映画『ノーカントリー』について

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督、脚本、制作した『ノーカントリー』をビデオで見た。原題は”No Country for Old Men”である。 原作はコーマック・マッカーシー著『血と暴力の国』という小説のようである。

この作品は見ていてストーリーの展開も登場人物の会話にもひきこまれて最後まで集中して見終わった。すごい作品というのは最後まで我を忘れて見入ってしまうものであるが、これもそんな作品だった。

あらすじについてはwikipediaに詳しく載っているが、作品の全編にわたって強烈な存在感を示すのが、無慈悲に殺人、強盗を繰り返す殺し屋シガーの存在である。

ここからは作品を見た人にしか分からないかもしれないが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

シガーは金も麻薬も超越しており、自らのルールに従って行動する無慈悲な殺し屋である。彼が作品中で入った店の店主にコインを投げて、裏か表か当てろというシーンが出てくる。言われた店員は「何を賭けるのですか」と聞くが、シガーはいいから賭けろと言うのである。それで店員は表であると答え、それでそれは当たっていたのである。シガーはまた夜に来ると言って出ていく。

ここで思ったのは店主に賭けろといったのは、店主の命を賭けろと言ったのではないかということである。それでコイン投げで表を当てたので、命を奪うのをやめたということだったのかもしれない。

そして、このコイン投げは、最後にモスの妻、カーラ・ジーンに対しても行われる。「何故、私を殺す必要があるの?」と尋ねるカーラ・ジーンに対して、シガーはそれではせめてコインの裏表で、助けるかどうか決めてやろうと言って、カーラ・ジーンにどちらかを聞くのである。
それに対して、カーラ・ジーンは、私はどちらかも選ばない。助けるかどうかあなたが決めなさいよと、シガーに返す。

このシガーの究極の行動原理とは、金や麻薬などへの欲望でもなく、また自らの内部の道徳心や良心でもなく、自分で決めたことや約束したことを実行するというものである。

だからコインの裏表の確率を用いるのは、それで意思決定を行うとシガーが決めたのであり、その結果に従うことは、やはり、自らに課したルールを守るというものである。

だから、彼にとって行動の理由はあるのである。それは自分に課したルールを忠実に守るという理由である。それ以外の理由は一切ないのである。

これを見て感じたことは、私たちも例えば、自分の頭のまわりを蚊が飛びまわっていたら、手のひらで叩いて、つぶすことがある。それには対して、たいした理由もなく、ただ蚊が飛んでいるからつぶすのである。
音がうるさいとか、汚いから嫌だとか小さな理由はあるかもしれないが、それは理由がないくらい条件反射的な動作として行うのである。私たちは蚊をつぶすことに対して良心の呵責や、道徳的な疑問などは生じないのである。中にはどんな小さな生き物も殺生はいけないとして、躊躇する人もいるかもしれないが、大抵の人は、蚊をつぶすことに良心の呵責も何も感じないのである。

あまりにも巨大な意志というものは、人間の命に対してもそのような扱いをするのではないかと思ったのである。それは蚊の視点からみれば自然災害であり、神の意志かもしれない。

シガーに殺される人間たちが、感じる無力さは、自然災害とか、人間側の働きかけではどうにも変えることができない、巨大な意志である。

この作品に登場するトミーリージョーンズ扮する保安官は、あまりにも凶悪化した殺人などについて、物騒な世の中になったと嘆き、途方に暮れるのである。そうして映画の最後で自分の無力を悟り、保安官を引退して辞めてしまう。

保安官が映画の最後に見た夢を語るが、それは父親が自分を追い越していって、温かい火を自分のために灯してくれているのではないかと思ったという夢であった。アメリカという国家が、自分たちのことを考えてくれているので安心だという、古き良き時代をなつかしむ夢である。

“No Country for Old Men”という原題が示すように、”(古き良きアメリカの時代を生きてきた)老人たちにとっての国は存在しない”という意味である。

シガーは明らかにアメリカの社会に生まれた悪を象徴しているのである。

このシガーで象徴される絶対悪とは何なのかと考えると、軍産複合体や連邦準備銀行など背後に潜む、アメリカ支配層、ユダヤ人の思想であり、ルシファーの思想であり、利益計算、合理主義の思想なのではないかと思うのである。

この思想が、レーガン政権の時代から加速した市場原理主義を拡大する新自由主義経済政策を推進する力である。それ以前のベトナム戦争の頃からおかしくなったアメリカの背後にある力である。

この力は理性というものを、あらゆる物事を解決できる力として崇拝する、ルシファー崇拝の思想なのである。

副島隆彦氏によれば証券とか、株式のオプション取引などの複雑な金融商品は、もともとは保険業の確率論から来ていて、リスクの割合を計算する思想だという。だから、この理性とは、確率論の考え方であり、ルシファーの思想とは、物事を確率論で考えたり、損得計算したりする利益計算である。

