西部邁の死について



日本の保守論客の一人、西部邁が多摩川河川敷から入水自殺し、関係者の間で、衝撃が広がっている。


評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳、正論執筆メンバー
2018.1.21 16:26 産経ニュース

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。

警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。

同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。

西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。

西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説」で吉野作造賞、「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞を受賞した。

東大教授時代の昭和63年、助教授の推薦をめぐって教授会で否決されたことに抗議して辞任。以降、テレビの討論番組などに定期的に出演し、晩年は自ら発刊した雑誌を舞台に言論活動を展開した。

正論執筆メンバーで、平成4年には戦後日本でタブー視された改憲論を正面から取り上げるなどの精力的な評論活動により、第8回正論大賞を受賞した。


私が知っているのは、「朝まで生テレビ」で保守論客の一人として参加する西部邁であり、また小林よしのりの漫画の中で、風刺される姿だけである。
 
保守言論人としての西部邁しか知らない。
 
西部邁について調べてみると、非常に興味深いことに学生時代に和歌山の被差別部落に入って子供たちに勉強を教えたり、共産主義者同盟に加入し、全学連の中央執行委員などを務め、60年安保闘争にも参加し、身分制度や階級的不平等に反対し、社会正義(平等)を目指した左翼活動家であったということである。
 
然し、1961年3月に左翼過激派と決別し、1972年に連合赤軍の集団リンチ事件の報道に触れて、この頃に完全に左翼への共感が失われたようである。(何があったかは分からないが、左翼への幻滅があったと考えられる)
 
そして、その後、思想転向して保守論客の一人として言論活動を行ってきたのである。
 
「朝まで生テレビ」などで人気が出たのは、その思想転向した後の姿である。
 

この西部邁の左翼から右翼への転向は、知識人にしばしば生じる典型的なパターンである。
 
若い頃にマルクス主義に傾倒し、平等な社会(社会正義)を志すも途中で現実に直面して挫折し、渡辺恒雄のように資本主義の怪物に変貌したり、保守思想家に転身する。
 
多かれ少なかれ、このパターンを辿ることが多いようだが、もし思想転向しなかったとしても左翼の過激派から環境保護や消費者運動のようなよりソフトな活動家に転向する場合がある。
 
西部邁の場合は極端な一例である。
 
  
 
  
西部邁のチャートを見て気づくのは、木星が水瓶座に在住していることである。
  
水瓶座は自由、平等、博愛などフランス革命をもたらしたリベラル左翼の星座であり、共産主義思想は、この星座から出て来るのである。
  
また木星は社会奉仕や慈善の惑星であり、教育、教師の表示体である。
  
  
従って、西部邁が学生時代に被差別部落に入って子供たちに勉強を教えたのは、この水瓶座の木星が働いたと考えられる。
  
マルクスやレーニンといったイデオロギーの問題ではなく、ただ純粋、素朴に被差別部落の人々に奉仕したいという気持ちからではないかと思われる。
  
然し、そうした西部邁も大学で共産主義者同盟や全学連に加入して活動する中で、マルクス・レーニン主義などのイデオロギーにも関わることになるのだが、このようなイデオロギーに関わることによって左翼過激派への失望が生じたのではないかと思われる。
  
何故なら、本来、木星が水瓶座に在住する西部はイデオロギーというよりも社会的弱者に対する直感的な反応であったと思うからである。
  
理論というよりも彼の流儀、あるいは行動規範といったものではないかと思うのである。
  
  
例えば同じ水瓶座でも土星や火星、ラーフ、ケートゥ、太陽などの凶星が在住することでカルマを形成している場合、権力闘争、暴力革命理論や過激派のリンチや粛清といった表現になるため、そうした配置を持つ人々と共に活動することで、彼の純粋な理想や慈善心などが傷つき、挫折し、打ち砕かれたのではないかと考えられるのである。
  
従って、保守言論人に転向してからの西部は、民主党に政権交代した時に日本の伝統が失われてしまうことに警鐘を鳴らしたのである。
  
それは学生時代に左翼の過激派が何も建設せずに破壊を繰り返したという当時の悪夢が記憶に残っているからである。
  
この左翼活動家への失望が大きかったが故に保守思想家に転向したのである。
  
  
この西部邁の思想転向の理由を占星術的な観点から検討すると、魚座に土星、太陽、水星が在住しているのが分かる。

魚座は春分点が過去およそ2000年の間、通過してきた星座であり、封建的な価値観や伝統社会を表している。

身分制度など古い秩序を維持しようとする星座である。


従って、西部邁のチャートでは革新と保守が共存していることが分かる。

水瓶座の木星や天秤座で木星からアスペクトを受けるラーフなどは革新であり、リベラルである。

然し、魚座の土星、水星、太陽は、封建的、保守的であり、そして、山羊座の月と金星も古風で家父長制的秩序を重んじる保守的な星座である。

従って、これらの保守と革新の要素がダシャーの推移に対応して顕現するのである。

西部邁は、マハダシャーラーフ期や木星期には、マルクス・レーニン主義的な左翼活動に入れ込んだのであるが、マハダシャー土星期になると、土星は魚座に在住しているため、保守言論人に転向したと考えることができる。


然し、西部邁の興味深い所は、『産経新聞』『正論』『諸君!』などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画している所である。

2003年のイラク戦争の時にこれらの親米保守知識人たちが、アメリカの選択を支持したのに対して、西部邁は、イラク戦争がアメリカの侵略戦争であると批判している。

おそらく水瓶座に在住する木星がより公平な正義という理念、そして、国際法や国連決議を尊重する姿勢をもたらすからである。

また皇位継承問題に関して、「血」統よりも「家」系を重視する方向において、よりよく維持されると思われることを理由に「女系」にも「女子」にも皇位継承が可能なように(皇室典範第二条の)「継承の順位」を変更した方がよいと述べ、一部から「左に回帰した」と批判されたようである。

おそらく(正統派?)親米保守知識人にとっては、「血」の問題は絶対であり、必ず、天皇は「男系」でなければならないのであるが、性別や人種(血液)にこだわらないリベラル左翼的な理想を水瓶座の木星がもたらしたからではないかと思われる。

また民主党政権ができる前から民主党が「必ずや日本を解体に導きます」と述べていたようである。

然し、2006年6月号の雑誌『時局』の中で、民主党へのかすかな期待について論じており、その態度は首尾一貫していない。


おそらくこのように保守言論人の中でも親米保守の主流派とは一線を画したり、時に左に回帰したような思想を示すのは、水瓶座の木星と魚座の土星が星座交換しているからではないかと思われる。


