星座の起源について

ネット上を検索していたら、以下のような非常に示唆に富む知識が得られた。 

——————————————————————————————————- 
『・・・これに関しては、いろんな説明ができるだろう。まず、「ζῷον」についていうと、これはせまい意味の「動物」だけじゃなくて「いきもの」だから、ふたご座とかおとめ座がはいっててもおかしくはない。みずがめ座も、日本語じゃ「みずがめ」っていって、もののなまえになってるけど、ギリシャ語の「Ὑδροχόος〔Hydrokhoos〕[ヒュドロコオス]」は「水をそそぐおとこ」だし、ラテン語の「Aquarius[アクヮーリウス]」も「水おとこ、水をはこぶおとこ」、それに英語の「the Water Bearer 〔Carrier〕」も「水をはこぶひと」、ドイツ語の「Wassermann[ヴァッサーマン]」も「水おとこ」で、みんなものじゃなくてひとになってるから、これも「いきもの」だ。それから、てんびん座は、むかしは(サソリの)はさみ座だったから、これもいきものの一部だ(→「プトレマイオスとアラートスの星座:てんびん座」)。そうすると、「獣帯」とか「Tierkreis」って訳すと意味がせますぎることにはなるけど、「zodiac」じたいは「いきものの帯」ってことで、おかしくはないことになる。・・・(中略)・・・ 

ところで、黄道帯っていうと、シュタイナーがおもしろいことをいってる。動物の形態は黄道帯としてあらわされてる存在からつくられたとかで、だからそもそも動物と関係あるんだってことなんだけど、それからすれば、「獣帯」とか「Tierkreis」って翻訳もちょうどいいことになるんだろう。・・・』 
——————————————————————————————————- 
http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2007/05/zoidiakos_defd.html より引用抜粋 

まず、「・・・動物の形態は黄道帯としてあらわされてる存在からつくられた・・・」というくだりであるが、私たちは占星術を学び始める時、まず訳も分からないまま、牡羊座とか、牡牛座とか、動物のシンボルであらわされる星座の特徴をまず覚えていく。そして、ある程度、そうした動物のシンボルを使いこなせるようになると、そのシンボルをチャートの読解に使いこなせるようになる。 

そして、星座の特徴をそれに近い動物の特徴にうまくあてはめて説明したものと通常考えがちである。
例えば、蠍座の特徴をうまく言い表せるものとして、自然界に存在する蠍という生物を用いて、人間がうまく蠍座の特徴を説明したという考えかたである。 

私も、おそらく古代のギリシア人が星座の象意を自然界に存在する動物の特徴にうまく当てはめて、シンボリックに説明したものが黄道12星座の概念ではないかと考えていた。 

ところが、上記に引用した文によればシュタイナーは、そもそも星座が持っているエネルギー自体が、地球の自然界に存在する動物や生物を作り出したと主張しているのである。 

つまり、獅子(ライオン)は文字通りの意味で獅子座の影響によって自然界に存在する生物であるということである。獅子座がライオンの特徴に似ているのではなくて、獅子座の影響(エネルギー)によって、自然界にライオンが生み出されたということである。例えば種としてのライオン(猫科)が自然界に生み出された時に獅子座の影響を強く受ける惑星配置があったのかもしれない。つまり、種としてのライオンのホロスコープが描けるのではないかとも考えられる。 

そういう風に考えると、非常に占星術というものが実にクリアで科学的な学問であると感じるのである。
おそらく星座の特徴は試行錯誤して、動物の特徴で説明されたのではなく、自然界のエネルギーを知覚できる非常に進化発達した人が実際に動物の中にエネルギーを見ることによって理解されたことなのである。 

この考え方の方が非常にしっくりと来るし、シンプルである。意外に真実とは単純であることが多いのである。 

これに似た話として、中国の漢方という伝統医療がある。薬草などの調合や効能などについての体系であるが、これも昔は中国人が何千年という長い時間をかけて様々な薬草を試して、試行錯誤して作られたものと最初は思っていた。 

