アーユルヴェーダについて

アーユルヴェーダの病因論は、ヴァータ、ピッタ、カパの3つのドーシャのバランスが崩れた時に病気になるというものである。

通常、ある特定のドーシャが優勢な体質を誰もが持つことから、その特定のドーシャが過剰になりやすいという性質を持っている。

治療は過剰になり過ぎたドーシャを減少させ、それ以外のドーシャを強めることによって3者のバランスを取ることによって行なう。

例えば、ピッタが過剰になり過ぎた人には、ピッタを強めることは控えさせ、またヴァータやカパを強くするようなことを促進していく。

そしてこれらのバランスが取れた時が回復なのである。

これらのドーシャは、空、風、火、水、土という5大元素の組み合わせによって成り立っており、ヴァータは空+風、ピッタは火+(水)、カパは土+水という組み合わせになっている。

占星術で扱う火、土、風、水という4つのエレメントに加えて、空(エーテル)が加わっている。

このことから、

ヴァータは、双子座、天秤座、水瓶座

ピッタは、牡羊座、獅子座、射手座、(蟹座)、(蠍座)、(魚座)

カパは、牡牛座、乙女座、山羊座、蟹座、蠍座、魚座

として考えることができる。

この時、ピッタには水が含まれるという考え方があるらしく、

水の星座をピッタに加えればいいのか、カパに加えればいいのかで混乱が生じる。

この点で、星座をドーシャに完全に対応させることは難しいのではないかと思われる。

もう少しリサーチが必要である。

簡単に大まかに言えば、ヴァータは風のエレメントが支配的な性質であり、カパは水と土のエレメントが支配的である。

そして、ピッタは火のエレメントが支配的である。

図に描くと、このようになる。


これらのどの星座に惑星が偏っているかによって体質が決まる可能性がある。

そして特に大事なのはラグナ、月、太陽ではないかと思われる。これらの3つともラグナの代りとなり、身体を表わすからである。

もし火の星座に惑星が偏っていれば、ピッタ体質となり、ピッタが過剰になる危険性を有しており、風の星座に惑星が偏っていれば、ヴァータ体質となり、ヴァータが過剰になる危険を有している。

水や土の星座に惑星が集中していればカパ体質となり、カパが過剰になりやすいと言える。

もし地球上の人類のホロスコープを限りなく沢山集めて、集計を取ると、火、土、風、水の星座に在住する惑星の数が平均して一定となることが予想される。サンプルの数が多く、分母が大きくなればなるほど平均して一定となるはずである。

だから特定のエレメントに惑星が集中する人は極端な性格、体質となるはずであり、アーユルヴェーダの病因論によれば、少なくとも特定のドーシャが過剰になり、ある特定の病気になりやすい人と言えるのである。

このように考えていたが、実際にアーユルヴェーダ医師から脈診で体質を診断された人のホロスコープを作成してみた所、必ずしも惑星が位置する星座のエレメントの偏り具合と、ドーシャバランスは一致しておらず、ホロスコープのエレメント分析だけから体質を決定できると言えるには、もう少しリサーチが必要である。

同じ個人でもドーシャバランスは頻繁に変わるようであり、現時点で、ホロスコープの分析だけから体質を決定するのは難しいと言えるかもしれない。

私自身、インドで複数の医師から脈診を受けたが、ヴァータ・カパと診断されたこともあれば、ヴァータ・ピッタと診断されたこともある。

私は、ラグナロードの火星が水の星座である魚座に在住し、月、太陽も水の星座である蟹座に在住している。

また風の星座である双子座に土星、水星、ケートゥが集中している。

従って、ヴァータ・カパと診断されたことは占星術的にもそれなりに理解できる。

また私はラグナは火の星座である牡羊座であり、金星が火の星座である獅子座に在住しており、今、マハダシャー金星期である。

ラグナは身体を表わす為、ラグナが火の星座であるというのは最も重要である。

またラグナロードや月や太陽が在住している水の星座も、ピッタに加えられるという考え方もあるため、ヴァータ・ピッタであるとする根拠も相当にあるのである。

しかし、水の星座の位置づけがピッタなのか、カパなのか曖昧で、どちらか決定するルールがなく、相当に曖昧である。

脈診や問診の方があった後の後付けの解釈としてはそれなりに合理的に説明は可能であるが、ホロスコープだけから確実なことを言うにはまだ問題がある。

 

アーユルヴェーダで扱うドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)はそれぞれお互いが補い合って生命活動を担っているとされる。

ヴァータは風のエネルギーであり、運動をもたらすエネルギーで、呼吸機能や血液循環や栄養素の運搬、老廃物の排出、呼吸循環機能や神経系(ニューロン)の伝達なども扱っているとされている。

