マハダシャーケートゥ期の福田首相 –6室ケートゥの象意–

福田首相が、記者団の取材を拒否しているようである。

メルマガで福田首相山羊座ラグナ説を唱えたのだが、
山羊座ラグナの最後の方にラグナを修正すると、今年の2月ぐらいから福田首相はマハダシャーケートゥ期に移行しているのであり、現在、福田首相は6室ケートゥの時期にいるのではないかと思われるのである。

福田首相が現在、記者の取材を拒否し、報道陣の質疑を無視するという態度を貫き通していることは、6室ケートゥの象意であり、この出来事の象意とよく一致している。

6室ケートゥには敵を粉砕するという象意があるのである。

彼は現在、番記者たちの敵対的な質問や態度に「無用な雑音」として無視を決め込んでいる。

番記者たちは福田氏にとっては6室の象意であり、常に福田氏の後を追いかけて記事のネタをおこぼれでもらうような下僕か、使用人のような立場なのである。おそらく、その番記者が自分が非常に不遇な情勢にいる時に、いろいろやかましい質問を繰り返して、自分に対して敵対してくることに我慢がならないのである。

だからそうした敵対的な番記者たちに対して強い態度で、取材拒否をして対応したというのが今回の事象である。すなわち、福田首相は今、まさに敵と戦い、そして敵を粉砕する時期にいるのである。

それで取材拒否された番記者たちの不満を綴ったのが、以下の記事だろうと思われる。

 

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福田首相が報道陣に「完全シカト宣告」したウラ事情
2008年09月03日15時00分 / 提供:内外タイムス

 退陣表明してから吹っ切れた感のある福田康夫首相は2日、報道陣のぶら下がり取材を拒否する暴挙に出た。その理由は、報道陣の質疑を「無用な雑音」とするふざけたものだった。そういえば、辞意表明会見以降、報道陣からのあいさつや呼びかけには完全シカト(無視)を決め込んでおり、なんともブザマな散り際。その裏事情とは。

 ここまでくると首相の器どうこうのレベルではない。まるで反抗期の中学生だ。福田首相は2日、退陣表明を理由に、原則1日1、2回行っていた記者団のぶら下がり取材に応じない意向を内閣記者会に伝えた。拒否理由のなかで福田首相は、記者からの質疑を「無用な雑音」と表現しており、説明責任に対する首相の姿勢が問われそうだ。
 その裏事情について政治記者は「首相番記者に対する嫌がらせ。いたちの最後っ屁。1日夜の緊急会見で、考えに考え抜いて述べた辞任理由が記者団に受け入れられず、厳しい質問ばかり浴びせられてカチンときたのだろう。翌朝は『おはようございます』と呼びかけても完全無視だった。プライドの高い福田首相には我慢ならなかったのだろう。しかし、大人げない」とばっさり。あきれ返っていた。
 言うまでもないが、自民党総裁選を経て次期首相が選出されるまで福田氏は首相の座にある。こんな身勝手な暴挙がまかり通れば、最も重要である首相の考えや動向について、国民は知る権利を失ってしまう。「記者は嫌いだから…」なんて理由は通用しない。これは憲法で保障された権利を踏みにじることを、堂々と宣言したに等しい。
 それでも首相が強行すれば、新内閣発足までの20日間以上、質疑は中止となる。
 首相の意向を伝達した秘書官によると、首相は「退陣表明した以上は職務を淡々とこなしたい。無用な雑音を立てるべきではない」と話している。国内外で大事件・事故があった場合ですら「柔軟に対応する」だけ。2代連続で政権を放り出す騒ぎを起こしながら、淡々とこなさなければならない職務などない。「辞めます」と発表したからといって、その義務を放り出すとはなにごとか。
 会社を辞めるときに引き継ぎをしない社会人などめったにいない。嫌々であっても職務と責任を全うするのが、残された人間に対する配慮というものだろう。
 ぶら下がり取材をめぐっては、森内閣以前は首相の隣を歩きながら記者団が質問する方式だったが、小泉内閣発足に伴い、立ち止まっての取材が定着。安倍前首相は退陣表明翌日に入院したため、ぶら下がり取材には応じられなかった。
 それにしても報道陣無視をあえて宣言する神経が分からない。
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福田首相は退陣を決めた時、全く夫人に相談しないで一人で決めたそうである。