星座交換していることによって、どちらの影響も感じられるのである。




そのため、マハダシャー土星期になって、イラク戦争や皇位継承問題に関して、リベラル左翼的な発想が出て来るのである。


また土星は出生図では魚座に在住しているが、ナヴァムシャでは水瓶座でムーラトリコーナに在住して強力である。

従って、土星においても本質的には水瓶座の影響が強いのである。


従って、最近の19年間の歩みの中で、保守言論人として活動して来たが、実はリベラル左翼的な考えにも心が開いており、そのため、思想的に保守と革新の間を揺れ動いていたのである。

「朝まで生テレビ」で田原総一郎とのやり取りなどもなごやかであり、非常に友好的である。


また2001年8月に船橋市立西図書館のある司書が、同館所蔵の西部らの多数の著書(107冊)を廃棄基準に該当しないにも関わらず、除籍、廃棄した事件(船橋市西図書館蔵書破棄事件)が起こっている。


この事件に対して、wikipediaによれば、西部邁は以下のように回答している。



つい先だって、船橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。

―西部邁『知性の構造』ハルキ文庫、2002年、270頁



…図書館の収蔵能力にも限界がありますので、図書館員の好みに合わぬ書物はどんどん廃棄処分されていくしかないのです。

―西部邁『人生読本』ダイヤモンド社、2004年、129頁



どこかの公立図書館で、僕の著書が五十冊ばかり、(いわゆる左翼の)図書館員によって勝手に廃棄されていると報道されたとき、僕は、「載断(せつだん)するなり焼却するなり、どうぞお好きなように」と応えました。

―西部邁『妻と僕 寓話と化す我らの死』飛鳥新社、2008年、215頁



自分の言説が受け入れられなくても、私は痛痒を感じません。それどころか私は、若いときからずっと、「坑儒」(知識人への生き埋め)されるのはちとつらいが「焚書」されるくらいはまったく平気、という種類の人間なのです。事実、どこかの図書館で、私の五十冊ばかりを含めて、左翼の気に入らない書物が勝手に廃棄されたとき、それに抗議する原告団に私は加わりませんでした。いくつかのメディアがそれについて取材してきた折にも、これはホンネではなかったのですが、「坑儒されても文句はいいません」と虚勢を張っておりました。

―西部邁『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』幻戯書房、2013年、42頁


この西部邁の対応は、大変おだやかで、異なる思想を持つ人間に対して寛容であり、非個人的である。

従って、これは純粋なリベラル左翼的対応と言ってもいいかもしれない。

相手を尊重する大人の態度が人格に表れており、その行為がリベラルの本来の理想を体現しているのである。


従って、西部邁は保守言論人ではあるが、人格や行為のレベルにおいて、そして、時には思想のレベルにおいても成熟したリベラルなのである。

西部邁の本質は、保守思想の中にリベラルに対する感受性を持つ思想家である。


wikipediaによれば、西部邁は、『「保守」を思想レベルにまで引き上げた知性は左右を問わず、多くの知識人の尊敬を集めた』と評価されており、それはこうした配置によるものであると考えると納得できる。




西部邁のラグナはどの星座か?


西部邁の出生時間は分からず、また結婚した日付や子供の誕生の日付なども分からない為、ラグナの特定は困難である。


然し、非常に多くの著作があり、またテレビにも多数、レギュラー出演していたことを考えると、


蠍座ラグナで5室(作家、著述家)に水星、太陽、土星が集中し、3室(芸能)に金星と月が在住していたのではないかと思うのである。


水星は8室の支配星で5室で減衰しているため、パラシャラの例外則でラージャヨーガ的に働く配置であり、著作家としての成功を表している。


また3室支配の土星が5室に在住する配置や10室の支配星が5室に在住する配置も著述家としての仕事を表わしている。


そして、5室支配の木星が4室から10室にアスペクトしている為、東京大学で教鞭を取る教授でもあったし、またテレビ番組の企画で、「西部邁ゼミナール」(TOKYO MX)といった教育番組を手がけていたのである。



その西部邁が何故、今回、自殺したかと考えると、


蠍座ラグナで正しければ、現在、水星/金星期辺りである。




マハダシャーの水星は8、11室支配のマラカで、3、4室支配のマラカに相当する土星とコンジャンクトして、太陽、火星から傷つけられている。


またアンタルダシャーの金星は7、12室支配で3室に在住している。


何故、河川敷からの入水自殺になったかと言えば、水星が水の星座(魚座)に在住しているからである。


またアンタルダシャーの金星も水の惑星である月とコンジャンクトし、ディスポジターの土星は水の星座(魚座)に在住している。



西部邁は、ここ数年、自分の死への思索を深めていたと言われ、著作などでもしばしば言及していたという。


自然死の実態が「病院死」であることから、自分は「生の最期を他人に命令されたり、弄り回されたくない」として「自裁死」を選択する可能性を示唆していたという。


おそらくマハダシャー水星期に入ってからその考えに取り憑かれてしまったのだと思われる。


水星は8室の支配星であるため、深い思索や研究を表わし、5-8の絡みは、判断力、思考(5室)が何らかの考えに狂信的に囚われてしまう(8室)ことを表している。


8室は中毒症状を表わす配置である。


従って、8、11室支配の水星期が深まるにつれ、いよいよこの思索を深めた自らの「自裁死」の信念を実行しなければならなくなったと言える。


水星は減衰し、8室の支配星と5室が絡み、傷ついてもいる為、判断力が弱まっていたとも言えるのである。


西部邁は、最近、手袋をはめていたようだが、掌蹠膿疱症という原因不明の皮膚病を患っていたようである。


掌蹠膿疱症

掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)は、皮膚病の一つ。手掌・足底に無菌性の膿疱が反復して出現する。基本的に慢性難治性の疾患である。膿疱性乾癬とも類似するが区別されている。また、欧米では膿疱性乾癬の病態のひとつとして分類しているが、日本では独立した疾病として分類されている。

症状

40代以降に好発する。膿疱の好発部位は母指球部と小指球部、土踏まずと踵で痒みを伴う。悪化すると日常生活に支障を来すほどの痛みを生じる。(略)

原因

原因は不明であるが、溶連菌やスーパー抗原に対する免疫応答に異常があるという報告がある。また、膿疱が無菌性であるが、慢性扁桃炎(扁桃病巣感染症)・虫歯・歯肉炎などの歯性病巣や、歯科用金属やアクセサリーなどに含有するプラチナによる金属アレルギーの関連性を指摘する報告がある。その他、ビタミンの一種であるビオチンの不足も原因とされている。喫煙(受動喫煙を含む)が原因になることもある。しかし、禁煙しても治癒しない。(略)

