記述があり、アージーヴィカ教団の出家者は宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。



(略)「アージーヴィカ」の原義は「命ある(jIIvika)限り(aa)」であるともいわれる。 すなわち、「命ある限り誓いを守る」ということであり、出家者には苦行と放浪が義務づけられ、その多くは宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。(略)

(wikipedia マッカリ・ゴーサーラより引用抜粋)


また日本の宗教団体でも占星学に限らず、運命学を実践している教団が多いようである。

大抵は、手相やホロスコープや命式などを見て、今、あなたの運命は悪い時期だから、教団に入信してと徳行を実践した方がいいといった勧誘に使用されることが多い。


私も駅前で声を掛けられて、手相をみてくれて『神秘十字』があるなどと言われたことがあるが、事務所が近くにあるから話を聞きませんかといった話になるのである。

実際に行ってみた知人の話によれば、更に2日間ぐらいの研修に誘われたそうである。



占星術師というのはカウンセラーやアドバイザーであり、助言者であり、教師である。

従って、過去の宗祖の中にも運命学をたしなむ人が多いことが分かる。



そして、政治家や国家指導者は、世俗の王であるが、時に様々な決定や判断に迷う際にこうした占星術師に助言を求めるということもある訳である。


三国志で、蜀の劉備玄徳に仕えた諸葛亮孔明なども占星学を駆使したようである。


従って、占星術師は軍師であると言ってもよい。


世俗の王のように完全に表舞台には立たないが、世俗の王の隣に控えていて、決定的な助言を行う存在である。


霊的な観点からは、世俗の王よりも上位にあって、世俗の王を導く存在であるとも言える。




占星術が当たることを一度でも体験したものにとっては、どのようなことを考える際にも占星術で惑星の配置を考慮することが日常茶飯事になってくるのである。


例えば、私はヴィムショッタリダシャーが当たることが分かり始めてから、毎日のプラーナダシャー(第5レベルのダシャー)をチェックするようになって、


またその日のトランジットの月の位置までもチェックするようになったのである。


その年の1年間とか数か月のトランジットを見るのは当然だが、毎日の月のトランジットの位置や、プラーナダシャーの惑星も気にするようになるのである。


例えば、講座を行う日時や、鑑定をする日時なども自分が悪い状態の時は避けたいものである。


月が6室や8室、12室などのドゥシュタナハウスに在住している時、また面会する相手のホロスコープにおいて、月がそのような配置にある日はどうしても避けたくなる。

また当日のプラーナダシャーが自分にとってなんであるかを確認し、ある程度、その日の体験がどんな体験になるかをチェックする習慣がついている。


だから政治日程を占星術で決めていたというレーガン大統領やナンシー・レーガン大統領夫人の気持ちも分かるのである。



但し、だんだん面倒になってくるとチェックしないことも多くなるが、例えば、イベントを行う日とか、旅行に行ったり、大事な日取りの選定には、


必ず、ホロスコープを見て、惑星の位置をチェックしてしまう。


それは、占星術師としての習慣である。



であるから『運が99%戦略は1%インド人の超発想法』の著者である山田真美氏は、こうした占星術師たちの文化や日常の感覚についてそれ程、深くはご存知でない方なのだと思ったのである。


そのため、一般の人々の目線で、インドはインディラガンディーが、中曽根康弘との会談を占星術師の助言に従って、しかも会談の直前でキャンセルまでするような何が起こるか分からない国であるという驚きを伝えてくれている。


それは一般人の感覚としてはおそらくそのような感覚なのだと思われる。


従って、本書は、まだそうした精神世界、運命学の世界を覗いたことのない一般人向けに書かれた本であるように感じた。


普通の皮膚感覚で、ITや最近の経済の発展によりインドに興味を持ちつつある人や、インドの大学事情やビジネス状況、そして、インド文化、インドの習俗などに興味がある人が読むインドの入門書としては非常に参考となる良書であると思うのである。

インドに長く関わって来て様々な体験と研究を重ねてきた方にしか分からない貴重な情報が詰まった本である。















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スティーブン・グリア博士の『UFOテクノロジー隠蔽工作』について

我々の地球に宇宙人が訪れており、我々地球人よりも遥かに科学技術が進んだ文明をもち、また精神的にも進歩している。

そのような宇宙人が地球人類を助けるために地球を訪れているという事実は、まさに公然の事実になりつつある。

学生時代、そうした太陽系内の金星人や木星人とコンタクトしたジョージ・アダムスキーの全集(久保田八郎訳)が書店の精神世界コーナーで手に入り、私も学生時代に夢中になって読んだ。

後にジョーティッシュをするようになってから、占星コラムでアダムスキーの出生図について検証もしてみたが、私はアダムスキーの情報が真実であると考えている。

ジョージ・アダムスキーは、第一級のUFOコンタクティーであり、宇宙人が地球に訪れる目的やUFO(宇宙船)のテクノロジーを明らかにし、また宇宙人が実践する宇宙哲学についても紹介した類まれな教師である。

然し、その後、世代が変わり、現在、UFO問題の最前線で真実を明らかにするための活動に取り組んでいるのが、スティーブン・グリア博士である。

スティーブン・グリア博士が書いた『UFOテクノロジー隠蔽工作』は、UFO問題の真実を余すところなく明らかにしている驚愕の書である。

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原題は、『隠れた真実―禁じられた知識』である。

邦題の『UFOテクノロジー隠蔽工作』というタイトルは、何かUFOのテクノロジーに関する米国政府の隠蔽工作についてのみ扱った本のような誤解を招くが、この著者のスティーブン・グリア博士は、神秘家であり、秘教学徒であり、UFOに乗船している宇宙人(宇宙の兄弟)に働きかけて、コンタクトできる(第五種接近遭遇)のは、彼のこうした神秘家、秘教学徒としての能力に依存している。

スティーブン・グリア博士はTM瞑想の実践者であり、瞑想教師としての資格もあり、宇宙と一体化した体験、真我との合一体験もあり、生命が永遠であることを理解し、暗殺される恐怖を克服している。

自らの体験談として、UFOが、目に見えない状態から物質界に遷移して、見えるようになる過程についても克明に報告している。

実際、UFOは、エーテル物質で出来ており、彼らが波動を下げなければ地球人には見ることが出来ない。

その辺りの事情についても彼は、秘教学徒であるから、熟知しているのである。

また一流の諜報能力を持っており、CIAとも度々接触している。

インテリジェンスソサイエティ―のことがよく分かるようであり、CIAの動きが彼には一目瞭然に分かるようである。

おそらく、ナクシャトラで言う所のバラニー、プールヴァパールグニー、プールヴァアシャダーなどに惑星が在住しているのではないかと考えらえる。

本書を全て紹介する訳にはいかないため、アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士のまえがきと、訳者である前田 樹子氏のあとがきを参考資料として引用する。

前田 樹子氏は、グルジェフやウスペンスキーの翻訳を手掛けている方で、秘教研究家である。

従って、本書の翻訳に携わったものと考えられる。

この『UFOテクノロジー隠蔽工作』とは、秘教の本である。

UFOに関する情報開示の最前線で、米国政府のUFO問題の隠蔽工作と格闘する一人の神秘家、秘教学徒の活動の記録である。

アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士は、『本書はあなたが読むであろう本の中でも、もっとも重要なものとなるだろう』と述べている。

まさにその言葉が示すような世界の真実が分かる本である。

(参考資料)

(以下、『UFOテクノロジー隠蔽工作』の「まえがき」から引用抜粋)

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まえがき

不本意ながらUFO調査は、二十一世紀の科学へとわれわれを導いている。

-J・アレン・ハイネック
惑星地球上における人間の試みは、いまや自滅の瀬戸際に立たされている。核戦争の脅威、化学薬品と生物学的要因による環境破壊、地球規模での気象の変化、地上および宇宙空間の兵器の急増、企業の貪欲さ、米国政府の甚だしい身びいきと誤った管理、膨れ上がった軍事費と侵略、われわれの文化的条件づけの動揺、恐怖と無知の蔓延、救助技術の抑圧、貧富の格差などに目を向ければ、われわれがまだ地球上に存在していることに驚く外はない。辛うじて、といったところだ。

われわれは、まだ希望をもっているだろうか。やってみるだけだ、と答えるしかあるまい。仮にやってみるとして、その答えをどこに見出せるだろうか。ここに、ドクター・スティーブン・グリアが登場する。