ピッタは火のエネルギーであり、各種酵素を変換し、熱を出したり、食物を消化して変換し、吸収するといった消化、代謝といった機能を受け持っている。

そして、カパは油や水分によって細胞の形態を維持することに見られるように、形態、構造を安定させ維持していく役割であり、免疫機能などもこれに該当するという。

こうした、それぞれのドーシャがお互いに役目を果たして、協働することで生命を支えており、どれか一つ欠けても生命は存続することができないという。

これは組織論などにも言えるのではないかと思う。

例えば、火の性質の持ち主は、何か新しい発見なり、アイデアによって、猛烈にその方向に向けて突進していく人で、直感、閃きを頼りにする起業家タイプであり、何かその道の第一人者になる人であり、イノベーションを引き起こす人である。この他に先駆ける創業者タイプの人物がおそらくピッタの人と言えるのではないかと思われる。

次にその創業者の技やアイデアなどを形にして、利益が上がるようなビジネスモデルを構築するのが取締役を含めた経営陣であり、戦略や計画を立て、規則やルールを作り、それを組織内に伝達して、浸透させる人たちである。

MBAの取得者とか、ビジネスの大きな枠組みを構築できる人であり、高度な頭脳労働をする集団である。

こうした人たちが管理職であり、組織内で社員教育なども受け持つ人たちである。

最後に組織内で実際に顧客対応といったサービスを提供したり、経理とか総務といった実務を司るのが、その他、一般の人々であり、こうした人々の実際的な仕事がなければ組織は上手く立ち行かない。

こうした3者のバランスが取れて、うまく機能しているのが健全な組織であり、成長できる組織である。

もし組織内でアイデアマンばかりがいたり、ビジネスモデルを構築したり、考えている人ばかりがいたり、指示通りに動いて実務を堅実にこなす人ばかりがいたら組織として異常である。

以前、何かの本で読んだのだが、優秀な科学者を何名も集めて、チームを作っても何も有益な発明はできなかったそうだ。

その優秀な科学者の人数を減らし、科学者のアイデアを形にしてくれる技術者や工学者をチームに入れたところ、有益な発明を生み出して、成果を出したそうである。

つまり、組織内でもドーシャのバランスが重要だったのである。

特にカパを表わす水と土の星座は、皆、女性星座である。

昔から組織の中での女性の役割というのは非常に重要だったのである。

組織内で女性がいると物事が円滑に進んだりするとよく言われる。

組織の中で女性が潤滑剤としてよい働き、役割をこなすためだが、こうした女性的な機能、役割を重視する組織は健全でよい組織である。

別に女性に限らず、言えることであるが、日々の実務を着々と安定してこなしていく一般社員がいなければ組織を維持していくことは不可能である。

つまり、安定、維持を司るカパの役割というものは重要なのである。

 

先に述べたように地球上の全人類のホロスコープを収集すると、限りなく、エレメントのバランス、すなわち、ドーシャバランスは等しく一定に平均していくと思われる。

そのバランスによって生態系が維持されているのであり、人間社会が成り立っているのである。

この地球上の支配者階級の人間が、一般大衆の生活を無視した政策を取れば、ドーシャのバランスは狂って、人間社会、すなわち、人類の存続は難しくなるのである。

支配者階級の人々自身の幸福にとっても、ドーシャのバランスというものは必要なのである。

 

私は先日、アーユルヴェーダ学会というものに参加して、その道の最前線の人々の話をいろいろ聞いたことで、このドーシャバランスという考え方に魅せられた。

私も先日、学んできたばかりなのである。

しかし、これらの概念がすんなりと頭に入って来たのは、今まで占星術の火、土、風、水のエレメントの概念、2区分、3区分、4区分といった概念に親しんで来たからである。

これらの概念をドーシャの概念の上位概念として用いることで、アーユルヴェーダのドーシャの概念はより理解がしやすくなる。

特に私は健康に興味を持って来たからか、ドーシャのバランスという概念について非常に考えさせられている。

つまり、この概念(アーユルヴェーダの病因論)によれば、自分と似ている人同士でかたまるのではなく、むしろ、自分とは異なる人、自分に欠けているものを補ってくれる人と共に行動したり、協力していくことが健全であり、健康ということになるからである。

そして、生き方においても、自分が得意とするもの、自分に才能があるものに偏り過ぎてはいけないのである。そういう考え方も導き出される。

自分が得意とするもの、自分に才能があるものをとことん磨いていくことこそが素晴らしい成功への道である。

というのは確かにそうなのである。しかし、その人はその性質、その特定のドーシャが他者とバランスを持って補い合えるようなチームを見つければ、その人の人生は輝くかもしれないのだが、ひとりの人間として見た場合は、完全に偏った不具者のような存在かもしれないのである。

このドーシャの概念は、ヴェーダを起源とする深い哲学であって、この地球上のミクロコスモスである人間の身体や、マクロコスモスである人間社会や文明、更に宇宙などを理解するための一つの強力な道具と言えるかもしれない。

 


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