(wikipedia 掌蹠膿疱症より引用抜粋)


おそらくこの皮膚病を併発したのは、マハダシャー水星期からではないかと思うのである。


水星は皮膚を表わし、また神経系を表している。




従って、凶星から傷つけられた8室支配の水星は、明らかに原因不明の皮膚病を表しているのである。


西部邁の「自裁死」という思想は、この原因不明の皮膚病をもたらした同じ水星がもたらしたものである。


この原因不明の皮膚病に冒されながら、病院で薬や医療器具で拘束された尊厳のない死を迎えたくなかったのである。


この傷ついた8室支配の水星が、考えに考えた末、「自裁死」という思想に辿り着いたと言える。


それ自体、一つの思想的病であったと言えなくもないのである。




そして、水星/金星期がやってきた訳だが、西部邁は、自分の死が、メディアに報じられることも意識していたと考えられる。


つまり、何故、3室に在住する金星期に死を選んだかと言えば、それは、「演劇的死」なのではないかと思われる。


ソクラテスのように自らの信念による死を演出し、それを思想家・哲学者としての最期のパフォーマンスとして世に提示したのである。




(参考資料)



「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
2018.1.21 20:19 産経ニュース

「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。

 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。

 言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。

 知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。

 親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。
参照元:「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
2018.1.21 20:19 産経ニュース

西部邁さん死去 娘の智子さん「父は死にたいと……」
2018.1.21 22:23 AERA dot. (桐島瞬)

評論家の西部邁さん(78)が21日早朝、東京都大田区の多摩川に飛び込み、病院に搬送された後、亡くなった。本人は最近、周囲に「死にたい」と漏らしており、入水自殺をしたとみられる。

西部氏はここ数年、TOKYO MXテレビでのレギュラートーク番組への出演や執筆活動を続けていた。

 その一方、背中に持病を抱え、激しい痛みに襲われることもあった。そのせいもあり、周囲の人たちに死にたいと漏らすことも増えていたという。

 知人の一人は昨年末、西部氏から「私がいなくなったあとは家族をよろしく」と言われた。

「冗談だと思い、聞き流していた。でも体は相当辛かったはず。もう少し真剣に聞いていれば」と肩を落とした。

 同居していた娘の智子さんは「最近の父の著作にも死にたいようなことは書かれていましたが、それ以上のことは」と絶句した。

 昨年末にAERA(2017年12月18日号)でウーマンラッシュアワーの村本大輔さんと対談をした際には意気投合し、予定時間を延長し3時間に及ぶ政治談義に花を咲かせた。

 対談後も疲れをみせず、担当した記者やカメラマンを誘って行きつけの飲み屋に連れて行くなどの気遣いを見せていた。

 このときのことを西部さんは周囲に、楽しい対談だったと話し、年明けには西部さんの最新の著作が村本さんに送られて来たという。

 村本さんは、西部さんが亡くなった当日が米国に3カ月の語学留学に旅立つ日。訃報を知るとTwitterでそのときの対談の様子を「何というか目のキラキラした少年と話してるような、そんな人。また話したかった」と呟いた。

 発見された遺書には、葬儀を望まないことなどが書かれていたという。(桐島瞬)
参照元:西部邁さん死去 娘の智子さん「父は死にたいと……」
2018.1.21 22:23 AERA dot. (桐島瞬)

西部さん"総選挙で自殺延期"
2018年01月22日 10時00分 リテラ

衝撃のニュースが飛び込んできた。評論家の西部邁氏が昨日午前7時前、大田区の多摩川河川敷で死亡したのだ。報道によると西部の長男から「父親が川に飛び込んだ」と通報があり、また遺書のような文書もあったことから、自殺の可能性が高いとみられている。

 実はその予兆があった。西部氏は昨年12月29日に放送された『チャンネル桜』の「年末特別対談 西部邁氏に聞く」に出演、対談相手であるチャンネル桜代表の水島総氏に、自分の死についてこんなことを語っていたのだ。

「もう過ぎましたけど、10月22日という日付を忘れられない。総選挙の日なんです。実はあの日、僕ね、あえてニコニコ笑って言いますけど、実は僕、死ぬ気でいたんです。計画も完了していて」

 西部氏は10月22日に"死ぬ気"だった。しかしその日が総選挙になったため計画を変更したとして、"死"についてこう続けたのだ。

「ところがね、ちょっと手はずが狂って。どうしようかと思っていたときに発表があって。(10月22日が)総選挙だと」

「世間が忙しい時に騒ぎを加えるのは私が意図することじゃない」

 一体どういうことか。西部氏といえば、東京大学時代に60年安保闘争に参加するも転向、その後は保守論客として活躍を続けてきた人物だ。とくに1990年代には『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に"レギュラー"出演、改憲はもちろん、自虐史観批判、核武装や徴兵制の導入まで主張し、歴史修正主義団体「新しい歴史教科書をつくる会」にも理事として参加。"ネトウヨ"の生みの親のひとりでもあった。

 そんな西部氏だが、注目すべきは、安倍首相との"関係"だろう。第一次安倍内閣が崩壊直後には「保守とは何か?」という勉強会を定期的に開催、また『西部邁ゼミナール』(MXテレビ)にも安倍氏をゲスト出演させるなど、安倍氏を支持、支援していたはずだった。が、しかし第二次安倍政権からは一転、"安倍首相は保守でもなんでもない""それを理解しない安倍首相は愚かなジャップ"などと安倍首相を激しく批判する側に転じていたからだ。

●第二次安倍政権発足から一転、安倍首相を激しく批判する側に転じていた西部氏

 たとえば今から3カ月ほど前の「DIAMOND online」(2017年10月3日)インタビューで西部氏は安倍首相についてこう辛辣に批判していた。

〈口にするのも辟易してしまうような論点ですね。残念ながら、日本は保守という言葉の意味をきちんと理解しようとしない人ばかりのように思える。私はそうした人々に憤りを込めて、あえて「ジャップ」と呼んでいます〉

 そして本来の保守とは〈その国のトラディション(伝統)を守ること〉だとして、安倍首相の姿はそこからかけ離れていること、さらにアベノミクスについてもこう断じている。

〈アベノミクスにおいて、安倍政権が国土強靱化をはじめとするインフラ投資に躍起になっていることは嘆かわしい。あまりにも近視眼的で、ただ橋を何本つくり替えるとかいった施策を進めているだけに過ぎないからです。国のインフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。 しかし、それがまったく欠如しているのが実情です。これで保守と言えるのでしょうか。〉