二十年近く前に、私は初めてスティーブン・グリアと出会った。ノースカロライナ、アーデンのユニティー教会で私が講演したときだった。プリンストン大学とサイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル・コーポレーションで、私は主流派の宇宙科学者だったが、そのキャリアから離れて、西洋科学の限界と可能性から自分を解き放ちはじめていた。同時に、同僚の科学者たちの大半が拒絶しているUFO(未確認飛行物体)/ ET(異星人)現象の研究に没頭したのである。そのときすでに私は、人間の超越的実在性について探求し見解を述べることに、自由を感じていた。

スティーブもそうだった。UFO/ET体験を持つ優秀な若き救急医師ドクター・グリアと私は、初対面の日にもかかわらず夜更けまで語り合った。私たちがともに理解しはじめていた内容をすり合わせてみたのだ。その内容とは、ETの地球視察が現実に起きているばかりでなく、人間が引き起こす世界的危機を克服するうえで、彼らはわれわれ地球人を手助けすることができるということだった。その日以来スティーブは、現象そのもののミステリーだけでなく、米国政府の胡散臭い片隅と、それを隠蔽する企業のミステリーにも踏み込んでゆく、目ざましい指導力を発揮してきた。そうすることによってドクター・グリアは、地球全体の変化の最前線に立つ大胆で精力的な戦士であることを、繰り返し証明してみせてきた。

まず初めに、彼は「地球外文明研究センター(CSETI)」を設立し、人間と地球外文明との間に大使という役割の概念を導入した―ただしこれは、単なる空想科学小説などではない。世界中のUFO頻出地域に夜通し遠征隊を張り込ませ、彼らは照明、音響、視覚映像などの手段によって宇宙船を無線誘導する。この方法を彼は「第五種接近遭遇」と命名した(CE-5とも呼ばれている)。こうしたワークショップは、関心ある研究生に対して現在でも提供されている。

次に彼は、手ごわい作業、「情報開示プロジェクト」に着手した。このプロジェクトは、百人を超えるUFO/ETの米国政府目撃者の証言ビデオ/DVDを捜し出し、それら証拠物件を入手する活動である。その情報開示は2001年5月、ワシントンDCでの大規模な記者会見においてその頂点に達した。これらの証拠物件が明白にしていることは、政治の長きにわたる腐敗と、マスコミの秘密主義と、さらには地球への来訪者からマイクロ・エレクトロニクス、反重力推進、ゼロ・ポイントの”フリー”エネルギー技術などを獲得した事実である。こうした大規模な隠蔽工作が、ニュー・メキシコ州ロズウェル近くでUFO墜落事件の発生した1947年7月以来、60年も続行されているのだ。ロズウェル事件について、米空軍はバルーンに起因する事故だと述べているが、そうでないことは確実である。こんな神話は、無知な人々か、権力者とその臣民にしか通用しない。

情報開示に関するドクター・グリアの先駆的作業によって、ETコンタクトについての報告内容―たとえば”超トップシークレット”の研究がネヴァダ州の悪名高きグルーム・レイクのそばで、またその他の場所で、現在も進行中であるといったこと―の重大性と信憑性について、さらには隠蔽工作自体について、必然的にわれわれの理解を深めさせ、促進させた。

スティーブン・グリアは高い使命感をもった霊的戦士であり、”合衆国”と名乗る諸力と対峙する存在である。後者は裁きを受けるべき犯罪者と言っていい。というのは、米帝国の崩壊を目の当たりにするにつけ、かつてないほど多くの人々にとっても明白な、犯罪者としてのおびただしい理由が明かされたからだ。ドクター・グリアは他の誰よりも、UFO/ET隠蔽工作に関する紛れもない証拠を導き出した。残るわれわれは、その証拠を素直に受け入れる番にきている。

本書『HIDDEN TRUTH – FORBIDDEN KNOWREDGE』は自伝的な観点から、膨大な証拠を積み上げてわれわれに最新の情報を提供してくれる。それは、現代最大の謎を暴露する物語であり、地上最強の国家にあって、われわれを虐げる暴君から恩義を受けない、勇敢な魂によって語られている。

本書のもうひとつの重要な点は、地球外諸文明のもつ慈悲深さについて語って聞かせてくれることである。人間の現状に同情を寄せるETたちは、この地球を訪れてはいるものの、直接に干渉したりはしない(映画「スター・トレック」でも有名になった、いわゆる”至上命令”である)。
広島と長崎に前代未聞のおそろしい荒廃をもたらした1945年以降にかぎって、近年のUFO目撃、ETとの遭遇、テクノロジー移転が現実に起きている。厳粛な気持ちにならざるを得ない。

長距離原子爆撃機はロズウェルに配備され、原爆はロス・アラモスで開発され、原爆一号はアラマゴルドで爆発し、後に続く攻撃ミサイルはホワイト・サイドで実験された―いずれも軍産複合体制の所在地ニュー・メキシコ州内の地である。

1947年のロズウェルUFO墜落事件もその地で起きたが、単なる偶然の一致であろうか。そうは思えない―というのも、その後ずっとETは、ニュー・メキシコ以外でも軍事基地、核基地に現われており、核技術の恐ろしさが慈悲深いETたちをして、その現場へ馳せ参じようとさせるのだろう。おそらく、彼らにとってもぞっとする恐怖の事態を未然に防ぎ、無責任な人間によって引き金が引かれないよう見張っているのだ。
われわれ地球人は、可能なかぎりの助けを必要としている。だから、あるがままの現象を素直に受け入れ、文化的な偏見を捨てて、不思議な出来事に驚いてみてはどうだろう。われわれの知識を広げ、政治的に活動することによってのみ、必要な推移を実現させることが可能だ。こうしたことにかけて、ドクター・グリアは優れた手腕を発揮する。

多くの観点から見て、UFO現象は、謎めいた来訪者についてよりもわれわれ自身について、より多くを語っているようだ。そして、彼らがわれわれの目の前に掲げている鏡は、われわれを戦慄させる。とは言っても、ドクター・グリアの言葉に耳を傾けるなら、そこに希望はある。たとえば、彼の設立した「宇宙エネルギー接続システムズ(SEAS)」は、クリーンで安価な分散化エネルギーを提供できる革新的新エネルギー技術を用意し、発明家たちを支援している。このように、石油、石炭、核の時代を終わらせれば、人間に起因する公害や異常気象を、事実上過去のものとすることができるのである。私の所属する「ニュー・エネルギー運動」は「SEAS電力」やその他の組織と緊密な連絡を保ち、新エネルギー技術の研究開発がいかに重要であるかを提唱しているが、いまのところ強大な基幹企業によって抑圧されているのが実状である。

ドクター・グリアと初対面した夜、ユニティー教会のチャッド・オーシア牧師が「真理はあなたたちを自由にする。だが、はじめにあなたたちを怒らせるだろう」というバンバー・ステッカーをくださった。切羽詰まった状況を否定せずに怒りをぶちまけ、その後で問題解決に乗り出すならば、地球上に永続する文明を築くチャンスが残されているかもしれない。

度胸のいるこの仕事は、臆病者には向かない。先端的科学者の多くが脅され、殺され、さもなくば偽情報や個人攻撃に押しつぶされてきた。われわれにとって幸いなことに、ドクター・グリアはこれらすべての苦難に耐えてきたのである。

本書はあなたが読むであろう本の中でも、もっとも重要なものとなるだろう。超越的実在性についてふんだんに述べられているばかりか、地球における権力の横暴から、平和で永続的な公正な宇宙コミュニティのパラダイム・シフトへ向けての行動を呼びかけてもいるのである。
2005年9月14日 アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士

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(以下、『UFOテクノロジー隠蔽工作』の「訳者あとがき」から引用抜粋)
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訳者あとがき

「これは宇宙でいちばん熱いポテトである。私はそれについて、もうあまり関わらないことにする」― ヘンリー・キッシンジャー(本書32章より)

「真実は隠れる。なぜならそれは信じられそうもないからである。だが、最も意外なことが本当は真実である」― 本書著者ドクター・スティーヴン・グリア(本書31章より)

