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スターウォーズ『最後のジェダイ』の感想 -延々と続くのか?光と闇の戦い-



スターウォーズ『最後のジェダイ』がツタヤでリリースされたので早速見てみた。


前評判で、やや首をかしげる表現があるということだったので、期待外れの内容だったら嫌だなと思いつつ視聴した。


まだ見ていない人がいるのであれば、あまり言うのは良くないが、問題の個所とは、おそらく最後のクライマックスのシーンで、伝説のジェダイ・ルークスカイウォーカーが登場するシーンである。


ルーク・スカイウォーカーが、ハン・ソロ(ハリソンフォード)とレイア姫の息子、カイロ・レン(ダークサイドに落ちてしまった)と対峙するシーンがあるのだが、そのシーンで、ルーク・スカイウォーカーは実際の肉体ではなく、遠隔の隠遁所から瞑想状態で顕した投影で登場するのである。


首をかしげる表現とは、そのシーンでルークスカイウォーカーが空中浮揚していて瞑想状態に入っている姿があたかも何かの宗教団体を連想させるからではないかと思った。


また宇宙船が攻撃を受けて爆破して宇宙空間に投げ出されて気を失ったレイア姫が、覚醒して超能力で飛翔して、宇宙船に戻ってくるシーンがあったがそれも、どことなく最近の映画の影響を受けているように感じられた。


最近はとにかく超能力を持った超人たちが大勢登場する映画が大当たりしている。


例えば、アベンジャーズといったあらゆるスーパーヒーローがちゃんこ鍋のように登場する映画である。






それ以外にもスターウォーズの中で描かれる様々なシーンの表現が、非常に不満が残る内容が多いのである。


例えば、あるシーンで、無人島で暮らしているマークハミルが釣り上げる魚が発泡スチロールかゴムで作られたような質感にリアリティーを感じさせないものだったり、色々と細部の作りに不満が残る内容となっている。


ハンソロの相棒チューバッカが焼いた鳥を食べようとするのを仲間の鳥が悲しそうに見て、チューバッカが鳥を食べるのをためらうシーンがあるが、どことなく漫画的でシリアス感がなかったりするのである。


後にこの鳥がチューバッカが操縦する宇宙船の隣にいるのだが、リアリティーが感じられない。






スターウォーズも第一作の頃には無かったような映像技術が駆使され、登場人物やキャラクターも増えて、映像自体は進歩しているのだが、何か脚本の中で示される人間像、キャラクター像が薄っぺらい感じがしてしまう。



カイロ・レン(ダークサイドに落ちてしまった)とレイが遠隔で対話するシーンなどは、完全に遠隔透視やテレパシーの世界であり、秘教の世界であるが、ジェダイという存在が完全に超能力者になってしまっている。


第一作からのスターウォーズでは、ジェダイが持っているフォースを操る能力はもっと地味で控えめな能力だったはずである。



それがこの第8作では、アベンジャーズに出てくるヒーローたちの超人的な能力のようなものになってしまっている。



この映画で、ルークスカイウォーカーは最後の仕事を終えて、力尽きて倒れるが、最後のジェダイが残されて、物語が振り出しに戻ったことが宣言される。





スターウォーズは世界の歴史の縮図である



このスターウォーズシリーズだが、この物語は、世界中の神話を元に構想されたのである。


従って、オリジナルが存在する。



そのオリジナルとは、人類自身の歴史の中にあると言っても良いかもしれない。


神智学、そして、アリスベイリーを学習した人なら分かると思うが、アトランティス時代の中期に未熟な動物人間の段階から進化を見守り導かれてきた人類の中で、マスターの教えに逆らい、イニシェートの法則から離脱する者たちが現れたと記されている。


これが黒魔術の起源であり、物質性の勢力の起源であるという。


それらの人々は高度に進化している弟子たちの一団であったが、マスターの利他的な教えに逆らった人々である。


そうした人々が、マスターに敵対するようになり、アトランティス時代の末期になると、現在とは比べ物にならないほど貧富の格差が拡大したと記されている。


そして、光の勢力と物質性の勢力の間で戦争になり、アトランティス文明は一旦、滅ぼされ、水中に没したのである。


そのアトランティス文明の水没は、聖書に記されているノアの方舟の物語であり、大洪水と呼ばれている。


世界中の神話には洪水伝説が記されているが、それはアトランティス文明の水没を示しているのである。


アトランティス文明の頃には、公の中で生活し、一般的な人類と共に生活していたマスターたちは、光の勢力と物質性の勢力の戦いによって世界が崩壊した後は、世界の山脈や砂漠などの隠遁地に退くことになり、以後、人類を舞台の背後から見守ることになるのである。


この辺りは、スターウォーズの中で、フォースを操ることが出来るジェダイが、それぞれの隠遁地に退いて、僧侶のように暮らして来たという状況設定の中で示されている。



そして、近代に入ってからの2つの世界大戦は、物質性の勢力と光の勢力がかつて対峙したのと同じメンバーが再び、同じカルマの元で参集して、再び対峙した結果だとアリスベイリーの著作の中で、解説されている。


物質性がヒトラーの世界征服の野望という形で顕現し、枢軸国と連合軍に別れて世界が戦ったこの戦争こそが、スターウォーズのテーマである。




そして、辛うじて光の勢力が勝利したが、戦後、今度は、アメリカ合衆国の中で、ネオリベラリズムや第二の植民地主義という形で、物質性が顕現している。



スターウォーズは、第一作から熱狂的なファンがいることで知られているが、何故、この作品がこれほどまでに人々を熱狂させるかと言えば、人類の歴史そのものの比喩になっているからである。



オリジナルの本物の物語が存在しており、オリジナルを似せて作られた作品である。



然し、少年少女は、このビジュアル的に分かりやすいこの冒険活劇に魅了され、オリジナルの物語があることも知らずに熱狂してきたが、実際、この熱狂していること自体が、深いレベルで、この作品にリアリズムを感じているからであると考えられる。




私自身、新世界秩序という用語を用いながら、このブログの中でも過去において、何度もこうした秘教的なテーマについて紹介して来ている。




最近のクライマックスは2010年~2012年にかけて中東においてリベラル左翼的な人々が、アラブの春で、民主化を勝ち取った頃である。



アメリカではウォール街を囲め運動などが展開されて、リベラル左翼的な活動が、非常に盛んになったのが思い出される。





然し、ここ最近になって2017年から米国のEU離脱やドナルドトランプ大統領の当選など、反グローバリゼーション的な運動が起こっている。



現在の世界は、右翼や左翼が様々な活動を展開して、非常に混沌としている状況であるが、その中で、例えば、マネーシステムを根本から変容させるかもしれないビットコインを初めとする仮想通貨という興味深い現象も起こっている。



非常に不可解なのは、最近、電気自動車が普及していく兆しが見えているが、イーロン・マスクなどの投資家、実業家が世界に打ち出している計画、例えば、ロケットエンジンを搭載した有人ロケットで、宇宙を旅する計画とか、既存の科学の枠組みの中での代わり映えのしない計画である。



例えば、UFOが世界に飛来しているが、UFOの乗組員はこの太陽系の他の惑星からの人々である。


そうした人々が乗船している宇宙船(UFO)は、反重力の推進システムを持っている。


そして、空間からフリーエネルギーを取り出す技術も持っているのである。



然し、UFOの真実が明かされたり、世界の富裕な資本家の力が打倒されるのではなく、旧来の科学の枠組み内でのロケット科学とか、そうしたものをイーロンマスクを初めとした実業家たちが、こぞって取り組んでいる。



そのような旧来の科学のパラダイム(枠組み)の中から少しも脱出することなく、ロケット技術とかそうしたもので宇宙に出ようという発想自体が、非常に物質的であり、違和感を感じるのである。



ロックフェラー石油帝国が今だに強い力を持っている証拠かもしれないと思うばかりである。




2010年~2012年頃、リベラル左翼の活動が盛んになって、世界の革命的な変化が決定づけられると期待したものである。




然し、その期待は頓挫し、代わりに2017年から右翼が台頭して、保守革命が起こっている。



私は保守的な人間なので、特に悪いとも思わないが、現在の仮想通貨などが流行っている状況は、全ての人にチャンスが開かれているので、貪欲にそのチャンスを掴み取れという風潮である。



個人の努力で、実力で、成り上がれ、会社を辞めて、自分で独立して成り上がって、経済的自由を掴み取れという風潮である。




これは完全にミルトン・フリードマンやハイエクの思想の通り、自由市場の中で、自分の実力で成り上がれという風潮である。



そして、その風潮が世界の中で、大変、心地よい感じとなっている。



非常に希望に満ちた状況が生まれてきている。



リベラル左翼的な根暗な感じが全くなく、積極的で希望に満ちている。




アメリカは衰退し、中国が台頭し、そして、ヨーロッパではドイツが理想主義的な政策を打ち出して、EU諸国を牽引してきた。



例えば、原発の廃止や無制限の移民受け入れなどによって、道徳的、理想主義的な政策を行なってきた。



然し、最近、理想と現実の狭間で苦しんでいるようである。





つまり、ここで思うことは、光の勢力と物質性の勢力の戦いは、現在、どのような局面に到達したのかということである。



現在、どうなっているのか?誰か解説できる人はいるのか?ということである。



私は、2020年ぐらいまで様子を見たいと思っている。



その頃には、新世界秩序への行進がどうなっていくのか、その展望が見えると考えている。



地球文明は新しいステージに進めるのか、宇宙文明に突入できるのか、その辺りをまだもう少し見守りたいと思っている。





例えば、日本について言えば、おそらく日本の安倍政権は、日本の明治維新から続く、実力者たちの最後の系譜である。



苫米地英人に言わせれば、安倍晋三はエース級の人物であり、安倍晋三よりも権威のあるプリンスは日本にはもういないのである。



だから安倍晋三が退いた後が、日本の変化の時期であると考えることができる。





スターウォーズを見て感じたこと



スターウォーズも第8作となって、ルークスカイウォーカーも亡くなって、また前作では、ハン・ソロ(ハリソンフォード)も映画の中で亡くなっている。



ダースベイダーや、ルークスカイウォーカーなど第1作からの人物たちが対峙するストーリーが終わり、スターウォーズも完全に世代交代したのである。



実際、第一作の時にレイア姫を演じたキャリーフィッシャーや、ルークスカイウォーカーを演じたマーク・ハミルは高齢であり、完全に引退の年齢である。



(キャリーフィッシャーは2016年12月23日に心臓発作で亡くなっており、この作品が遺作となっている)




然し、ダークサイドに落ちてしまったカイロ・レンや最後のジェダイとして見出されたレイなど、新しい善と悪の役柄が生まれて、対峙する形となっている。




スターウォーズを見て分かることは、また善と悪の戦いが、登場人物が世代交代し、また延々と続いていく兆候を示しているのである。




決して、終わる兆候が見られない。




ゴールがないのである。




延々と善と悪の戦いが続いていく感じなのである。





現在、現実の世界は右と左が入り乱れて、その中でも善と悪が入り乱れて、非常に複雑で混沌としている。




この戦いに終わりは来るのか?



スターウォーズというこの長大なスペースオペラが、第8作において、ルークスカイウォーカーの口からまた闘いは振り出しに戻ったなどと宣言したのである。




このスターウォーズの「闘いは振り出しに戻った」宣言は、私にとっては非常にショックである。疲れがどっと噴き出した感じである。




この戦いがまだ延々と続く兆候を示したからである。





スターウォーズは、さすが世界の様々な神話を元に作られただけあって、その大筋の光と闇の戦いというストーリーは、人々の魂の琴線に触れるリアリティーを感じさせるものであった。



この作品が、シリーズ第8作を経て、完全に世代交代した感じである。



実際に役柄を演じた俳優たちも高齢化してキャリーフィッシャー(レイア姫)のように亡くなったり、またマークハミル(ルークスカイウォーカー)なども今回、映画のストーリーの中で亡くなったのでもはや新しい作品に出ることはないと思われる。



然し、第8作で、闘いは振り出しに戻ったと宣言されるのである。



光と闇の闘いが延々と終わりがないことを物語っており、また第8作以降も作品が作られていくことを予感させる終わり方である。




余談だが、今度、ハンソロの若き日を映画にした作品がリリースされるらしいが、例えば、寺沢武一のスペースコブラは、おそらくハンソロをイメージしていると思うのである。



コブラとその相棒のレディーというコンビは、ハンソロと相棒チューバッカのコンビを元に作られたのではないかとふと思った。




スターウォーズが作られた時、まだ世界は冷戦の真っ只中であった。



ソビエト連邦の東側陣営とアメリカを中心とする西側陣営が対峙していた。



アメリカの目から見て、世界は単純であり、自分たちは正義で、相手側は悪であった。



アメリカはまだ自分たちが正義であると思って自信を持っていた時代である。




これは第二次世界大戦の時にヒトラーの野望をアメリカを中心とする連合国軍が打ち砕いて、世界の自由を守り、世界の王者にアメリカが君臨して以来の感覚である。



自分たちは正義の味方で、世界を守り通したし、今後も自由主義諸国の利益を守るのだという考え方である。




然し、第二次世界大戦後、アメリカこそが裏で陰で、世界の戦争を煽り、国益を推進し、帝国主義国として振る舞ってきた。



1970年代に入ると、ネオリベラリズム(新自由主義)の影響で、貪欲なアメリカの多国籍企業による世界の市場化、植民地化を進めてきたのである。



そして、ジョージ・ブッシュの頃にイラク戦争が行われるに至って、アメリカはとうとう露骨な侵略者、悪の帝国に成り下がった。



もはや秘密裏に行うこともなく剥き出しの露骨さで侵略戦争を行なった。




こんな状況なので、スターウォーズが作られた時とは、世界の状況は全く異なっている。




最近の仮想通貨のICOなどを見ても、アメリカに在住している人は参加できないという条項が多く設けられている。



アメリカは嫌われている証拠ではないかと思われる。




アメリカはもはや世界の警察として正義を行なう力もなく、自ら侵略戦争などを行ない、気候変動条約などからも離脱して、世界への責任も果たさない。



光の陣営であると誇れるようなものは残っていない。



そうしたアメリカの混乱が、スターウォーズの失敗や、つまらなさに反映されている。




第8作の『最後のジェダイ』が酷評されているとはいえ、何故、このスターウォーズシリーズが、こんなに長い間、熱狂的に人々から親しまれ継続して来たのか?



それは秘教的な視点から人類の歴史を俯瞰する物語だからである。



そこには人類の真の歴史物語が含まれている。



だからこそ、人々は感動するし、その人気は衰えないのである。



その歴史物語が今後、どのような筋書きを辿って行くのかは注目に値する。



実際の人類の歴史の展開とも関連しており、そこに参加する我々全てが、スターウォーズの登場人物であると言うことができる。



スターウォーズというこの世界的な人気を誇る冒険活劇に夢中になるのであれば、その元となる真実のストーリーにも興味を抱いて欲しいと思う次第である。
















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映画『X-ミッション』について

最近、話題となっていた『X-ミッション』という映画を見た。

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オリンピックに出場するような一流アスリートたちがノーCGで、様々なジャンルのエクストリームスポーツを披露するのだが、以前、見たキャスリン・ビグロー監督の「ハートブルー」と世界観がそっくりであった。

調べて見ると実際、『ハートブルー』のリメイク/リ・イマジネーション作品のようである。

HeartBlue
内容は完全に一致している訳ではないが、その中に流れる思想や登場人物たちの生き様が「ハートブルー」とそっくりなのである。

詳しい映画のあらすじについては、実際に映画を見て頂いた方がいいかと思うが、この映画のテーマは過酷な自然環境をエクストリーム・スポーツで制覇することによって、精神的な悟りを得るという「自己啓発」がテーマになっている。

何故、エクストリーム・スポーツの選手たちが、自ら最も厳しい人間を寄せつけない自然環境を選び出し、それにあえて挑戦しようとするのか?

