我が木星に思う

出生図というものは実に様々なことを教えてくれるものだ。
自分のチャートでさえ、見るたびに新しい発見があったりする。

もう既に何度も飽きるほど自分のチャートを眺めていても、自分の人生を構成している要素をチャートの中で新たに発見するのだ。

例えば私の場合、木星はラグナから見ても、月、太陽から見ても9室の支配星である。

従って、木星は教師、師匠、グルを表しており、人生で最初のグルである父親を表している。

木星は教師のカラカであることも含めて、4重にグルであることを示している。

従って私の9室支配の木星はグルであることは間違いないのであり、今までの過去の体験でもそれは検証済みである。

過去、木星のアンタルダシャーには必ずグルが現れた。
最近で印象的だったのは水星/木星期である。

水星は3、6室支配の機能的凶星であり、マハダシャーが機能的凶星化している時、アンタルダシャーが凶星のダシャーであるから苦労したのか、水星/木星期に入る前に水星/月、水星/火星、水星/ラーフ期は非常に苦労した時期で、対人恐怖症、関連妄想など、思考や心理的な問題で非常に悩んだ時期である。高校3年間がそれにあたる。

なんとか高校は卒業したが、一浪して大学に受かりなんとか大学生になっても心理的な問題の根本解決には至らず、問題は継続していた。

それで、どうしようもなくなってほとんど精神病に近い状態になっていた時期にグルの救いの手が差し伸べられたのである。

水星/木星期は1994年(平成5年)12月16日から始まるが私は11月か12月の初め頃、大学に入学して数ヵ月、大学の授業以外には自動車教習場に通う日々を送っていたが、対人恐怖が強くて人に近づけないという重度の神経症症状を抱えていた。

そして、人と接しない日々が続いた結果、エネルギーが低下し、自我が幼少時の状態に留まってしまい成熟できない困難を抱えていた。

人と接触すると成長の止まった固着点の自我に退行してしまうため、退行するのが恐ろしくて人に接触できないのである。

それはにっちもさっちもいかないどうしようもない状態であった。発狂する日も間近いような状態だった。

自動車教習所に通う道すがら、「健康と幸せを祈らせて下さい」と言って、祈ってくれる人たちがいた。人に飢えていた私はその人たちが祈ってくれることに喜びを感じた。

その人たちは某宗教団体の人たちで非常に善良で、素朴な人たちだった。その中の一人の女性が私に祈りを捧げてくれたのだが、それが私のグルである。その人の導きで私はその宗教団体に入信したのである。そして、宗教団体の背後にはグルがいて、アストラル界で働いていた。

私の神経症症状は、境界例まではいかない自己愛人格障害という状態と対人恐怖症が混じったような状態であった。非常にプライドが高かったが、自我は非常に未熟だった。

その女性の世話が非常にまめで熱心に繰り返されたため、私は徐々に心を開き、ラポール(信頼関係)が築かれ、女性の前で容易に感情転移した。
女性は支配欲のない素朴で愛のある人物だったため、私は感情転移を起こしつつ、満たされなかった愛情欲求や幼少時のトラウマを修復していく作業が内面で進行していったのである。

その女性は当然、そのような心理学的な複雑なことは分からず素朴に熱心に接していただけなのだが、私は自分の自我が修復されてゆき、健康な状態に戻っていくのを感じていた。

このような作業が女性との2者関係で行われていったのである。ちょうど、セラピストとクライアントの関係がグルと弟子の関係であるのと似ているようにその女性と私の関係もセラピストとクライアント、グルと弟子の関係のようであった。

しかも私の神経症症状は、ハインツ・コフートに代表される自己心理学で説明される自己愛人格障害であり、母子関係の病理であったため、セラピストは母親の機能である鏡映機能などが要求されたのである。

この成熟した自己を得るためには太古的な自己愛的状態に適度なフラストレーションを与えて、徐々にフラストレーションに耐えられる自己を創り上げる必要があるのである。

それは変容性内在化(トランスフォーメーティブインターナリゼーション)と呼ばれる。

その女性は私の鏡映欲求を映し返すのに適度に失敗したり、私の欲求を完全に理解できなかったため、この適度なフラストレーションが存在し、変容性内在化が少しずつ起こっていったのである。

また女性との間に信頼関係が非常に強くなるに従って、私の方で女性に攻撃性を発散することができ、その攻撃性を発散した後でも女性が変わらない親しみと愛情を表現することができたため、(つまり女性が生き残ったため)対象関係理論で言うところの良い乳房、悪い乳房というような太古的な自我の分裂状態も統合され自我の統一がより強固に形成されたのである。

これが水星/木星期に起こったことであり、私のグルは直接的にはその女性であり、根本的には背後のグルの手厚い保護によって、職人芸的な自我の育成を得たのである。

しかし、水星/木星期に入ってただ恩恵を与えてもらうだけではなかった。そのグルは厳しさも見せたのである。つまり、木星は山羊座で減衰している。従って、非常に現実的、実務的実践をさせるのである。

つまり水星/木星/木星期が終わると、水星/木星/土星期、水星/木星/水星期、水星/木星/ケートゥ期が続くのであるが、土星、水星、ケートゥは木星から見て6室目に在住しており、入信した後、非常に厳しいトレーニングが待っていたのである。

それは道ゆく人に健康と幸せを祈らせてもらうというトレーニングであり、当初、対人恐怖でいっぱいの状態で、非常に苦悩していたところでどうして人の幸せを祈るというフレーズが言えるのか、自己欺瞞に見えやしないか非常に苦悩したのである。