近代史上最大の秘密、しかも私たち一人一人の生存に直接関わる問題であるばかりか、宇宙空間と宇宙人への被害さえ起こりかねないある緊急事態について、著者ドクター・グリアの語る回想録は読者に多面的な衝撃を与えずにはおかないであろう。一般社会には隠されている宇宙規模の問題がある。その問題はすでに60年間極秘にされてきた。今日でも米国政府は極秘扱いを除していない。医師ドクター・グリアはその問題に光を当て、問題の本質を解明し、なぜ秘密にされているのか、その原因、理由、状況推移について本帯で自伝ふうに語っている。異彩を放つ書である。

彼と同様にこの問題を追及しようとした少数の先端科学者やジャーナリストもいたが、彼らは例外なく挫折した。科学者の場合は「自殺」とされているが、実は他殺だったと推定できるような不可解な死を遂げているケースが多い。こうした事件は米国にかぎらず、英国でも発生している。ジャーナリストの場合は、マスメディアの組織内に仕組まれている管理機構により、企画した番組が握り潰されるのが通例である。

あえて挑戦するなら不運に見舞われるに違いないこの秘密―現代における最大の謎―を解く先駆者となり得たドクター・グリアの手腕もまたちょっとした謎である。熱い宇宙ポテトについての情報ヘアクセスできるきわめて少数のグローバル・エリートは、「私には関係ないよ」といった態度をよそおっている。直接アクセスできなくても、それなりのルートを通してある程度の情報を入手できる一国の指導者、つまり大統領や首相、また国連事務総長も、異口同音に「あまりにも危険だ」と言って、彼らも責任回避の態度をくずさない。

米国のアポロ11宇宙飛行士たちが人類史上―おそらく初めての―月着陸に成功した1969年から、すでに40年近く経過したが、ロケット科学者ワーナー・フォン・プラウンの功績に負う偉業だった。フォン・プラウンの晩年4年間にわたり彼の助手をつとめたカロル・ロシンに、彼は幾度となくこう言っている。「最初に東西の冷戦があり、その後に憂慮すべき事態と無法状態が生じるであろう。その次に―彼がこう言ったのは1974年だったが―、国際テロリズムと宇宙からの小惑星の脅威に見舞われるであろう。これに続いて、支配者たちは地球外文明からの脅威というでっち上げを繰り広げるだろう。こういったことはすべて、恐怖という手段によって世界住民を最大限に統制しようとする企てである」(本書24章より)

著者グリアは、「この筋書き通りの作戦を練っている企画グループがあり、私はそのグループの数人に会っています」とカロル・ロシンに述べている。

宇宙規模の秘密と言われるこの問題の裏面工作には、UFOとETが大いに関係しており、その秘密工作のネットワークは世界各地に張り巡らされている。具体的にどういうことか、ドクター・グリアはこう述べている。民間のUFO研究団体にCIAのスパイが多数潜入しているが、大多数の会員はそれに気づいていない。特別に訓練された諜報工作貝がETに化けて人間を誘拐したり、誘拐被害者の治療に当たる専門家もCIAの回し者だったり、さらには彼らの用いる手法として、マインド・コントロール、麻薬使用、電子心霊感応技術、家畜ミューチレーション、その他非常に入り組んだ欺瞞の手法が使われている。

UFO /ETに関わる秘密保持の仕組みやからくりが本害を読むと非常によくわかる。政界、財界、企業、軍事、マスコミ、科学研究所などの組織の中でこの問題がいかに秘密に保たれているか、その仕組みの複雑さに驚き呆れてしまう。さらには信じ難いサタニック・カルトの秘儀に参加した部内者の告白、あるいはバチカンがこの問題に深く関与していることなどが具体的に述べられている。はっきり言ってしまえば、民間のUFO研究団体はCIAのフロント、つまり隠れ蓑である。

他方、ETとの接近遭遇、高度に進化した地球外諸文明のテクノロジー、ETの霊性など、驚くべき主題の数々が天使と悪魔の両極端に掛け渡された大展望のスペクトルとして展開する。普通ではあまり聞かれないこうした話の大部分はグリア自身の経験、他の一部は彼の主催する「情報開示プロジェクト」に参加した証人の証言、あるいは部内告発者からの内密情報などとして明かされている。

未確認飛行物体(UFO)と地球外高等知能生物(ET)の調査およぴETとのコンタクト実地研究する「地球外文明研究センター(CSETI)」はドクター・グリアの組織したグループである。もともと救急病院の医師だったドクター・グリアは、彼の組織した「情報開示プロジェクト」と「CSETI」の活動で地球を駆けめぐり、各国の政府高官、将軍、世界の大富豪、ヨロッパの王室、バチカン、米国中央情報局(CIA)、組織犯罪の主要人物などと会見してきた。救急医師としての職務と彼のこの二大プロジェクトの活動を平行維持することが不可能になった時点で、彼は医師の仕事を断念した。

こうした背景のもとに語られる本書のエピソードの中には、あまりにも意外、とても信じられない、といった内容のものもあることは否定できない。そういったエピソードは概して形而上学の分野につながる地球外文明のテクノロジー、あるいは「CSETI」の交信儀礼を使ってUFOを呼ぴ寄せ、ETと接近遭遇するという範疇の話である。読者はさまざまな疑問を抱くであう。私にも私なりの疑問がある。だが、著者グリアはかなりの程度の真実―彼にとって可能なかぎりの真実―を語っている、と直感的に理解するほかはなかった。彼の体験した実話からまとめられた書であることは想像に難くない。

本書は原稿として書かれたものではなく、ドクター・グリアの談話の録音からテープ起こしし、編集されたことが序文に記されている。各章が独立したエピソードであり、しかも半世紀におよぶ自伝であるため、さまざまな情報が洪水のように流れ込み、エピソードの印象は鮮明に刻み込まれても、思想的な内容を系統立てて整理しにくい嫌いがある。そうした難点を補うべく、後ほど重要な補足データを挙げながら「訳者あとがき」を括りたいと考えている。

著者グリアの言業に戻ろう。エピソードを離れ、彼の二著から拾い集めてみた。

「過去2、3年間私はUFO/ET問題について、米国や海外の政府高官をはじめ、科学分野の指導者たちに状況説明する責任を負わされてきた。この問題に関する証拠としては明白かつ多数にのぼる例証のあることを指摘したい。UFO自体が現実に存在することについては、反論の余地はない。例証を挙げることは難しくなかった。もっと挑戦的な意欲をそそられる問題は、UFOにつながる秘密性の構造を解明することだった。だが、最大の難題はその理由「なぜか」についての解読である。なぜすべてが秘密に包まれているのだろう?なぜ政府の中に承認されていない”影“の政府があるのか?UFO/ET問題を公共の目から隠しているのはなぜか?」

「これらの問題に関する証拠は複雑だが、その解読は不可能ではない。しかし、これら隠密計画の本質そのものは難解なうえ、複雑を極め、ビザンチン式である。そしてこの秘密性の背後にある理由が難題中の難題である。かくも異常な秘密性の背後に見られる理由はひとつではなく、相互に絡まる夥しい数の理由がある。それらはかなり明白で単純なものから、実に怪奇なものまである。ここで私はこの秘密性の主要ポイントをいくつか挙げて、なぜ、まんまと秘密方策がとられたか、さらに、この隠密計画を管理する部内利害関係者にとって、秘密方策を逆転させて秘密公開へ踏み切ることがいかに難しいかを説明してみたい」

「1930年代、40年代におけるUFO問題は、これらの物体が地球に起源するものかどうかであった。仮に地球起源であったなら、敵性国家が米国より進んだ航空機を所有していることになり、多大な脅威となり得る。逆に、地球外のものと断定されたなら、多くの疑問が生ずる。すなわち、ETがここにいるのはなぜか?彼らは何を意図しているのか?広大な宇宙空間を信じられない速度で移動する技術はどういう技術か?これらの科学技術を戦時と平時の人間の状況に適用できるだろうか?こうした情報に対して一般社会はどう反応するだろうか?これらの内容を公開した場合、人間の信条体系、政治組織、社会組織にどういう影響を与えるだろう]

「1940年代後期から50年代初期にかけては、ニュー・メキシコやその他の地域から回収されたET船の物体を精査し、逆転工学(リバース・エンジニアリング)により宇宙船の基礎的な科学技術の解明に努力が集中された。その結果、これらの物体が真空管や内燃機関に格段の差をつける物理法則と応用技術を使っている事実が認められた。米ソ対立の冷戦時代にはテクノロジーの僅差により勢力均衡が傾く。たしかに今日に至っても地政学的に言ってうまく機能しない、というテーマがUFOに関連する秘密性につきまとう一特徴を成している」