それは過酷な自然に挑戦し、それを克服する過程で得られる精神的な悟り、あるいは、生きている実感を得たいからである。

それは有能なアスリートたちが持っている共通した感覚である。

何か不可能に挑戦すること自体が、深い精神的な理想と結びついている。

これらは明らかに射手座の理想主義であり、自己啓発を求めて、前人未到の記録に挑戦するアスリートたちの典型的な思想である。

スポーツを通し、肉体的な限界に挑戦することを通して、精神的な悟りに到達しようとするのである。

例えば、エベレスト山への登頂を試みたり、日頃、全く運動をしていない人が、ホノルルマラソンに挑戦しようとすることがある。

それらに共通するものは、何かそれを達成することを通して、精神的な成長(精神的な悟り)を得たいからである。

スポーツや肉体を通じての挑戦であるため、それには具体的な目標が必要である。

それがエベレスト山であり、ホノルルマラソンの完走だったりするのである。

この作品には、射手座が喜びそうなエクストリームスポーツ(Xスポーツ)が一通り登場する。

例えば、ムササビのように空を滑空するウイングスーツや、ビルからパラシュートを使って落下するベースジャンプや、大波に挑むサーフィン、岩壁を素手でよじ登るフリークライミング、雪山をスノーボードで滑り降りたり、モトクロスで、砂漠の丘陵を滑走したり、登場するXスポーツは、皆、射手座が好みそうなものばかりである。

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若干、あらすじの内容にも触れると、この作品に登場する謎の犯罪者集団は、ダイヤモンドを強盗し、パラシュートで高層ビルから脱出した後は、ムンバイの街にダイヤモンドをばら撒いたり、南米上空で現金を輸送中の貨物機から現金を空にばら撒いたりするのだが、元エクストリームスポーツ界の有名人であったFBIの新米捜査官ジョニー・ユタが、犯人たちの目的が「自己啓発」であると見破るのである。

そして、謎の犯罪者集団への潜入捜査を開始する・・・・。

この謎の犯罪者集団は、自然を制覇することから更に進んで、自然と調和し、自然と一体となることで悟りを得て、自然に返すという思想を持っている。

それは人間の手から自然を開放することを意味している。

この犯罪者集団のリーダーは、かつて環境保護活動家であった「オザキ」(日本人がモデルとなっている)が、環境保護活動として捕鯨船の前で抗議活動をした際に捕鯨船の衝突を受けて死亡したのである。

その為、犯罪者集団のリーダーは、過激なテロリズムによって、実力行使することによって、人間の手から自然を力づくで取り戻すという過激な政治思想に行きついてしまったようである。

つまり、射手座の自己啓発が過激なアナーキズムな政治思想と一体化したのである。

このオザキという日本人が、考案したエクストリームスポーツの8つの難関のことを「オザキ8」と呼び、犯罪者集団は、それらを全てクリアすることが目標となってる。

そのため、次々に難攻不落の大自然を相手にしたエクストリームスポーツが登場するのである。

この「オザキ」という環境保護活動家は、その雰囲気が、ロシアのカムチャッカで大自然の写真撮影中に熊に襲われて死亡した伝説のカメラマン星野道夫氏に雰囲気が似ている人物である。

やはり、この「オザキ」という架空の人物も射手座の思想が結実したキャラクターではないかと思われる。
非常に面白いと思ったのは、この犯罪者集団のリーダーが、常に口にする自らの矜持、決まり文句がある。

それは「自分で選んだ道」というセリフである。

これは射手座の中心的な思想を表しており、「人生は自分自身の自由意志で選択している」、

そして「自分の人生は、自分の選択や自由意志で切り開く」という思想の表れである。

射手座は木星が支配星となるため、哲学的であり、特にその中でもムーラは、支配星がケートゥとなるためか、人生の生きる意味や目的を常に求めているナクシャトラである。

人間の存在の理由、人間はどこから来て何処へ行くのかといった深い哲学的な問いをいつも内に抱えているのである。

そして、おそらくこれがスポーツの3室に絡む場合にスポーツを通して悟りを得て、そのことを通して世界を救うというような壮大な理想主義的な目標を抱くのではないかと思われる。

おそらく天秤座ラグナで3室射手座に惑星が在住するとか、ラグナはどこでもいいが、3室の支配星が射手座に在住するような場合にそのような思想を持つ、アスリートが生まれるのではないかと思うのである。
因みにこの映画の元となった『ハートブルー』の監督は、キャスリン・ビグローである。

キャスリン・ビグロー監督自身が、このような射手座の自己啓発とスポーツの精神が合一した思想を持っていることが推測され、私は射手座のムーラに惑星が在住しているはずだと考えた。

早速、チャートを作成してみると、天秤座に月が在住し、月から見て9室支配の水星が射手座ムーラに在住している。

KathrynBigelow_chart
従って、結果は、私の理論通りであった。

天秤座のチャンドララグナから見て、9室(哲学、思想)が3室(スポーツ)の射手座ムーラ(哲学的、物事の根本を探究)に在住している。

3室はメディア、映像のハウスであり、従って、キャスリン・ビグロー監督はこのような思想を映画の中で表現したと理解できる。

また今回の『X-ミッション』のエリクソン・コア監督もキャスリン・ビグローの『ハートブルー』から強い影響を受けたと語っており、やはり射手座のムーラに惑星が在住しているのではないかと推測される。(※エリクソン・コア監督の出生データは不明)

キャスリン・ビグロー監督は、この『ハートブルー』の他に『ハート・ロッカー』という作品も撮っている。

HurtLocker
イラク戦争に従軍する爆弾処理部隊の隊員である主人公が戦場の中でしか生きている実感が得られず、家庭に戻って来ても直ぐに戦場に舞い戻ってしまう姿を描いた作品である。

全く反戦映画とは異なる人間の生きる意味を問いかける作品であるが、この中にもキャスリン・ビグロー監督の射手座の思想がよく表れている。

今回見た『X-ミッション』という作品だが、原題は、『Break Point』である。日本語に訳すと「中止点」となる。

BreakingPoint
これはおそらく、射手座の崇高な理想主義と、反社会的なテロリズムとの狭間のポイントのことを指していると考えられる。

この映画では射手座の理想主義を抱きつつ、この中止点を超えてしまった犯罪者集団を描いている。

射手座には「限界を突破する」という思想があり、それは過酷な自然に立ち向かうエクストリームスポーツの精神そのものである。

私も射手座にラーフが在住しているためか、自己啓発的な考え方に接する機会があるのだが、以前、自己啓発セミナーに参加したこともある。

その自己啓発セミナーの名前が「ブレークスルー」であった。

ブレークスルーとは、行き詰まりの状況や難関や障害を突破することを意味しており、これが射手座の基本思想なのである。

そして、その思想がスポーツの分野に適用されたものが、エクストリームスポーツである。

射手座の人にとっては、不可能に思える状況や障害を自分の選択や自由意志で克服し突破していくというストーリーがたまらないようである。

映画『X-ミッション』とはそのような人たちのための映画である。

(資料)



 

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映画「X-ミッション」エリクソン・コア監督 有名アスリートが撮影に協力、全編がクライマックスのようなアクション大作
2016.2.19 13:15 産経ニュース

極限の技を競うエクストリームスポーツ(Xスポーツ)のアスリートによる犯罪集団と、FBIの潜入捜査官の対決を描いた「X-ミッション」が20日、全国公開される。秀作「ハートブルー」(1991年)をリメーク。サーフィンやスカイダイビングなどの有名アスリートが撮影に協力し、全編がクライマックスのような迫力に満ちたアクション大作となった。(岡本耕治)

現金を輸送する貨物機を襲撃後、スカイダイビングで逃走するなど、超人的な手口で犯行を重ねる犯罪集団が登場。元XスポーツのアスリートだったFBIの研修生、ユタ(ルーク・ブレイシー)は、彼らがXスポーツの究極の挑戦「オザキ8」を達成しようとしていることに気づく…。

エリクソン・コア監督は「ワイルド・スピード」などの撮影監督で知られる人物で、今回が2作目。電話取材に、「『ハートブルー』は強い影響を受けた作品。“再解釈”できる機会がもらえてラッキーだった」と語る。

ユタは仏沿岸の巨大な波の上で、犯人グループのリーダー、ボーディ(エドガー・ラミレス)に接触する。せり上がるエメラルドグリーンの波の途方もない質量と美しさ、そして、その中をサーフボードで滑っていく2人の技量。見たこともないような力強い映像に、思わず声がもれる。

さらに、ウイングスーツで岩場すれすれを飛行、ベネズエラの高さ980メートルの滝、エンゼルフォールを素手でよじ登るなど、雄大な自然を舞台に展開されるアスリートたちの豪快で華麗な技に見入ってしまう。

各シーンはCG(コンピューターグラフィックス)ではなく、著名アスリートたちが実演した。

「アクションというより、各スポーツのドキュメントを撮っている感覚だった。危険な撮影だったが、安全には極力、気をつけた」と振り返る。

過激な自然保護思想を持つボーディらの目的は、オザキ8の達成と環境破壊を行う企業の襲撃で、自然に敬意を表すこと。ユタはグループに潜入して極限への挑戦を繰り返す中で、彼らに連帯感を覚え、自分を見失っていく。

「自分の居場所を探すユタと、世界を変えたいというボーディの渇望はメーンテーマ。ルークとエドガーは安全ロープは付けてはいたが、非常に勇気のいる撮影をこなした。そうした体験が、彼らのせりふ一つ一つに生きているんだ」

CG映像満載の作品があふれる中、アスリートたちの本物のスタントは実に新鮮に映る。

「天気やアスリートの体力など多くの制約があり、差し迫った状況からエネルギッシュな映像が生まれる。最近の映画にはそれが足りないんだ」と語った。
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人工知能について

先日、読者の方から米国でエクスマキナという、google社がモデルとなっている人工知能をテーマとする映画が公開されるので、人工知能について、ジョーティッシュの立場から検討してみて欲しいという要望があった。

exmachina
googleがandroidなどのOSの音声認識にディープラーニング技術を用いて、音声認識の精度を50%にまで向上させたという。

従って、最近のスマートフォンなどに「何か端末に向かって話して下さい」といったメッセージが表示するのを目にした方は多いと思うが、人工知能の技術が身近になって来ている。

現在、googleが世界中の地図情報とGPSを用いて、自動運転の電気自動車を開発しているが、最近のテクノロジーの進歩は凄まじいのである。

この自動運転の障害物を探知するセンサーなどにも人口知能のディープラーニング技術が用いられている。

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ディープラーニングは、ニューラルネットワークの多層化、特に3層以上のものに対し、1990年代に進められた脳、特に視覚野の研究[疑問点 – ノート]や、「たった一つの学習理論(英語: One Learning Theory)」、ブルーノ・オルスホーゼンによるスパース・コーディング理論を基にしたアルゴリズムが実装されたものを指す。
これに画像などのデータを入力すると、情報が第1層からより深くへ伝達されるうちに、各層で学習が繰り返される[1]。この過程で、これまでは画像や音声などそれぞれのデータの研究者、技術者が手動で設定していた特徴量が自動で計算される。

特徴量とは、問題の解決に必要な本質的な変数であったり、特定の概念を特徴づける変数である。この特徴量を発見できれば、あらゆる問題の解決につながったり、パターン認識精度の向上や、フレーム問題の解決につながったりすると期待されている。この階層的な特徴量の学習が、ディープラーニングが従来の機械学習と決定的に異なる点である[9]。
この技術は、画像認識や音声認識等の分野に活用される。2012年には、Googleの開発したグーグル・ブレインが、猫の概念を学習することに成功した。
これはAI研究に関する大きなブレイクスルーであり、学習方法に関する技術的な革新である、と松尾豊(東京大学准教授)は指摘している。

(wikipedia ディープラーニング)
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ディープラーニングとは、人間の脳の機能や、認知の仕組みなどの研究を通じて、人間の脳の学習過程を真似て、それをコンピュータに落とし込んだ技術である。

人間が対象物を認識する時の概念形成のメカニズムを再現できているのであれば、コンピューターの処理速度が高まり、扱えるデータ量が大きくなれば、人間の能力を超えてしまうということなのである。
こうしたテクノロジーの進歩の背景には、コンピューターの処理速度の飛躍的な進歩がある。

そして、現在、注目されているのが、量子コンピューターである。

量子コンピューターとは、量子のスピンの状態は観測した時に決定するので、観測するまでは確率的に重なり合って存在していると考えるようである。

0か1かという状態を同時に保持することが出来る。
従って、量子演算とは、量子ビットによって、同時に並行的に可能性のある複数の計算をしていることになる。

そして、最終的に観測した時にその計算結果のうちから一つを取りだすというイメージである。
量子演算の計算速度は速いため、同じ計算を何回も繰り返し、出てくる頻度が高かった結果が、確率的に高い結果として採用するようである。
量子の状態は、複数重なりあって、存在しているため、それはパラレルワールドであるという考えもあるようである。
つまり、これは私たちの自由意志や選択の問題とも関わってくるかもしれないが、人生の様々な局面で、どのような選択をしたかによって異なる人生となった可能性があるのだが、そうした可能性の世界が複数存在しているということである。

非常に哲学的であり、抽象的である。

量子テレポーテーションなどもそうした抽象的な科学の一つである。
テレポテーションなどSFの世界の話だったものが、実用化に向けて真剣に実験が繰り返されているという。
既に上述したが量子力学の世界は、観察した時に初めて、猫の生死が決定されるという「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験がある。

原子の周りの電子がどこに存在するかは確率的にしか分からず、観察した時、観察したことがその結果に影響を与えてしまうのである。
量子テレポテーションの原理とは、「量子的重ね合わせ」の関係にあるこの2つの粒子のスピンの状態は、一方を、誰かが観測すれば、もう一方の粒子の状態も瞬時に決定することを利用したものである。

つまり、どんなに距離が離れていても一方の粒子のスピンの状態が、同時に(つまり、光速よりも早い速度で)もう一方の粒子に伝わるということである。

これを応用することで、量子コンピューターの処理速度を向上させることができるという。
つまり、現代物理学は、客観的な物質の世界と、観察する主体としての人間の意識を考慮しなければならず、高度に哲学的で抽象的である。

「量子的重ね合わせ」という概念もそうした概念である。

こうした非常に高度で抽象的な科学が出現して来たのは、まもなく春分点が水瓶座に入室していく効果ではないかと考えられる。

因みに現在、春分点は魚座の6°付近にあるが、私はこれまでトランジットの木星や土星が星座に入室する2か月から2か月半前からその星座に入室した効果を発揮することを観察して来た。

西洋占星術ではこの原理を5度ルールと呼んでいるそうである。

木星は約1年で1星座分の30°を運行するため、2ヶ月前から2ヶ月半前というと、角距離にして5°~6°ぐらいになるのである。

従って、現在、魚座の6°付近に春分点があるということは、もう水瓶座に春分点があると考えてもいいのである。

すなわち、水瓶座の時代というのは、今、我々人類に起こりつつある現実である。
過去2000年の魚座の時代は、魚座は水星(知性)が減衰する星座であるため、カトリック教会に支配され、迷信がはびこり、中世では天動説が説かれ、科学が否定された暗黒時代であった。
春分点が水瓶座に入ると、水瓶座の支配星は土星であり、また土星がムーラトリコーナとなる星座であり、土星の強さが発揮される星座である。

またラーフの定座であるともされており、ラーフは航空工学やロケット工学など、工学、エンジニアリングの惑星であり、そのラーフも力を発揮する星座である。
従って、水瓶座の時代というのは、科学万能の時代である。

今まで、神秘的で理解出来なかったものが、全て科学の名の下に理解が可能になるのである。
そして、その水瓶座から見た5室は双子座である。

5室は知性、識別力の星座であり、水瓶座時代の思考方法というのは、双子座で表されるのではないかと思うのである。
双子座は風の星座であり、水星は木星と共に哲学の表示体でもある。

ここ最近のテクノロジーが量子力学の原理を応用したものが多く、高度に抽象的で、哲学的になって来ているのはその為である。

量子力学、量子コンピューター、量子テレポテーション、そして、人間の脳の機能を応用した人工知能と、最近のテクノロジーは、単純な古典物理学で説明できる世界ではないのである。

高度に抽象的である。

因みにある概念を考える時にそれを包括する抽象度の高い概念がある。

例えば、個別具体的な椅子があるとして、それらの概念から椅子のイデアというものが存在するとする。

ディープラーニングというのは、個別具体的な椅子の知覚からどのように椅子のイデアを獲得するかということの研究でもあり、プラトンのイデア論にも通じてくるのである。

そういう意味で、人工知能の考え方自体が、哲学や認識論とも非常に通じていることが分かると思う。

ソシュールの言語学、フッサールの現象学といったものまでが、考察の対象となってくるのである。
そして、今までは神を信じなさいと言われてきたのであるが、これからは、高度な哲学的な取り組みから、神を考える必要が出てくるのである。
これはジョーティッシュにも共通してくる特徴である。

ジョーティッシュを突き詰めていき、惑星の配置が、人間の運命を決定していることを嫌というほど、見せつけられると、この世界、この宇宙を創っている神の存在というものはどうしても考えざるを得ないのである。

従って、ジョーティッシュを極めることで、逆に敬虔な信仰者になっていくという逆向きのプロセスが進行していくのである。

これからの時代の知的な人間の精神的アプローチは、宗教を信じるのではなく、宗教を理解するというアプローチになるはずである。

そして、双子座はフリーメーソンの表示体でもあり、また金融や株式市場の表示体でもある。
今後、宗教理解の鍵は、フリーメーソンの理解がポイントである。

つまりは、ヘレナ・ブラヴァツキーや、アリスベイリー、神智学の読解が必要となる。
因みに私がこれほど双子座について多くを語るのは、私の双子座に水星と土星とケートゥが在住しているからである。