おそらく今、福田首相は誰とも交流したくないのである。
こうしたことがまさにケートゥ期の象意に一致しているようである。

 

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<首相退陣表明>極秘決断 夫人にも相談せず
9月2日3時0分配信 毎日新聞


福田康夫首相の退陣準備は極秘の内に進められた。

 首相は1日の記者会見で、退陣決意は先週末と語ったが、実際はそれよりも早かったという。ただ首相は周辺にも一切退陣の意思を漏らさず、貴代子夫人にも相談しなかった。

 首相は退陣表明の記者会見の草稿執筆を菅原郁郎秘書官に命じ、菅原氏は31日夕、首相官邸の秘書官室で一気に書き上げたが、会見直前まで官邸外には一切漏れなかったようだ。

 首相は退陣表明の記者会見後、肩の荷が下りたのか、「表明のタイミングは9月1、2、3日ぐらいしかなかった。小沢(一郎民主党代表)さんの立候補が決まった日に合わせた」と周辺に本音を語り、退陣表明-自民党総裁選によって、民主党代表選を希薄なものにしたいとの考えだったことを明かした。

 「29日の所信表明と(民主党も公明党も)言っているのだから、新首相が29日にやればいい」とも語った。
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こうした福田氏の6室ケートゥの象意はおそらく4月頃から始まっているのである。

4月9日付けのニュースでは、以下のように党内に次の解散総選挙を睨んだ動きが起こり始めていたのである。まだ自分が政権の運営に奮闘している時に彼を支えるべき党内で、いろいろ次の総選挙のことが話題となり出したのである。であるから、福田首相も、党内の不穏な動きにも、ぶちきれて、やる気を失い、口数も少なくなっていったのが、この頃からではないかと思われるのである。


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福田首相には大逆風? 党内に吹いてきた「何とか風」 04/09 08:13更新 産経デジタル iza β版

自民党の小泉純一郎元首相と古賀誠選対委員長が7日夜、横浜市内で開かれた党神奈川県連パーティーであいさつし、そろって衆院の解散・総選挙が近いとの認識を示した。

 福田康夫首相誕生の立役者である小泉氏らとしては、解散風をあおることで“福田離れ”が進む党内の引き締めを狙ったものとみられるが、逆に福田降ろしの機運が高まる危険もありそうだ。

 小泉氏は「そろそろ大事な、何とかという風が吹き出したような気がする。前回選挙のような圧勝はそうあるものではない。今度はよほど気を引き締めないと(いけない)」と強調。さらに、「ねじれ国会により大きな変化の時代が到来した。首相のときに『大胆かつ柔軟に』という言葉をよく使ったが、政治家も政党も企業もすべて変化に対応できる者だけが生き残っていく」と述べた。

 古賀氏も「(このパーティーで)いつ選挙があってもいい備えをしてもらった。私も『年内の選挙がない』と言わずに、『もう危ないぞ』とそろそろ言わないといけない」と歩調を合わせた。

 これまで小泉氏は解散・総選挙の時期について「来年のサミット後の可能性もある」と指摘、古賀氏も「来年9月の任期満了に近い方がいい」と主張していた。
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以下の記事によれば、福田首相は、もう4月の時点で後見人の森喜朗元首相に辞意を漏らしていたという。

「辞めたいなあ。もう外遊もしたくないよ」と、森氏に赤裸々に語っていたそうである。

そして、福田首相自身が、4月末から5月の大型連休にかけて予定していたロシアとイギリス、ドイツ、フランスの欧州3カ国訪問を取りやめたいと漏らしたそうである。

それを森氏が、「少なくともロシアだけは行くべきだ」と説得したそうである。

このように記事を調べていくと、福田首相は4月の時点で、もう誰とも付き合いたくない内に引きこもりたい状態にあり、ケートゥのダシャーが始まっていたことが伺われるのである。

退陣表明を誰にも相談せずに、自分で計画実行したところは、6室ケートゥの敵を粉砕するという強さが出た瞬間ではないかと思われる。

これは自民党内の自分を下ろそうとする不穏な動きに対しての怒りというものもあったかもしれない。

もう私は辞めたので、後は勝手にやってくれ。私を下ろしたいなら、自分から辞めてあげますよ、という、半ば、ぶち切れて怒りを爆発させたような、心境ではなかったかと思われるのである。