「アイゼンハウアー政権下[1953年~61年]においてUFO /ETプロジェクトはさらにコンパートメント化され、合法にして合憲の命令系統による監視と管理の手からハイジャックされてしまった。米大統領も英国やその他の国の指導者贈もUFO /ET情報については“天井桟敷”に疎外された。彼らはアイゼンハウアーの警告した軍産複合体制という巨大にして複雑な構造が現実となったことをいやというほど知らされたのである。迷路のように区分化された隠密計画を扱っているのは軍産複合体制だ」

「1960年代でさえ、まして90年代に至っては、宇宙旅行という概念は近未来に可能な当たり前のことであり、遠い宇宙からのETという話を聞かされて心の平静を失う人がいるとは思えない。UFOはいわば公然の秘密となった。ではなぜこの問題がいまだに秘密にされているのだろう。冷戦は終わった。たいていの人がUFOは実在物であると信じている。社会へ与える恐怖、パニック、ショック、といった単純な説明をもって、大統領やCIA局長が情報入手を拒否されるほどの根深い秘密性を正当化することは、どうみても筋の通った説明とは言えない」

「宇宙船を推進させる動力発生方法と推進方式を支えている基礎物理学は、地球上で現在使われている発電方法と推進方式のすべてを簡単に代替できる物理法則に基づいている。そうなると従来の地政学的体制と経済体制は崩壊する」

「ETの存在を明かすなら、必然的にこれら新式科学技術の公開も不可避であり、その結果として世界は一変する。あらゆる犠牲を払っても避けるべき事態として、彼ら管理者はそうした事態の発生を忌み嫌い、秘密の“防衛”対策を講じたのである。現代社会の基本設備一切を転覆させてしまうであろう大規模の変化は、彼ら少数“エリート”として、どんな手段によってでも避ける必要があった」

「1950年以来、半世紀以上も問題を回避してきた現在、秘密公開への進路はこれまでにも増して大きな障碍に阻まれている。たとえば、石袖と内燃技術への世界の依存度は50年代よりかなり高い。世界経済の規模もかなり拡大した。したがって、どのような変化であろうとその影響もネズミ算的に膨張しており、場合によっては大混乱を引き起こすことにもなりかねない。どの世代も年代も問題を次世代へたらい回しにしてきた。その間に世界はいっそう複雑化したにもかかわらず、時代遅れの動カシステムに依存したまま、世界はエネルギー問題に締め付けられている。秘密公開は50年代でも難しかっただろうが、現在ではもっと難しい」

「1950年代に逆転工学によってET船から得られた科学技術上の諸発見は、世界の経済、社会、科学技術、環境問題を完全に変容させ得たであろう。そうした飛躍が公共に与えられなかったのは、変化嫌いの官僚主義による。これは現在も当時と変わりない。逆転工学によって得られたテクノロジーは人類に次のものを与えていたであろう。いわゆるゼロ・ポイントと呼ばれる場(物理学でいう場)から動力を発生させる新式科学技術があり、あらゆる家庭、事務所、工場、車などが独自の動力源をそれ自体の中に設置でき、外部の燃料タンクなどに依存する必要のないテクノロジーである。石油、ガス、石炭、原子力発電、内燃機関の必要がなくなる。環境汚染問題が解消する」

「反重力装置を使ったテクノロジーであるため、浮遊交通機関が実現する。したがって、農地を交通路に変える必要がなくなる。なんと素哨らしいことか。しかし50年代には石油はまだたくさんあり、現境問題は大して話題にされなかった。地球温暖化は聞かれなかった時代である。権力者階級は安定を好み、現状維持に満足していた。秘密公開は将来の世代に任せればいい」

「ゼロ・ポイントから動力を発生させるフリー・エネルギー・システムが導入されれば、現在の中央集権政体は崩壊し、権力の分散化が可能になる。世界の力関係が均等化する。いわゆる第三泄界が急速にヨーロッパ、米国、日本と同格になり、地政学的な権力構造に大きな推移が生じることになろう。グローバル・エリートはそうした変化を嫌う」

「米国とヨーロッパの人口はおよそ6億、世界人口の10パーセントにすぎない。他の90パーセントの科学技術と経済水準が欧米の水準に達したなら、地政学的パワーは推移する。科学技術のインパクトに経済的なインパクトが加算され、さらに地政学的インパクトを組み合わせるなら、秘密政策に結末をつけることがいかに巨大な構造的変化、グローバル規模の変容をもたらすか、誰の目にも明白である」

「革新的テクノロジーが日の目を見ないまま60年の年月が流れてしまった今日、生態学上の退化と社会的、経済的不均衡の環境のもとで、UFOにつながる秘密性問題——熱い宇宙ポテトー―を受け止める最後の世代が私たちである事実を認めざるを得ない。秘密公開へ踏み切ることが軽率には扱えない問題である一方、秘密を保持し、革新的な発電と推進システムを隠しつづけることはもっと重大な問題―不安定な世界―を導くことになろう。地球の生態系の崩壊、化石燃料の枯渇、人間らしい生活を奪われた持たざる人々の怒り、その他もろもろ、私たちはこういった問題に対処する責任がある。熱い宇宙ポテトを回せる世代はもう存在しない」

「何兆ドルという金額が議会の承認手順を経ずに憲法違反のプロジェクトに充当されてきた事実に対して、社会はどう反応するだろう?秘密プロジェクトのもとにリバース・エンジニアリングによってETの科学技術から新製品を開発し、特許を取り、大きな利益を上げているとは。納税者は搾取されたうえ、製品開発のプレミアムまで払わされている。それだけではない。この知的財産はETから盗み取ったものである」

「こうした問題の内密管理が、超極秘の国際政府計画の一端として操作されていると同時に、部分的には民営化された組織犯罪活動に形態変化してしまった。普通に考えられている政府というより、隠れマフィアと呼んだほうが妥当であろう」

「上述した諸問題よりさらに重要な問題を指摘したい。こうしたUFO関連の秘密プロジェクトが、発芽して間もない発達初期段階にある”ETと人類の関係”を独占的に支配してきた。目も当てられないほど惨憺たる管理の不手際ときたら、まぎれもないグローバル規模の大惨事寸前と呼べる性質のものである。選出され、承認された代表ではなく、自薦による軍事志向のグループだけが人類とETとの異文化問題や異星人関係の問題を扱う必要があるとするなら、私たち地球人には未経験の状況、あるいは管理方法のわからない状況が発生した場合、彼らはそういった状況を潜在的な敵対行為、または現実の敵対行為とさえ解釈するだろう。危険な解釈である」

以上が問題の秘密性とその波及問題について述べる著者グリアの見解の大意であり、本書においても、エピソード・スタイルであるとはいえ、これが彼の基本的なメッセージである。

しかも本書では、グローバル・エリートによる議事はすでに最終段階に入っている。大衆よ目を覚ませ、騙されるな、と警鐘を嗚らしてさえいる。

本書には「スカル・アンド・ボーンズ」「プロジェクト・ペイパークリップ」「ノン・ローカリティ」など、注目すべき言業や概念がいくつかある。これらについて手短に触れておきたい。

スカル・アンド・ボーンズ(閥腺と大腿骨)

エール大学構内に拠点する秘密結社であり、フリーメイソンと密接な関係がある。ドイツの結社「死の仲間」の分会として1833年に米国へ導入され、いわゆる「名門」の出、ウィリアム・ラッセルとアルフォンソ・タフトによって設立された。タフトの子息は27代米国大統領になった。エール大学の建物はラッセル信託の所有地にある。ラッセル家は19世紀に阿片の密輸(トルコから中国へ密輸)で莫大な財を築いた。この結社は米国東部の支配階級ロックフェラー家、プッシュ家、ハリマン家などとリンクしている。会員はエール大学の学生の中から選ばれ、入門の秘儀を受けた「エリート」である。選抜基準は家系(血筋)であると言われる。任期期間、会員は週2回の秘密集会に参加する。集会場所は「墓」と呼ばれる窓のない大きな建物の中だという。そこでどういう秘儀が執り行なわれるかは秘密である。秘密結社の古代からの戒律―口外すれば死―というものがある。現大統領ジョージ・プッシュ、彼の父、祖父とも、同家は三代にわたる「スカル・アンド・ポーンズ」である。2004年の大統領選挙でブッシュに敗れたジョン・ケリーも同結社の会員である。「スカル・アンド・ボーンズ」という名称は、一説によると、ラッセル家が密輸船に「憫膜と大腿骨」の海賊の旗をなびかせていたことに由来する。別の説では、古代からの秘密結社のシンポルにちなんだ呼ぴ名だという。ハーバード大学にも結社があるそうだが、米国の政治・経済に及ぼす影響はエールの結社のほうが遥かに大きいようである。