土星は双子座のムリガシラーに在住し、ケートゥはアールドラー、水星はプナルヴァスに在住している。

そして、水星はヴァルゴッタマであるため、双子座の自室に水星が在住している。
従って、私はフリーメーソンや、量子力学、人工知能などについて語るのに適した人間ではないかと考えている。
そして、人工知能について、私の体験談として若干、語ることがあるが、以前、ジャイミニのチャラダシャーにおいて、私はチャラダシャーが乙女座に移行した時にAmk(アマティアカラカ)の水星が乙女座から見て10室に在住した時期があった。
これはジャイミニメソッドにおける上昇の印である。
それは短期間であったが、非常に職業的に飛躍した時期であった。
その時に私はプログラミング言語のJavaなどを学習し、エンジニアとしてもっとキャリアアップすることを目論んでいた。

そして、その時にN社で多少働いたことがある。
このN社には非常に背の高い人物が多く、私の直感では明らかに双子座ラグナの人が多い印象だったのである。

あるいは、乙女座ラグナで10室が双子座に該当するような人物が働いていた印象であった。

N社の社風としては、非常に優秀な少数のプレーヤーがその他、大勢を牽引していくような社風であった。
そして、そのN社の社員が量子コンピューターの分野で基礎研究となる画期的な研究成果を上げたようである。

N社で働く人々の中には極端に優秀な人物が混じっており、そうした人が何気なく語っている内容を傍で聞いているだけで、その優秀さが滲み出ているのを感じたものである。
そんなことから、私は量子コンピューターの量子力学を応用した量子ビットを考え出すような知性は、強い水星の象意であり、そして、それは高度に抽象的であるため、双子座がもたらしたものではないかと考えたのである。

もちろん乙女座から見た10室、すなわち、乙女座の行為のハウスである双子座という意味で、乙女座とも関係があるものと考えられ、特に水星が強い乙女座や双子座が量子コンピュータに関係しているのではないかと思ったのである。
一方で、私はH社にも入ったことがあるが、H社は特に傑出した天才はいないが、普通の平均的な人々の力をうまく活用するシステムが整っており、その集団力によって問題を解決していくような社風であった。

グループ活動を最も推進し、発達させているのがH社である。H社が企業体としては成功を収めているのはその辺りに秘密があると考えられる。

グループ活動とは水瓶座がもたらす原理であるため、H社は最も時代に適合した社風なのである。
因みに量子コンピューターのような分野は一人の天才的な人物の能力が重要になるため、私はそんなことからN社が人工知能とも関連する量子コンピュータの分野で、一歩、他をリードできたのは、双子座の力ではないかと思ったのである。
因みに人工知能に詳しいのは、苫米地英人である。

私が苫米地英人の著作を読んでいて感嘆したのは、マイクロソフト社が盗聴して技術を盗みに来るぐらいの天才プログラマーであり、高度な技術者でありながら、『心の操縦術』(PHP文庫)といった著作の中で、プラトン哲学のイデア論を平易に解説したり、「苫米地英人、宇宙を語る」という著作の中では、斬新で哲学的な宇宙論を展開している。

wikipediaで苫米地英人の経歴を見ると、機能脳科学や計算言語学、分析哲学、離散数理科学、認知心理学といった研究分野が書き連ねてあるが、まさにこうした分野の総体が、人工知能なのである。

因みに苫米地英人は、私は牡羊座ラグナに設定しているが、牡羊座ラグナに設定すると、D60(シャシティアムシャ)において、双子座に水星とラーフと金星が在住している。

また水瓶座に土星が在住している。
この辺りの双子座の強さが人工知能の研究をした理由ではないかと考えられる。

言語学や認知心理学といった人間の言語や認知といった分野に関係している訳である。

それは本来、双子座の象意である。


因みに人工知能の研究とは、知性が知性を生み出すというその究極の研究である。

それはまさに知性の表示体である水星によって行なわれている活動であり、水瓶座からみた5室である双子座において行われている創造活動であり、水瓶座時代の科学である。

水瓶座時代の創造性とは双子座がもたらすのである。

水瓶座の時代とは、全く想像もできないほどの驚嘆すべき世界である。

その時代へ向けて、我々は日々、行進しているのである。

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「人間の転送装置」が実現する日も近い? 微生物のテレポーテーション実験が本格化、驚愕の実験内容とは?
2016.01.25 知的好奇心の扉 トカナ

ケーブルも電波も使わずに量子の“もつれ”状態を利用して情報伝達を行う「量子テレポーテーション」――。人類にとって夢のコミュニケーション手段だが、この技術を用いて我々人間のような有機生物の“中身”を転送できる可能性が見えてきたというから驚きだ。まさに海外ドラマ『スタートレック』で使われている“転送装置”が実現する日も近いのだろうか。
■有機生物の“中身”をテレポーテーションする

量子力学の実用化の試みは、昨今目覚しい発展を遂げている。2014年にNASAのJPL(ジェット推進研究所)、NIST(アメリカ国立標準技術研究所)、スイス・ジュネーブ大学などの物理学者からなる研究チームが、光ファイバーを用いてこれまでの「量子テレポーテーション」最長記録を大幅に更新する25kmの隔離に成功したのもつかの間、2015年11月にはNTT物性科学基礎研究所の武居弘樹氏が主導する研究チームが、およそ100kmの距離で成功し、世界記録を塗り替えた。

これまでのニュートン力学や、アインシュタインの理論による理解の範囲を超えた量子論だが、研究と実用化の試みは着々と進められている。その中でも、米・インディアナ州パデュー大学のトンカン・リィ教授と、中国・清華大学のツァン・クィ・イン博士が共同で行っている実験は、ひときわ斬新で奇妙なものである。それというのも、微生物を量子テレポーションで瞬間移動させようという前代未聞の実験なのだ。ということは、もしこの実験が成功したとするなら、いずれ我々の肉体を瞬間移動させることができる“転送装置”が現実のものになるかもしれないのだ。

だが気を急いてはいけないようだ。現状では有機生物の“中身”をテレポーテーションすることがまずは試みられている。しかし、そんなことが可能なのか?
■量子的重ね合わせの状態をつくりだす

実験のカギを握るのは、テレポーテーションさせようとする有機体を、量子的重ね合わせ(Quantum superposition)という状態におくことである。では、この量子的重ね合わせとはどんな状態なのか? これを説明するためには、前世紀の初旬にまでさかのぼることになる。それは以前トカナでも紹介しているが、オーストリア人物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが1935年に行った思考実験「シュレーディンガーの猫」のことだ。

ここでは詳しい説明は避けるが、わかりやすく手短にいってしまえば、「シュレーディンガーの猫」とは確率50%で生死の境目にいる箱の中の猫のことだ。青酸ガスを仕掛けた箱に入れられた猫が、一定の時間が経過した後に、はたして生きているのか死んでいるのか、当然のことながら箱を開けてみるまでわからない。これを量子論では“観察”することで猫の生死が決定されると解釈するのだ。つまり、開ける前の箱の中にいる猫は生きてもいるし、死んでもいるという2つの可能性が共存した存在なのである。そしてこの状態こそが、量子的重ね合わせの状態なのだ。

リィ教授らは、有機体がテレポーテーションをするには、まずこの量子的重ね合わせの状態にしなくてはならないと考えている。しかし、思考実験の中の話ではなく有機体を実際に量子的重ね合わせの状態にするには、一体どうすればよいのだろうか。
■記憶などの情報が離れた有機体の間でテレポートできるようになる

リィ教授らによれば、有機体を量子的重ね合わせの状態にするには、まず冷凍状態にしなければならないという。冷凍にすることで有機体内の化学的活動とエネルギー消費、外界との相互干渉がなくなり、いわば物質化する。実験では、テレポーテーションさせる有機体を微生物に設定していることから、まずはこの微生物を冷凍状態にするのである。

次に、この冷凍した微生物を、電動で細かく振動する薄い皮膜の上に配置する。イメージとしては、叩いた時の太鼓の張り皮のように薄皮が細かく振動している状態だ。こうして振動する皮膜の上に置かれた冷凍の微生物は、量子的重ね合わせの状態になるとリィ博士らは主張している。

実際にコロラド大学の研究開発チームは2年前に、アルミニウム製の振動する皮膜を開発し、マイクロ波光子を量子的重ね合わせの状態にして維持することに成功しているということだ。

そしてこの冷凍した微生物と振動する“太鼓”を2セット用意し、その間を超伝導回路(superconducting circuit)で結ぶと、2つの微生物の“中身”はまったく同じものになるというのだ。つまり一方の“中身”が他方へテレポートし、同じ内部状態の微生物が別々の場所に同時に存在することになるのである。

テレポートする“中身”といっても内臓や体液などではなく、今のところは“情報”だけである。たとえば記憶や感情などが離れた有機体の間でテレポートできるのではないかと考えられているのだ。「Daily Mail」の取材に応えたリィ教授は、次のように胸を張る。

「我々は、2つの微生物が同時に存在できる方法を真正面から提案しました。そして将来、量子的重ね合わせの状態の微生物がテレポートできる青写真を描いてみせたのです」

もちろんこの研究の最終目標は、人間を含む生物のテレポーテーションであることは間違いない。まさに『スタートレック』の“転送装置”の実現である。量子テレポーテーションについては、まずはインターネット網に代わる量子ネットワークの実用化が先決だと思っていたが、意外にも早く“転送装置”の可能性が見えてきたことになる。しかし微生物ならともかく、人間の場合は冷凍後に蘇生できる技術が確立されていないため、まだまだ課題は山積みだろう。それでも、まったくのSF的な夢物語と考えられていたテレポーテーション実現の糸口が見つかったことには驚くばかりだ。実用化は遠い将来のことではあるが、今後の研究に期待したい。
(文=仲田しんじ)
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パラマハンサ・ヨガナンダ伝記『永遠のヨギー~ヨガをめぐる奇跡の旅』について

パラマハンサ・ヨガナンダの伝記映画『永遠のヨギー~ヨガをめぐる奇跡の旅』(原題『AWAKE:The Life of Yogananda』)の評判がいいので、最近、渋谷のユーロスペースという映画館に行って見て来た。昼間の上映であったが、映画館の待合室は込み入っており、座席は若干の空席を残してほぼ満員の状態であった。大変な評判である。会場の人の会話では見に来たのが4回目という人もいたようである。

映画を見て改めて分かったことは、パラマハンサ・ヨガナンダは、インドのヨガの教えを、射手座の成功哲学のように教えたということである。

アメリカに渡ってヨガを広めたというのも、故郷を離れて遠い異国の地に旅立つという射手座の象意そのものである。

射手座はナチュラルゾーディアックで9室目であり、遠距離旅行という象意を持っているからである。

アストロデータバンクにある出生データでヨガナンダのチャートを作成すると、ラグナと月が獅子座マガーで、ラグナロードの太陽と水星が射手座に在住している。

ParamahansaYogananda_chart.gif
映画の中で、ヨガナンダはアメリカでは人が訪れるのを待っているのではなく、自ら講演録を多方面に郵送して、当時としては画期的なダイレクトレスポンスマーケティングを行っていたというのである。

この場面を見て、なるほど、パラマハンサ・ヨガナンダは、射手座の成功哲学好きな営業マンのようなプロモーションを行なったのだと納得したのである。

それはビジネスの表示体である水星と太陽が射手座5室に在住している為である。
例えば、獅子座ラグナで、射手座5室に金星、木星、太陽が在住する村上春樹もアメリカ文学を好んで、よく翻訳しているが、射手座は、精神的な幸福の追求には必ず物質的な繁栄の追求が伴う成功哲学の表示体である。

村上春樹が最も好きな作品は、フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」である。

昔の恋愛相手のことが忘れられない富豪が恋人と再会するために毎晩のように派手で贅沢なパーティーを行なうというストーリーである。

また1997年当時、アイドルだった田村英里子が、射手座に在住するマハダシャー木星期(木星/木星)になった途端に「自己実現への道」というアメリカの心理学者が書いた自己啓発の本を読んで、インスパイアされ、木星/土星期に留学のため、アメリカに渡米して、やがてハリウッドで女優としてデビューしている。

以前、田村英里子の経歴を調べていて、そのことについて何度か言及しているが、射手座は成功哲学と関係があるということは当時から考えていた。

そして、大きな書店の自己啓発のコーナーに行けば、ナポレオン・ヒルから始まって、カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」といった本など、ほとんどの成功哲学がアメリカの物質的に富を築いた成功した実業家が書いた本である。

アリス・ベイリーの著作の中にも射手座という星座は「物質的である」という評価が為されているが、射手座の表現というものは、やや物質的なのである。

射手座は物質的な繁栄を目指し、またそれを獲得する星座である。

従って、パラマハンサ・ヨガナンダの教えも、精神世界に関する成功哲学としてアメリカ人たちに受け入れられたのである。

従って、映画の中でも言及していたが、当時、ヨガナンダの講演内容は、アメリカ人が喜びそうな自己啓発的なノウハウなど多岐に渡っていたようである。

ヨガナンダの弟子の一人に成功した実業家の石油王ジェームス・リン氏がいるが、「幸福はお金で買えると思っていたが、そうではなかった」といったことを述べている。

つまり、物質的に成功した人が更に精神的な幸福も獲得したいというのが成功哲学である。

東洋のように啓明を得るために物質的なものや家族など全てを捨てるようなことがあるなら、アメリカ人には受け入れられない。

このようにパラマハンサ・ヨガナンダの教えは、成功哲学的であったが為にアメリカ人たちに受け入れやすかったと思われる。

ヨガナンダが広めたヨガの教えは、ハリウッドのセレブなどに浸透し、今では日本の各地の駅前にもヨガスクールが出来て、一つの流行のようになっている。

おそらく、冥王星が射手座を通過していることによって、成功哲学の大衆化が起こっており、それと同時に高度なヨガの教えが、成功哲学の大衆化と共に一般に広く普及した結果ではないかと思われる。

ロバート・キヨサキの本とか、そうしたベストセラーを生み出したのはこうした成功哲学の大衆化現象である。

ヨガスクールで1年程度、ヨガを習った人が直ぐにヨガの先生として教え出すといった商業化されたヨガブームは、まさにパラマハンサ・ヨガナンダのアメリカでの活動が始まりだったのだとよく分かった。

このヨガナンダの教えがアメリカに伝えられたことによって、ヨガの商業化が始まったのである。

その為に大衆に幅広く普及することになった。

商業化とは、お金を対価にしてサービスを提供するということである。そしてそれをシステム化するということである。

それはアメリカ人の得意分野であり、市場化や商業化が得意である。何でもビジネスにしてしまう。

例えば、私も参加したことがあるが、自己啓発の数日間の研修パッケージなど、非常に洗練された商品である。

そこで、ハリウッドのセレブから始まったヨガブームに資本が目を付けて、ヨガブームが普及したのである。

然し、商業化することによって、大衆に普及するが、それと共に高度な教えの質の劣化も始まるのである。

従って、今では、巷にはヨガの先生があふれているが、本物のヨガの教師に会うことは難しくなっているのである。

先日、ある人と会ったのだが、そのようなことを嘆いていた。それについては別の記事で書いてみたい。

おそらくジョーティッシュに関しても私が知った2002年の段階では、まだ趣味でやっている人たちが仲間と知識を共有し合って楽しんでいるといったレベルであったが、こちらもヨガと同じように商業化が進んできている。(私もそのプレーヤーの一人か?)

