科学としてのジョーティッシュ

ヴァラーティア・ヴィディア・ヴァヴァンでは、ラオ先生と講師の先生方が、ジョーティッシュを再現性のある科学とするために統計の手法によって、個々のデータ間に共通するテーマを取りあげて、パラメーターを設定し、そのパラメーターの相関を導き出して、それをジャーナルオブアストロロジーや書籍を通じて発表している。

そこでは再現性の証明を成す為に近代科学の手法たる統計という手法が用いられている。

この統計は、一つのテーマについて複数のデータ(事例)を用いて、横断的に共通点を調べる方法である。

そのテーマとパラメータの相関を調べるのが目的なので、個々の事例の特殊性は無視される。

統計とは、均一化、一般化、差異の消捨により、特殊性を排除して、共通点のみにスポットライトを当てる手法である。

この手法によって導き出された結論を私たちは学び、そして、それを実践時にいろいろな事例に適用して追検証する。

ただ学びたいだけなら統計によって証明された知識を追検証していくという手順でいいかもしれないが、もしパラメーターを設定したり、研究テーマを自分で開発したい人にとっては、まず、横断的研究よりも一人の人間の経歴の縦断的な研究をじっくりとする必要があるのではないかと思うのである。

最もジョーティッシュのハウス、惑星、星座とダシャーとの関連性、そして、その人間との関係性についての理解をもたらすのは、人間の人生の縦断的研究であり、一人の人間の個人史の研究ではないかと思うのである。

ラオ先生の場合、「Astrology, Destiny, Wheel of Time」

あるいは、「Yogi, Destiny, Wheel of Time」が、

それに当たり、又、「Neru Dinasty」などもこれに該当する。

本当に実りあるのは人間の人生の全体像・縦断的個人史の研究である。

そして、人間と人間の結びつきについての研究である。

それこそが、ニューサイエンスの手法であり、物事の全体をとらえる手法ではないかと思う。

ヴァラーティア・ヴィディア・ヴァヴァンの研究は、

結婚、子供、養子縁組、旅行、教育、成功といった人間の個人史を構成する部分(パーツ)を取り出して、それを均一化し、複数の個人データを用いて、横断的、統計的手法によって法則に再現性があるかを検証する。

各人の個性、個体差を無視してそぎ落とし、均一化した上で、データ間に共通する法則を調べていく。

所謂、要素還元主義と言えるような所があり、一つの統一体である人間の人生を部分に分解して、それを取り上げる。

これはジョーティッシュを西洋世界で認められるようなサイエンスにするために
横断的、統計的手法を採用して、再現性の検証を行なっているのである。

ただこの手法は人間の人生に起こる結婚、離婚、成功と没落、病気といった個々のテーマのそれぞれを単独で取り上げて、個人史によるトータルな人間の全体像を理解の対象とせずに個々のテーマを分解した上で取り扱う為、味気なく、面白くないかもしれない。

それよりも1人の人間の通史的理解があるからこそ、統計的な研究が生きてくるのであり、その逆ではない。

ラオ先生はこの通史的理解と統計的研究の2つに精通したからこそ、ヴァラーティア・ヴィディア・ヴァヴァンの長として監督としてディレクターとして、その研究の方向性を監修できるのである。

統計的研究はこの個人の通史を通じて得られた洞察の数々を証明する為に行なっているにすぎない。それを大勢の生徒たちを使って、データを収集させて、それで相関係数を出し、60%以上(0.6)なら正の相関が見られるとして科学的証明がなされたと主張するのであるが、そうした統計的な証明がなされる前に既にある程度の仮説や見込みが立っていて結論が出ているのである。

そのような研究の音頭を取り、証明する為のパラメーターを設定できるのは、個人の通史の研究や豊富な実践経験を通して得られた豊かな洞察を通してである。

つまり、まだこの世に存在しない知識を生み出すことができるのは、個人(自分)の通史の研究を通して、直観が訴えかけた(下りて来た)洞察を得ることによってである。

もし研究が可能になるとすれば、この今だ存在しない知識についての洞察を生み出すことが前提となる。

それが出来ない場合は海外の書籍の翻訳やインドの古典の研究や翻訳を通して、既に存在する知識の輸入に努めるしかない。

それらが蓄積されてきた所で、また新しい洞察も生まれるかもしれない。

個人の人生のパーツにすぎない結婚、子供、教育といった事柄の統計的な証明よりも価値が高いと思われるのは個人の通史だと言ったが、例えば、奥菜恵の人生とチャートの研究は、私に豊かな理解をもたらした。

彼女の場合、ラグナロードの火星が8室に在住し、月から見てもラグナロードが8室に在住し、8室に惑星集中している。従って、彼女の人生を研究することによって典型的な8室のテーマが強調された人生というものが理解できる。彼女のマゾヒスティックな性向や関係性、男性遍歴などは彼女の人生を全体としてとらえる個人史の研究によってのみ可能である。

そうした研究によってもたらされる生きた人間理解に比べると、単に人生の個々のパーツだけを取り出した統計的研究は非常に味気ないのである。

実際には個人の人生の流れ全体が面白いのであり、そこで展開されている物語が面白いのである。

ジョーティッシュはサイエンスとして証明するために統計的手法を取らざるを得ないが、本当に実りあるのは個人の通史の研究であり、最も身近にして、詳しく観察できる自分自身のチャートを自分の経験に照らし合わせて客観的に考察することである。

従って、似たような条件の出来事を個々の事例(個人)間で調べるのではなく、1つの事例(個人)の中での複数の一期一会の経験を考察することである。

従って、その研究手段はフィールドワークであり、そこから得られた知識は「臨床の知」と呼ばれ得るのである。

「臨床の知」とは、中村雄二郎『臨床の知とは何か』岩波新書の中の言葉であるが、観察者と観察対象が分離しておらず、まさに観察者それ自身も観察対象であるということである。

例えば、対面鑑定をする際にクライアントが何故、今日、自分のもとに鑑定を受けに来たのかを自分のチャートとクライアントのチャートを比較検討して考えるようなそうした観点が「臨床の知」である。

クライアントの9室の支配星が在住する星座(ハウス)が自分のラグナだったり、さらに9室の支配星が在住するナクシャトラが自分のラグナのナクシャトラであることを発見して、そこに関連性を見いだす観点である。

観察対象にまさに自分自身も影響を与え、あるいは相互に関連していることを見出すことである。

ジョーティッシュの最も重要な情報源は、「臨床の知」であるからこそ、私たちは自分自身のチャートを穴の空く程、見つめ、日々研究する必要があるのである。

「汝自身を知れ」という格言があるが、この格言を「汝自身のチャートを知れ」と言い換えることもできる。

我々の出発点はまさにここから始まるのである。

そうして意味で、ラオ先生の自分のチャートに照らし合わせた体験談が豊富に盛り込まれている「Astrology, Destiny, Wheel of Time」(『運命と時輪』)などは非常に素晴らしい本である。
















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