プロジェクト・ペイパークリップ

第二次世界大戦末期の1945年、ドイツからナチスのエリート階級の軍人、諜報関係者、科学者、技術者、遺伝学者、医者などを脱出させる英米合同のスパイ活動があった。その暗号名が「プロジェクト・ペイパークリップ」である。この作戦に深く関わった戦略事務局(CIAの前身)の局長アレン・ダレスは、戦略事務局解散後、初代ではないがCIA局長におさまった。(兄のジョン・フォスター・ダレスは1951年に日本との平和条約の交渉に当たった元米国国務長官。ダレス家はロックフェラー家と遠縁関係にある)。「プロジェクト・ペイパークリップ」が中断された1973年までの期間に、総数1万6千人の元ナチ・エリートが米国へ入国し、航空宇宙産業、NASA、CIAに配属させられ、重要な地位を与えられた。ロケット科学者ワーナー・フォン・ブラウンもそのひとりである。米国の宇宙科学技術は事実上「ペイパークリップ科学者」によってその基礎が築かれた。
反重力推進方式で飛行する円盤型の戦闘機を、ナチスは1940年代中期にはすでに幾つか所有していたという。連合軍の手に落ちることを避け、これらは戦争末期に全部破壊されたというドイツのリサーチャーもいるが、少なくとも2、3機は「ペイパークリップ」で英国、米国、カナダヘ入ったらしい。1945年以後、これらの国で研究開発が継続された。米国の秘密プロジェクトは星間空間へ行ける宇宙船を所有している、とグリアは本書で述べている。CIAの悪名高いマインド・コントロールの技法も「ペイパークリップ」で導入され、MKウルトラの名で知られる高度技術がある。MKのMは英語のマインドの頭文字、Kはドイツ語のコントロールの頭文字。

ノン・ローカリティ(非局在性・場所なき場所)

本書にも登場するアポロ14宇宙飛行士エドガー・ミッチェルは、月へのあの航海以後、自分の意識が変わってしまった、と次のように語っている。(下記は本書からの引用ではない)。
「小さくても荘厳な惑星地球が黒い空間に浮かんでいて、プルーとホワイトの光を放っているーーあの光は忘れられない。私の生涯で起こったどの出来事でも不可能だったことを宇宙空間からの眺めが与えてくれた―自己の生命と地球の生命について、人間はなんと狭い考え方をしているのだろう。人間は万物の霊長だと思い込み、地上の支配者であると自負している。私はそういう考えにはもう着いていけない。動物が人間と話し合えるなら―進行中の実験によると、そうなる日の来るかもしれないことを示唆しているが――、彼らが最初に発する言葉は、人間でなくてよかった、という言葉であろう。どんな動物も人間のやるような残虐行為も愚行もやらない。知識過剰と英知不足のため、私たちは地球破壊の瀬戸際まで来てしまった。核アルマゲドンは身近な現実である」

宇宙飛行士ミッチェルはこの体験に促され、「ノエティック・サイエンス研究所」を設立し、純粋理性による認識や意識の進化を研究するグループを組織した。ノン・ローカリティの概念を動物とのコミュニケーションに導入し、意識の進化の先端的研究を続けている。

ノン・ローカリティという言葉は超能力開発グループの人たちの間でも最近よく使われているようだ。もともとは批子物理学でローカリティの特性を問題にしたことから使われるようになた。つまり情報をA点からB点へ移転させる情報トランスファーの問題から、空間のノン・ローカル性が理解されるようになった。

ここで、前述した補足データについて述べよう。

ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一してからすでに20年近くになる。その間に秘密扱いを解除された文書がドイツからかなり出てきたため、情報、技術、UFO、オカルトなどの分野ではそうした贅料に基づいた新刊本や改訂版が英米両国で出版されるようになった。これに類する一連の図書によると、ナチスは反重力推進方式の円盤型航空機、つまり「空飛ぶ円盤」の研究開発を1930年代から始めており、第二次大戦中にはかなり高度機能のUFOが広大な地下工場で生産されていた。極秘の、しかも危険なこの生産活動に必要な膨大な労働力には強制収容所の収容者を充当していたという。ナチスの頭脳集団(シンクタンク)ではすでにコンピュータ・チップ、トランジスタ、レーザーなどをその当時から研究開発していたそうだ。戦後の1950年ごろからトランジスタが出回りはじめたようだが、その理由として、1947年にニュー・メキシコ州、ロズウェルに墜落した宇宙船をリバース・エンジニアリングして開発された製品だから時代的に合致する、という説明はよく聞く話である。(グリアは本書で、この宇宙船は墜落したのではなく、米軍がレーダーで宇宙船をジャミングし、墜落させたのだと言っている。)

それはともかく、ナチスが「空飛ぶ円盤」その他のハイテク武器を所有していた事実または説の立証に焦点を当てている研究家、たいてい物理学者だが、彼らはUFOについて、UFOは実在物だが人間の造ったものであり、政府の言うように深宇宙から来た地球外文明の宇宙船ではない。ナチスから分捕った「空飛ぶ円盤」を戦後六十年かけて「ペイパークリップ科学者」の導のもとに改普され、今日目撃されているような驚嘆すべき高度技術の反重力推進、超光速、巨大な三角形”UFO”が開発されたのだとしている。月へは30分で行けるそうだ。
ゼロ・ポイントの場(ゼロ・ポイント放射)からフリー・エネルギーを発生させ、反重力推進させる技術は、テスラ変圧器を発明したニコラ・テスラ(クロアチア生まれ、27歳のとき渡米、1943年に86歳で没)が原理を発見し、研究開発した。だが言うまでもなく、米国の資本家は彼に融資しなかったのみか、J.P・モーガンはテスラの実験室に放火したり、研究レポートを盗んだりした。そしてこの技術がナチスの手に渡ったのだが、フォン・プラウンがテスラの技術資料を盗み、ナチスに売り渡した、というのが定説である。

ところで、アポロ11宇宙飛行士の月着陸以前に、月に人工の構築物があることをNASAは無人探査機や人工衛星によって知っていた。だから彼らが月へ行った目的はこれらの構築物を実際に確認し、その写真を地球へ送信する、そして、ETとの遭遇の可能性さえ目標のうちに入っていた。構築物に近い地点が着陸地点として選ばれた。宇宙飛行士たちが見たものは巨大な遺跡、城郭のような構築物、月面から10キロメートルも上方へ聳え立つガラスの塔、ロボットの頭部、機械の残骸、ガラス化した広大な月面だった。ガラスは緑色だった。ETはいなかった。永劫の昔に壊滅した廃墟である。

NASAはこの情報を秘密にしていた。だが内部情報は少しずつ漏れる。月の廃墟や塔の写真はかなり以前から見ることができた。火星にもピラミッドや人工の構築物らしいものがたくさんある。人工の巨大な顔もある。これらは「モニュメンツ・オプ・マース」にたくさん載っている。その著者リチャード・ホーグランドは今回マイク・ベラと共著で「ダーク・ミッション―NASAの秘史」を4年がかりで書き上げ、最近刊行されたが、書店で目にすることはなかろう。体制内に仕組まれた管理機構による抑圧である。
「その昔、広漠たる宇宙空間を包み込んでしまうほど強大な、太陽系規模の文明、全く消え失せてしまった文明があった。NASAが最初に使った旧式な人工衛星によって再発見される運命背負った文明である。太陽系規模の、すべてを巻き込む一連の大変動の渦中に壊滅してしまった文明であろうことは、やがて判明するだろう」―リチャード・ホーグランド(「ダーク・ミッション」より)