ヨガほど簡単でないので商業化が難しいのであるが、然し、それでもヨガと同じような流れにあると考えられる。

ヨガナンダのチャートに戻るが、スワミ・シュリ・ユクテスワと出会ったのが、1910年の金星/木星期である。

マハダシャーの金星は5室支配の木星からアスペクトされており、木星は5室の支配星である。

また木星は5室支配で8室で自室に在住し、9室支配の火星と接合している。

ナヴァムシャで、木星と金星は9室(師匠)に在住している。

出生図で5室支配の木星と9室支配の火星が8室に在住しているが、8室はヨーガのハウスである。

8室はシッディや生命力、クンダリーニ、微細な身体のエネルギーなども表し、それらを扱う科学のことである。

ヨガナンダも脊髄の中に神がいるといった風にしてヨガを教えていたようである。

ヨガを実践する人のほとんどが8室が強調されている。

パラマハンサ・ヨガナンダの場合も8室に5室支配の木星とヨーガカラカの火星が在住していることで、非常にヨガの才能に恵まれていたことを表している。

そして、木星はグルの表示体であり、9室支配の火星もそうである。

それが8室に在住することによって、パラマハンサ・ヨガナンダは、グルであるシュリ・ユクテスワと寝食を共にして厳しく訓練され、育てられている。

このように師匠との関係が密になるのが、9室と8室の絡みである。

そして、1915年7月にグルからイニシェ―ションを受けているが、8室と9室の絡みは、グルからイニシェ―ションを受ける配置である。グルと弟子の関係が非常に密接になる一つの儀式である。

金星/水星期にイニシェ―ションを受けており、金星から見ると水星は8室の支配星である。

ヨガナンダがシュリ・ユクテスワと出会った時の様子が印象的である。

グルを求めていたヨガナンダが、ふと振り返るとそこにユクテスワが立っていたのであるが、夢に見たその人であり、またユクテスワは待っていたと伝えた。

この強い因縁、そして、出会ったが最後、補足されて、完全にグルの管理下に入るかのような強烈で決定的な出会いというものは、8室の木星、そして、8室に在住する9室支配の火星の象意ではないかと思うのである。

インドのグルから弟子へ継承される知識、いわゆるパランパラは、こうしたグルと弟子の密接な関係によって伝えられていくが、この関係においては、おそらく8室が強調されていると思うのである。

従って、つまり、パランパラとは、グルから弟子への知識の相続(8室)という意味があることが分かる。

そして、この過程において2-8の軸が強調されるということは、伝統社会とか家族的なつながりの中で、教えは継承されていくということなのである。

最近では、出版やインターネットの普及などによって、教育のやり方が変化しており、人は書物を通じて学ぶことを求められる。

そして、それで書物から学んで、それで自己努力で知識を得てしまうという場合も少なくない。

それが現代の教育であり、家族とか伝統社会とかそうした封建的な関係の束縛が希薄である。

然し、究極的な知識は、こうした家族的なパランパラの中で継承されると考えられる。

家族的なつながりを築いた相手に継承するのであって、寝食を共にして、家族のようになった相手に知識を伝えるのである。

決して、どこの馬の骨か分からない他人には継承しないのである。

それはパランパラにおいては、2-8の軸が強調されるからである。

つまり、パランパラというのは、伝統社会(2-8軸)の習慣であることが分かる。

他にヨガナンダは1920年8月20日の太陽/木星期にアメリカに渡っている。

ラグナロードの太陽は5室(弟子)に在住し、木星は5室(弟子)支配で8室に在住し、12室(海外)にアスペクトしている。

太陽は12室支配の月のディスポジターであり、また12室にアスペクトする木星は太陽のディスポジターである。

マハダシャー太陽期、そして、12室支配でラグナに在住するマハダシャー月期を通して、アメリカでヨガを指導したと理解することが出来る。

ヨガナンダがアメリカに渡ると、弟子たちの寄付や石油王ジェームス・リン氏がパトロンとなったことで、資金的な面では困らなかったようである。(因みにジェームス・リン氏が石油王であるのは、8室が水の星座だからである⇒石油は液体を表すため)

これは5室支配の木星が8室(不労所得)で自室に在住しているからである。

またヨガナンダの映画を見ていて、ヨガナンダをサポートしたインド時代からの仲間(名前忘れた)が、アメリカ人女性にヨガの個人レッスンをしたことが、夫に誤解されて暴力事件に発展したことがあり、それがきっかけで、その仲間は、ヨガナンダとは別の団体を作って、分離独立してしまうようなことがあった。

またヨガナンダが、アメリカ人の夫人たちを惑わしているということで、色々非難、中傷を受けたようである。

これは、5室支配の木星が8室に在住し、火星と接合して、6、7室支配の土星からアスペクトされているからである。

弟子との関係でトラブルが生じてしまうのである。

また10室支配の金星が6、7室支配の土星からアスペクトされているため、ヨガナンダのアメリカでの活動はこのような誤解から中断を余儀なくされたり、色々障害に直面している。

パラマハンサ・ヨガナンダのような聖者であっても、出生図の惑星配置が示す、特定のカルマの結果を被ることがよく分かる。

最後にヨガナンダの師匠であるシュリ・ユクテスワのチャートである。

SriYukteswar_chart
牡羊座のバラニーに惑星集中していることが注目される。

シュリ・ユクテスワのチャートで水瓶座に月と木星が在住しているが、これはパラマハンサ・ヨガナンダのナヴァムシャの9室に在住する木星や金星に対応していると考えられる。

『永遠のヨギー~ヨガをめぐる奇跡の旅』では、このシュリ・ユクテスワとの出会いのエピソードや、ヨガナンダがアメリカから帰国した時のユクテスワとの再会などの感動の場面について触れられており、またアメリカでの活動の実際が、当時の資料などに合わせて提示されており、ヨガナンダの経歴を知る上では、非常に参考になった。

またヨガナンダのラグナが獅子座ラグナということで納得できる内容であった。















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映画『メランコリア』について

最近、『メランコリア』という映画を見た。”メランコリア”とは抑鬱、鬱病という意味で、映画のストーリーとしては、太陽の後ろに隠れていた”メランコリア”という惑星が地球に衝突する直前の人間模様を描いた作品である。

鬱病の妹ジャスティン(主演:キルスティン・ダンスト)が結婚するので、資産家の夫を持つ姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)が、妹のために盛大な結婚式を挙げるのだが、まず、冒頭のシーンで、リムジンが大きすぎて、道を通ることができず、結婚式の会場への到着が2時間も遅れるというシーンからスタートする。つまり、快適な乗り物の旅(4室)が阻害される。結局、徒歩で結婚式会場に到着した様子が描かれている。

まず、最初の場面から不吉さを醸しだすのだが、その後、結婚式の中でも、ジャスティンの母親(4室)が、否定的で厭世的な内容のスピーチをし、自分の部屋に閉じこもってしまう。

つまり、ジャスティンの鬱病を象徴するような母親の姿である。

そして、ジャスティンは気分が安定せず、明るく振る舞っていたかと思うと、次の瞬間には抑鬱的な表情を見せることを度々繰り返し、奇矯な振る舞いに参加者たちは困惑して気分を害する。

そして、最後には上司と夫を怒らせて、結婚は白紙に戻り、結婚式が台無しとなる。

つまり、人々を招いた祝宴の場(4室)が不幸な形で幕を閉じる。

そうした不幸な結婚式のエピソードが描かれた後、後半では、惑星メランコリアがついに地球に接近して来て、科学者の軌道計算を信じていたクレアの夫は、メランコリアが地球に衝突する疑いが強くなると、悲観して毒薬を飲んで自殺してしまう。

そして、メランコリアがますます地球に接近して大気が奪われて呼吸が苦しくなったり、岩石の雨が降ってくるようになると、クレアは激しく動揺するが、鬱病のジャスティンは、奇妙な程、冷静で落ち着いている。

wikipediaによれば、このエピソードは監督が鬱病に苦しんでいた頃に出席したセラピーセッションで鬱病の人々は先に悪いことが起こると予想し、実際に悪いことが実現していく段階では、他の人々よりも冷静に行動する傾向があるということをセラピストから聞いていた体験から得たアイデアであるという。

そして、最後にもの凄い近距離に近づいた巨大なメランコリアが地球に衝突するシーンで映画は終わりを遂げるのである。

地球は母なる大地という言葉があるように私たちの住居であり、惑星全体は4室が表示体である。

宇宙船地球号という言葉もあるが、4室そのものである。

その地球にメランコリアが接近して、最後に衝突して、地球の生命が失われてしまう。

つまり、物語の背景としては、メランコリアが地球に接近して衝突するという事件を扱っているが、その中に登場する人物や出来事も全て、メランコリア(抑鬱、鬱病)を象徴する出来事ばかりなのであり、映画が、メランコリア(抑鬱、鬱病)の数多くの象徴によって彩られている。

 非常に憂鬱になる映画であるのだが、ここまで憂鬱になる作品を作ったラース・フォン・トリアー監督は、メランコリア(抑鬱、鬱病)の才能があると言える。

実際に若い時に鬱病に苦しんでいたというのだから、やはり、映画監督は自らの人生観や思想を作品に反映させるのである。

因みにwikipediaによると以下のように記されている。

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カンヌ国際映画祭における記者会見でラース・フォン・トリアーは本作におけるドイツのロマン主義芸術からの影響を話した後、「ヒトラーに共鳴する」などと発言したために反ユダヤとされた。カンヌ映画祭事務局側は事態を重く受け止め、「好ましからぬ人物」としてトリアーを追放した。出品された「メランコリア」は審査の対象から外されなかったものの、仮に授賞してもトリアー監督は出席できない。
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監督自身は追放されたものの、作品自体は芸術作品として評価されたということである。

つまり、芸術は道徳や幸せから切り離されているということかもしれない。

 

この映画に一貫して流れているテーマは4室の傷であり、4室の喪失である。

こうした映画を見ることになった私自身、蟹座に月が在住しているので、現在、月から見て4室に土星がトランジットして、月にアスペクトしている。

だからこのような映画を見る羽目になったと言えなくもない。

4室は幸せのハウスであり、”THE HOUSE OF JOY”(喜びのハウス)と呼ばれる。

従って、4室、あるいは4室の表示体である月に傷が付くと、喜びが阻害されるのである。

そうした4室が傷ついた、阻害されているテーマを様々なエピソードで彩った本作品は、芸術作品としては優れているのかもしれないが、全く憂鬱な作品である。

現在、領土問題などで、争いが絶えないが、領土問題というのは4室への傷である。

だから今現在、国民全体が抑鬱的な状態の中にいるということである。

日本にとっては東北大地震と原発事故によって国土(4室)に大きな傷を受けたのであるから、やはり、国民全体が抑鬱的になりやすい状態にあるといえる。

1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約による日本国の建国図では、現在、4室で減衰するマハダシャー水星期であり、水星は6室の支配星と接合して4室に在住し、逆行する土星と火星からアスペクトされているのだから、やはり、国土(4室)というテーマで、色々問題が生じやすいと考えられる。

だからか、東北大地震、原発事故に続いて、ロシアによる北方領土への訪問、中国の尖閣諸島への不法上陸、韓国の竹島の実行支配などによる領土問題が引き続いて、国民の幸せや喜びを阻害する要因となっている。

総じて、国民全体が喜びを失い、心が不安定になりやすい時期である。

日本国民としては何とかしてこの難局を乗り越えていかなければならない。

もっと視野を大きくすれば、地球環境の破壊によって、この私たちに幸せや喜びをもたらす、住まい、乗り船であるはずの地球自体が、あと10~15年ぐらいでもう再生不可能な状態になると言われている。

だから、今はメランコリアの時代であり、どうにかして、この難局をクリアした時に喜びがやってくるのは間違いない。

地球自体がメランコリアをクリアする方向に進んでいけば、それは国家、地域、家庭といったあらゆるレベルに波及していくのだから、まずは私たちが目指すべきは、新しい世界である。

 

 















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映画に見る水瓶座の時代

今度、公開される映画『アベンジャーズ』の広告が駅の構内に掲示されていた。
「アイアンマン」、「キャプテンアメリカ」、「ハルク」といった本来、別々の作品で主人公となったキャラクターが一堂に集結して世界を救うというストーリーである。

同じような映画として『エクスペンダブルズ』も既に公開されているが、シルベスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、ミッキー・ローク、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーといった本来、一人でも主役を張れるアクションスターたちが集結した映画である。

『エクスペンダブルズ』のポスターを見た時、ついにこの面々まで共演するのかと驚いたが、これが今、主流のスタイルであり、主役は一人ではなく、大勢いるのである。

ツタヤなどのレンタルビデオ店に行くと、海外ドラマで主役が一人ではなく様々な俳優たちが共演するシリーズものの作品が流行している。

最近の「ファンタスティックフォー」とか「Xメン」といった作品も主役は個人ではなく、チームであり、グループである。

日本で言えば、AKBなどがそれに当たるかもしれないが、CMなどでも複数の俳優が共演する内容が多くなっている。

こうした傾向は明らかに水瓶座の影響、価値観によるものである。

「全体は部分の総和以上の何かである」という命題で語られるホリスティックな思想が、芸能の世界でも実践されている。

単に主役が目立てばいいだけでなく、主役を含めた共演者全員が一つの出演者の総和以上のホリスティックな全体としての作品を創り上げている。

これを一歩、進めると特定の主役などいなくても出演者全員が一つのチームとして機能し、全体としてここの出演者の総和以上のチームとして面白い作品を作ることができるということになり、強烈な個性とカリスマで集客できるようなスターがいなくてもいいということになる。

二流、三流と評価されるような俳優でも大勢出演することで全体としては一人のトップスターだけを売り物にした作品よりも魅力的に見えてしまう。

これが今、海外ドラマに人気が出ていることの理由ではないかと思われる。

魚座の時代というのは、個人主義の時代で、カリスマ的スターが教祖のように一人で主役を張る時代であった。

例えば、石原裕次郎とか、マリリンモンローとか、プレスリーとか、伝説のようになったスターたちがそうである。

然し、水瓶座の時代は、普通の人たちが主役であり、普通の人たちの大きな集合体、グループが主役である。

その普通の人たちの巨大な集合体には、カリスマ的スターもたちうち出来ないのであり、だからこそ、シルベスター・スタローンもアクションスターを一堂に集める映画を創ったり、複数の共演者が主役であるようなコンセプトの作品が多くなって来ている。

このことは以前も触れたかもしれないが、「アベンジャーズ」、「エクスペンダブルズ」といったハリウッド作品のポスターを見て改めてそう思えた。

 















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ギリシャ債務問題再燃について、及び、映画『スライブ』の紹介

ギリシャの債務問題が再燃し、G7で緊急電話会談が開かれている。

ギリシアに欧州各国が援助するのと引き換えに緊縮財政を迫っているのだが、ギリシア国民が納得しないのである。

それでギリシア国民が緊縮財政を受け入れなければ、ユーロ離脱となって、借金は事実上踏み倒された形となり、そのことが債権国の欧州各国を直 撃し、世界市場も混乱する。ギリシア離脱が明らかになる兆候が見え始めるやいなや市場が反応するはずである。

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G7財務相・中央銀行総裁、5日夜に電話会談
2012年6月5日11時22分 読売新聞

 日米やドイツなど先進7か国(G7)の財務相・中央銀行総裁は、深刻化する欧州の信用不安や金融市場の混乱について協議するため、5日夜に緊急の電話会談を行う。市場安定化に向けて協調姿勢を示す狙いがあるとみられる。

 安住財務相は5日午前の閣議後記者会見で、「G(7)のメンバーは世界経済の不安定な状況について懸念をそれぞれ持っている。意思疎通がそ ろそろ必要な局面になってきている」と述べた。

 電話会談では、危機に陥ったユーロ圏の国を救済する安全網の拡充や、スペインを中心とした金融機関の資本増強のあり方などを議論する見通しだ。外国為替市場の安定に向けて緊密に協議し、中央銀行と協力して金融市場の安定に全力を挙げる方針も確認するとみられる。
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このギリシアにつきつけられた緊縮財政は非常に過酷なものであるらしく、ギリシア国民にまともな生活を保証しないものとなる。

その為、ギリシア国民は反発しているが、これは当然の話である。

ギリシア人は働かないで借金で生活しているからこういうことになるのだとギリシアを批判する意見もあるかもしれないが、本来、世界資源が一部の富裕層に集中しなければ、万人がゆとりのある生活を送れるだけの資源は十分にあると言われている。

ただその分配がうまく行っていない。それは現行の市場原理主義経済によっては、決して、実現され得ない。

市場原理主義経済は、株主の利益を最大化するため、その為に労働者を長時間労働でなるべく低賃金で働かせようとしたり、非常にぎすぎすしたゆとりのない社会を生み出す。

債務が負担できない国家は、保健、教育、医療などの福祉部門の予算を削られて、社会保障やセイフティネットを失い、ホームレスや仕事のない人々を大量に生み出す。

従って、そうした人たちが大量に発生した社会では社会不安が増すため、富裕層は、低所得層から守られた安全な要塞のような街をつくりだして、 そこに住んで、差別化を図るため、二極分化が進むのである。

私たちは、低賃金でやっていくことに慣れてしまって、このことに疑問を持たないかもしれないが、ギリシア国民の方の感覚の方がまともなのである。

もっと我々はのんびりと豊かに暮らせるはずなのであり、そんな競争、競争で、金を稼ぐことを一生懸命考えなくても本当はよいのである。

第二次世界大戦の後、暫くは、まだよかったのだが、アメリカで、ワシントンコンセンサスの経済政策が広く普及し始めた頃から、社会が非常にぎすぎすし始めている。

ジョン・パーキンス氏の回想録『エコノミック・ヒットマン』に詳しいが、発展途上国にインフラ建設を勧めて、米国の多国籍企業を稼がせて、借
金漬けになって負債が返済できなくなった途上国に過酷な緊縮財政や国家財政の大幅な構造改革を迫り、保健、医療、教育といった福祉部門の予算をカットさせて、国連などで米国の政策に賛成するように要求する。

このことを国家安全保障局(NSA)などが組織的に行ってきたのが、第2の植民地政策である。

識者の話によれば、日本の構造改革、郵政民営化、金融自由化、日米構造協議などで、年次改革要望書として、米国が日本につきつけてきた様々な日本経済への要望も、このワシントンコンセンサスの実施に他ならない。