 さらにアメリカの顔色ばかり伺う安倍首相の対米追従姿勢、治外法権の米軍基地についても〈どうして保守がそのような振る舞いができるのかは甚だ疑問だし、大問題であると僕は考えています〉と断じている。

 また「月刊日本」(ケイアンドケイプレス)15年6月号でもアメリカとの関係に100%絶望しているとして、〈戦後レジームからの脱却を唱えていた安倍首相の訪米によって、日本の属国化あるいは保護領化は完成したわけですから。事実上の属国は名実共に完全なる属国と化した。ポイント・オブ・ノーリターンを超えた以上、もはや独立の道に戻ることはできないでしょう。以後、日本は属国という隘路をひたすら突き進むほかないのです〉と述べてもいた。

 さらに「AERA」(朝日新聞出版) 2017年12月18日号ではウーマンラッシュアワー村本大輔と対談し、安倍首相への批判を繰り返している。

〈デモクラシーなんぞは代表者を選ぶための手続きに過ぎないのですが、民衆の多数派がアホなら代表者もアホで、選ばれたアホな代表者はアホな決定をすることが多い。〉

〈安倍さんとは彼が最初に総理を辞めた後、1年間研究会を開いて正しい保守についてレクチャーをしていました。そのうえで気に入らないことを言わせてもらえば、日米同盟の下で安保法制をつくったことです。僕は安保法制自体には何の問題もないとの立場で、自衛隊が行く必要のある特殊事情があるなら、地球の裏側でも行け、鉄砲も撃てと思う。だけど、それを米国のような国とやるな。米国は北朝鮮の核武装はけしからんと言っておいて、自分たちの友好国のイスラエルなどには、どんどんやれと言っているような国です。〉

●ネット右翼とは一線を画していた西部氏は、安倍首相の浅はかさが許せなかったのか!?

 西部氏は安倍首相のアメリカ追従に苛立ち、さらに"安倍首相は最初から保守ではなかった"と批判を繰り返してきたのだ。

 いったい、西部氏はなぜ安倍首相をここまで批判するようになったのか。その背景には、安倍首相の対米従属路線があるのはもちろんだが、もうひとつは安倍首相の無教養で浅薄な思考を軽蔑していたからではないか。

 実際、西部氏はネトウヨを生み出したひとりではあるが、その保守思想は教養に裏打ちされたもので、ひたすら安倍首相を礼賛、安倍晋三教者と化したネット右翼とは一線を画していた。

 また、自身の思想信条と対極にある左派論客と交友し、議論をたたかわせるのも西部氏の特徴だった。姜尚中氏や佐高信氏、また16年には自らが主宰する雑誌『表現者』の座談会に日本共産党の小池晃書記局長を登場させ、安倍首相の対米従属と新自由主義についてともに批判。共産党のほうが保守に近いと高く評価していた。

 こうしたある種の深み、懐の広さをもった西部氏にとって、安倍首相の浅薄さ、無教養さは耐え難いものだったのではないか。

「今度は何日にするか言いませんけどね。こんな狂った国にいるのは嫌だ」

 冒頭の『チャンネル桜』で、西部氏こんなことを言っていた。西部氏は4年前に妻を亡くし、自身も2013年に喉頭がんを患っていることを告白している。死を選択した理由は、こうした孤独や健康状態の可能性もあるが、改めて言論界や保守論壇からの総括も必要だろう。 (編集部)
参照元:西部さん"総選挙で自殺延期"
2018年01月22日 10時00分 リテラ

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断
2017.10.3 ダイヤモンド・オンライン

長らく一強と言われながらも、ここに来て迷走気味の安倍政権。自他共に認める「保守」のリーダーシップは揺らいでいるように思える。一方で、今の政治には保守に対する明確な対立軸もない。にわか新党ブームの中で行われる大義なき解散総選挙を経ても、理想的な政治秩序が生まれるとは考えにくい。内憂外患の日本はいったいどこへ向かっているのか。保守派の論客として名高い西部邁氏が、今の政治や本来の保守の在り方について、想いを語った。自身の集大成となる新著『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)を上梓した西部氏が、保守の意味を取り違えた人々に送る最後の警鐘である。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、まとめ/ライター 大西洋平)

日本において「保守」の意味が
ここまで誤解されている嘆かわしさ

――安倍政権は国民から保守志向が強い政権と思われており、安倍首相自身も保守を自認しています。ここに来て、「一強」と言われた支持率は以前より低下。外交では米中韓との駆け引きに振り回される上、足もとでは北朝鮮の脅威も増大、国内では森友・加計学園問題が噴出するなど、まさに内憂外患の状態です。最近では、「そもそも安倍首相を真の保守と言えるのか」という疑問の声も聞こえます。保守の論客として、西部さんは今の安倍政権をどう評価していますか。

 口にするのも辟易してしまうような論点ですね。残念ながら、日本は保守という言葉の意味をきちんと理解しようとしない人ばかりのように思える。私はそうした人々に憤りを込めて、あえて「ジャップ」と呼んでいます。保守は一般に思われているように、「現状を維持する」という意味では決してありません。

 本来の保守とは、その国のトラディション(伝統)を守ることです。近代保守思想の始祖とされるエドマンド・バークは、「保守するために改革(Reform)せよ」と説いています。現状が伝統から大きく逸脱していれば、改革を断行するのが保守なのです。

 そして伝統とは、その国の歴史が残してきた慣習そのものではなく、その中に内包されている平衡感覚のことを意味している。とかく人間の意見は左右に散らばって対立するものであり、そういった分裂を危機と呼ぶなら、時代は常に危機に晒されていると言えるでしょう。

そうした状況下において、いかに平衡を保つかが問われているのです。ドイツの実存主義者であるカール・ヤスパース曰く、「人間は屋根の上に立つ存在」で、油断すればすぐに足を滑らせて転落しかねません。

 もっと極端に言えば、綱渡りのようなもの。1本の綱の上を歩くという危機に満ちた作業こそ、人間が生きていくということです。こうした平衡術は、凡庸な学者が考えた理屈から生み出されるものではありません。歴史という紆余曲折の経験の中から、曲芸師的に対処するための知恵のような感覚、あるいは言葉遣いや振る舞いを習得していくのです。

 常に状況は新しいわけだから、それは処方箋ではあり得ません。対処法を示唆してくれる存在として、伝統というものがある。だから、悪習と良習を区別しながらも、伝統を壊してはならないと考えるのが保守主義です。

安倍首相は保守ではなかった
社会の方向性が見えていない

 こうした定義に照らし合わせると、安倍首相は最初から保守ではなかったわけです。実は第一次安倍政権が退陣した後、世間から総バッシングを受ける中で、僕だけは彼に手を差し伸べた。1年間にわたって毎月1回のペースで「保守とは何か?」というテーマの勉強会を開催して励ましたのです。