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福田首相辞任 4月から「辞めたいなあ…」
9月3日2時31分配信 毎日新聞


首相官邸を出て公邸に向かう福田首相=2008年9月2日午後6時16分、石井諭撮影

 福田康夫首相の退陣表明から一夜明けた2日、首相の存在は忘れられたかのように総裁選への手続きが進んだ。首相はマスコミとは接触したくないと、記者団との「ぶら下がり取材」を拒否。心の動揺は隠し切れなかった。

【特集】福田首相退陣 解説、最新ニュース、写真もいっぱい

 退陣会見は突然のものだったが、首相にはすでに今年4月から退陣の2文字が頭をよぎっていた。

 首相が後見人でもある森喜朗元首相に辞意を漏らしたのは、改正租税特別措置法の衆院再可決を前にした今年4月だった。

 大連立構想の破綻(はたん)に始まり、日銀総裁の空席、ガソリン税の暫定税率失効と「ねじれ国会」にくたびれ果て、「辞めたいなあ。もう外遊もしたくないよ」と、森氏に赤裸々に語っていた。

 首相は、4月末から5月の大型連休にかけて予定していたロシアとイギリス、ドイツ、フランスの欧州3カ国訪問を取りやめたいと漏らした。

 ロシアとのパイプが深い森氏は「少なくともロシアだけは行くべきだ」と説得した。

 その結果、首相は欧州3カ国歴訪は見送ったものの、ロシアには出向き、メドべージェフ、プーチンの新旧大統領と会談した。

 森氏らは、北海道洞爺湖サミットが終了後、声高に内閣改造熱をあおった。

 森氏は福田首相が内閣改造(8月1日)を断行する半月ほど前の7月中旬、周辺にこう語った。「おれは福田さんの背中を押してやるだけだ。自前の内閣を作って、9月までしか持たないかもしれないが、そこまでは頑張ってほしい」

 人事を断行しても支持率は低迷。身内の公明党からも揺さぶられ、臨時国会の乗り切りは誰の目から見ても容易ではなかった。

 森氏が首相から、退陣表明の連絡を受けたのは1日午後7時半過ぎ。緊急会見のわずか2時間前だった。2人の関係からすれば水くさいものだ。

 驚いた森氏は「待て。慌てるな。これから官邸に行く。話し合おう」と電話口で食い下がった。

 首相はきっぱり拒否した。「来なくていいですよ。もう遅い。記者会見をすでにセットしたから」

 決断できないリーダーと言われた福田首相の最後の決断だった。

(以下省略)
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そして、9月3日付けの毎日新聞の記事を見ると、自衛隊の高級幹部会同を欠席したと報じられている。

もう福田首相は、誰とも関わりたくなくて、一人になりたいのだろうと思われる。


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福田首相:自衛隊会議を欠席 代理もなし…「前代未聞」
 福田康夫首相は3日午前、防衛省で開かれた年1回の自衛隊高級幹部会同を欠席した。会同では、首相が防衛政策の方針を全国の自衛隊幹部に訓示するのが恒例だが、欠席の理由の説明はなく「退陣表明後は人前に出るのを避ける」(政府高官)との首相の意向に沿ったとみられる。

 過去10年間で海外出張のため首相が欠席した01、02両年は福田官房長官(当時)が代わりに訓示しており、首相官邸から代理出席もないのは「聞いたことがない」(同省幹部)。同省はこの1年、前事務次官の収賄事件やイージス艦衝突事故などの不祥事で厳しい批判にさらされたが、責任者で最高指揮官の首相が不在のまま、幹部らが当面の重要課題で意見交換した。【松尾良】

毎日新聞 2008年9月3日 東京夕刊
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そして、辞任会見した現在、各方面から不満や批判、無責任論が噴出しているのが現状であり、現在、福田首相はそうした批判に対して、意志強固に沈黙でもって対処している様子である。


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福田首相退陣:「政策方向定まらぬ」省庁など不満続出
 福田康夫首相は自前の改造内閣を発足させながら、1カ月後に政権を投げ出した。新閣僚を迎えたばかりの省庁の官僚や現場の担当者からは「政策の方向性が定まらない」との不満が漏れる。