それでも日本は経済的に強いため、貧富の差が拡大したという感覚はあるが、それでも何とか我慢しているのかもしれないが、然し、かえるが、鍋の中で、徐々に温度を上げても沸騰するまで気づかないというのと同じように徐々にじわじわと、この過程が進んでいるため、だんだん社会がぎすぎすしているのであるが、徐々に変化しているので中々、気づかない。

然し、あまり物がなかった一昔前の方が、今よりものんびりしていて、豊さがあったのである。

サービス業に従事する人にも昔は余裕があったが、今は、皆、低賃金、長時間労働で、働かされているため、あまり余裕がなく、余分なサービスや気遣いを示したり、客に過剰にサービスするだけの余裕がない。

ギリシアの債務問題で、もしギリシアがユーロから離脱して、リーマンショック以上の金融危機が訪れたら、それは今度こそ、このシステムの終わりにつながっていく。

だからギリシアのユーロ離脱と、株価の大暴落や金融システムの機能不全はよいことである。

人は皆、車輪の中で、車輪を回し続けるネズミの図にあるようにせっせと車輪を回し続けているのだが、その車輪そのものから、出ようとし始める 。これが金融システムの崩壊によって起こるからである。

このシステムそれ自体を変革しようという動きにつながるのである。

まだシステム自体がなんとか機能している間は、中々そうした動きにつながらないのであるが、システムが機能しなくなった時には、もうこれは止めることのできない動きが生じてくる。リーマンショックの時は大銀行が国民の税金が投入されて救済されたが、今度はそうはいかない。

それがこれまで言われてきた2012年の地球文明の大転換である。

ギリシア国民は極めてまともで豊かな感覚を持っていると言わざるを得ない。本当はああして毎日、遊んでいるのが人間なのである。

何か仕事もないのに生活のために金を稼ぐことばかり一生懸命考えていて少ない就職口のために激しい競争をしているようなことは異常である。

人が競争などしなくても好きなことをして遊んで暮らせるのが、それが地上天国というものである。今は地上天国になる前の段階にあって、文明の転換期のまさに最終局面である。

私はこの5~6年ぐらい世界はロスチャイルドやロックフェラーが支配しているといった類の陰謀理論に関する本をずいぶん読んできた。

それで過去にいろいろコラムにもそのことを書いている。

それで、最近は『負債としてのお金』や『ツァイトガイスト時代の精神』といった作品が出てきており、映像と音声でそうした陰謀理論について、
学習することが出来る。

陰謀理論というのはそれらをよく吟味すれば、非常にまともで、正確なこの世界の現状について説明する理論だと思われる。

ただ難点なのは、陰謀理論というものは支配される側からの視点で記述されているために否定的な面ばかりを取り上げようとする面もある。

陰謀理論に出てくるロックフェラーとかロスチャイルド、JPモルガンといった支配者たちは、別に陰謀などを練っている訳ではなく、優秀な知性
と政治力によってこの世界を支配するに至ったのであって、彼らにとってはごく自然なことなのである。

彼らはマインドを高度に発達させた、ある意味、超人なのである。

絶えず人間を支配してやろうと考えてさえもいないのである。息を吸って吐くように全く自然に支配者として君臨している。

時々、歯向かってくる人間に対しては、彼らが指一本上げなくても、彼らの勢力の末端の人間が暗殺なり、失脚などさせて、知らない間に排除する。彼らにとっては、おそらく、食べたり、寝たり、性行為したりすることしか考えていない一般大衆というものは、蟻のように見えるらしいのである。

だから彼らの支配というものは一般大衆との知力にあまりにも差があるために自然発生的に生じている。

彼らとしては自分たちのビジネスを展開して、儲けようという彼らの成功物語を追求していく過程で、国家財政や世界経済システムを支配するに至ったのであろうと思われる。

だから私は陰謀理論については文字通りに受け取ってはいないが、然し、こうした理論の中で言及される事実関係などは非常に正確なことなのである。

17世紀にヨーロッパで始まった株式会社の仕組みや、株式、証券市場、国際銀行ネットワークなどによる金融資本と産業資本の結合により資本主義が拡大し、石炭石油などのエネルギービジネスや戦争ビジネスなどを構築して、彼らは世界の支配者として君臨したが、それらが終わるときが近づいている。

このことに関連して、最近、知ったのだが、『スライブ』という映画がある。

昨年2011年11月11日の象徴的な日に公開されたネットユーザーの中でひそかに視聴されている巷で話題の作品である。

スライブ公式ページで無料で視れるので、言語で日本語を選択して、是非、見るべきだと思う。
http://www.thrivemovement.com/the_movie

 

またこれらについて書き起こした人がいるので合わせて読むといいかもしれない。

http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/583.html

私は、学生時代にジョージ・アダムスキーのUFO全集を読みあさったり、深野幸一氏の新しい文明をもたらすフリーエネルギー新技術の紹介本などを読んだり、精神世界関連の書籍もよく読み、またここ最近5年くらいは、ロスチャイルドやロックフェラーといった金融資本家の支配とか国際銀行ネットワークの成立の歴史とか、信用創造の仕組みに関する書籍を読んできたが、それらのことがこれ一本に全部まとまっているような優れた作品である。もう本など読む必要はなく、これ一本を見れば十分である。

作品の最後では行動も呼びかけている。

1~2年前にチャイトガイスト時代の精神という作品もあったが、それよりも完成度が高く、よくまとまっている。

これを見て、今の文明の転換期の課題について学習し、行動することが急務である。

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どうなるギリシャ債務危機問題 反緊縮派が勝利なら混迷も
2012.5.25 01:36 産経ニュース

 欧州連合(EU)が23日開いた非公式の首脳会議では、ギリシャのユーロ残留を求めることを確認した。再燃しているギリシャの債務危機問題はそもそもどうして起きたのか、今後どうなるのかなどをQ&Aでまとめた。

 Q ギリシャ問題の発端は

 A ギリシャで2009年10月に誕生したパパンドレウ政権が国の財政を調べ直し、歳入よりも歳出の多い財政赤字がこれまでの公表数字より
大きく膨らむことを明らかにしたのがきっかけだ。市場ではギリシャの財政に対する不信感が強まり、国債が売られて価格が暴落し、利回りも急騰した。ギリシャは市場から資金を調達できなくなり、借金を返せなくなる心配も大きくなった。

 Q これまでギリシャにはどんな支援がされてきたか

 A 市場はギリシャと同様に債務不安を抱えるスペインやイタリアなども警戒し始め、これらの国の国債価格も急落した。問題を放置すれば、ギリシャが借金を返せなくなるだけでなく、国債を大量に持つ欧州の銀行に巨額の損失が発生し、かつての日本の金融危機と同じような事態を招きかねない。このため、EUと国際通貨基金(IMF)はギリシャに対し、10年5月に約1100億ユーロ(約11兆円)の第1次金融支援、12年3月に約1300億ユーロの第2次金融支援を決めた。このうち、約1400億ユーロの融資がすでに実行されている。

 Q 支援の効果は

 A ギリシャは支援のおかげで3月に期限を迎えた国債の大量償還を何とか乗り切ることができた。その結果、市場の動揺もひとまず収まり、欧州経済への信用を示すユーロ相場は上昇した。

 Q ここにきて問題が再燃しているのはなぜか

 A 5月6日のギリシャの総選挙で財政緊縮策を進める与党が大敗し、緊縮策に反対する野党が躍進したためだ。その後、連立政権の樹立に向けた与野党の協議も不調に終わり、6月17日に再選挙が実施されることになった。緊縮策はEUなどの支援の条件だが、増税や景気の悪化など痛みを伴うために国民の反発が強い。再選挙でも野党が勝利すれば、緊縮策が停滞して支援がストップする恐れがあることから、市場の不安が再び高まった。

 Q 今後の焦点は

 A ギリシャに対する次回の融資は6月末の予定で、同国はそれまでにEUと合意した116億ユーロの歳出削減策をまとめる必要がある。再選挙の結果、反緊縮派の政権が発足した場合、新政権はEU、IMFに緊縮策の見直しを求めるとみられるが、これに応じるかどうかだ。
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「欧州の銀行システム強化が重要」と米財務省高官が声明
2012.6.5 10:00 産経ニュース

 米財務省高官は4日、欧州債務危機の深刻化に対する声明を出し「欧州の銀行システムの強化に向けた行動がとりわけ重要だ」と強調した。

 声明は「欧州各国首脳は緊急性を高めて行動しているようだが、今後数週間で行動が加速することを期待している」とし、メキシコで18、19

日に開かれる日米欧と新興国による20カ国・地域(G20)首脳会合に向けた取り組みを求めた。

 カーニー米大統領報道官は4日の記者会見で「欧州危機が深まるリスクを取り除くための対策が十分でないと、市場は依然として疑いを持っている」と述べた。(共同)
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中国、ギリシャ離脱に備え対応策 年末を想定
2012.6.5 17:34 産経ニュース

 中国政府がギリシャのユーロ圏離脱に備え、自国経済への影響を緩和するための対応策を策定中だと5日付中国英字紙チャイナ・デーリーが政府系研究機関幹部の話として報じた。同幹部は「年末にギリシャが離脱するという最悪のシナリオを想定している」と指摘。財政省や商務省が立案に関与し、為替相場、貿易への影響や金融市場の混乱を和らげる措置を検討中という。

 ギリシャが17日の再選挙の結果次第でユーロ圏から離脱することになれば、ユーロ安が進み、人民元が急上昇すると予測されている。中国の輸出業者にとって打撃となるほか、世界最大の外貨準備高の約2割を占めるユーロ資産の目減りも懸念される。

 欧州経済低迷の長期化で中国の主要な貿易相手である日本、米国の景気も悪化して中国の貿易が一層鈍化し、中国経済がさらに減速する悪循環に陥る恐れがあると指摘されている。(共同)
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ラジニカーントが主演する話題のインド映画『ロボット』

世界興収100億を超えた話題のインド映画『ロボット』を視た。

『ムトゥ踊るマハラジャ』でおなじみのラジニカーントが主演しており、この映画でラジニカーントのファンになった私としては期待して見に行ったのだが、期待通りの作品で、アクションシーンが凄く、またロボットがフォーメーションを組んだりといった発想も独創的で面白かった。

善悪がはっきりしており、悪人がヒーローに殴られて風船のように飛ばされるのが壮快である。

何よりも非常にストーリーが分かりやすい大衆が楽しめる映画である。

インドの建国図を見ると、ラグナが牡牛座で、3室にはラグナロードの金星、4室支配の太陽、2、5室支配の水星、9、10室支配の土星、3室支配の月が在住して、3室に惑星集中して、ラージャヨーガ、ダナヨーガを多数形成している。

3室はメディアを表すため、この配置がインドで映画産業が盛んであることの印である。
そして、3室の惑星群は、宗教、精神性を表す9室にアスペクトしている。

従って、インドは霊性大国であり、霊的教師(グル)を多数輩出する国でもある。

また3室は映画産業を表す他、通信、コミュニケーションも表すため、ソフトウェアの開発や、世界の有名IT企業のカスタマーサポートセンターなどのアウトソーシング先としても発展している。

インドということで思い浮かべるイメージは、映画やIT産業(ソフトウェア開発)、グルが住む巡礼地といったイメージだが、全てその象意は3室やその対向の9室が関わっているように思われる。

またインドに行くと、インフラ整備が進んでおらず、オートリキシャーと呼ばれるバイクに客車をくっつけたような乗り物(タクシー)があるが、そうした乗り物で中央分離帯などはほとんど関係なしに運転手が各々の目的地に縦横無尽に走り回る姿は、非常に大衆的な蟹座の特徴を示している。交通の3室蟹座に惑星が集中するインドならではと思わせる交通事情である。

インドでは、古代から現代まで多くの霊的教師を輩出してきた霊性大国であり、それは宗教、精神性を表す9室へのラグナロードやヨーガカラカのアスペクトで理解できるが、一方で、グルが逮捕投獄されたりもしており、ジョーティッシュを非科学的であるとするような伝統文化を理解しない人々もいるようであり、そうした伝統的な精神性、宗教の文化に敵対的な人々もいるのは、木星が8、11室支配で6室に在住しているからではないかと思われる。

9室の象意については吉凶が混合しており、非常に複雑である。

また7室にケートゥが在住しているが、インドはどちらかと言えば、外交に積極的ではなく、内に閉じている国家である。

このようにインドの建国図はインドの特徴をよく示している。

インドは多民族国家で、全体としての統一が取れないで、個々の民族が地域ごとにまとまって、様々に活動している様子が、特に蟹座らしいのである。

蟹座というのは基本的に個人主義で、リバタリアンで、自分の好きなように行動する人々であり、それがインドの大衆である。各々が個人主義者であるだけに公共のインフラ整備など国全体の統一的な整備の方は進んでいないように思われる。

話がだいぶ脱線したが、この3室蟹座への惑星集中がインドの映画産業を表しており、ボリウッドスターというのは大衆から愛好されるスターなのである。

インドの映画では必ずヒーローやヒロインがデュエットで歌ったり、踊ったりするのであり、ほとんど全てがミュージカル仕立てになっている。

これは映画が写実的なのではなく、空想の中の世界を描いているからである。

踊りや歌によってヒーローとヒロインに芽生えた感情などを象徴的に描いているので、リアリズムを追求している訳ではない。

何故、インド映画は突然、普通の現実的なシーンから踊りのシーンが始まるのかといった疑問を持ち、インド映画が理解できない人は、やはり蟹座や水の星座のロマンチックな空想や夢の世界を理解できないのである。

ネットの掲示板などでインド映画を見て、全然、インド映画の踊りを理解できない人の意見が掲載されていたが、そうした人は水の星座に惑星が少なく、現実的な人ではないかと思われる。

ハリウッド映画もミュージカルを時々創るが、米国はキリスト教徒が多い国であり、若干、ミュージカルを理解する土壌があるからである。

ところが、例えば、フランスとか、ロシアで、ミュージカルが創られたかというと、私は今まで見た記憶がない。怒りや喜びなど情緒を理解する国民性でないと、ミュージカルは受け入れられないし、また理解されない。

私自身は蟹座に月と太陽が在住して、ラグナロードの火星も魚座に在住しているせいか、インド映画の踊りや歌のシーンが大好きである。

また『ムトゥ踊るマハラジャ』でラジニカーントが演じた単純な分かりやすい正義のヒーローなどにも共感する。

ラジニカーントやインド映画の大ファンだという人たちは、皆、このタイプではないかと思うのだ。

前置きが長くなったが、そろそろ本題として、今回の『ロボット』に出演したラジニカーント、アイシュワラー・ライのホロスコープを作成して検証した結果について書いてゆきたいと思う。

まず最初に冒頭のタイトル画面に『SUPER STAR RAJINI』(スーパースターラジニ)の文字が出てくるのだが、これはラジニカーントの愛称である。

ラジニカーントの出生図は獅子座ラグナのため、生まれついてのスターなのである。
主演しか演じれないのが獅子座である。

1981年2月26日にラタ夫人と結婚した時、木星と土星が2室を逆行していたため、ダブルトランジットが、1室、7室(7室の支配星)、2室、8室に形成されており、おそらく出生時間は正しく獅子座ラグナで問題ないと思われる。

常に主演で冒頭のタイトルに”SUPER STAR RAJINI”と出る程、存在感があり、自己主張をしており、獅子座ラグナということでしっくりとくる。

3、10室支配の金星が5室で2、11室支配の水星と接合し、11室にアスペクトしており、メディアに関係する創作活動が仕事であることを表している。

5室支配の木星は7室に在住し、5室や5室の支配星には全く凶星は絡んでいない。

従って、創作活動において全く順調で障害がなく質が高いことを表している。

5室の金星は11室支配の水星と絡み、11室にアスペクトし、11室には木星、金星、水星、土星の4つの惑星がアスペクトして強くなっている。

従って、創作活動が高い評価を受け、成功することを表している。

ラジニカーントが褐色の肌で、おっさん顔にもかかわらず、スターになれたことに驚く人も多いが、これはやはり5室や11室が主に吉星と絡んで強いからである。

また惑星が完全ではないが、一つ一つのハウスに連続して配置していることや、月の両側に吉星が在住(ドゥルダラヨーガ)していたり、太陽からの2室に吉星が2つ在住している(ヴェシヨーガ)ことなども特徴的である。

ラジニカーントのプロフィールを見ると、父親が警察官で3人兄弟の三男である。獅子座ラグナで火星が高揚している場合、父親の9室をラグナとすると仕事の10室でラグナロードの火星が高揚するため、父親が警察官となる典型的なケースである。

このことからも獅子座ラグナであることが確認できる。また3室(兄弟)の支配星が11室(獲得)の支配星と5室で接合し、11室の支配星が11室にアスペクトバックして、木星や土星も11室にアスペクトしている配置は、兄に恵まれることも表していたと思われる。

3室の支配星が11室に在住したり、11室の支配星が3室に在住することに近いためである。

 