 ただ、第二次安倍政権が発足してからは一度だけ食事をともにしただけで、意識的に距離を置くようにしています。だって、政治になんて関わりたくないし、もともと安倍さんには特に悪意を抱いていない一方で、特別に期待もしていないから。

 ただ、アベノミクスにおいて、安倍政権が国土強靱化をはじめとするインフラ投資に躍起になっていることは嘆かわしい。あまりにも近視眼的で、ただ橋を何本つくり替えるとかいった施策を進めているだけに過ぎないからです。国のインフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。しかし、それがまったく欠如しているのが実情です。

 これで保守と言えるのでしょうか。

米国の実像は左翼国家
実はロシアと二卵性双生児

――確かに、安倍政権がどうのという前に、ほとんどの日本人は保守という言葉をそのように受けとめていませんね。では、ほとんどの国民が捉え違いをしているとしたら、その中で安倍政権はどんな方向へ進もうとしているのでしょうか?

 今の安倍さんがやっていることは、まさに「米国べったり」。どうして保守がそのような振る舞いができるのかは甚だ疑問だし、大問題であると僕は考えています。僕は何十年も前から指摘し続けてきたけれど、結論から言うと米国は「左翼国家」なのです。

 そもそも左翼とは、フランス革命期に急進的なジャコバン派が国民公会で左側に座って「自由、平等、博愛」と唱えたことがその由来となっている。彼らは「理性を宗教とせよ」とも訴えており、いわゆる合理を意味します。そして、これらを実践するために、旧体制を急速に破壊せよと扇動したわけです。

 その直前には米国の独立戦争も勃発しており、これに勝利した同国が制定した憲法も「自由、平等、博愛、合理」を掲げ、ジャコバン派の思想とほとんど変わらない。古いものは悪いもので、新しいものは良いものだというジャコバン派の考えに近いのです。

 それでも建国当初の米国には、欧州出身の上流階級による保守主義が存在していました。しかし、19世紀前半にジャクソン大統領によるジャクソニアンデモクラシー(自立と平等を理念とする草の根民主主義)が台頭し、米国は自らを欧州から完全に切り離してしまった。こうして歴史が寸断されたわけなので、平衡術を学びようがありません。

 にもかかわらず、戦後のジャップが犯した大きな間違いは、「米国側につくのが保守でソ連側につくのが革新だ」という政治の構図で物事を捉えるようになったことです。米国はそんな状況だし、一方のロシアには歴史があったものの、大革命によって徹底的な破壊が加えられたため、こちらも歴史が寸断されてしまった。

どちらも歴史から学べない左翼であるという意味で、米国とロシアは二卵性双生児なのです。そのような両国が対立したのは、米国が個人主義的な方向で変化を起こそうとしたのに対し、ソ連は共産党の集団主義的な指導のもとでそれを推進しようとしたからです。

 要するに、「どちらが中核で革マルなのか」といった程度の違いにすぎず、米国もロシアも言わば左翼同士の内ゲバ、もしくは内紛を繰り広げてきただけの話。こうした背景を知らないまま、ジャップは長く保守と革新の意味を捉え違えてきました。

 繰り返しになるけれど、今の安倍政権なんて、保守とはまったく何の関係もない。それなのに安倍首相は日米が100%の軍事同盟関係にあると悦に入る始末で、戦後の日本人の愚かさ加減がにじみ出ていると言えるでしょう。

世間はポピュリズムと
ポピュラリズムを混同している

――米国べったりと言えば、日米軍事同盟やわが国の安全保障の在り方については、北朝鮮情勢の緊迫化などを機に、改めてスポットが当てられていますね。

 そもそも、治外法権となっている外国の軍隊の基地が国内にあり、憲法さえ他国からあてがわれた日本が、独立国であるはずがない。カーター政権下で安全保障問題を担当したブレジンスキー大統領補佐官(当時)が断言したように、日本は米国の保護領であるのが実態。自治領で大統領選挙の投票権は持たないプエルトリコと変わらない立場にすぎないでしょう。

 集団的自衛権にしても、本当に日本を米国に守らせたいなら、相応の対処が求められます。米国は自国に実害が及びそうなら守ってくれるけれど、そうでなければ動いてはくれません。

 まずは、日本が個別的自衛でもって、ギリギリのところまでは自力で頑張るという姿勢を示す必要がある。すなわち、「日本も核武装を行うべきかどうか」が議論になっても当然にもかかわらず、ずっとタブー視され続けてきました。

 日米安保には双務性があると言われるが、相手側にそれを果たしてもらうためには、自分自身にも実力がなければならない。それは自衛力のみならず、外交力や政治力も含めてです。

―― 一方で世界に目を転じると、米国で保守色が強いトランプ大統領が誕生し、欧州でも極右政党が躍進台頭するといった動きは、第二次世界大戦前夜のポピュリズム台頭を彷彿させるとの見解もよく耳にします。こうした言説をどう見ますか。

 愚かなジャップは、ポピュリズムの本来の意味さえ誤解しているようですね。ポピュリズムのルーツを遡ると、1891年に米国のシカゴで農民たちによって結成された政党「人民党」(Populist Party)に辿り着きます。

 ニューヨークの金融市場に牛耳られるようになって農産物の価格が下がり、不満を抱えた農民たちが立ち上がったのです。ポピュリズムはグレンジャー(農民)運動とも呼ばれ、本来は真っ当な抵抗運動だった。ところが、いつの間にか世間では、「ポピュリズム=大衆迎合主義」などいった解釈がなされるようになっています。

 そこで、僕は何十年も前から、「大衆迎合主義のことをポピュリズムと呼ぶな! 要は人気主義なのだから、ポピュラリズムと呼べ!」と訴え続けてきたわけです。

 この「ポピュラリズム」か否かということで言えば、トランプはもちろん、日本はずっと前からその典型例であると言えるでしょう。今の政治活動に日本人の生活欲求が反映されているとはとても思えない状況で、ほとんどの大衆は折々のムードに流されて付和雷同的にワーキャーと騒ぎ立てているだけなので。

 太平洋戦争にしても、実はそれを引き起こしたのは日本の人民。軍部、特に海軍はうかつに開戦するとヤバイということを承知していたけれど、朝日新聞や日本放送協会(NHK)にも扇動されて、人民たちが一丸となって囃し立てた結果、あんなことになった。あれこそ、まさしくポピュラリズムでしょう。