だからあらゆる可能性が想定でき、どれほど信じられないような未来像であろうと、そうあり得ないことが立証されないかぎり、否定すべきではない。霊的存在としてのETとの遭遇があり得ないとは断定できない。異次元とのコンタクトは可能かもしれない。一方、ETの存在は、依然、確証されていない。これは事実である。

救急病院の医師だったドクター・グリアは人の死に何度となく立ち会っている。他界するときの神聖な瞬間を現代医学は忘れてしまった―医学技術の他に為されるべき重要な橋渡しにて語る美しい一章(23章)がある。
原書はフランス語、ドイツ語、オランダ語、ルーマニア語、クロアチア語にも翻訳された。

「嘘から真実が出ることはあり得ても、真実から嘘が出ることはあり得ない」

ショーペンハウアー

「訳者あとがき」を閉じよう。

2007年11月 前田 樹子

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『メーソン―第三等級の姉弟』について – フリーメーソン解明の為の第一級資料 –

最近、以前、古本で購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』ウィル・L. ガーヴァー (著), 尾高 樹良 (翻訳)を読んだ。

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この著は、フリーメーソン内部について知り尽くしている人物によって書かれたと思われる第一級の内部情報である。

フリーメーソンの中でも位が低い人物には、このように詳細に書くことは出来そうもない。

フリーメーソンの内部事情について精通し、フリーメーソンの中でもある程度の階級に到達した人物にして初めて書けるような、そうした稀有の書である。

Amazonの古本市場で1,500円前後で売っているので、興味がある方は是非、読んでみて頂きたい。
本書の全部を紹介することはできないため、「出版にあたって」と題する序文を以下に引用抜粋した。

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出版にあたって

明治維新以来、西洋文明の表面的輸入消化に忙しかったわが国は、儒教、道教、仏教、神道の真髄をなすMysticismを見失う一方、Academismの枠外に出る西洋Mysticismの輸入消化を怠ってきた。国家社会権力を代表するAcademismが、国家社会権力を超越する一面をもつMysticismを度外視したのは当然である。Mysticismの一環をなすフリーメーソンについて理解が不十分なのは尤もである。

一般的には、政治的陰謀に関係のある秘密結社として漠然と理解されているとでも言おうか。古代英知の密儀教団の流れをくむ、世界市民主義・理想主義的修道団体として捉えられることはまずない。フリーメーソンについて、正当な理解をもつことは、現下の急務である。

文明の根底を支え方向を与えるのはMysticismである。

宗教の真髄はMysticismである。

天才の霊感の源泉はすべてMysticismにある。

Mysticismなくして人生問題の解決はない。

本書はMysticismの初歩から最奥儀まで、人間の成長、精神の向上完成に到る道程について、前代未聞の詳細なる具体的解明を与える。

西洋Mysticismの摂取をもって西洋文明の輸入は完結し、日本文明は新紀元を画する。

本書は「バラ十字会」(本部サン・ノゼ)及び「サミットライトハウス」(本部モンターナ)の推薦図書である。
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本書の内部で持ちいられるMaster、Adept、Initiation、Hierarchyといった用語は全く、アリスベイリーの著作の中に出てくる用語と同じである。

つまり、アリスベイリーの著作の中で用いられている用語は、フリーメーソンでも共通して使用されている用語であると言える。

あらすじとしては、主人公のアルフォンソ・コロノ氏が、両親の影響でフリーメーソンに入団し、修行の結果、精神的に向上し、位階を登っていく過程を描いている。

読者はこれを通じて、秘教学徒の世界、アリスベイリーの著作の中で描いている霊的ヒエラルキーについてフリーメーソンの形式の中で知ることが出来る。

フリーメーソンの中で、秘教占星学が取り上げられ、双子座がキーワードになっているのが非常に興味深い。

そして、主人公はフランス革命後のナポレオン戦争で、革命を防衛し、諸外国に輸出するために敵国ドイツにスパイとして潜入し、ドイツ軍の作戦内容について、透視能力や透聴能力で読みとり、メンタル・テレパシーでフランス側に知らせるのである。

そうしてナポレオン戦争の勝利に貢献する。

フランス革命は、フリーメーソンが背後で暗躍した革命であると言われているが、その革命の防衛戦であるナポレオン戦争においてもナポレオン側が勝利するためにフリーメーソンが暗躍したようである。

つまり、フリーメーソンが、ナポレオンを道具として用い、フランス革命を封建諸侯などの旧勢力から守り、ヨーロッパに大フランス共和国を打ち立てて、人民の自由と平等を確立しようと試みたのである。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、社会の裏舞台で暗躍する秘教学徒の活動内容は、ほとんど諜報の世界に等しいということである。

諜報の世界こそ、秘教学徒の活躍の舞台である。
wikipedia ナポレオン戦争には、以下のようにナポレオン戦争の影響について記されている。

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(略)ナポレオン戦争以前のヨーロッパの絶対主義諸国は、傭兵を主体とした軍隊を有していた。
フランス革命を経たフランス軍は、革命の成果たる共和国を防衛しようという意識に燃えた一般国民からなる国民軍へと変質していった。

(略)

国民軍の兵士たちは強い愛国心を持ち、また団結力を有していた。彼らは逃亡のおそれが低いため、散兵戦術のような兵士の自律的判断に依存する戦術を用いることができた。

(略)

各国の利害が錯綜して進展の遅れていたウィーン会議は、ナポレオンがエルバ島を脱出すると各国の妥協が成立し、1815年6月にウィーン議定書が合意された。ナポレオンの完全失脚後、主要戦勝国によって神聖同盟が結ばれ、ヨーロッパは復古主義・正統主義を原理とするウィーン体制下に置かれることとなった。

だがナポレオン戦争の過程で、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想が、ヨーロッパ各地やラテンアメリカなど一部の植民地へ伝播した。ナポレオン法典を基礎とした諸法典は、旧体制の復活の後も各国に残された。革命思想は1848年革命の思想的基盤となってゆく。同時に、ナポレオン戦争は民族主義が広まる契機となった。民族主義はヨーロッパの歴史を大きく変え、その後100年間にヨーロッパ諸国は封建領主の領土を単位とした領域から国民国家へと変貌した。一方で、ナポレオンが意図したヨーロッパ統一国家の構想は瓦解した。ヨーロッパ統一の機運が再び高まるのは第二次世界大戦後のことになる。

(略)

フランスではナポレオンが失脚し、フランス革命以前のアンシャン・レジームが復活した。国内には王党派とボナパルティストとの深刻な対立が残された。しかしフランス復古王政下の反動的な政治体制は長続きせず、やがて七月革命で打倒される。
———————————————————————————————————

ナポレオン戦争の意義は、封建諸勢力からフランス革命の成果たる共和国を防衛したことである。

そして、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想がヨーロッパ各地やラテンアメリカなどに伝播し、旧体制の復活後も各地に残されて、1848年革命の思想的基盤となっている。

つまり、ナポレオン戦争によってフランス革命の精神が広く普及し、後戻りすることのない大きな変化の流れを作りだしたと言うことが出来る。

そして、民族主義が台頭し、封建領主の支配から国民国家というものが誕生するきっかけとなっている。

つまり、ナポレオン戦争の成果とは、特権階級を廃止することによる民主主義の確立とそれを法文化する近代法、そして、その近代法の器となる国民国家の確立であったと言える。

つまり、国民国家とは、人民の権利を守るための制度機構である。

このナポレオン時代に確立された国民国家という単位が、現在社会においても人々の権利を守る単位として、今だに力を持っている。

国民国家と憲法が、人民の権利を守り、特定の特権階級に自由に好き放題させないための安全装置なのである。

封建諸勢力は打倒されたが、その次に資本家階級が巨大な富を独占し、新たな特権階級として台頭した。

そして、その資本家階級が中央銀行を作り通貨発行権までも手に入れて官僚や政治家など行政府に多くの人材を送り込んで、超国家的に人々を支配しようとしている。

国家と企業が一体となった米国のコーポラティズムなどに対抗して、日本人、その他の諸国民の権利を守れるのは、国民国家を使うしかないのである。

国民国家と、憲法と法律を使って、外国の貪欲な企業から国民を守らなければならない。

それが国民国家と民族主義という形での善の実現である。

昨今の世界情勢を見ると、いまだにナポレオン戦争の時に形成された民族主義、国民国家という単位が依然として強い力を持っていることが分かる。

国民国家という単位は、人民の権利を守る単位として有効であるが、国家指導者が国民を誤り導いて、戦争などに突入させる危険性も持っている。

また特権階級が富を蓄積したり、権力を拡大したりするための道具としても機能しがちである。

従って、国民国家には、人民の権利を守る側面と、人民の権利を奪う側面、そして、他国民の権利を奪う侵略戦争という可能性を持っている。

最終的に世界共和国というものが確立されることが理想であるが、その前に国民国家というものがまだまだ人民の権利を守るための主戦場である。

この国民国家という単位での戦いなくして、世界共和国というものはあり得ない。

また国民国家における人民の権利を失わせるコーポラティズムの侵略を許せば、それは国民国家の破壊を意味し、世界帝国という形での世界の統一をもたらすが、それは世界共和国ではなく、またそこには人民の自由や権利も存在しない。