そのようなことを政治学者の副島隆彦氏が主張している。副島氏がこの作品を評価するならば、どのように評価するだろうかと非常に気になるところである。

例えば現在の米国の支配者階級が運営する株式市場の複雑なオプション取引は、確率論的なものであって、あたかもコインを投げて表が出たら助けてやるというシガーのコイン投げの考え方なのである。

そのような確率論的なリスク計算、損得勘定の思想がイデオロギーとしてまず、存在し、そのイデオロギーを強力に頑固なまでに推進する巨大な意志の二つが、アメリカが世界を導いている盲目的な悪の力なのである。

ここにはシガーが象徴するような単純に金儲けを追求するという発想以上の根本的な思想の部分での悪である。

これはアメリカで発達したゲーム理論や、社会現象を数理モデルで考える手法全般に言えることかもしれない。

その数理モデルからはみ出した人間が死のうがどうなろうが全く気にしないのであって、ただその最初に決めた数理モデルというルールに従って、それをイデオロギーとして強力に推進するのである。

だから、シガーという究極の悪で象徴されるのは、自由主義経済思想とそれを世界に押しつける支配者階級の意志を表していると思うのである。これは何%の人間は生きれるが、何%の人間は死んでも構わないとい思想であり、シガーのコイン投げで、象徴されているかのようである。

シガーとモスの妻のカーラ・ジーンが対話する場面で、何故、コインの裏表で賭けさせるのかと質問するのであるが、シガーが「自分はこのやり方で小さい時からやってきた」と答えるのである。

だから、シガーはこうした無慈悲な合理的な思想の中にどっぷりと漬かってきた人間であることをここで告白しているのである。そういう過程で育ってきた人間が辿り着く馴れの果ての姿であり、その過程が生み出した怪物である。

だから最後にシガーが自動車事故で、片腕の骨が肉からはみ出すほどの大怪我をしたところに、少年二人が自転車でやって来る。そこで、シガーが金をやるからその上着をくれというのである。少年二人は、金なんていりません、善意でやったことですと言うが、シガーはいいから受け取れと言って、お金を無理やり渡すのである。

シガーは善意などというものを決して受けとらないという強固な意志を示すのであるが、少年たちは大金をもらって、さっそく喧嘩をしだすのである。

ここで善意も好意も思いやりもさまざまな人間の美徳とされているものを一切否定して、ただ金だけを信じる人間の姿があるのである。

これはモスが傷ついた体で、国境を歩いて越える時に3人の若者と出会い、500ドルやるから上着をくれといったのと似ている。500ドルで上着といったら上着と釣り合わないほどの大金である。それとあと若者が持っていたビールもくれというのであるが、若者は、いくらくれると言う。もう一人の若者が、それくらいただであげろよとささやく。

ここで示されているのは、全てが金でしか解決できないアメリカのすさんだ姿である。まず、モスはアメリカの軍産複合体の金儲けの道具として、ベトナム戦争に駆り出された世代であり、そして、その過程で、彼自身が金ですべて解決するような考え方を身につけたのである。

この若者とのやり取りの中にも、人の親切や好意でまかなわれていたものさえも、金で買わなければならないというアメリカ社会の姿を映し出している。

このようにこの作品では、全てを金で換算するすさんだアメリカ社会の姿を映し出すとともに、さらに金儲けという観点を超えた悪の姿を描いている。

それは一度、ルールや約束事を決めたら、盲目的にそれを実行し、人が死のうが、社会が破滅しようが、関係ないという姿勢であり、道徳や美徳、良心などよりもそれらのルールや約束事を上位に掲げる思想である。

この場合、この一度決めたルールを決めてそれをただ盲目的に実行するという姿勢は、被害を被る人間たちの視点からは、あたかも自然災害とか、決して一個人の力では逆らうことのできない自然力のように感じるのである。

現在社会の柱となっている自由主義経済思想やその背後にある理性崇拝の思想は、人格から切り離された、まるで魂のない盲目的な機械のように働いている。

それは道徳などには一切、拘束を受けないで自ら決めたルールを盲目的に実行していくマシーン(機械)であり、人はその意思を自然の抗うことのできない意志として、確率として受け入れるのである。

『ノーカントリー』のシュガーが象徴しているのはこのような悪ではないのかと思うのである。

モスの妻のカーラ・ジーンがシュガーに対して、コインの裏表を選択することはしないと言い、私を助けるかどうかあなたが決めなさいよ、というのであるが、これは、彼女がアメリカの支配者層に言った言葉なのではないかと思うのである。確率とか、数理モデルとかそんなことで、決めないで、私を助けるかどうかをあなた方が自分の意志で決めなさいよということである。

 
















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