しかし、今ではおそらく非常に進化発達した人が薬草が発する気やオーラの種類を眺めて、その効果や効能などが瞬時に理解された知識ではないかと思っている。 

従って占星術の知識も試行錯誤などによって出来たものではなく、ある時、知覚力のある人が瞬時に理解して明らかにした体系ではないかと思われる。 

実際、ジョーティッシュはリシが深い瞑想の中で神から直接啓示によって与えられた知識体系だと言われており、それを裏付けている。 

もう一つ興味深いのは水瓶座というものがギリシャ語やラテン語、英語やドイツ語では、「水をはこぶひと」、「水おとこ」、「水をそそぐおとこ」というような意味の人間を指す単語であるということである。 
水瓶座のシンボルを見れば水瓶を頭にのせた人の絵が確認できるので確かに人間ではあるが、日本語訳の水瓶座では人間の意味がなくなっているし、占星術のテキストによっては水瓶の絵だけをシンボルとして用いて、運ぶ人である人間を省いてしまっているものもあるかもしれない。 

然し、あくまでも水瓶座は「水瓶」ではなく、「水瓶」を運ぶ「人」なのであって、「人」が主体である。 
つまり、本来は「水瓶人座」とすべきであったのであり、主体である人を省いてしまうと意味に違いが生じてしまうのである。 

上記の星座と動物の対応関係の話に戻ると、星座のエネルギー自体が自然界に存在する動物を生み出したとシュタイナーは主張しており、私もそうだと思う。 

そして、そうだとすると、水瓶座のエネルギーの影響によって「水を運ぶ人」が生み出されるのである。
そうすると、おそらく、風の星座が全て人を表しているのは意味があるのである。 
双子座は双子(二人の子供)であり、天秤座は「秤で量っている人」、水瓶座は「水を運ぶ人」である。全て人間なのは風の星座のエネルギーはマインドのある人間の中にしか表現できないからである。 
動物や生物にはマインドがないため、高度な知的活動をもたらす風の星座のエネルギーは人間の中でしか顕現させることができないのである。 

それでは、乙女座は?射手座は?ということになると全てを整合的に説明することは難しいが、然し、シュタイナーの理論で考えるとそういうことになる。 

そうすると、これからやってくる水瓶座の時代というのはそのエネルギーによって「水を運ぶ人」を地球上に出現させるのである。水を運ぶ人というのはどういう人かというと、昔は、水道設備などもちろんなかった為、生活に必要な水を汲みに行って、皆のために運ぶ人のことを指している。水は人間が生きていくのに欠かせないものであり、それを皆に供給するために瓶を頭にのせて運ぶのである。そういう人が社会に出現することを表している。 

日本で考えると、村人の生活のために治水工事や灌漑工事を実施した仏教修行僧がそのイメージである。 
つまり、その仕事は公共事業の性質を帯びている。広く人々の利益のために行う事業である。 

この「水を運ぶ人」を出現させる水瓶座の時代に行われる最大の公共事業とは、世界資源の分配(分かち合い)である。 

それは国際連合の中にそうした仕事に特化した機関が設けられ、各国が提供できる余剰資源のリストが作成され、それが各国の必要に応じて分配されるのである。 

現在のアメリカ、及びG8主導の体制下では世界の資源の不平等な分配が行われており、それが9.11に見られるように発展途上国側がアメリカ主導の現体制へ不満を爆発させる結果を招いている。 

世界資源の再分配(分かち合い)というこの世界的公共事業が 
行われるとき、それは水瓶座の時代の雛形が完成するのである。それは「水を運ぶ人」に象徴される働き手によってなされるのである。 


因みにそう単純な話ではないとは思うが、水の星座には人間がいないのである。 
火の星座には半人半獣の射手座があり、人間である。土の星座にも乙女座があり、人間の星座がある。 
然し、水の星座にだけは人間がおらず、しかも魚、蠍、蟹といずれも下等動物ばかりで四足動物もいないのである。理性がほとんどない印象である。水の星座をラグナとすると、理性を表す水星と土星は必ず機能的凶星になっている。 

従って、魚座から水瓶座への切り替わりは大変化である。魚から人間にグレードアップするのである。

かつて春分点が双子座にあった時、人類が文字を使うようになり、コミュニケーションの手段が発達し、この頃から人類の歴史が文字として後世に残るようになったと鏡リュウジ氏の本に書いてあるらしいが、もしそうだとすると水瓶座の時代というのもこの双子座の時代と同じように人間の知性が急速に発達する時代である。 

双子座の時代、文字を持つことによって人間の文化が飛躍的に発達したのであり、その後、牡牛座の時代を経て、土星が減衰する牡羊座、水星が減衰する魚座とかなり、知性のない野蛮な時代を経過してきたことが分かる。 


この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

CAPTCHA