次はヒロイン役のアイシュワラー・ライである。

アイシュワラー・ライは海外サイトのデータによれば、1973年11月1日 AM 5:00 Mangalore, India 生まれである。

このデータでチャートを作成すると、ラグナは乙女座になったが、乙女座ラグナでは全く、あの美貌や容姿が理解できないため、おそらくラグナは天秤座で出生時間は5:25:19以降である。

ラグナロードの金星が3室で10室支配の月と接合し、4、5室支配のラージャヨーガカラカの土星と相互アスペクトしている。この配置がインドのトップ女優として華麗な踊りを披露して来たことを説明するものである。

『ジーンズ 世界は2人のために』や『デーヴダース』などの踊りはこの配置が表しているのである。

3、6室支配の木星も4室で減衰して、ラージャヨーガ的に働く特別な法則を示している。減衰している惑星がある場合、それでも社会的にパワフルに活躍している人であれば、まず、この特別な法則やニーチャバンガなどが形成されていることを推測してみることは有効である。

彼女は子供の頃からモデルとして活躍して多くの広告に登場していたようだが、10歳ぐらいまで、マハダシャー金星期であり、金星の配置を見れば、早熟で幼い頃からメディア・広告業界と縁があったことを表している。

この金星が在住する3室にはラーフが同室しているが、ラーフはトリコーナとケンドラの支配星と絡んでおり、完全にラージャヨーガの条件を満たしている。彼女は生まれつき、メディア・広告業界で成功することが約束されていたと言える。

そして、1994年にミス・ワールドに選ばれて、この時期は月/土星期であったが、月は10室の支配星で3室に在住していることから、この月期にメディアに関係する大舞台に立ち、社会的地位が上昇したことは理解できる。

1997年の月/金星期にスクリーンデビューし、1999年に最優秀女優賞を受賞しているが、この頃が、月/太陽期である。

太陽は減衰しているのに何故、受賞して高い評価を受けることができたのかと考えると、太陽は「減衰する惑星が高揚する星座の支配星がアセンダントや月からみてケンドラに在住している」という条件を満たしており、この場合、太陽が高揚する牡羊座の支配星である火星がラグナからみてケンドラの7室に在住していることから、ニーチェバンガラージャヨーガを形成しているからであると考えることができる。

太陽は11室の支配星であり、月から見た場合も、9室支配で11室に在住し、受賞のハウスと絡んでいる。

更にナヴァムシャを見ても、ラグナは天秤座にあるべきで、何故なら、ラグナロードの金星や10室支配の月が3室支配の木星と7室で絡んで、出生図で示された象意を繰り返すからである。

太陽もラグナと月から見て、11室支配で5室に在住して、11室にアスペクトバックしていると考えると、何故、月/太陽期に最優秀女優賞を受賞したのかが、説明できる。

従って、出生図のラグナは、天秤座チトラーの第3パーダであり、ナヴァムシャのラグナもおそらく天秤座である。

ラグナがヴァルゴッタマで強いため、天秤座の化身のようにして、その典型的な職業であるモデル業や女優業で活躍している。

そして、更にナヴァムシャのラグナを天秤座にすると、4、5室支配のラージャヨーガカラカの土星と9室支配のヨーガカラカの水星が相互アスペクトして、4室と10室でラージャヨーガを形成する。彼女ぐらいの国際的スタートともなればこの位、強いチャートを持っていることは十分考えられることで逆に持っていないとおかしいということになるのである。

結局、この配置にすればナヴァムシャではケンドラに4つの吉星が在住することになり、4室では土星が定座にあってシャシャヨーガを形成していることになる。

非常に強力なチャートになるが、彼女の国際的な活躍を考えると、ナヴァムシャのラグナは天秤座で正しいように思われる。

このように月期の最後のアンタルダシャーで栄誉ある賞を受賞し、名声を確立するのであるが、その後で、マハダシャー火星期に突入している。

火星は7室でムーラトリコーナの座にあり、パンチャマハープルシャ・ルチャカヨーガを形成している。従って、彼女自身、戦闘的で行動力があると同時にパートナーも戦闘的で血の気の多いタイプと縁があることを示している。

1999年6月に入り、ほぼ火星期に入ると同時にボリウッドスターのサルマン・カーンと交際をスタートしている。しかし、2001年の火星/木星期に別れている。

彼女は分かれた理由として、サルマンカーンの言葉の物理的及び、感情的虐待・不倫と屈辱を挙げている。

サルマン・カーンの出生図を作成すると、ラグナが牡羊座であるため、まさにアイシュワラー・ライの7室に在住する火星の表示体となっている。

火星は逆行しており、この火星はルチャカヨーガで力も発揮するが問題も引き起こしている。

また7室にアスペクトする火星は妻虐待の配置である。

火星はナヴァムシャで7室支配で8室に在住し、8室支配の金星と星座交換しているので、パートナーの不倫による三角関係で悩む配置をしている。

 

サルマンカーンの出生図を見ると、ラグナロードの火星が7室支配の金星と10室で接合している。これはアイシュワラー・ライとの交際がメディアに報じられたりして、その後、暴力沙汰なども取上げられるなど、よくもわるくも、パートナーとの関係が、誰も知らない人がいない位にまで社会的に知れ渡ってしまうことを表している。

9室支配の木星が3室に在住し、5室支配の太陽が9室に在住して、3室にヨーガカラカが絡んでいることが俳優としての活躍を表している。

アイシュワラー・ライは、サルマン・カーンと交際をスタートさせた1999年頃、木星と土星が牡羊座7室をトランジットして、7室にダブルトランジットが生じていた。

その後、不倫や暴力が原因で別れるに至った2001年には木星と土星は8室に移動して、

・パートナーからの支配
・パートナーの不倫による三角関係
・パートナー関係の中断、行き詰まり

を示していた。

そして、この時、火星/木星期だったが、木星は3、6室支配で、別離、離婚の6室を支配しているため、ダシャー、トランジット共にこの時期に別れるに至った状況をよく説明している。

その後、彼女は2007年4月20日にアミッタ・バッチャンの息子、アビシェーク・バッチャンと結婚している。

アミッタ・バッチャンは、ボリウッド映画界で最も人気のある大スターで、プロデューサーでもあり、その家は、一家で映画産業に携わっている名門である。

アイシュワラー・ライは名門の家に嫁いだということになる。

このアビシェーク・バッチャンと結婚した時、ダシャーはラーフ/ラーフ期であり、ラーフは出生図で3室、ナヴァムシャで8室に在住し、7室支配の火星と絡んでいる。

ラーフ期はしばしば結婚をもたらす時期である。

この時、木星は2室をトランジットしており、土星が10室から2室の支配星にアスペクトして、2室にダブルトランジットが生じると共に木星が逆行して7室へアスペクトしており、土星が7室にアスペクトしていたので、7室へのダブルトランジットも生じていた。

従って、この時期の結婚のタイミングをよく表している。

乙女座ラグナだと、このようには説明できないため、やはり天秤座ラグナで正しいと思われる。

やはり、結婚というのは7室も大事だが、2室が非常に重要である。7室の象意はパートナー・交際であって2室が絡むことで相手の家族とのつながりが生じてくる。

彼女の結婚とはもちろん、アビシェーク・バッチャンとの結婚ではあるが、アミッタ・バッチャンという父親が背後に控えた名門一家との結婚なのである。それが2室への木星のトランジット(ダブルトランジット)ということで、よく表れている。

またラーフ期が結婚をもたらすということも、よく実感できる実例である。

因みにアイシュワラー・ライは学生の頃は建築学を学び、母語であるトゥル語の他に英語、ヒンディー語、カンナダ語、タミル語、マラティー語などの言語を話すことができる(wikipedia)才女であるが、5室支配の土星が9室でケートゥと接合していることがこの語学の才能を表している。

天秤座ラグナで問題ないと考えた理由の一つである。

建築学は土星が表示体となるため、5室の支配星が土星となることで納得できる。

彼女の美貌は2室に在住する9室支配の水星が表しており、特に目(瞳)がパッチリとして大きく知的で目鼻立ちが美しい顔立ちをしている。

これは9室を支配して機能的吉星化した水星の働きによるものだとよく分かる。

木星が表示体となる9室の支配星が2室に絡んでいるため、上品で優美な印象を与えている。

以前から木星が2室に絡む人の顔は品がよく高貴で優美な顔つきになるものだと思ってきたが、アイシュワラー・ライの場合、水星と9室の支配星がもたらした容貌だと分かるのである。

一方で、スタイルや身体の全体的な特徴は、ヴァルゴッタマの天秤座や、ラグナロードが絡む射手座、水星、ラーフが表している。

 最後に話題のインド映画『ロボット』だが、ラジニカーントと、アイシュワラー・ライが歌ったり、踊ったりする場面が、日本公開版では大幅にカットされてしまっている。

これはインド映画ファンとしては非常に残念なことであり、あちこちで残念がる声が聞かれる。

インドの映画といったらまずヒーローとヒロインの踊りと歌なのである。

 

 















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映画『ゴーストライター』とトニーブレアについて

最近、ロマン・ポランスキー監督の最新作『ゴーストライター』を観たが、見ごたえのある作品だった。
ユアン・マクレガー演じるゴーストライターが元大統領アダム・ランクの代筆で自伝をまとめ上げる仕事を請負い、その過程でランクの家庭の事情や前任者の不審な死についての新事実などいろいろ知ってしまい、命の危険にさらされながら疑惑を追及していくという物語である。

序盤でアダム・ランクが在職中に軍隊に指示してイスラム原理主義テロリスト容疑者の身柄を拘束して米国CIAに引渡し、不当な拷問に加担した疑いを告発されている。そんな中でユアン・マクレガー扮する主人公が疑惑の渦中に巻き込まれていくのである。

ここで興味深く、また公然の事実であるが、この元大統領アダム・ランクのモデルが元英国首相トニー・ブレアなのである。

私も見ていて直ぐにこれがトニー・ブレアのことを指していると分かった。
ここまで分かりやすくトニー・ブレアにそっくりな元大統領を登場させているということは、もうこれは公然たるトニーブレア批判に他ならないと思われた。

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映画『ブラックスワン』について

ナタリーポートマンがアカデミー主演女優賞を受賞した『ブラックスワン』を見たが、視るものの予想を裏切る意外な展開で衝撃を受けた。

以下は、まだ見てない人は読まない方がいいのかもしれないが、

まず最初にこの映画はバレエのダンサー達がお互いにライバルを蹴落とすバレエ業界の過酷な舞台裏の物語が展開するのかと思っていたが、視聴者には途中までそのように思わせながらも、映画の本筋のテーマは全く違うのであった。

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ジェイソン・ステイサム主演の『トランスポーター3』について

最近、ジェイソン・ステイサム主演の『トランスポーター3』をDVDで見たが、彼の特徴は、武骨で不器用な男のダンディズムであり、疲れを知らないスタミナ、せわしなくハードな動き、無駄口をたたかない少ないセリフとか、ポーカーフェイスなどであるのだが、私は彼は典型的な山羊座のタイプではないかと思ったのである。

禿げ上がった頭と、無精ひげ、骨太で骨ばった骨格、決して優美とは言えないせわしなく忙しそうな走りなど、武闘派は武闘派でも、牡羊座のようにリーダーシップがあったり、派手で輝かしい太陽の陽気な魅力ではなく、抑制の効いた土星的な中年のダンディズムが見られるのである。

映画の中で、ジェイソン・ステイサム演じるフランク・マーティンは、

・契約厳守
・依頼者の名前は聞かない
・依頼品を開けない

などの3つのルールを自らに課しており、それを厳格に守ることで、
仕事上では依頼主から大きな信頼を受けている。

自らにルールを課すところなど土星的であるのだが、無口で律儀で困難な仕事でも必ず遂行する激しさが、いかにも山羊座の特徴を示しているのである。

『トランスポーター3』の冒頭の場面で、フランク・マーティンが、釣りをしている場面が出てくるのだが、この素朴に釣りをする姿はいかにも平凡で地味で朴訥(ぼくとつ)な山羊座の男なのである。

物語の中盤で、彼が自分に取り付けられた爆弾を外そうとして知人の天才的なエンジニアの元へ寄り道をするが、それを見て、依頼主が追っ手を放って、工房の中で、格闘となるのだが、フランク・マーティンはそこで恐ろしく強く、かかって来る者たちを容赦なく叩きのめすのである。

例えば、敵の腕の関節を逆に捻じ折ったりなど、敵に対する攻撃は無慈悲でかなり徹底しているのである。山羊座で暴力の表示体である火星が高揚するため、非情でハードなバイオレンスというのは山羊座の得意分野である。山羊座の暴力は手加減がなく徹底的である。

こうしたシーンは北野武監督主演の『座頭市』のバイオレンスを彷彿とさせるのである。

北野武監督のラグナは以前、検証したのだが、おそらく山羊座ラグナで、1室で火星が高揚しているのである。

無口で不器用で、武骨な男のダンディズムと容赦のない徹底した暴力という点で、両者はよく共通しているようである。

そのように暴力的でありながら、決して雑で野卑なわけではなく、白いワイシャツにネクタイとスーツで身だしなみにきちんと気を使う所などが、山羊座のまめで、几帳面な性格がよく出ており、女性に可愛いと思わせる所以である。

『トランスポーター3』の中では、今回、誘拐されて運ぶ対象となった女性・ヴァレンティーナとのラブシーンが出てくるが、いかにも硬派で恋愛が不得手なフランク・マーティンに年下のヴァレンティーナが積極的にアプローチし、悪ふざけをして困らせるという状況設定になっている。

地味で朴訥な山羊座が情熱的なラブシーンを演じるのは難しいので、脚本的に特殊な状況設定をして、何とか恋愛物語に仕立てたようである。

そのような状況設定をしないと、ジェイソン・ステイサム扮するフランク・マーティンは、とても恋愛シーンを演じることが難しいのである。

従って、うまく脚本を書いてあると思ったが、リュックベッソンの脚本である。

彼はこのような幼い純朴な子供の遊び心をいつも表現するように思える。

ジェイソン・ステイサムのその他の作品としては、『アドレナリン』や『デスレース』、『バンクジョブ』などを見たが、皆、キャラクターは同じような山羊座の無口で口数の少ない朴訥な男を演じている。

つい最近まで『ちょい悪オヤジ』という言葉が流行っていたが、中年のダンディズムが、もてはやされる時代であり、ジェイソンステイサムの人気はまさにそうした時流に乗ったものではないかと思われる。

来るべき時代は土星の時代なので、水瓶座や山羊座がヒーローとなる時代なのである。キアヌリーブスが水瓶座だとすると、ジェイソンステイサムが山羊座である。

つい最近までは『ダイハード』などで一躍人気を得たブルース・ウィリスなどが禿げ上がった中年の魅力を発揮していたが、今のオヤジヒーローは、ジェイソン・ステイサムではないかと思われる。















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米ドラマ『セックスアンドザシティー』を見て歴史弁証法を考える

最近、有名な米国のテレビシリーズ『セックス アンド ザシティー』を勧められた。これが見てみると結構、面白いのである。

この作品の登場人物たちはあまりにも奔放に交際をしたり、別れたりを繰り返すのだが、しかしそれでもそうした経験から学んで、同じことを繰り返しているように見えながら成長して、何か次元の高い調和に導かれている。

おそらく、葛藤を通した調和の第4光線の表現なのではないかと思うのである。

例えば、主人公のキャリーと、ビックが、付き合ったり別れたり、付き合ったり、別れたりと言った紆余曲折を経て、最後に真剣に付き合う相手と認識し合い、調和的解決に至るのであるが、全く以前と同じではない次元の高い調和に結びついているのである。

葛藤を通した調和の第4光線がもたらす調和は、決して妥協などではなく、折衷などではなく、葛藤を経験した後での次元の高い調和なのである。

この地上のあらゆる物語には必ず、葛藤があり、最終的に調和によって終わるのである。葛藤がなければ人生というのは無味乾燥であり、ドラマ性に乏しく、面白味に欠けるのではないかと思われる。

だから、人生の写し絵である小説や演劇、映画、音楽などの芸術作品を創る人は、必ず、物語の中に葛藤を描いて、最終的に調和によって終わらせるのであり、人は葛藤がどのように調和に至るかを興味深く見るのである。

人生は葛藤と調和の繰り返しによって構成されているというのは真実ではないかと思われる。

他人の人生に興味を持つのは、人それぞれの個性的な葛藤と調和のあり方がそこにあるからである。

『セックス アンド ザシティー』は、米国のニューヨークのセレブとかセレブの周辺にいるような階級の日常生活を描いた作品で、米国の物質主義的価値観がよく現れている感じもするが、恋愛娯楽作品としてみると面白い作品である。恋愛などにおいてよくありがちなエピソードや問題を取り上げて、それをコミカルに描いている。