 首相が「国民目線」の象徴と位置づけた消費者庁。4月に首相の視察を受けた千葉県消費者センターの幹部は「構想自体がどうにかなってしまわないか」と気をもむ。消費者庁構想は、自治体ごとに運営されている消費生活センターを一元的な相談窓口と位置づけて全国ネットワークに再編し、財源も国が確保する。人員と予算を削られ続けてきた地方のセンターにとって、願ってもない話だった。

 同庁設置関連4法案は臨時国会に提出され、09年度には発足の予定だった。内閣府は「閣議決定がある以上、方針は不変」と説明するが、野田聖子担当相は2日の会見で「消費者庁の発案者は自民党内では一人、福田首相だった。高い関心を寄せる議員は少ない」と不安をにじませた。

 一方、文部科学省の職員は「閣僚が次々に代わるなら、やりたいことをごく短期間で集中的に打ち出していくしかない」と話す。

 鈴木恒夫文科相は就任直後、「環境」を新たな教科とすることに意欲を見せた。しかし1、2カ月の在任では結実は見通せない。

 国土交通省では「200年住宅」の行方を心配する声が上がる。耐久性を高めた長寿命化住宅を普及させ、環境保護に役立てる政策だ。普及促進を図る法案は野党の審議拒否で継続審議中。同省幹部は「臨時国会での成立を見込んでいたが、退陣で不透明になった」とため息をついた。

毎日新聞 2008年9月3日 22時33分(最終更新 9月4日 0時09分)
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以上、整理してみると、

 

・欧州3カ国歴訪の中止

・4月の時点での森氏への辞意表明

・夫人に相談せずにいきなり辞任会見

・番記者への取材拒否

・自衛隊幹部会への欠席

・現在、各方面から不満の声や無責任論が噴出している情勢(それに対して沈黙で対応)

 

と、様々なエピソードが6室ケートゥの象意を表している。

従って、福田首相は山羊座ラグナで現在、6室在住のケートゥ期にいることで間違いないような気がしている。

 

メルマガの修正だと、福田首相の出生時刻が20:27でラグナが山羊座29°58’に設定されていたが、そうすると、ケートゥ期の始まりが2008年2月28日になるのである。

然し、実際、福田首相が辞意を漏らしたのが4月で、4月頃から急激に引きこもりの傾向が出ていることを考えると、マハダシャーケートゥ期への移行は2008年4月に設定すべきかもしれない。

そこで、ケートゥ期の開始を2008年4月に設定すると、ラグナは山羊座24°11’で出生時間は20:10前後である。

そうすると、福田首相はおそらくラグナがダニシュターの第1パーダである。


因みに福田首相の7室にはパートナーの表示体である金星が蟹座プシュヤに在住しているが、ダニシュターは女性の場合、母性本能をくすぐる相手を好むようである。

従って、ダニシュターのラグナを持つ女性の場合、蟹座プシュヤと相性が良いと思われる。

男性の場合でも蟹座と相性がよいのを確認できるのである。

福田首相の配偶者である貴代子夫人は、大学で心理学を学び、30年以上、茶道をたしなむ家庭的な女性で蟹座的な女性のようである。出生時間が分からないが、7室蟹座プシュヤに在住する金星の表示体であるかもしれない。

そして、ダニシュターの象意として、美しい調べを愛する人という象意があり、耳がよく音楽の才能があるそうである。
元々そうした音楽を聴く耳があり、音楽を傾聴し理解する才能があるのかもしれない。それに加えて、山羊座ラグナのダニシュターの場合、金星が5室支配で音楽の表示体となるのである。さらに福田首相の場合、双子座の月からみて金星は5室を支配するため、金星は元々音楽の表示体であるがラグナからも月からも5室を支配することで三重の意味で音楽の表示体となっている。

wikipediaには福田首相が中学・高校時代に音楽に親しんだとあるので、おそらくそうした意味で音楽を理解する才能があったのではないかと思われる。

 


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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 6室ケートゥの「敵への沈黙・逃走=自分一人の世界への隠遁」のご考察、非常に納得しました。
    自分の持っている要素は、やはり共感性が高いですね。

    6室ラーフと同じ「敵を粉砕する」という意味に、最初は驚きましたが…。

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