人生時間について

2012年になった。
以前から言われてきた特別な年である。

私は元旦を特別な日にしたいという思いから2012年1月1日の早朝から、近所の裏山から出発して、4時間かけて山道のハイキングコースを歩き、鎌倉に辿り着き、それから鎌倉宮や鶴岡八幡宮などを参拝などして半日を費やした。

途中、山林の中で野生のりすに遭遇するなど貴重な体験をした。やはり家でだらだらと過ごさずに外に出て活動すると様々な収穫がある。

山道では元旦から多くの人がジョギングをしたり、散策しており、途中で何度もすれ違った。

こんな元旦から山道を歩いているのは自分だけだと思ったら、同じようなことを考える人が何人もいたようである。


ここ最近、トランジットの水星が私の出生図の8室を通過していた。11月半ばから12月半ばまでは太陽も8室をトランジットしており、この時期、コラムを何度も書こうとしたものの、全く何も書けなくなってしまった。

実際、何度もいろいろトライして書いてみたが、書いた内容が気に入らずに没にしたり、あるいは検証をすすめた有名人のチャートが途中でラグナが間違っている可能性に気づき、その後、正しいラグナを検討しても、いくら考えても結論を出すことが出来ない。

従って、途中まで長い時間を費やして書いてほとんどアップしかけた記事が没になり、いろいろ文筆が中断に追い込まれた。

途中で気づいたのは文筆の表示体である水星が8室をトランジットしている間は、記事を書こうとしても書けないのではないかということである。

それでようやく2012年1月3日、水星が射手座に入室した為、それで思いつくことを書いてみた所、割と苦労しないで、アイデアが沸いて来て書けることが分かった。

やはりトランジットの影響が大きく働いていたのではないかと思われる。

水星が8室をトランジットしている間は、文章を書いては消し、書いては消し、アイデアが浮かんでも途中であまりよくないアイデアだと自分で判断して、書き直したりを繰り返し、結局は最後まで書けない。そんな状態が続いた。


2011年12月31日から金星/月/土星/水星期に移行して、スークシュマダシャーの水星期がやって来た。

そして、元旦は金星/月/土星/水星/水星期だった。

土星から見ると水星は、1、4室支配で、1室に在住し、9室支配の土星、そしてケートゥと絡んでいる。

また水星は月、太陽からみて12室支配で、12室に在住し、土星、ケートゥと絡んでいる。

元旦のひと気の少ない山道を歩いて神社に参拝する体験は、言わば、小さな巡礼の旅であり、また山道は秘境の雰囲気を味わえる空間だった。これらはケートゥの象意であると理解できた。

この日、月は12室をトランジットしていた。

12室+ケートゥ、あるいは、4室+9室+ケートゥで表されるような体験であった。

 

最近、感じることは1日の時間が経つのがあっという間で短いという体感である。

幼年期や少年期よりも明らかに1日の体感時間が短いのである。

大人になると、日々の時間や1年もあっという間に過ぎるとよく言われるが、その話は最近、非常に納得できる。

1日はあっという間に過ぎてしまう。

おそらくそれは私たちは成人する頃までには世の中の全体像がある程度、分かるようになり、自分の計画や目標に今後、どのくらいの時間がかかるのかも分かってくる。私たちの世界は時間的、空間的に広がりを持ち、拡大するのである。活動範囲も、将来の可能性も全てが拡大する。

私たちは幼年期や青年期に比べると、かなり巨大になっているのである。その巨大になった自分に対する1日の時間というものは、相対的にどんどん短くなっているのである。

大人になると結果的に1日が以前よりも、ものすごく短く感じるというのはそういうことである。

然し、これには個人差があり、平均的な人と、世界を股にかけて飛び回るような活動範囲が広く、巨大な目標を持っているような非凡な人とでは、体験世界の範囲や広がりに大きな違いがあるため、更にまた体感時間に大きな違いが出てくると思われる。