◆    ◆    ◆

ヘーゲルという哲学者がいるが、彼は弁証法によって、自然現象や人類の歴史を説明した。
弁証法によれば、テーゼに対して、それに対立するアンチテーゼが出現し、そこで対立・葛藤が生じるが、最後に両者の矛盾を超越したジンテーゼによって解決に導かれるのである。

この発想や着眼点、あり方はまさしく第4光線のものである。

弁証法、歴史弁証法とは、まさに葛藤を通した調和についての認識を言い換えたものである。

ヘーゲルの光線構造は、42543であり、魂光線が4である。

そうした本質的な4光線の特質が、この弁証法の考え方の中に現れたのではないかと思われるのである。もっと言えば、5光線のマインドが、おそらくヘーゲルの生き方に染み付いた葛藤を通した調和というあり方を理論化したのである。















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映画『ベンジャミンバトン』について

最近、私はハリウッドの映画作品を見ていて、
視聴後に満足を得た作品の共通点というのに気づいた。

いくつか挙げてみると以下のような作品である。

『ベンジャミンバトン』
『オルランド』
『コッポラの胡蝶の夢』

これらの作品に共通しているのは、男女の性別とか、年齢とか、
現象界の制約を超えて、人間というものが普遍的に持つ、
絆とか、愛とか信頼関係を実験している所が面白いのである。

そして作品のストーリーが現象界の制約を超えているが為に、
輪廻転生について意識させ、『永遠』と、
それに対比する『有限の移ろい変化していく現象界の悲哀』を表現している。

これらの作品を構成するストーリーは実際には、
あり得ない出来事であるが、実際にはあり得ないことを
想定することで、現実に起こる出来事よりも、
よく人間のリアリティを表現している。

例えば『ベンジャミンバトン』では、ブラッドピット扮する
主人公のベンジャミンが生まれた時に老人として生まれて、
段々若返っていくというストーリである。

然し、その非現実的な物語を用いながら、その作品の
登場人物たちの人間模様は非常にリアルなのである。

これはおそらく映画制作の基本なのだろうと思われる。

作品を構成するストーリーは全く非現実的な奇怪な話であっても
構わないのであるし、返ってその方が面白いのであるが、
登場人物たちの心理描写や感情表現、親子愛、友情、
恋愛感情などは全て、現象界で私たちが日々体験している
ことを非常にリアルに表現しなければならない。

『ベンジャミンバトン』の場合には、
老いて生まれたベンジャミンは、老人介護施設の前に置き去りにして、
そこで育てられる。

そして、段々若返って、老人介護施設で幼馴染で知り合っていた少女デイジーとやがて同じ年齢になっていくのである。

そして、同じ年齢になって恋愛をするのである。

然し、最終的にはベンジャミンは若返って、幼い子供に返ってしまい、
ケイトブランシェット扮するデイジーの方は年齢を重ねて、やがて、
ベンジャミンが育った老人介護施設に入所し、幼いベンジャミンを養育
するのである。

その関係の中で流れる絆は親子愛である。

であるから、デイジーのベンジャミンに対する絆は、
幼い頃は、初恋的な感覚や友情、

そして、少女デイジーが大人になって、ベンジャミンが若返って、
同じ年齢になって、男女の恋愛としての絆に変化していき、

最終的にデイジーが老けて、ベンジャミンが子供に返ると、
その間の関係性は親子愛となっていくのである。

現象界の形式にあわせて、人間の絆が様々に変化するのである。

こうしたストーリー展開を視ると、輪廻転生の過程で、家族が、
時には親子として生まれたり、兄弟として生まれたり、夫婦として生まれたり、お互いが役割を変えて、様々に生まれ変わりを繰り返すことを思い出すのである。

親子関係であっても過去世で恋愛関係であったり、
あるいは、恋愛関係であっても過去世で親子関係や兄弟姉妹の関係であったかもしれない。そういう意味で、現象界で一時的にとりうる人間の絆の形式は、本質的ではないのであり、変化していくものである。

親子愛、友情、兄弟愛、恋愛など、男性、女性といった性別や年齢差によって、様々に変化する現象界の人間同士の絆は、もっと普遍的な愛とか、絆の中に包含されるのであり、存在が生成の過程で生み出した一表現である。

これらは移ろい変化してゆく、儚いものであり、悲哀を伴うのであり、
これらの中にある時、人は『永遠』というものがなく常に人生の出来事や出会いは一期一会であることを悟るのである。

ブッダは人間の人生を観察して、現象界で、人の人生が移ろい、老いて、やがて老いの苦しみを抱えていくことを観察している。

然し、何もこうした奇怪なストーリーを考え出さずとも、
こうした現象界で取りうる一時的な人間の絆が変化していくことは日常的に起こっている。

例えば、年上の女性が年下の男性と交際するような場合である。

女性が年下の男性と付き合うのは今は流行っているようである。

それは母性社会であるからであると思われ、特に母子関係が密な日本においての強い特徴である。

そうすると、最初は女性の方が色々社会経験があって、物事をよく知っているので、姉さん女房的に振舞うのであり、年下の交際相手の男性に対して、母性的に振舞うのである。そのため、初期の関係性は母親と子供のような関係に近いのかもしれない。

やがて、男性の方が成熟していき、女性の精神年齢に近づいていくと、関係性が、徐々に姉と弟のようになり、やがて、男性が成熟して、精神的な年齢差が、ほぼ同じになったところで、成熟した男女の恋愛関係になるのである。

その精神年齢まで、年上の女性は、年下の男性を育てるのである。

そして、男女の成熟した恋愛関係の絆に変化した後、

今度は、年上の女性の方が、先に老いに向かい出すのである。

すると、今度は年下の男性の方が、子供に返っていくかのような
年上の女性をいたわり、関係性はそこで、また親子関係のように変化していくのである。

このように関係性が、精神年齢や成熟度に応じて、様々に柔軟に変化していくということが、日常的に起こっている。

現象界の年齢を重ねることによる変化を経験していくうちに、
人は相手が同じであっても、あたかも全く別人を相手にしているかのごとく、また新しい関係性を築くのである。

輪廻転生しなくても、同じ人生の中だけでも、現象界が変化していく、
仮の一時的な世界であることを感じる瞬間である。

特に女性においては幼い子供を成熟した大人に育てていく過程で、
このような絆の変化を経験しやすいと思われる。

ある時は、母親のように、ある時は、姉のように、ある時は、恋愛相手のようにと、子供の成熟に合わせて、自分自身も変化していくようである。

因みに『ベンジャミンバトン』で、ベンジャミンが生まれ育った老人介護施設で、赤ん坊に返って死んでいくシーンがあったが、4室は母親、故郷という他に死ぬ場所、墓場という意味もあるのである。

従って、人は母親と暮らした故郷や家(4室)で死んでいくのである。

私はこうした生まれてから、死ぬところまで、人生全てを見せる映画に自分が弱いということが分かった。

終わった後に余韻に浸ったりなどして感動してしまう。

全てが儚く移り変わっていく様を見せてくる、こうした人の一生を描く作品に引き込まれてしまう。

老いの哀愁とか、晩年に若き日の栄光を思い出したりとかそういった
話の展開に引き込まれてしまう。

『ベンジャミンバトン』
『オルランド』
『コッポラの胡蝶の夢』

これらの作品は皆、そうした作品なのである。

何か時代が移り変わって変化していく寂しさ、永遠を求める人間が、
永遠を得られないで変化の中で、全てを失っていく孤独感というものを
擬似体験するのである。

そしてそういう現象界の移ろいゆく変化を達観して、何の執着なく、
受け入れていく成熟地点が、解脱の心境だろうと思われる。

人はおそらく死ぬ一歩前になってそのような解脱の心境になるものだと思われる。一生というのは生涯を通して、解脱までの勉強ができるようになっているのである。

このような人生に起こった一生涯の変化を見せて、感動を呼ぶ作品に、
『フォレスト・ガンプ/一期一会』もあるが、これについては輪廻転生を想像させるような奇怪な物語ではないため、以下の映画には加えなかったが、

『ベンジャミンバトン』
『オルランド』
『コッポラの胡蝶の夢』

移りゆく人生の喜びや悲哀を描いている点では似たような雰囲気を出している。

調べてみると、『ベンジャミンバトン』の脚本は、

『フォレスト・ガンプ/一期一会』のエリック・ロスが書いているようであり、納得したのである。

また『ベンジャミンバトン』には、『オルランド』を主演したティルダ・スウィントンも出演している。















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アニメ映画『鉄コン筋クリート』の世界観について

最近、『鉄コン筋クリート』という作品を見たが、
全く予備知識なしで見て、見ながら次第に作品の世界観に引き込まれた。

極めて現代的なテーマについて扱っている作品である。

我々日本人にとってはまさに我が身のことであり、
自分の住んでいる街の問題である。

そして、非常に日本を扱った作品であった。

以下はまだ見てない方は読まない方がいいかもしれません。

この作品のテーマは民族主義とグローバリゼーションである。
そして、精神性と物質性の問題も取り扱っている。

「宝町」という小さな町を舞台にして、そこに昔から住んで、
義理と人情で、街を取り仕切ってきた地元のヤクザたち。

そこを大規模に開発して金儲けをしようとする「ヘビ」と
称する謎の人物が登場する。

彼はどう考えても金融ユダヤ人であり、金の力で全てを解決しようとする人物である。

その「ヘビ」は既に地元のヤクザの親分を丸め込んで、住民を追い出して、
街に「子供の城」というレジャー施設を開発することを計画している。

このユダヤ人の「ヘビ」が日本のヤクザやチンピラを下請けのように
使って、自分たちの好きなように街を開発するという構図は、
ベンジャミンフルフォードが指摘する今の日本の現状そのままである。

彼は日本の山口組などもロックフェラーやロスチャイルドの下請けなのだと、
実際、組員からのインサイダー情報として著作の中で公表している。

この街には「クロ」と「シロ」という名前の親のいないストリートチルドレンがいる。「クロ」は大人も顔負けの実力で、街を取り仕切るストリートギャングである。彼は宝町を俺の町と呼んでいる。

その「クロ」が大事に育てる「シロ」という純粋な少年がいる。
「シロ」はヤクザの街の中で、穢れを知らない無垢な少年として奇跡的に育ったのである。

彼らは一人の人間の心の中に潜む光(善)と闇(悪)を象徴して、人格化されており、彼らは2人で一つの存在である。

この街に「ネズミ」と呼ばれる昔堅気のヤクザが戻ってくる。

彼はこの「ヘビ」に丸め込まれたヤクザの親分の指令で、街の住民に嫌がらせをして、土地を地上げしに来たのである。

然し、この街で育ち、生きてきた彼は、町の歓楽街や風俗街など、
昔、自分が世話になり、育ってきた町を破壊するこの「ヘビ」の計画に
賛同できないでいる。

彼にはこの「ヘビ」の計画に逆らうこともできず、運命として、諦めてこの大きな流れを受け入れてしまっているところがあるのである。

従って、この昔堅気の「ネズミ」はもはやグローバリゼーションと闘うことが出来ず、途方に暮れて、人生の残りの余生を過去の思い出に浸りながら過ごしている状態である。

この「ネズミ」の姿は今の自民党そっくりである。
金融ユダヤ人の勢力に逆らうことができず、彼らの日本への影響力の行使を運命として諦めて受け入れてしまっており、金融ユダヤ人と戦う気概もない。
そのため、彼ら外資に日本の国富を売り渡していき、最終的に日本が弱体化していくことを悲観しつつも受け入れている負け犬である。

彼らは新自由主義経済を受け入れた清和会系の自民党議員に比較される。

金融ユダヤ人に屈従し、日本の国民には威張り散らす。
これが彼らの政策であり、政、官、財によってこの計画的な日本の弱体化を招来する政策を進めてきたのである。

この「ネズミ」に育てられたヤクザの「木村」は「クロ」に叩きのめされた失態により、自宅休暇を命じられる。つまり、失業したのである。

困った彼がバーで飲んだくれていた時に「ヘビ」がやってきて、彼らユダヤ人の仲間に誘われるのである。

仕事がない「木村」は結局、「ヘビ」に連絡して、彼らの協力者となってしまう。

そして、「木村」は彼がお世話になったヤクザの先輩である「ネズミ」を「ヘビ」の指令で殺してしまうのである。

最初は「ヘビ」に反発した「木村」であったが、妻を人質に取られている状態で、やむなくお世話になった先輩の「ネズミ」を泣く泣く射殺するのである。

このようにユダヤ人に買収され、彼らの脅しに屈従した「木村」だったが、
最終的に、人を部品のように扱うことしか考えていない「ヘビ」に嫌気が差して、「ヘビ」を銃で撃ち殺すのである。

この辺りは、義理人情の民族主義者がユダヤ人の買収に最後の最後で、踏ん張って、勝利をつかんだ瞬間である。

お金で全てを解決できると考えている彼らに公然と反発し、彼らを捨てた瞬間である。

これは今、世界の中で起こっている国際金融危機を表わしている。

つまり、このサブプライムローンから引き続いて生じるマネーシステムの崩壊が、ユダヤ人の世界に対する金融支配を終わらせるのである。

各国の発展途上国の代表たちはドル基軸通貨体制、IMF-世界銀行体制による支配を終わらせて、新しい、各国が対等で、平等な通貨制度への移行を模索しているのである。

もう彼らが支配に用いているマネーシステムはいらないと各国が主張し始めているのである。これから米ドルの崩壊にあわせて、その動きはさらに加速していくはずである。

この「ヘビ」は3人の得たいのしれない殺し屋を使うのであるが、これらの殺し屋に対して、ユダヤの呪文のようなものを唱えるので、明らかに彼らはユダヤ人という設定なのだろうと思われる。

このユダヤ系金融資本家たちを象徴する「ヘビ」と街のヤクザや警察、住民、そして、実は内心、住民やヤクザや警察にも一目置かれ、彼らの代表者としてみなされているストリートチルドレンの「クロ」と「シロ」との戦いが、主なテーマで、そこに民族主義、地域主義と、グローバリゼーション、国際主義の戦いが展開されるのであるが、これは全てをお金で解決しようとするユダヤ人たち、商業至上主義、新自由主義経済と、義理人情のお金を超えた人間との繋がりや愛を重んじるローカルな地域家族共同体との戦いでもある。

この対立軸で、展開していくが、最後に、殺し屋に「クロ」が殺されそうになった時に、全てを俯瞰して上から見下ろす、「イタチ」という闇の主が、その殺し屋たちを始末して、「クロ」を助けるのである。
そして、「クロ」を闇の勢力、闇の価値観へと誘うのである。

彼らはユダヤ系金融資本家と民族主義者といった現象界の表面的な対立軸を超越して、もっと上の別次元で、光と闇との戦いをおそらく展開しているのである。

彼らにとっては金儲けをする悪徳ユダヤ人でさえも将棋のこまに過ぎない。

彼らは全てを俯瞰して、そして、悪の道への素質のある「クロ」に誘いかけて、闇の世界へと誘うのである。彼らにとっては、「クロ」を闇に引きずり込めれば大勝利であり、そのためにユダヤ人の「ヘビ」などはいつでも捨ててもいい駒に過ぎないのである。

そのために闇の力を見せつけるために「クロ」を助けたのである。

「クロ」は闇の力が幅を利かせて、世界の麻薬や暴力、戦争、堕落、貧困など、あらゆる人間の活動の中に存在する悪の力の表れをビジョンとして、「イタチ」に見せられて、闇の世界に誘われるのである。

そして、そこに引き込まれそうになるが、最後に「シロ」の声により、正気に返って、「シロ」を信じることによって、光の世界に戻り、闇の世界とは決別するのである。

然し、闇は最後に手の傷を見ろ、私はお前についていてお前を助けるだろうといって、自分が存在し続けることを「クロ」に告げるのである。
従って、決して、闇は消滅するわけではなく、その誘惑は存在し続けるのである。

こうした光と闇、善と悪の戦いは、最近の米映画「ダークナイト」でも描かれている。光がなければ闇がなく、闇がなければ光もないということで、闇は存在が許されており、光と闇はお互いに存在を認めあっており、そして闘うべき宿命を背負っているのである。

このような光と闇の戦いは、現象界の目に見える対立を超越して存在しており、決して、ユダヤ系金融資本家=闇(悪)、民族主義者=光(善)という風に考えることも出来ない。

第二次世界大戦では、物質性の勢力(闇)が、ヒトラーやナチスの側近を通じて、顕現し、ヒトラーは物質性の大主に憑依されて、彼らの目的を実現するように操られたようである。

物質性の勢力は世界に恐怖や悪徳をはびこらせることが目的である。

そうした究極の悪の前ではユダヤ系金融資本家自体も、単なる強欲なビジネスマンなのであって、彼ら資本家も、善と悪、光と闇、「クロ」と「シロ」の狭間を揺れ動く存在なのである。