変革で失うものは確実、
得るものは不確実

――では、保守の対極に位置する左翼(革新派)について、西部さんはどのように捉えてきたのでしょうか。

 左翼が掲げる「革新主義」(Progressivism)とは、変化を起こせば何かよきものが生まれる、との考えに基づいています。これに対して英国の政治哲学者であるマイケル・オークショットは、「変化によって得るものは不確実だが、変化によって失うものは確実」と指摘しました。

たとえば、離婚すれば妻を失いますが、新たな妻をめとることができるか、めとったとしても離婚した妻よりましなのかは定かではない。失うのは確実ですが、新しく得るものは不確実であるだけに、「変化に対しては常に注意深くあれ」とオークショットは説きました。変化を拒めという意味合いではなく、変化したからといって確実によくなるとは限らないのだから、いたずらに舞い上がるな、と諫めたわけです。ロシア革命や毛沢東の所業も然りで、多くの歴史がそのことを裏付けている。

 結局、「人間は素晴らしい」というヒューマニズムが革新主義の原点にありそうです。大多数が求めている方向に変化を起こせば、人間は本来の素晴らしき姿に近づいていくという発想で、要はフランス革命期に唱えられたペルフェクティビリティ(完成可能性)。「人間は欲することに沿って変化を続けていけばやがて完成に至る」というのです。

戦後の日本には
革新派しか存在してこなかった

 しかしながら、僕は人間が素晴らしいとはこれっぽっちも思っていない。人間なんてロクなものではないと自覚する力を備えていることがせめてもの救いであって、性善であるのはせいぜいその分だけです。

 ましてや、ペルフェクティビリティ(完成可能性)なんておこがましい話です。完成してしまうと、人間は神と化すわけだから。ニーチェは「神は死んだ。人間が神を殺したのだ」と記しているけれども……。ともかく、己の顔を鏡に映せば、とても完成可能性があるとは思えないはず。保守派の見解のほうが正しいのです。

 ところが、戦後の日本には革新派しか存在してこなかったのが現実だった。左翼のみならず、自民党さえも革新という言葉を口にしてきたのです。おそらく日本では、変化によって一新させることがよきものだと思い込まれてきたのでしょう。

 みなさんがたは、「リボルーション」(Revolution)の真意をご存じですか? 「革命」と訳されているが、「再び(Re)」と「巡り来る(volute)」が組み合わさった言葉で、「古くよき知恵を再び巡らせて現代に有効活用する」というのが本来の意味です。愚かなことに現代人は、いまだかつてない新しいことをやるのがリボルーションだと解釈してしまった。

 維新という言葉にしても、孔子がまとめた「詩経」の一節「周雖旧邦 其命維新(周は古い国だが、その命〈治世〉は再び新たに生かせる)」を引用したもの。改革(Reform)も然りで、本来の形式を取り戻すというのが真意なのです。

自分の中にはずっと
ファシスモが蠢いていた

――最近上梓された著書『ファシスタたらんとした者』によると、ファシスタ(ファシスト)については必ずしも政治的な意味合いではなく、西部さんの経験や理念を束ねていくという意味合いで用いられていますね。西部さんにとって「ファシスタ」とはどんな概念ですか。

 そもそも「ファッショ」という言葉には、束ねる、団結するという意味がある。この世に生まれ、他者と気心を通じたいと考える僕は、自然とファシスタになろうとしていたわけです。その願いが実現されたことは一度もなかったけれど、自分の中には絶えずファシスモめいたものが蠢いていることを自覚していた。単に「保守派に属する者」という位置づけではなく、もっと広い意味でのファッショが、これまでの自分の活動の根底にあった、ということです。

 誤解されたくなかったし、関心もなかったから、あの本の中では政治的なことにはほとんど触れていません。ただ僕は、1920~1930年代にあれだけ資本主義が暴走してアングロサクソンたちがやりたい放題をやった挙げ句、どうなったのかということについて振り返ってみたかった。

 暴走の最たる例は、第一次世界大戦の戦勝国が、ドイツに対して当時の同国のGNP(国民総生産)の20倍に及ぶ賠償金を要求したこと。その結果としてドイツがハイパーインフレに陥れば、アドルフ・ヒトラーのような人間が出てくるのは当たり前です。

 米国にしても、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が「公共投資でしか消費は生み出せない」と唱えているように、社会主義への傾倒ぶりが顕著だった。当時の知的水準では、自由主義、資本主義が限界に到達すれば、社会主義に進んでいくのはごく自然のことだったわけです。

 その一方で、イタリアにおいては「束ねる(団結する)」を語源とするファシズムが活発化しました。ヒトラーが先導したナチズムは合理的に国家を設計するという社会主義的な色彩が濃かったのに対し、ファッショはもっとロマンチックに「ローマの栄光を取り戻そう」という思想に基づいたものです。

 もちろん、実際のファシスタにはゴロツキと呼ばれる手合いも少なからず加わっていたし、よく考えもせずに酷いことをしでかしたのも事実。しかしながら、当時の資本主義の滅茶苦茶ぶりからすれば起こるべくして起こったことで、デモクラシーの中から生まれたものでもあります。
参照元:安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断
2017.10.3 ダイヤモンド・オンライン

エコノミストを忌み嫌った「保守の真髄」西部邁の過ち
『田中秀臣』iRONNA 毎日テーマを議論する

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 保守派を代表する論客の西部邁(すすむ)氏が自殺したという報道は、多くの人たちに驚きと悲しみ、そして喪失感をもたらした。

筆者にとって西部氏の発言は、主にその「経済論」を中心に1980年代初頭からなじんできたものである。また80年代におけるテレビ朝日系『朝まで生テレビ!』の討論者としての活躍も印象に残る。個人的には、2013年に編集・執筆した『日本経済は復活するか』(藤原書店)で、いわゆるリフレ派論客の中に混じり、リフレ政策への批判的な立ち位置を代表する論者として、フランスの経済学者、ロベール・ボワイエ氏、榊原英資・青山学院大教授らとともに原稿を頂戴したことを、今も感謝とともに思い出す。ボワイエ氏も榊原氏も、そして西部氏もともに単なる経済評論ではなく、その主張には思想的または実践的な深みがあったので、彼らへの依頼は拙編著の中で太い柱になった。

 また06年に出版した拙著『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)の中では、西部氏の「経済論」やその背景になる主張を、筆者なりに読み説いて、批判的に論じた。先の『日本経済は復活するか』への依頼でもわかるように、筆者にとっては、「西部邁」は自分とは異なる主張の代表、しかも彼を批判することが自分の「勉強」にもなるということで、実に知的な「論争相手」だった。もちろん、いままで一度も実際にお会いすることはなかったのは残念である。おそらく、会っても彼の一番忌み嫌う「エコノミスト」の典型であったかもしれないが、それはそれでむしろ筆者の願うことでもあったろう。なぜなら、それだけ西部氏の「経済論」には賛同しがたい一面があるからだ。