アドルフ・ヒトラーが作ろうとしたのは、この世界の人民を完全に奴隷として隷属させる世界帝国の樹立である。

また現在、米国において特に顕現している貪欲な多国籍企業と国家官僚が癒着した巨大な帝国主義もそのような人民を隷属させる世界帝国を目指している。

従って、このコーポラティズムの侵略に対しては、民族主義、国民国家で対抗しなければならないのである。
いまだにこの道具が有効であり、重要なのである。

ナポレオン戦争以来、いまだかつてない程、国民国家、民族主義というものの重要性が増しているのである。

それは多国籍企業と国家が癒着した巨大な帝国主義的な力に対抗できる器は、国民国家を除いて他にないからである。

国連は役には立たない。国連に権力をもたせて各国に従わせるというやり方も得策ではない。

それは結局は超国家的に人民を隷属させる帝国主義が国連の衣を被って生まれるだけである。

従って、外国の侵略に対しては国民国家という単位を使って軍事力を使って自国を防衛しなければならない。

また他国民を侵略しようとする自国の国家指導者には選挙での投票行為やデモ活動等の政治運動によってその権力を抑制しなければならない。

憲法によって自国民の特権階級や権力筋を監視し、その力を抑制しなければならない。

また憲法には外国の侵略に対抗できるだけの国家主権や柔軟性もなければならない。

また自国民の権利を最大化するための法律を整備しなければならない。

現在、外国のコーポラティズムと結託した官僚たちが、国民国家を内側から腐らせるという、そういう過程も進行中である。

TPPなどの多国籍企業に有利で、自国民には不利となる法律が通る流れというものも官僚が開いているのである。

ナポレオン戦争時に確立された封建諸侯の終焉と、国民国家、民族という単位は、いまだに生き活きている。

そして、それを使って、民主主義、人権、自由、平等といった諸権利を守っていく必要がある。

最近、フリーメーソンを改めて考察したくなり、以前、購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』を読んでみた。

この本はフリーメーソンの内部を詳細に解明し、神秘主義(Mysticism)の深い理解につながる類まれな本である。

私自身、最近、チャラダシャーが天秤座で、天秤座から見て5室支配の土星が9、12室支配の水星とケートゥが9室双子座(フリーメーソン)に在住しているからこそ、この本が読めのではないかと思う。

人にいくらいい本だから読むように勧めても結局、読める人は限られてくる。

その本に縁がなければ読めない訳である。















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多神教と一神教について

古代ギリシアで、プラトンがイデア論を唱えたことで、それまでは目の前にある自然を畏敬し、その存在をそのまま受け入れていたのが、プラトンがイデア論を唱えてからは、目の前にある自然をそのまま受け入れるのではなく、それらは仮象であって、それらを生み出したイデアたる本体があるという考えとなり、存在が、ただの存在として受け入れられるのではなくて、存在は、仮象としての存在であり、その本質が存在するのだと考えられるようになったのだという。

つまり、もし自然をそのままに受け入れるだけであれば、真、善、美や正義を追求して、理想を実現しようという考えも生じないし、現実をただ受け入れるだけの姿勢となる。

然し、今の目の前の現実が仮象ということになれば、本体である真実在を求めることになる。

このプラトンの「イデア」は、哲学史の中で、アリストテレスの「純粋形相」、デカルトの「理性」、キリスト教の「神」、カントの「物自体」、ヘーゲル哲学の「精神」など、様々に名前を変えながらも、西洋社会の思考様式として存在し続けたという。

この思考様式が、西洋社会を推進し、近代科学、近代法思想などを生み出した原動力である。

古代ギリシアで、初めてイデアという何か全ての存在の源となる絶対的な超越的な原理が考案されたのである。

キリスト教の信者が、非常に強固な信念を持つのは、唯一神としてのこの絶対的な尺度を自らのうちに得たからである。

絶対的な尺度を得た人間は強いのである。

だから西洋人は、自分たちの考えを普遍とみなして、社会全体に行き渡らせることに絶対の正義を確信してきたようである。

それに比べると、無宗教で、一神教ではない、日本人は、部族社会の中で、その場その場で、一番、力の強い者に従い、その者が言ったことが従うべきことになる。これが絶対的尺度を持たない人間の弱さである。

日本人の恥の文化というものはそういうものだと思われる。一神教がなく、イデアというような超越論的な価値もないために、その場、その場で、場当たり的に過ごしていくしかないのである。

何か不正が行われた時に、普遍的な価値判断に照らして、それは正しくないことだから、いけないと言うことが出来ない。

普遍的な権利や正義を法制度化したものによって、自分の正義を誰に対しても主張できるというのは、西洋近代社会からプレゼントされたに過ぎない。それまではお殿様の言うことに従って、お殿様が法律だったのである。お殿様の気に入らなければ有罪で、気に入れば無罪である。常にその部族社会の一番、権力を持つ人に振り回されるしかない。

絶対的な原理を持たずに全てが相対的な力関係の中で決まるのである。真理も正義も何もかも全てがである。

従って、西洋近代社会の出発点となったプラトンのイデア論というものは非常に重要だと思われるし、近代社会が、ユダヤ・キリスト教的な一神教の世界で生まれたというのも納得できることである。

一神教というのは、絶対的な尺度ということである。

そして、このプラトンの『イデア』やアリストテレスの『純粋形相』に神学者が『神』を代入して作ったのが、キリスト教の教義体系だという。

この思考様式に共通するのは、仮象よりも、本質の方が、価値が高いという価値観である。

だから、進歩とか、道徳とか、発展とか、そうしたものは、西洋社会の産物である。

仮象から本質への運動というものが、西洋社会がもたらしたものである。

だから、現実を理想(本質)に近づける運動が、進歩であり、歴史というものは、
その時間軸の中で、進歩という価値観によって考えられるようになる。

そして、道徳的葛藤は、動物から神へというこの運動の中で、低次の欲求は、より価値の高い高次の欲求のために押さえ込まれ、抑圧されなければならないということから生じてくる。

西洋近代が入ってくる前の日本にはこうした進歩とか、道徳とか、発展といった概念がないのである。

日本の村落で行われていた性風俗とイギリスのビクトリア朝時代の性風俗を比べてみると、それがよく分かる。ビクトリア時代に流行ったヒステリー症状というのは、性を連想した時に女性が激しく痙攣するという症状だが、前近代社会での日本のおおらかな動物に近い性風俗を比較してみると、その違いがよく分かる。

つまり、理想と現実の間で分裂しているのが、西洋近代社会である。

それに対して、現実とその現実の受け入れのみが存在しており、理想と現実の葛藤がないのが、前近代の日本である。

(だから、プラトンが古代ギリシアで生み出した思考は、低次のものと高次のものの二重性を生み出したと思われる)