陰謀理論に見られるユダヤ系金融資本家が世界を支配しているという理論において、
現象的な面では、確かにグローバリゼーションを推進する金儲けだけを考える強欲な彼らは悪見えるが、グローバリゼーション⇔民族主義といった対立を超越して、全てを俯瞰する立場から、悪の力を行使する「イタチ」のような存在がいるはずであり、それは形而上の存在であると共に、人格化された実在の存在でもある。

この『鉄コン筋クリート』の最後ではそのような究極の悪や闇が描かれていたと思うのである。
確かに「ヘビ」は悪人なのであるが、最後に出てきた「イタチ」こそが本当の悪であり、光と闇という対立軸の中で、人々の心の中と外部の両方に存在するのである。















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映画『ノーカントリー』について

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督、脚本、制作した『ノーカントリー』をビデオで見た。原題は”No Country for Old Men”である。 原作はコーマック・マッカーシー著『血と暴力の国』という小説のようである。

この作品は見ていてストーリーの展開も登場人物の会話にもひきこまれて最後まで集中して見終わった。すごい作品というのは最後まで我を忘れて見入ってしまうものであるが、これもそんな作品だった。

あらすじについてはwikipediaに詳しく載っているが、作品の全編にわたって強烈な存在感を示すのが、無慈悲に殺人、強盗を繰り返す殺し屋シガーの存在である。

ここからは作品を見た人にしか分からないかもしれないが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

シガーは金も麻薬も超越しており、自らのルールに従って行動する無慈悲な殺し屋である。彼が作品中で入った店の店主にコインを投げて、裏か表か当てろというシーンが出てくる。言われた店員は「何を賭けるのですか」と聞くが、シガーはいいから賭けろと言うのである。それで店員は表であると答え、それでそれは当たっていたのである。シガーはまた夜に来ると言って出ていく。

ここで思ったのは店主に賭けろといったのは、店主の命を賭けろと言ったのではないかということである。それでコイン投げで表を当てたので、命を奪うのをやめたということだったのかもしれない。

そして、このコイン投げは、最後にモスの妻、カーラ・ジーンに対しても行われる。「何故、私を殺す必要があるの?」と尋ねるカーラ・ジーンに対して、シガーはそれではせめてコインの裏表で、助けるかどうか決めてやろうと言って、カーラ・ジーンにどちらかを聞くのである。
それに対して、カーラ・ジーンは、私はどちらかも選ばない。助けるかどうかあなたが決めなさいよと、シガーに返す。

このシガーの究極の行動原理とは、金や麻薬などへの欲望でもなく、また自らの内部の道徳心や良心でもなく、自分で決めたことや約束したことを実行するというものである。

だからコインの裏表の確率を用いるのは、それで意思決定を行うとシガーが決めたのであり、その結果に従うことは、やはり、自らに課したルールを守るというものである。

だから、彼にとって行動の理由はあるのである。それは自分に課したルールを忠実に守るという理由である。それ以外の理由は一切ないのである。

これを見て感じたことは、私たちも例えば、自分の頭のまわりを蚊が飛びまわっていたら、手のひらで叩いて、つぶすことがある。それには対して、たいした理由もなく、ただ蚊が飛んでいるからつぶすのである。
音がうるさいとか、汚いから嫌だとか小さな理由はあるかもしれないが、それは理由がないくらい条件反射的な動作として行うのである。私たちは蚊をつぶすことに対して良心の呵責や、道徳的な疑問などは生じないのである。中にはどんな小さな生き物も殺生はいけないとして、躊躇する人もいるかもしれないが、大抵の人は、蚊をつぶすことに良心の呵責も何も感じないのである。

あまりにも巨大な意志というものは、人間の命に対してもそのような扱いをするのではないかと思ったのである。それは蚊の視点からみれば自然災害であり、神の意志かもしれない。

シガーに殺される人間たちが、感じる無力さは、自然災害とか、人間側の働きかけではどうにも変えることができない、巨大な意志である。

この作品に登場するトミーリージョーンズ扮する保安官は、あまりにも凶悪化した殺人などについて、物騒な世の中になったと嘆き、途方に暮れるのである。そうして映画の最後で自分の無力を悟り、保安官を引退して辞めてしまう。

保安官が映画の最後に見た夢を語るが、それは父親が自分を追い越していって、温かい火を自分のために灯してくれているのではないかと思ったという夢であった。アメリカという国家が、自分たちのことを考えてくれているので安心だという、古き良き時代をなつかしむ夢である。

“No Country for Old Men”という原題が示すように、”(古き良きアメリカの時代を生きてきた)老人たちにとっての国は存在しない”という意味である。

シガーは明らかにアメリカの社会に生まれた悪を象徴しているのである。

このシガーで象徴される絶対悪とは何なのかと考えると、軍産複合体や連邦準備銀行など背後に潜む、アメリカ支配層、ユダヤ人の思想であり、ルシファーの思想であり、利益計算、合理主義の思想なのではないかと思うのである。

この思想が、レーガン政権の時代から加速した市場原理主義を拡大する新自由主義経済政策を推進する力である。それ以前のベトナム戦争の頃からおかしくなったアメリカの背後にある力である。

この力は理性というものを、あらゆる物事を解決できる力として崇拝する、ルシファー崇拝の思想なのである。

副島隆彦氏によれば証券とか、株式のオプション取引などの複雑な金融商品は、もともとは保険業の確率論から来ていて、リスクの割合を計算する思想だという。だから、この理性とは、確率論の考え方であり、ルシファーの思想とは、物事を確率論で考えたり、損得計算したりする利益計算である。

そのようなことを政治学者の副島隆彦氏が主張している。副島氏がこの作品を評価するならば、どのように評価するだろうかと非常に気になるところである。

例えば現在の米国の支配者階級が運営する株式市場の複雑なオプション取引は、確率論的なものであって、あたかもコインを投げて表が出たら助けてやるというシガーのコイン投げの考え方なのである。

そのような確率論的なリスク計算、損得勘定の思想がイデオロギーとしてまず、存在し、そのイデオロギーを強力に頑固なまでに推進する巨大な意志の二つが、アメリカが世界を導いている盲目的な悪の力なのである。

ここにはシガーが象徴するような単純に金儲けを追求するという発想以上の根本的な思想の部分での悪である。

これはアメリカで発達したゲーム理論や、社会現象を数理モデルで考える手法全般に言えることかもしれない。

その数理モデルからはみ出した人間が死のうがどうなろうが全く気にしないのであって、ただその最初に決めた数理モデルというルールに従って、それをイデオロギーとして強力に推進するのである。

だから、シガーという究極の悪で象徴されるのは、自由主義経済思想とそれを世界に押しつける支配者階級の意志を表していると思うのである。これは何%の人間は生きれるが、何%の人間は死んでも構わないとい思想であり、シガーのコイン投げで、象徴されているかのようである。

シガーとモスの妻のカーラ・ジーンが対話する場面で、何故、コインの裏表で賭けさせるのかと質問するのであるが、シガーが「自分はこのやり方で小さい時からやってきた」と答えるのである。

だから、シガーはこうした無慈悲な合理的な思想の中にどっぷりと漬かってきた人間であることをここで告白しているのである。そういう過程で育ってきた人間が辿り着く馴れの果ての姿であり、その過程が生み出した怪物である。

だから最後にシガーが自動車事故で、片腕の骨が肉からはみ出すほどの大怪我をしたところに、少年二人が自転車でやって来る。そこで、シガーが金をやるからその上着をくれというのである。少年二人は、金なんていりません、善意でやったことですと言うが、シガーはいいから受け取れと言って、お金を無理やり渡すのである。

シガーは善意などというものを決して受けとらないという強固な意志を示すのであるが、少年たちは大金をもらって、さっそく喧嘩をしだすのである。

ここで善意も好意も思いやりもさまざまな人間の美徳とされているものを一切否定して、ただ金だけを信じる人間の姿があるのである。

これはモスが傷ついた体で、国境を歩いて越える時に3人の若者と出会い、500ドルやるから上着をくれといったのと似ている。500ドルで上着といったら上着と釣り合わないほどの大金である。それとあと若者が持っていたビールもくれというのであるが、若者は、いくらくれると言う。もう一人の若者が、それくらいただであげろよとささやく。

ここで示されているのは、全てが金でしか解決できないアメリカのすさんだ姿である。まず、モスはアメリカの軍産複合体の金儲けの道具として、ベトナム戦争に駆り出された世代であり、そして、その過程で、彼自身が金ですべて解決するような考え方を身につけたのである。

この若者とのやり取りの中にも、人の親切や好意でまかなわれていたものさえも、金で買わなければならないというアメリカ社会の姿を映し出している。

このようにこの作品では、全てを金で換算するすさんだアメリカ社会の姿を映し出すとともに、さらに金儲けという観点を超えた悪の姿を描いている。

それは一度、ルールや約束事を決めたら、盲目的にそれを実行し、人が死のうが、社会が破滅しようが、関係ないという姿勢であり、道徳や美徳、良心などよりもそれらのルールや約束事を上位に掲げる思想である。

この場合、この一度決めたルールを決めてそれをただ盲目的に実行するという姿勢は、被害を被る人間たちの視点からは、あたかも自然災害とか、決して一個人の力では逆らうことのできない自然力のように感じるのである。

現在社会の柱となっている自由主義経済思想やその背後にある理性崇拝の思想は、人格から切り離された、まるで魂のない盲目的な機械のように働いている。

それは道徳などには一切、拘束を受けないで自ら決めたルールを盲目的に実行していくマシーン(機械)であり、人はその意思を自然の抗うことのできない意志として、確率として受け入れるのである。

『ノーカントリー』のシュガーが象徴しているのはこのような悪ではないのかと思うのである。

モスの妻のカーラ・ジーンがシュガーに対して、コインの裏表を選択することはしないと言い、私を助けるかどうかあなたが決めなさいよ、というのであるが、これは、彼女がアメリカの支配者層に言った言葉なのではないかと思うのである。確率とか、数理モデルとかそんなことで、決めないで、私を助けるかどうかをあなた方が自分の意志で決めなさいよということである。

 















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映画『マッチポイント』について

ウッディ・アレン監督最新作の『マッチポイント』を見たが、 
彼の無神論的な思想が今回も表されていた。 
既に彼の作品の中には何回も登場してくる思想である。 

まず元プロテニスプレイヤーの主人公が間借りした部屋の中で、ドストエフスキーの『罪と罰』とその解説本を読みふけっている姿が映し出されるが、ウッディ・アレンは彼とラスコーリニコフをダブらせたいのが分かる。 
しかし、後半で作品の結末に近づいた段階になり、物語の全体像が分かる頃になって初めて、監督がドストエフスキーの『罪と罰』を意識していて、冒頭で主人公が何故『罪と罰』を読んでいたかの意味が分かった。 

不倫相手に恵まれた生活と家庭の安定を壊されることを恐れて、口封じのために殺害するが、その過程で麻薬中毒の強盗殺人に見せかけるために同じアパートに住む老婦人を殺害して、その後で不倫相手を殺害するのである。 

この辺りも『罪と罰』の老婆殺しを意識したつくりになっているが、決定的に違うのはドストエフスキーの場合は主人公が老婆殺しを計画し、その殺害の正当性を理論的に正当化した後で、老婆の姪(?)が偶然現場を目撃してしまうことによって、想定していなかった第2の殺人を不本意に犯してしまうのだが、この『マッチポイント』の主人公は最初から、強盗殺人に見せかけるという周到な計画の元で不倫相手とは関係のない老婦人を殺害するのである。 

しかし、この主人公は罪の意識に苦しみながらも、最終的には、悪運の助けで罰を免れ、また罪の意識からも復活し、殺人を犯した後もぬくぬくと生き抜いていくのである。 
主人公は『異邦人』のジュリアン・ソレルのような人物へと変貌していくのである。 
あるいは元々ジュリアン・ソレルのような素質をもった人物だと言えるかもしれない。 

つまり、最終的にウッディ・アレン監督は無神論的な世界観を提示し、全ては偶然で不条理であり、悪い行いに対して罰が与えられるような単純なキリスト教的な道徳の世界を否定するのである。 

この思想とテーマは彼の今までの作品の中で何度も出てくるが、彼がユダヤ系であることが大きく影響していると思われる。 
つまり、ユダヤ人は愛や善悪、そして、罪と罰などのキリスト教的な道徳的世界観を信じず、世界はもともと不条理で偶然的であると考え、契約とか理性(REASON)のみを頼りにして生きていく民族である。 

この場合のユダヤ人(西洋人)の理性(REASON)とは、私がよく読んでいる政治経済学者の副島隆彦氏によれば、日本人が”理性”として理解しているような、単に感情に対立する客観的判断力のようなものではなく、”利益を生み出す計算”を指しているようである。 

従って、『マッチポイント』の主人公が不倫相手を殺害した行為は、道徳的な行動ではないが、理性(REASON)には適っているということになる。 
つまり、物質的に豊かな生活や家庭の破壊を防ぐためには不倫相手を殺害するしかなかったという状況設定を映画の中で巧みにつくりあげ、その状況下でのユダヤ的理性(REASON)の行為とその結末を描いて見せたのである。 


従って、ドストエフスキーのラスコーリニコフと今回の主人公は実は似ているようで全く似ていない。 

ラスコーリニコフは、理性の力によって老婆殺害を正当化し実行するが、その現場に、偶然、老婆の姪が居合わせたことで、老婆の姪も不本意に殺害することになり、罪の意識に苦しんで、最終的にキリスト教に救いを求めるのである。つまり、元々道徳的で、信仰的な素質のある青年の物語を描いている。彼は道徳観念に苦しみ自分の犯した行為を自白して許しを請う。 

しかし、ウッディ・アレン監督が登場させた主人公は、不倫相手と老婦人の殺害を計画的に実行し、最終的に道徳的な罪の意識から開放され、ぬくぬくと生きつづける骨太の青年であり、悪運が彼の味方をし、罰から逃れるのである。この主人公はユダヤ的理性の持ち主なのであり、不条理な世界の中にあって自分で道を切り開き、道徳に左右されないのである。 

つまり、ウッディ・アレンはドストエフスキーの『罪と罰』に異議を示したいのであり、映画の中で主人公が結婚相手の両親にドストエフスキーの『罪と罰』に対する奇抜な自説を展開して、結婚相手の父親に気に入られる場面にも現れている。 

主人公はこの父親の会社に雇われて重役としての恵まれた待遇を与えられるのだが、この社会的に成功した父親と父親によって守られる家族や世界もユダヤ的な成功者の象徴であり、理性(REASON)で世界を渡り歩いていく人々を表している。 


主人公は不倫相手と老婦人の亡霊が出てきて、何故、関係の無い私まで巻き沿いにしたのかと聞かれたときに、『仕方がなかった。軍事行動のようなものだ』と回答した。これを見て私はブッシュ大統領によるアメリカへの軍事行動を想起した。イラク戦争に関して、アメリカ人に言わせると、あの行為は道徳的には問題があるが、アメリカ人にとっての理性(REASON)には適っているそうである。 

またユダヤ人のユダヤロビイストの対アラブ政策、パレスチナでの絶え間なき闘争など、これらは家族を守るために仕方がなくやっている理性(REASON)に適った行為であると言っているようにも思えてくる。 


そして、監督が最後に富豪の息子に言わせた『運が強い子供であってほしい』というのも彼の伝えたいメッセージの一つであるが、監督にとっての”運”というのは”偶然”を指している。 

ウッディ・アレン監督の思想はカミュのように、世の中とは不条理で悪が簡単に裁かれるほど単純ではないとか、また人生は道徳や倫理には関係ないところで運の強い弱いは存在するということを言いたいのだと思われる。 
しかし、これは現象の表面だけを見た底の浅い理解である。 

確かに罪を働いても直ぐには裁かれないかもしれないから、罪と罰、あるいは徳行と幸運の関係は見た目上、今ひとつ、分からないかもしれないが現象界のカルマの法則は厳格に働いていて、それからは逃れられない。 
しかし、罪(行い)を働いてそれが直ぐに報い(結果)となって、誰の目にも分かりやすく現れるほど、世界は単純でもなくカルマの法則は複雑である。 


しかし、川に落ちなかった指輪が最終的に彼の殺人が暴露される証拠になると観客に思い込ませながら、最後にその指輪を麻薬中毒者が拾うことで、彼が罪から免れるという、予想しない結末となったのは面白かった。 
彼はこれによって、一般に普及している固定観念を破り、現象世界の複雑さを提示したと思われる。 

しかし、彼はおそらくもっと深いレベルの原因の世界があることについては勉強もしていないし、体験もしていないだろうと思われる。 

世界が不条理でないことを知るには人生が今生だけではなく、過去・現在・未来へと輪廻転生によって、何度も繰り返されることを理解していないと難しい。今行なった行為の結果が今生で返ってくるとは限らないのだ。その辺りが分からないと、無神論的な思想に陥り、世界の出来事を公正に見ることが出来ない。 

3/15 文章の内容を一部訂正予定 
(物語の一部について再度確認予定) 















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