 だが他方で、評論家の古谷経衡氏が表した以下の喪失感も共有している。

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西部邁先生が居られない保守論壇なんて…考えただけでも恐ろしい。どんどんと劣化、トンデモ、陰謀論、区別という名の差別が跋扈するだろう。現在でもそうなのに。

古谷経衡氏の2018年1月21日のツイート
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 西部氏はその最後の書『保守の真髄(しんずい)』(講談社現代新書)でも明らかなように、保守派の論客であった。だが、現在の自称「保守」の一部のように、例えば「韓国破たん論」をヘイトスピーチに誘導するような形で言及し、または各種の陰謀論を匂わすような手法も採ることはなかった。西部ファンは多くいても、「信者」のような形で囲いこむこともない。その意味では、西部氏の言動は現代の「保守」論壇の中でまれなものだった。

 西部氏の「経済論」は、かなり昔からある「正統派経済学批判」の形を採っている。西部氏にとっての正統派経済学とは、1)人々は合理的な存在、2)市場は効率的な資源の配分を行う自律的なシステムである、という主張を核にしている。だが、西部氏にとって人間の社会的行動とは、そもそも合理的な面と不合理的な面の二重性をもっている。そしてこの不安定な二重性を平衡に保つ力を、西部氏は「慣習」あるいは「伝統」と名付けている。

この「慣習」ないし「伝統」を経済問題の文脈で理解するとどうなるか。『保守の真髄』でも例示しているが、賃金など雇用関係がわかりやすい。賃金は「慣習」で決まることで、経済の安定と不安定との平衡化に寄与するのである。

 企業の投資活動は将来の不確実性に必ず直面している。このような不確実性に対処するために企業は労使間のあつれきをできるだけ最小化することを選ぶ。なぜなら、労使でもめ事が発生すればそれだけ企業の直面する不確実性もまた増幅するからだ。これは経営者側に長期の雇用契約を結ぶ動機付けを与え、また労働者側も自らの生活の安定のために長期的雇用関係を結びたがる。このことが長期雇用関係を「慣習」や「伝統」として企業の中に、あるいは日本経済の中にビルト・インしていくことになる。

 このような経済論は、初期の著作『ソシオ・エコノミックス』から最後の著作である『保守の真髄』まで一貫している。後者から引用しておく。

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 勤労者がその慣習賃金を受容するというのは、それで自分の家族の生活が賄えると思うからに違いない。ということは、勤労者の購入する主として消費財の価格について何らか安定した期待を持っているということでもある。総じていうと市場で取引される多くの商品の価格が公正価格の周辺で、需要と供給の差に反応しつつ少しばかり変動する、というのが市場なるものの標準的な姿である。

『保守の真髄』142ページ

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 ただし、このような「慣習」=公正価格や慣習賃金などは、平衡作用と同時に非平衡作用も生み出す力を持っている。例えば、長期的雇用関係は慣習賃金として、名目賃金の下方硬直性を生み出す。労使間の信頼ややる気などを損なわないために、不況であっても賃金を引き下げることを選ばない。すでに大企業に雇われている労働者は身分も賃金も保証される。だがその半面で、若者たちの新規採用を削減したり、または非正規雇用などを増加させるなど経済不安定化を生み出してしまう。

もちろん西部氏は、「伝統」や「慣習」は人間社会の合理性と非合理性の平衡を「綱渡り」的にとることができるとみなしているだけで、いま書いたように「伝統」や「慣習」が一部の人たちには安定的でも、経済自体に不安定化をもたらすことも想定していたと考えることはできる。

 この「伝統」や「慣習」に二面性を求める見解、時には社会・経済を綱渡り的に平衡させ、時には非平衡化させてしまう働きというものは、西部氏の貨幣論にも典型的に表れている。

 貨幣は社会的価値を交換可能にすることで社会の安定化に寄与するだろう。しかし他方で強烈な不確実性ショックに直面すると、この貨幣がかえって社会そのものの平衡を危うくする可能性を、西部氏は同時に示唆していた。

 例えば、強いデフレショックがもたらした貨幣価値の急騰(貨幣バブル)によって、人々は実物投資や消費、そして何よりも人間そのものにお金を使うこと(雇用、教育など)を控えてしまい、ひたすら貨幣をため込んでしまうかもしれない。西部氏自身は、多くの経済学批判者と同様にインフレの方がデフレよりも社会を非平衡化=不安定化するものと思っていたようだが、いずれにせよ、この「デフレ=貨幣バブル」を再平衡化するには「貨幣=慣習」の価値を微調整していくべきだ、というのが西部氏の政策論の核心である。

 ただし、このとき西部氏は「貨幣=慣習」の平衡化は、金融政策よりもむしろ財政政策が担うものと考えていたし、また政策の担い手としては「官僚」に期待しすぎていた。

要するに、日本のデフレの長期化は、それが問題であるにしても、原因が金融政策の失敗というような観点についぞ、西部氏は立脚することはなかった。むしろ市場原理主義的なもの、グローバリゼーション的なものが、「慣習」や「伝統」の平衡化を阻害することで日本の長期停滞は生じたと、彼はみていたと思われる。そのため、デフレとデフレ期待の蔓延(まんえん)、それをもたらしている日本銀行の金融政策の失敗というリフレ派の主張には、西部氏は最後まで賛同しなかったと思われる。それは残念なことであり、西部氏の影響を受けている人たちの「経済政策鈍感」ともいえる現象を招いただけに、さらに残念さは募る。

さらに「官僚」への期待が過剰なようにも思える。ここでいう「官僚」というのは、実際の高級官僚たちだけではなく、政治家、言論人などを含むものだ。この「官僚」が「指示的計画」を策定し、市場経済の基盤であるインフラ整備を行うことで、社会を安定化させることを西部氏は期待した。しかしその「官僚」から、なぜか「エコノミスト」たちは排除されていた。なぜなら、「エコノミスト」たちは世論の好む意見しか表明しない、社会をよくする存在であるよりも、社会に巣くう連中であるにすぎないからだ。だが、他方で、西部氏の期待する「官僚」たちも大衆や世論が好むように発言し、活動するものがいるのではないか。