一国の大統領とか、活動範囲が地球規模にまで拡大している人にとっては1日の時間は非常に短くなるかもしれない。


例えば、苫米地英斗氏が著作の中で言っていたが、デヴィッド・ロックフェラーのような人物は、自分の一族の200年とか300年先の将来の繁栄を心配するようなそういったスケールで物を見ているのだそうだ。

おそらく200年とか300年とかそうしたスケールで物事を見ている人物にとって見れば、1日というのは非常に短くあっという間に過ぎるのではないかと思うのだ。

そうした時間の相対性というのは、今述べてきたことと全く同じことである。


時間が短くなったのではなく、私たちが昔に比べて、巨大化したために相対的にかつてと同じ時間の長さが短く感じているのである。


その人自身が持つ世界の広がりが大きければ大きいほど、一日の体感時間は相対的に短くなる。

これは何も物質的な広がりばかりではなく、思考的な広がりであってもよいのである。

例えば、1850万年前からの人類の歴史的な歩みというような歴史観を持っている人にとっては、その尺度に現在の生活時間が相対するため、1日は非常に短い取るに足りないくらい短い時間になってしまう。

私たちは成人となって活動範囲が広がり、更にマインドは知識によって無限に広がりを持ったために幼少時にただ自分が触れたり、見えたりする周囲の体験できる範囲の世界に限定されていた子供の頃とは時間の体感速度が違うのである。

大人になると1日が経つのが早いというのはそういうメカニズムである。


私たちの想像も及ばない程の大きなスケールの存在者にとっては、私たちの1日の時間はほんの一瞬で過ぎ去る時間として体験されるかもしれない。

例えば、銀河系を周期的に運行させている存在者があったとしたら、私たちの地球の一回の自転である1日は、ほとんど見逃してしまうような一瞬の時間である。


逆に1日が長く感じ、毎日、暇を持て余して困っているような人は、とても小さな世界の中で生きているということを表している。

時間の体験の仕方や、時間についての考え方で、その人の存在のスケールが計られてしまうのである。


自己啓発書などで、時間の管理法やスケジュールの管理ついてのノウハウが教えられているが、自己啓発書を書くような人は、かなり大きな目標を持ち、世界観は巨大で広がりがある。そのような人は、日々の生活の中で常に時間が短く感じ、自分が物事を達成する為の時間が足りないと体感している人々である。

そのような人々にとっては、時間は一秒たりとも無駄には出来ない貴重なものである。


これらは当たり前のことかもしれないが、何が言いたいかと言うと、最近、時間を意識するようになったのである。

トランジットの木星が一昨年に12室を通過して、昨年の5月に1室に入室した途端、一つの周期が終わったかのような一区切りの心境になった。一区切りついたと同時に新たに船出をする心境になっている。

ちょうど木星が牡羊座にあった12年前は、占星術の学習をスタートした頃ではなかったかと思われる。

そして12年経って、全てのハウスを運行し終えて再び1室に戻ってきたのである。1室とは物事の始まりのハウスである。

従って、占星術をこれから学習していくにしても、単なる繰り返しではなく、更に一段階、上昇の弧で、行う必要が出てくる。

自分のダシャーを分析してみて、最もパフォーマンスを発揮できるのがあと20年しか残っていないということが最近、意識に浮上してきた。

ポジティブ思考ならあと20年も残っていると考えるのかもしれないが、あと20年でやりたい事、あるいは可能性のあることを成し遂げなければならないのである。

一日、一日、そして、一日、一日で出会う機会は、二度と繰り返すことのない一期一会の機会である。

今度、もう一度、同じような状況になった時にやってみようというのはあり得ないのであり、同じような状況がやってくることは二度とない。だから、目の前に現れた機会をもうそれを逃したら二度と体験することが出来ないと考えて掴み取らなければ、それはやはり永久に失われる。その日のその状況、その機会と二度と出会うことは出来ないのだ。

 


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