オウム真理教の事件が流行っていた頃であり、お前はオウムかと怒鳴られたり、気持ち悪がられたり、また誰が見ても宗教的な行為である祈りのポーズを道ゆく通行人の人々に見られるかたちとなり、皆が自分を見て何と思うだろうなどと、非常に対人恐怖でいっぱいの状態で、それらの実践を行わなければならなかったのである。

ただでさえ人が怖くなっているところで、人にそのような積極的な働きかけをし、しかもそれがどう見ても宗教行為であり、相手からはよく思ってもらえない可能性が高いのである。

そのようなトレーニングをアンタル木星期の初めにひたすら行ったのである。

そして、そのアンタル木星期を通じて神経症的症状をほぼ克服し、自我の年齢にあった成熟を果たしたのである。主観的にはそれはほぼ奇跡に近い飛躍であった。途中であきらめそうになったこともあったのであるが、グルの恩寵は決して私を見捨てなかったのである。

そして、その体験が私を深い宗教的な世界へと誘ったのである。

物質化の体験やヒーリングで人の病気が癒される体験、不思議なカルマ的な繋がりを意識させる偶然の一致(共時性的)体験など、精神世界に深く入っていく時の基礎となるありとあらゆる体験をそこでしたのであり、そこでの体験は今の自分の基礎となっている。


次のアンタル木星期はケートゥ/木星期であり、2003年11月19日~2004年10月25日まで続いた。

この2003年10月頃に私はある人と出会い、その人の口利きで、職場を得たのであるが、その人を上司として同じ職場に勤務することになったのである。その上司こそ2回目のグルである。

アンタル木星期全般に渡って、その人物の指導を受けたのである。

しかし、その職場に入って、暫くして、ケートゥ/木星/土星期が始まると、以後、ケートゥ/木星/水星、ケートゥ/木星/ケートゥ期と、木星から見て6室目のプラティアンタルダシャーの時期が続き、厳しいトレーニングと、試練が待っていたのである。

まず、その上司は山羊座で減衰する木星そのものであったが、まず、非常に性格が刺々しく、親切でないのだが、実務に長けていて、非常に働きもので、自分自ら、社員の秘書、サポート役としてよく働く人物だった。まさに山羊座そのものといっていい人物であった。

私はその不親切なグルと一緒に職場で勤務を重ねることになった。

グルは非常に不親切だったが、悪意はなく、基本的に善意でしっかり仕事をこなす人物ではあった。然し、非常に自己表現が下手でコミュニケーション下手な人物で、親切さが欠けた自己中心的なところもあった。

然し、私にとってその人物もまぎれもなく、グルであり、私はそのアンタル木星期を通じて、IT業界での業務知識と業務における実践的姿勢を身につけたのである。

そして、厳しいトレーニングの結果、動揺しない心などのメンタル面や業務知識などの技術面の両方を身につけ、社会的な飛躍的進歩を得たのである。

これらもよく考えればグルの恩寵である。減衰しているので非常に癖があり、不親切で、刺々しい感じはあるが、それでもそれまでと比べて飛躍的な進歩をもたらしてくれたのである。


またその職場環境はグルの恩寵と言うべき、恵まれた環境で通常体験できない様々な体験ができたのである。やはり、グルを4重に表している木星期は例え、木星が減衰していたとしても恩寵を与えずにはいないのである。


このように山羊座のアンタル木星期はある意味、グルと出会い恩寵を与えられるわけだが、恩寵はただで与えられるのではなく、与えた後、過酷で厳しいトレーニングと試練が伴うのが今までのパターンである。

そして、そのトレーニングを乗り越えた時、それをくぐり抜けるまでは主観的に体験し得なかった進歩を成し遂げるのである。

蟹座と山羊座の軸はイニシェーションに関係しているとアリス・ベイリー関連書籍に書かれているらしいが、確かに山羊座に在住する惑星のダシャーの時にいわゆる小さなイニシェーションともいえるような飛躍をしているのであり、山羊座は厳しい過酷な実務や実践を通じて、それを体験する人物を鍛え上げるのである。そして、気がついた時にはその人物は通常では得られない大きな進歩を成し遂げていることに気づくのである。


このように私の木星は非常に癖があるがまぎれもなく、吉星として働いていることが分かる。

そして、生まれた時に最初に出会うグル、つまり私の実の父親も実際、この木星が表しているような人物である。

非常に気まぐれで、刺々しく、不親切で、実務的実践的である。

そして、私とは衝突してばかりだったが、それでも私にとっては恩寵を与えてくれる人物だったと言えるかもしれない。

例えば、今思えば、父親から仕事を紹介してもらったり、私が自由気ままにやっていられるのも父親が健在で、しっかり、実家を養うだけの収入を得ているからである。

これらの父親の働きは、木星が10室から2室や6室にアスペクトしていることで説明できる。

つまり、実家が経済的に何とかやっており、私の収入面に圧迫がないのはこれらの木星のアスペクトが原因である。

また木星は2室にアスペクトしているため、多少の資産を父親から譲り受けるかもしれないのである。

チャートを改めて眺めてみて実の父親からの恩恵について思いをやると、チャート上にきちんと、それが過不足なく正確に示されているのに改めて気づいたのである。


インド占星術は非常に正確である。
チャートを吟味すればするほど、ますます自分の人生がチャートそのものであることが分かってくる。


検証作業の中で最も微細なニュアンスまで、検証できるのは自分自身の体験である。

プラーナダシャーが機能しているかを検証することは実際のところ、自分自身の出生時刻を修正して、日々のダシャーと事象の一致を確認するしかないと思われる。

他人の出来事をそこまで詳細に知る機会は中々得られないし、その出来事が起こった状況に対する直観的解釈なども、自分の体験を観察する中で得られるのである。

他人だと体験の質が変わる日付や時刻を意識していることはまれである。ほとんど、詳細には思い出せないのではないかと思われる。


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