9室のラーフについて

本日のダシャーはケートゥ/水星/土星/水星/ラーフだった。

Ke-Me-Sa-Me-Ra 2006/10/18 8:27
Ke-Me-Sa-Me-Ju 2006/10/19 13:42

プラーナダシャー・ラーフ期は心がざわついて瞑想に集中できない。
これは過去何回かのプラーナラーフ期を検証して確認している。

ラーフ期にはどんなに集中しようとしても心は雑念が絶えず心に浮かんできて、心がそわそわと落ち着かないのである。

通常、少し意識して集中しようとして、呼吸を意識的にゆっくりと保つと自然に思考はおさまり集中が可能になるのであるが、ラーフ期はそうはいかないのである。

ラーフ期は全く心のコントロールが効かないので瞑想をしてもほとんど無駄である。
努力して多少の時間、心の静寂と意識の集中を得ても、数分も経たないうちに直ぐに心には日常のありとあらゆる出来事、自分が希望や期待している事柄のイメージがあふれ出してきて、もう収拾がつかないのである。

ラーフ期はもっとも世俗的になる時期であり、最近、掲示板で鑑定した人もラーフ期に水商売をしていたと言っていた。
ラーフ期は心が世俗の物事で満ちてしまう時期なのである。

私の場合、ラーフは9室に在住しており、ラーフは9室の支配星のように振舞うため、出てくる象意は少々複雑である。

その中で、9室のラーフは「父・師との対立」という象意がある。
(アマチの弟子であるプラサンナン師のテキストに書いてある)

本日、瞑想に全く集中できなかったのは何故かと考えていて、今日がプラーナダシャーラーフ期だと気づいた時に、今日、目上の人物に対して、不遜な態度を示して気まずい雰囲気になったことが、この9室ラーフに該当していることに気づいたのである。

こうしたイベントは全く自分のコントロール下にはなく、自動的に起こるのである。それがダシャーである。

以前、インドのサイババのアシュラムに行った時に、サイババのアシュラム内をタクシーで走り回ったことがあったのだが、その日のダシャーはプラーナ・ラーフ期であったことを思い出すのである。

ちょうど、サイババのアシュラムに到着した初日で、よく勝手が分からず、タクシーの運転手にいろいろ案内してもらったのだが、実際、タクシーで乗り入れる人は少なく、皆、静かに歩いている人が多いのであり、後から考えると、霊的教師のアシュラム内をうるさい音を出して走り回る暴走族のようなものであった。なんとも不敬・不遜な態度そのものであったのである。

ちょうどタクシーが正規のタクシーではなく、自家用車を使って営業していたのだが、車のガラスが紫色にコーティングされている不良っぽい車であり、それに乗って、うるさく音を立てて、アシュラムを走り回ったのは、ほとんど、巡礼をする暴走族といった感じであった。

「最古の占星学」(さんが出版)には9室のラーフに「聖地への巡礼」と書いてあって、やはり、9室在住のラーフは9室の支配星のように振舞うことから考えられる象意が書かれている。

然し、9室の象意には同時に「父・師との対立」という象意もあるのであり、少々複雑なのである。

そうした父・師に対する対立、不敬といった象意が今日のプラーナ・ラーフ期にも出来事として起こったため、面白いと思ったのである。

ダシャーはプラーナダシャーまでハウスの象意が鮮やかに出るのである。
もし、出生時刻が正確で、第5レベルのダシャーまで正確に導き出せれば、プラーナダシャーの支配星がハウスとの絡みの中で形成するその象意が日常の体験の中に観察できるのである。
















スポンサーリンク


スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です