この一神教や、イデア論に見られる超越論的な原理に対して、多神教というものはどのような位置づけになるのか。

多神教というのは、例えば、ギリシア神話に出てくる神々がそうである。

そして、ギリシア神話には惑星に対応する神々が登場する。

マーキュリーとか、ヴィーナスとか、それぞれ人格神であり、人間の延長上にある、分かりやすい神である。

実は、多神教というのは、この太陽系内の惑星のロゴスに対する信奉である。

限りなく人間に近い神々である。時には人間が神になってしまう場合もある。

例えば、中国で言えば、三国志の時代の英雄・関羽を祭った関帝廟というのがある。

あるいは、西洋と東洋を融合させ、オリエント文明を築いたアレキサンダーなども、もはや神話となりそうな人物である。

多神教の場合、人間と神の間に連続性があり、神というのは、超人であり、人間が持つ、潜在的な美徳を最高度に輝かせた存在である。

実際、神智学などによれば、太陽系の惑星群は、惑星ロゴスであり、かつての人間が進化した結果としての超人である。

惑星を象徴する神々というのは、人間との間に連続性があるのである。

それに比べて、一神教というのは、唯一神がこの世界の全てを創造したという考えであり、ほとんど思弁的に求められたものである。

抽象化されたそのような神は本来、全く何の意味も持たない。

数学でいう「無限」(∞)という概念と同じように意味がない。

それを表す言葉は存在するが、その内容については全く人間は想像することも出来ない。
全く思弁によって演繹的に求められた概念である。

だから仏教では、神とか創造主といった形而上の事柄についての議論を避けたそうである。

多神教の方が、人間に優しい神々であり、人間に理解することの可能な具体的な存在である。

然し、多神教の神々だと、それらはあまりにも人間くさく、絶対的な原理ではない為、人間の一切の価値を図る尺度、絶対的な超越的原理にはならない。相対主義であり、部族社会と同じようにその都度、様々な神々のご機嫌を伺うことになってしまう。

プラトンが登場する前のギリシアは、自然を崇拝し、神々を畏敬する多神教の世界であったそうだ。

「反哲学入門」の木田元氏によれば、プラトンは各地を遍歴する中で、ユダヤ人の一神教に触れた可能性も考えられると述べていた。

それがイデアという世界の全ての存在の背後にある超越的な原理を考案したきっかけではないかというのである。

ギリシアでも、古代インドのヒンドゥー教でも、惑星を象徴する神々が存在するのであり、それらは人間の延長上にあり、人間に近い神々である。

超越的で絶対的な全てを創造したとする唯一神を考案して、それを万物の尺度とした所が、西洋世界の力である。

一神教だと真理が一つに定まるので、それを基準にして、全ての正当性が確かめられるのである。

科学的知識とか、法律とか憲法とか、西洋社会が生み出した様々なものは、神⇒理性という流れでの、そういう絶対的な基準から導き出されている。

●つまり、多神教というのは前近代的な封建社会、部族社会での人間ライクな神であり、人間の延長上に存在し、多くの神々の力関係で価値判断が相対的に決まる。

●それに対して、一神教というのは、世界の全ての存在を基礎付ける超越的な原理であり、それを基準として、全ての判断が可能となる存在である。然し、そのような神は人間には想像することが出来ない。

従って、キリスト教は、唯一神を信奉しているに関わらず、神の子としての人間的な”イエス”を用いなければ、神の存在を伝えることは出来ない。

然し、イエスは唯一神などではない。ただの進化した人間である。

インドの聖者とかヨギと同じである。

またユダヤ教の旧約聖書にしても、神がアダムやイサクに話しかけたとか色々物語が出てくるが、話しかけたという表現を用いる時点で、やはり人間の形式を取るしかない。

つまり、一神教でも、神を表現するのに人間を用いざるを得ないのである。

純粋に抽象的な概念としての神は、誰も見たことがないし、誰もそれがどんな存在なのか分からない。数学の無限(∞)という概念と同じようにマインドが生み出した抽象的な概念である。

プラトンのイデアという考え方も、何か物がある場合、その物をそのように存在させたアイデアがあったはずだという推論から、導き出した概念であって、マインドが考案したものである。

このように哲学とか一神教の出現は、人間のマインドの能力を基礎にしている。

人間の理性というのは神から分かち与えられた自然を超越した原理であるため、西洋において人間は神になったと言える。

ギリシア時代に何か人間において、プラトンの登場という、人間の知性の飛躍的な増大を示す事件が起こり、ただ自然を受け入れるのではなく、自然を生み出した背後のイデアという超越的な原理を考案したり、神という概念を発明したりすることが出来るようになって初めて、絶対的な価値基準を人間は持つことが可能になった。

マインドによってそうした抽象的な超越的な原理を考案することで、人間は個別具体的な事物、現前する事実や物、そして、場当たり的な状況や相対的な状況から開放された。

そしてそうした原理を生み出すことによって普遍が可能になり、いつ、どこで、誰でも、そこから判断できるような基準が生まれたのである。

それを西洋人は真、善、美、正義、神などと呼ぶ。

それまでは全ては相対的であり、場当たり的で、普遍性や確実性がなかった。

その後、19世紀にニーチェとかハイデッカーとか、ニーチェ以降の知識人が理性とか神とかそうした形而上の価値に疑問を投げかけたようだが、それでも、それはあくまでも、プラトンから始まる西洋哲学の王道があって初めて成立する否定であって、プラトンから始まる西洋の哲学がなければ、ニーチェやハイデッカーの思想も生じ得なかった。

だからそれらはプラトン主義を覆すものではなく、修正するものに過ぎない。

また神智学という運動は、プラトン主義である。

そして、いつ、どこで、誰にでも通用する普遍が可能になることによって、世界は一つになることが出来る。

そういう意味で、プラトンのイデアから始まる西洋社会の思考様式は、歴史を推進させる力である。

私はまだ読んでないが、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』にはこのようなことが書いてあるのではないかと思うのである。

西洋近代というものが、このような強力な力を持っているため、TPPへの参加の議論などを見ても、日本人には何か西洋人にはかなわないという何か一つの白けムードが漂っているのではないかと思うのである。

どうせ西洋人にはかなわない。結局、彼らの価値を受け入れざるを得ないという、無意識的な無力感が支配しているのかもしれない。

然し、彼らが推進する普遍が本当に普遍なのか、真理が本当に真理なのか、それを慎重に識別することが私たちに出来ることである。

・西洋人のマインドは普遍を生み出した⇒その為、西洋人は強い⇒だから西洋人はアフリカやアジアを植民地にした⇒これは歴史の必然である

表面上、西洋近代を批判しながらも、無意識の中で、このような思考過程を受け入れている人が多いのではないかと思われる。

だから西洋人のマインドが生み出したこの文化や思考様式を乗り越えて、凌駕するには、マインドを訓練した上で、更にマインドを超越した直観を身につけるしかないようである。

一神教と多神教というテーマからかなり逸脱してしまったが、

これらは以下のように対比できる。

・個別的-具体的-人間的-多神教

・普遍的-抽象的-非人間的-一神教

上記で分かるように多神教というのは、具体的で、人間のような神である。

一神教の万物の創造主たる神というものは、抽象的で、人間の頭では想像することが出来ない。その存在が理論的には推測できるが、無限という概念を想像する時と同じように漠然としてあいまいにしか想像できない。また実際に体験することが出来ない。
但し、マインドがそのようなものを想定したのはすごい事である。

上記は、木田元氏の『反哲学入門』、『反哲学史』などを読んで思いついたことである。
また以前、『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人著 PHP文庫 という書籍を読んだが、そこで、苫米地氏は、具体的な考えよりも、抽象度の高い考えの方がより優れていると述べている。

抽象度の高い方が、より普遍性があり、適用範囲が広いのである。

そう考えると、多神教よりも、一神教の方が、神の概念としてはより抽象度が高いのである。というよりも、最も抽象度が高いのが一神教である。

知性の高いユダヤ人が一神教を信奉しているというのもこの抽象度の議論からすると非常に納得がいく。

結局の所、一神教の神とは、一つしかないのであるから、イスラム教の神でもあり、キリスト教の神でもあり、ユダヤ教の神でもある。

然し、多神教の方は、太陽系の惑星ロゴスをなぞらえた神々であり、人間により近い相対的な神々である。

この神々は唯一神によって造られた存在であり、人間とほとんど同じ立場である。

例えば、日本も多神教の国であるが、狐まで神にしてしまう所はほとんど、見たものをそのまま神にして祭ったということではないかと思うのである。ここには抽象度がほとんど見られない。

日本人は伝統的にマインドを使っていないのであり、考えるのではなく感じる民族なのであり、だからこそ、TPPの議論などは苦手である。雰囲気とかフィーリングで決めてしまう。

 















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西洋哲学、実存主義、認知科学について

最近、本屋に平積みにされていた『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』ダイヤモンド社という本を読んだ。

これが非常によい本だった。人にもお勧めしたい本である。

この本の中で紹介されていた哲学者の木田元氏の著作『反哲学入門』という本にもまた非常に教えられた。

これらの著書によって私の頭は最近、大きな刺激を受けている。

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