 大衆や世論には、真理を求めるという姿勢よりも、常に自分たちの好むものだけを望む傾向があるのは確かだ。だが、他方で今日の財務省的な緊縮主義に対抗できているのは、大衆の反緊縮的姿勢だけではないだろうか。日本の言論人やマスコミ、政治家、そして高級官僚のほとんどすべてが、日々、緊縮主義の掛け声をあげているのが実情である。大衆に安易な依存も期待もできない。しかし他方で、そこにしか今の日本ではまともな政策、少なくとも経済政策の支持の声は強くない。この日本の特殊な言論・政策環境にこそ、日本の精神的病理があるようにも思える。

 西部氏の著作や発言は膨大である。そこにはひょっとしたらこの問題への解もあるかもしれない。だが、いまはここまでにとどめておきたい。

 最後になってしまいましたが、心からお悔やみ申し上げます。生前のご教示ありがとうございました。
参照元:エコノミストを忌み嫌った「保守の真髄」西部邁の過ち
『田中秀臣』iRONNA 毎日テーマを議論する

西部邁さん、昨年末友人に「僕は年明けに死ぬ」と打ち明けていた
2018年1月22日7時0分 スポーツ報知

テレビ朝日系「朝まで生テレビ」などに出演し、保守の論客として知られる元東大教授で評論家の西部邁さんが21日、死去した。78歳だった。警視庁によると、東京都大田区の多摩川に飛び込み、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書があり、自殺とみられる。

 時代を代表する保守論客が亡くなった。

 警視庁田園調布署によると、21日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川河川敷で、長男から「父親が飛び込んだ」と110番通報があった。駆けつけた署員が救出した際には意識不明で、搬送先の病院で死亡が確認された。河川敷で遺書が見つかった。同署は自殺を図り、溺死したとみている。

 関係者によると、西部さんは2014年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、昨年末ごろから「僕は年明けに死ぬ。自殺する」と親しい友人に打ち明けていた。哲学として「最期は自分の手で生涯を閉じる」とも言い、担当した執筆業などはすべて整理。長く主宰してきた論壇誌「表現者」も昨年、顧問を引退し、後進に譲った。

 昨年12月に出版した「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)」(講談社現代新書)の帯では「大思想家・ニシベ 最期の書!」と「最期」との表現を使い、「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。歌手・仲宗根美樹の「川は流れる」がお気に入りで、「最後の場所に川を選んだのもそれが理由ではないか」と関係者は話している。20日放送の東京MXのレギュラー番組「西部邁ゼミナール」には出演した。

 西部さんは、東大経済学部に在学中、東大自治会委員長や全学連中央執行委員として60年安保闘争の指導的役割を果たした。専門は社会経済学。86年に東大教養学部の教授となるが、教授人事を巡る東大駒場騒動が起き、2年で教授を辞任した。

 その後、討論番組「朝まで生テレビ」に出演するなど、保守論客として活躍。高度大衆社会への警鐘やポピュリズム批判を基軸を置き、小泉構造改革や民主党政権を厳しく批判していた。若手学者とも積極的に討論し、飾らない人柄で知られていた。葬儀・告別式などは行わないという。

 ◆西部 邁(にしべ・すすむ)1939年3月15日、北海道長万部町生まれ。61年東大経済学部、71年同大学院経済学専攻修了。東大教授時代の88年に辞職。テレビ朝日系「朝まで生テレビ」などメディアに多数出演。83年、著書「経済倫理学序説」で吉野作造賞、84年には「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞受賞。論壇誌「発言者」「表現者」を主宰した。
参照元:西部邁さん、昨年末友人に「僕は年明けに死ぬ」と打ち明けていた
2018年1月22日7時0分 スポーツ報知

死去した西部邁氏が昨年末に語っていた言葉
ウーマン・村本さんとの対談で…
2018年01月22日 AERA dot. 東洋経済ONLINE

評論家の西部邁(すすむ)さん(78)が21日、死去した。東京都大田区田園調布5丁目の多摩川に自ら入り、警視庁と消防が西部さんを救出したが、約2時間後に搬送先の病院で死亡が確認された。

警視庁によると、同日未明に家族が「父親がいない」と110番通報。行方を捜しているなかで、多摩川で発見された。河川敷に遺書が残されており、自殺とみられている。最近は体調が優れなかったという。

1939年、北海道生まれで東大経済学部卒。元東大教授。保守派の論客として活躍した。著書に『大衆への反逆』などがある。最近まで雑誌『表現者』顧問をしていた。

2017年12月18日号のAERAでは40歳以上、年の離れた芸人のウーマンラッシュアワー・村本大輔さんと対談し、話題を呼んだ。

一度も投票に行ったことがない

西部さんは村本さんとの対談で一度も投票に行ったことがないことを笑顔でこう明かしていた。

「最初の投票用紙が送られてきた20か21歳のとき、東京拘置所にいた。当時は東京大学の学生で、暴力革命を唱え、政治犯の被告として収監されていた。暴力といっても首相官邸や国会の門扉を壊した程度だったけど、確信犯だったからそんなやつが投票をするのは間尺に合わないと考えた。その後も転居の連続で10年ぐらい投票用紙が届かなかったし、あえて投票のことも考えませんでした」

また、「投票が権利ではなく義務だというなら、放棄した場合には罰金を設ければいい。世界にはそういう国もある」と持論を村本さんに披露していた。

西部さんは対談の中で、安倍首相にレクチャーしたエピソードも語っていた。

「安倍さんとは彼が最初に総理を辞めた後、1年間研究会を開いて正しい保守についてレクチャーをしていました。そのうえで気に入らないことを言わせてもらえば、日米同盟の下で安保法制をつくったことです。僕は安保法制自体には何の問題もないとの立場で、自衛隊が行く必要のある特殊事情があるなら、地球の裏側でも行け、鉄砲も撃てと思う。だけど、それを米国のような国とやるな。米国は北朝鮮の核武装はけしからんと言っておいて、自分たちの友好国のイスラエルなどには、どんどんやれと言っているような国です」

現在の日米関係については辛辣に語っていた。

「米国もめちゃくちゃになっているから日本を守る気なんてない。それに、北朝鮮のような侵略性むき出しの国が核武装すると世界の迷惑だからつぶせと言うけど、最も侵略的なのは米国に決まっている。僕は日本人だけど、その圧倒的大多数はアメリカンデモクラシーの名の下にアメリカの属国民、つまりJAP.COMの社員になっている」

村本さんはツイッタ―で≪堀潤さんから「とんでもない人がいたよ!」って教えてくれたのがこの人。そのあとTwitterで西部邁さんと話したいって書いたらAERAから対談のオファー。何というか目のキラキラした少年と話してるような、そんな人。また話したかった。≫と記していた。

(AERA dot.編集部)
参照元:死去した西部邁氏が昨年末に語っていた言葉
ウーマン・村本さんとの対談で…





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